
クマをめぐる冒険~偏見と高慢ちきチキバンバン はしゃげマニア♬ 絵本『だれのせい?』のオリジナル版発見だ!
絵本『だれのせい?』の翻訳の考察は、序章に過ぎなかった
4月にアップしたこちらの記事。
イタリア語”orgoglioso”の翻訳に関する考察を展開いたしました。
この記事にスキを頂いたご夫婦様のページにお邪魔してみたら、
イタリア語&日本語への愛情に溢れていたのでご紹介させて頂きます。
イタリア語と日本語とが並記されています。
イタリア語学習者&日本語学習者の方は、読むだけで勉強になります。
旦那様はイタリア人、奥様は日本人でいらっしゃるので、
イタリア語、日本語ともにネイティブのナチュラル文章。
お奨めです。
クマをめぐる冒険~プロローグ
冒頭に貼り付けた私の公開済み記事の内容を発端として
ちょっとした試みに挑戦すると宣言してからもうすぐ三カ月。
好奇心に釣られて軽い気持ちで手を出したのが運の尽き。
やり始めるとマニアの泥沼にハマってしまった次第。
息継ぎのために水面からプカリと顔を覗かせて現実世界の空気を吸い込むと
かつて抱いた疑問が脳裏に再浮上。
🫧🫧絵本『だれのせい?』の英語版ではorgogliosoの英訳は如何に?🫧🫧
「ちょっとだけ~♡」の寄り道気分で英語版を探しただけのはずなのに、
新事実があっちでカモ~ン、こっちでカモ~ンと
筍のように先っちょを次々にのぞかせて挑発してくる。
誘惑に負けた私は泥沼から這い出し、今度は雨後の筍ハンターに早変わり。
「好機到来万歳!」と調子に乗って次々と掘り起こすうちに、
森の深い深いところへと迷い込んでしまった。
森の中で出くわすのは「クマ」と相場が決まっているが、
目の前のクマは見知ったクマとは別人ならぬ、別クマ。
本州でヒグマに遭遇した“あり得なさ”に近い衝撃。
いやいや、ツキノワグマのハズでしょう?って。
クマに遭遇したらスタコラサッサのサ♬と逃げねばならぬのだが、
ララララ~ン♬と一緒にダンスを踊る『森のくまさん』の呪縛。
いやいや、女は心で常に『赤い靴』を履いているのさ!
そうこうするうちにヒグマとツキノワグマにガシッと両腕を決められて、
逃げも隠れも出来ないドリカム状態だよ、お立合い!🪭
「ドツボにハマって さあ大変♬」と、
『ドングリコロコロ』でトドメだぁ~~。
カウント1、2、3で、私の負け。
煮るなり焼くなり好きにしてくれぇ、毒を食らわば皿まででぃ!
べらんめぇ。
結局お前は何が言いたいんだ?と焦れていらっしゃいますよね。
事の次第を順を追って説明いたしますと・・・。
検索して遂に英語版を発見したと喜んだら、
見知らぬ絵本が鎮座していたのです。
さながら、映画『マトリックス』のアーキテクト。
姿形は変わっていても中身は同じでしょ、と流し目を送ってくる。
「???」と一念発起して、ウッド・クエスト再開。
そして、存在を想像だにしなかった“正真正銘のオリジナル”、
イタリア語版に辿り着きました。
筍が導いた真実・・・
ーーー絵本『だれのせい?』は、実はリメイク版だったのです。ーーー
・何故わざわざリメイク版に切り替える必要が?
・オリジナル版には何か問題が?
・キャンディ・キャンディのように原作⇔絵担当の間に何かトラブルが?
今度は疑問が雨後の筍。
理由を探してみたのですが、決定的な答えは見つからず。
話の大筋は変わっておらず、変更点にも決定的な必然性は感じられず。
加藤武さん演ずる等々力警部も
「よし、わかった!」を切り出すタイミングが掴めず目が泳いじゃう感じ。
袋小路に迷い込んだのですが、その代わりに見えて来た景色もあるわけで。
折角なのでお披露目させていただきます。
かなりマニアックな内容なので、お覚悟のほどを。
森の中の探検は心細いけど、目印の筍は用意しておきました。
冬眠から目覚めたクマに「大好物発見♡」と食べられちゃう前に、
さあ、出掛けましょう。
それでは、はじまり、はじまり~。
アッと驚く為五郎♬、リメイクの事実
絵本『だれのせい?』は、リメイク版の日本語移植版だった。
100分de名著で3月に紹介された絵本『だれのせい?』。
鎧や武具を身に付けた騎士姿の熊が小鳥とほんのり視線を合わせる表紙が
印象的なこの作品。
実はリメイク版であることが判明。

クリックするとサイトに飛びます
オリジナル絵本のご紹介
本家イタリア語版
オリジナルの絵本はこちら。
文筆家はリメイク版と同一人物だが、イラストレーターは別人。

2008年9月出版
Publisher : Zoolibri
クリックするとamazon.itに飛びます。
オリジナル版の表紙は、メリハリの効いた挿絵に時限装置付き
リメイク版のバッチリ武装とは異なり、
ボディの茶色から浮き上がる白い肩掛け鞄をもつ軽装のクマ。
枝にとまった小鳥と見つめ合っている。
クマの口角は上がっているし、目もまん丸。
クマの背中には小鳥がとまっている。
パッと見の印象は「穏やかな絵」。
光を受けて輝くクマの毛並みが実に美しい。
しかし、背景の白に溶け込む「剥き身の剣」に気付いた途端、
クマ ⇔ 小鳥の間のバチバチの緊張⚡
が伝わってきて読者はビクッ😨とする。
巧妙に計算されたイラストだな、と感心しきり。
クマの目と口元の笑いは、
「とうとう犯人を見つけたぞ!どう料理してくれようか、ぐふふ」の
してやったり顔だったんですね。
オリジナルの英語移植版は、ストレートなわかりやすさで勝負
ちなみに、オリジナル版を英語に移植した絵本の表紙はこちら。
表紙のイラストは、明らかにイタリア語版とは違う。
カメラが寄って、クマと小鳥のアップに。
どうやら本文中のイラストを英語版の表紙に転用したようだ
(後述の動画参照)。

2010年7月出版
クリックするとamazon.deに飛びます
この表紙を見れば一目瞭然。
非常に漫画的でわかりやすいデフォルメが挿絵に施されている。
眼光鋭く小鳥に詰め寄るクマと、
焦りながら「吹き出し」で木が切り倒されたことを必死で訴える小鳥。
一触即発の剣呑な雰囲気。
二者の間の緊張感が、表紙の絵を見た途端にヒシヒシと伝わってくる。
イタリア語版の“時限爆弾”を犠牲にする代わりにズームアップし、
表情で緊張関係がすぐに伝わるようにしたんですね。
オリジナル版を、イタリア語版と英語版とで比較・考察
英訳された題名は、『The Bear with the Sword』。
『L'orso con la spada』の英語直訳なのだろう。
和訳すると『剣を携えたクマ』といったところ。
剣という武器がそのままタイトルに入れられている。
タイトルを読むと「物騒だな、何事ぞ?」と興味が湧く。
そして、英語版の裏表紙は、こちら。

クリックするとamazon.comに飛びます。
英語版は、購買を促すために物語の導入部分を説明する裏表紙という印象。
饒舌にこの本の特徴をアピールしている。
分かりやすさに立脚しているな。
それでは、イタリア語版の裏表紙はどうだったか?
頑張って探しました。

AIに頼んで文章を読み取ってもらったところ、
クマの怒りのセリフが書かれていた模様です。
分かりやすさよりも、疑問を抱かせて購買へつなげる作戦という感じ。
“Chi ha distrutto il mio fortino? Lo troverò e lo taglierò in due!”
「誰が私の砦を壊したんだ?見つけ出して、真っ二つにしてやる!」
オリジナル版の表紙・裏表紙の違いをまとめてみました。
イタリア語版
表紙 剥き身の剣に気付いた瞬間に劇的に印象が反転する
裏表紙 印象的なセリフを抜き出して、驚きや疑問を抱かせて購買へ
英語版
表紙 パッと見でわかる単純明快さで勝負
裏表紙 物語の発端をかいつまんで興味を湧かせて購買へ
おまけ オランダ語版&中国語版&フランス語版&ドイツ語版&スペイン語版
各国語版とも、オリジナルのイタリア語版に準じた作りのようです。
タイトルの書体の違いにお国柄が現れているのでしょうね。
オランダ語版&中国語版&スペイン語版の画像は
amazon.deさんのサイトから、
フランス語版はamazon.co.ukさんのサイトから、
ドイツ語版はamazon.itさんのサイトから転載。



タイトルの部分に小鳥が付加されている。可愛い方が受けるのだろうか?
書体も可愛い感じ
背表紙がオレンジ色に変更されている
森を舞台に動物がたくさん出てくるという「かわいらしさ」でアピールする戦法

L'OURS QUI AVAIT UNE EPEEは、the bear who had a swordの意らしい(機械翻訳)。
森の象徴である緑色でタイトルが書かれている。

2009年2月出版
左右反転されているので、クマは左利き?
amazon.deでの検索ではヒットせず、amazon.itでヒットする不思議。

「そろそろ公開するか」と一息つきかけたギリギリのタイミングで発見。
正に滑り込みセーフ、のスペイン語版。

スペイン語のタイトル『El oso con la espada』は、
イタリア語のタイトル『L'orso con la spada』によく似ている。
「他人の空似」とは思えないレベルで、言語的な類似性が気になった。
copilot提供情報によると、「語源的にも両者はロマンス語の姉妹語で、語形がほぼ一致するため、タイトルが似るのは当然と言えば当然」とのこと。
そして、蘭・仏・中・独の表紙レタリングと見比べると、
イタリア語版とスペイン語版のレタリングの一致が顕著だ。
著者&イラストレーター名のレタリングは、完全一致。
タイトル名のレタリングも、
オリジナルを真似て他人が作成したレベルを超えている。
スペイン語版の出版社 Barbara Fiore Editora さんは、
外国絵本の美術性を尊重する社風らしい(copilot提供情報)。
レタリングのオリジナリティも尊重して、
イタリア語版作成チームにわざわざ特注したのだろう。
そこまでしてレタリングにこだわる理由とは?
じーっと観察してみたら、
・線の特徴がレタリングとイラストとで一致
・著者名&イラストレーター名の緑色が、イラストの葉っぱの緑色と一致
していることに気付いた。
そうか、イラストレーターのFoliさんが直々に
レタリングも手がけられたのか!
だから、レタリングも含めた表紙全体を「一つの作品」として
スペイン語版に移植したんだな。
スペイン語版を見つけたことで、また新たな発見がもたらされました。
オリジナルの内容を調査
肝心の本文はリメイク版と異なっているのだろうか?
公式と思われる動画がアップされているので、視聴してみました。
イタリア語なので文章はチンプンカンプンだが、
イラストはしっかりチェックできる。
字幕を表示してそれを翻訳するという技も使えるが、
著作権的に面倒臭そうなので割愛。
イタリア語が分からない部分は、以下の感想で補ってみる。
(感想文中のpigdeerはバビルサを表す。
絵本動画の中でも、「バビルサ」と連呼している。)
オリジナル版の英語版の出版社の宣伝動画を発見。
本文は出てこないけど、イラストそのものはバッチリ掲載されている。
英語版の出版社はこちら。
https://www.ipgbook.com/wilkins-farago-pty-ltd-publisher-WIF.php
独立系の出版社で、
受賞歴のある価値ある作品をオーストラリアの人々に読んでもらうことに
燃えている出版社さんらしい。
動画から、著者のダビデ・カリさんの本の英語版を
何冊も出版されていることがわかる。
動画中でこの本が"International Youth Library's 'White Ravens' Selection"に
選定されたことが高らかに謳われていることも読み取れた。
良書としてのお墨付きを得た由緒正しき絵本というわけですね。
100分de名著で紹介されていたリメイク版の内容と比較して、
オリジナルとリメイク間で「大まかなあらすじには変更なし」と
結論を出した。
水門の門番がビーバーからアリクイに変更されていたけど、
役割は変わらず、マイナーチェンジに留まる。
ストーリーに大幅な変更が加えられていないのに、
何故リメイクする必要が有ったのだろう?
リメイクすると、オリジナル版へのお墨付きもおジャンになってしまう。
絶版ではなく増刷する方がスジなのでは?
というわけで、細部の観察に踏み込む。
まずは絵本の顔と言える「表紙」を比較して解析開始!
リメイク版の表紙を観察
リメイク版の本家、イタリア語版
リメイク版の表紙はこちら。

クリックするとサイトに飛んで、最初の方が試し読みできます。
イタリア語なのでチンプンカンプンですが・・・。
Publisher : Kite Edizioni S.r.l
リメイク版のタイトル『Colpa di chi?』の直訳が
和訳『だれのせい?』なのだろう。
「剣」という物騒な単語が入っていたオリジナル版のタイトルとは異なり、
暴力的なニュアンスは伝わってこない。
ならば絵で予兆を匂わせているのか?と表紙絵に着目してみる。
成程、剥き身の剣が中央に堂々と描かれている。
しかし、肩に担がれた剣が今にも振り上げられる、という緊張感は無い。
クマはアルカイックスマイルを浮かべつつ小鳥に視線を向け、
小鳥も特段感情を表さずにつぶらな目をパッチリ開いてクマを見返す。
オマケに、クマは内股だ。
両者の間の緊張を強く仄めかす要素は、見当たらない。
タイトル名が葉っぱで一部隠れているのは、
物語の中の犯人探しの紆余曲折を暗示しているのだろう。
レタリングは恐らく、
イラストレーターとは別人がデジタル作成したものだろう。
文字の色は、スポイト移植で盾の色と揃えた感じ。
14年の間にデジタル技術が進化したんだなぁ。
剣の存在に気付いた途端に発動するオリジナル版の時間差攻撃は、
リメイク版では不在。
何だか物足りない。
この違いが、オリジナルとリメイクとの違いの象徴なのか?
リメイク版の表紙絵は、
オリジナル版に比べて描き込みの細やかさが目に付く。
鎖帷子、盾、ズボン、植物のグラデーションが繊細だ。
剣には美しい装飾が施されている。
表紙観察に基づく差異のまとめ
オリジナル版 デフォルメと描き込みとのメリハリと時限装置的発見の驚き
遊び心が感じられる
リメイク版 緻密な描き込みとグラデーション
生真面目さが漂う
おまけ 各国語版表紙
オランダ語版表紙。
オランダは責任追及文化なのか?
タイトルの英訳は”not my fault”。
和訳すると、僕は悪くないよ!てな感じかな。
ばつの悪そうなクマの表情にマッチしていますね。


フランス語版表紙。
タイトルを英訳すると"The forest, the bear and the sword"。
和訳は『森と熊と剣』。
リメイク版のタイトルでは削られた「剣」が、
フランス語版では復活している。
核保有国は武力に対して肯定的とか?
タイトルに「森」が追加されるのはフランス的?
「森」と聞くだけで頭の中に青々とした木々がバサーっと広がりますね。
フィトンチッドが充満してそう。
Copilotからの突っ込みによると、
・フランスでは象徴性を重んじるので「剣」を明示した
・「森」が物語の始まりという意識が強いらしい
物語の舞台と、主役と、象徴的な小道具との3点セットを押し出して
物語の要素をキッチリ提示するのがフランス的なんだとか。

オリジナル版と同じ出版社
中国語版の販売サイト。
動画が見れます。
『這是誰的錯?』は恐らく、『colpa di chi?』の直訳なのだろう。
漢字からなんとな~く意味が分かりますね。
オリジナル版では、
本家イタリア語版の美術を最大限尊重していたスペイン語版。
さて、リメイク版のスペイン語版はどうなっているかな?と期待しつつ
amazon.esさんで検索したが、見つからず。
「タイトルが葉っぱに隠れている」というリメイク版ならではの工夫を
踏襲した各国語移植版は今のところ存在せずか、あーあ。
そして、英語移植版も不在。
「わかりやすさ」の追求がどう結実するかを見届けたかったのに・・・
残念。
さらに、ドイツ語版も不在。なんでだろう?
日本語版には細やかな工夫が 嗚呼ジャポニズム
そんな各国語版と比較すると、
日本語版表紙のレイアウトの特異さが見えてくる。

他の言語版と比べると気付く、一番の違い
⇒ タイトルの中央を剣が横断している。
これは、剣が物語の中で実際に奮われたことを示唆する意図だろう。
また、「だれのせい?」は微妙に文字が蛇行しており、
一筋縄ではいかない犯人探しを象徴している。
リメイク版では控え目なイラストが採用されている分、
レイアウトで補った格好だ。
イタリア語版の表紙では葉っぱでタイトルが一部隠れていたのを、
剣で分断するというアレンジを施し、
更に文字を蛇行させたわけか。
凄い工夫だ、感心!
残念ながら、Amazonさんのイタリアやアメリカのサイトでは、
日本語版の取り扱いは無かったです。
この表紙レイアウトの工夫だけでも、世界に発信されて欲しい。
各国語版の表紙を紹介し終えたところで、
最後に、お国柄を表す有名なフレーズを引用しておこう。
アメリカ人に何かをさせたいなら「You can be a hero!」と言え。
日本人に何かをさせたいなら「みんなやっているよ」と言え。
ドイツ人に何かをさせたいなら「規則で決まっている」と言え。
フランス人に何かをさせたいなら「これはオシャレだ」と言え。
オリジナル版の英語版の表紙は、悪に対峙するヒーローの表情。
リメイク版のオランダ語版の表紙のタイトル&イラストは、
責任を感じるクマの戸惑いを明示。
リメイク版のフランス語版のタイトルは、「森」と「剣」を明示。
そして、リメイク版の日本語版は、
他の国(みんな)が試みていない表現に踏み込んだ。
ステレオタイプが通用する場合もあれば、しない場合もある。
そういう観察例でした。
オリジナル版とリメイク版の中身に切り込み開始
オリジナル版とリメイク版とでは、
・話の大筋に変化なし
・イラストレーターが変更されて、挿絵の個性は激変した
ことは既述の通り。
次は、本文中の「挿絵」の違いをもう少し詳しく分析してみよう。
この記事の読者の皆様がネット上で参照して頂ける内容として、
・オリジナル版の動画と
・絵本ナビさん又はamazon.itさんで試し読みできるリメイク版のページと
を挙げさせていただきます。(amazon.itさんだと、裏表紙も見れます。)
私の場合はさらに、
・レコーダーに残っている100分de名著の内容
も参照いたします。
一番の差異は何といってもイラストなので、
イラストレーターさんについても調べてみました。
オリジナル版 デフォルメ&躍動感に溢れた、わかりやすい挿絵
・メリハリとデフォルメが効いたイラスト⇒漫画的な要素が強い
描き込むところと白抜きにするところが意図的に選択されている。
切られたものの状態が、リアルではなく記号的。
動物以外の物(例:木)は、ざっくり描かれている。
・擬人化はされているが、動物らしさが比較的残存
クマは肩掛け鞄と剣だけ持っていて、鎧や服は着用していない。
クマの体毛のフサフサ感がリアルで、体のバランスが実物の熊に近い。
犯人扱いされる動物たちも、基本的に裸。
女性であるキツネは、しっかり服を着用している。
・クマの表情&ジェスチャーが豊か
・ポップな色使いが取り入れられている
オリジナル版のイラストレーターGianluca Foliさんのサイト
↓ 上記のサイトの中の、絵本紹介ページ。
このカード内の写真では、複数冊の絵本が重ねられている。
一番下の絵本は、オリジナル版の別表紙バージョンだ。
クマの横顔だけのシンプルなイラストが表紙で、
英語タイトルが付された絵本。
このバージョンの表紙の本が実際に販売された痕跡を探してみたが、
空振り。
出版時期もそんなに離れていないみたいだし、
何故2種類の表紙が存在するのか?
不思議ですね。
"international youth library"選定の金のシールが誇らしげ。
取りあえず、3冊の絵本の装丁の統一感から、
同じ著者とイラストレーターのタッグでのシリーズ化が行われていたことは確からしい。
でも、クマの絵本の題名は英語で、出版社はオーストラリアの会社。
一方、猿の絵本の題名はイタリア語で、出版社はイタリアの会社。
一貫性が欠けていて、摩訶不思議。
紹介されている猿の絵本のamazon.itさんの販売ページはこちら。
2013年9月に販売が開始されている。
英語版が販売されたのか?、されたのならそれが何時だったか?は、不明。
中国語版は確認できました。
猿の表紙の絵本の実売事実は確認できたので
クマの表紙の絵本の販売ページも発見できそうなものなのだが、
見つからない。
出版社さんのHPはこちら。
Davide Caliさんの名前を入力して検索してみたが、
現在販売中の本が一冊引っ掛かっただけ。
売れ残った在庫が存在しているだけで、増刷の予定は無いということ?
多言語に移植されたオリジナル版の絵本が現在入手不可能になっている理由は、結局よくわからなかった。
捜査の継続は困難と判断し、ここで打ち切り。
捜査は行き詰まったが、確かな収穫はあった。
Foliさんのページの猿のイラストを拝見すると、
その美しさに驚いた。
色使いがとても華やか。
クリムトを想起させる画面構成のページもある。
最後のイラストの猿の靴の装飾の細やかさ、
靴裏の滑り止めがバッチリ効いてそうな感じ。
必見ポイントです。お見逃しなく。
リメイク版 抑制を利かせて読者に委ねる、端正な挿絵
・キッチリ描き込まれたイラスト⇒細密さがウリ
背景は省略されているが、動植物の描き込み・グラデーションは緻密。
描いてある部分は、満遍なく描き込みが施されている。
色彩は実物に近い。
・擬人化の程度が高い
動物がしっかり洋服(武装含む)を着用している。
クマのプロポーションは、かなり擬人化(単純化)されている。
クマの武装の程度が高い(剣の他に鎖帷子や盾も実装している)。
・クマの表情は大きく変化せず、ポーズで記号的に感情を表現。
・くすみ感のある落ち着いた色調。
渋みのある色調の中に補色や鮮やかな色を配置して
絶妙な加減で地味さを払しょくしている。
リメイク版のイラストレーターRegina Lukk-Toompereさんの紹介ページ
様々なイラストを拝見しましたが、
異世界感が密やかに漂う印象を受けました。
Davide Caliさんとタッグを組んだのは、
今現在『Colpa di chi?』だけのようですね。
出版社の違いに着目
オリジナル版の著者・イラストレーターのタッグで
何冊も絵本を出版した実績。
何故それを反故にして新しい組み合わせでリメイクしたのか?
出版社が違うことが原因なのでしょうか?
オリジナルが2008年出版、リメイクが2022年出版。
オリジナルの出版会社との契約切れを見越して
計画的に準備してリメイク版を出版したのだろうか?
本家のイタリア語版と各国語版との出版時期の相違は、僅か数カ月程度。
リメイク版と同時進行で各国語版も製作が進行していたとしか思えない。
そして、何らかの「大人の事情」で
本文をちょっと変えたりイラストを総取替えしなければ
ならなかったのだろう(これが私の想像の限界)。
理由を推察するためには、様々な実例に当たって、
理由のバリエーションを把握することが必要。
というわけで、以下は出版社の同・不同、挿絵全部か、表紙だけかなど、
色んなケースを挙げていくことにしましょう。
必要十分な程度を超えてリキ入っています。
そういう人間なんです、悪しからず。
文章と絵が一体で分離不能な著作物の場合
「漫画」のようにストーリーと絵が一体の場合を考えてみよう。
オリジナルへの準拠度が高い方から順に、
完全復刻、装丁刷新、リメイクの3パターンが挙げられる。
1.完全復刻版としてそっくりそのまま復刊する場合
熱烈なファンの要望に応えて再生する場合ですね。
実務的に変更せざるを得ない奥付なんかは除き、
当時の姿そのままに再現する復刊。
コレクターさん向け。
出版社の一致・不一致は関係ないケース。
2.装丁の新調に伴い表紙イラストが変更された例
古参の読者も考慮しつつ、新たな読者獲得の取り込みを
視野に入れたケース。
中身は改変無し。
書店に並んだ時に古臭さが漂うと、
若い読者さんに手に取ってもらえないもんね。
①出版社は同じだが、販売戦略で表紙イラストが変更された例
出版社が変わらない状態で表紙イラストが変更された例と言えば、
『ブラック・ジャック』が挙げられるだろう。
文庫版、ハードカバー版とも、
手塚先生の絵ではなく、リアルなものに変更された。
初めて見たときは、巨匠の絵を採用しないのか、と驚いたものだ。
手塚先生の絵柄は時代的にちょっと古い、という判断なのかな?
叔父が貸してくれたカッパコミックス版の
『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』。
未就学児童の頃から読み親しんだ身としては、少し寂しい。
②出版社の変更に伴い心機一転で装丁が新調された例
出版社が変わって表紙イラストが変更された例とは?
真っ先に浮かぶのは和田慎二先生。
私が慣れ親しんだのは白泉社さんの「花とゆめCOMICS」Ver.。
白泉社さんと決裂して、メディアファクトリーさんへ移籍。
でも、和田先生ご自身のイラストが表紙。
装丁が黒になって、男性が手に取りやすくなった印象。
購買層が広がり、新規読者獲得に効きそうですね。
ちなみに、白泉社さんからはリアルタイプ表紙の文庫版が出ていました。
流行りだったんでしょうね。
3.フルリメイク 中身にメスを入れる決断
漫画のようにストーリーと絵が一体の場合には、
上述のように装丁の新調に伴い表紙イラストを変更するくらいしか
手の付けようがない。
どうしても新たな読者獲得のために刷新が必要な場合には、
リメイクして丸ごと描き直すという手法が採られる。
スマホ等の最新ガジェットやファッションも、
バランスに苦慮しつつ導入されているのだろう。
ストーリーの骨格は残しつつ現代の要素を取り入れ、
絵柄はまさに現代的。
昨今『ブラック・ジャック』や『スケバン刑事』は、
別の漫画家さんがフルリメイクして現代的な絵柄に再生されましたね。
リメイク版からオリジナル版に興味を広げてもらうことで、
オリジナル版の「生命維持」を図るというリスペクトが
背後に存在するのでしょう。
原作への愛が深いからこそのリメイクですね。
↓ 少女漫画家さんがストーリーを保って描き直したもの。
↓ オリジナルストーリーが展開
↓ 昭和という時代背景は変えずに、絵柄だけ変えているようだ
↓ リメイク漫画の金字塔。スクラップ&ビルトという言葉がぴったり。
オマケ 文章と挿絵が同一人物によって手がけられた場合
漫画以外にも、文章と挿絵が分離しがたい場合がある。
文章も挿絵も同一人物が手掛けた作品が挙げられよう。
例えば、カロリーヌシリーズですね。
装丁は変更されましたが、本文中のイラストは変更なし。
原作者のピエール・プロブストさんが2007年に永眠されたので、
著作権が切れるのは まだまだ遠い未来。
その間は、挿絵が差し替えられることは恐らく無いのでは?
文章と絵が分離可能な著作物の場合
それでは、文章と挿絵が分離可能な絵本や小説の場合は、どうだろう?
文章と絵とがいくら分離可能だとしても、
イラストレーターさんへの遠慮や、読者の物語世界の尊重の観点から、
普通は現状維持が図られると思う。
それでも挿絵が差し替えられた例とは?
出版社が変わらないのに挿絵が変更された実例
同じ出版社で挿絵を変更することは、
出版社の変更に伴う場合に比べれば、
遥かにハードルが高いことは容易に想像できる。
いかにもイラストレーターさんとの関係がこじれそうだから。
それでも変更された実例を見てみよう。
1.福音館書店さんの『ぴかくんめをまわす』
月間配布絵本『こどものとも』さんVer.では、馬場のぼるさんが挿絵担当。
書店販売絵本Ver.では、長新太さんが挿絵担当。
↓ 2つのVer.を実際に比較された方の記事。
↓ 夜間の信号機の点滅に関して、時代の変化が反映されている模様。
結論
「人間の視点⇒信号機の視点」に切り替えるために、
挿絵が変更されたようですね。
2.学研さんの『キツネの名探偵』
『現代子ども図書館』Ver.と『学年別小学生文庫』Ver.とで、
挿絵が変更されています。
小学生の頃、村上勉さんの挿絵を構成し直して
図工の時間に切り絵を作った想い出があります。↓
結論
シリーズ物の中の一冊という観点からの挿絵変更。
組み込まれるシリーズの個性に合わせたのだろう。
3.岩崎書店さんの『ついらくした月』
SFこども図書館シリーズ⇒冒険ファンタジー名作選
おどろおどろしい雰囲気だった表紙が、なんだかスッキリ爽やかに変身。
『あおいちゃんパニック』の竹本泉先生だと知って驚いた記憶があります。
結論
シリーズに合わせた改変でもあるのですが、
その時代のトレンドを汲む挿絵への変更という要請が強いケース。
脱線
おっ、懐かしいなと感じた方、クリックして旧表紙をご堪能ください。
ちなみに、SF子ども図書館Ver.は、オンデマンドで入手できます。
昔の表紙を眺めると、本を読んだ時の記憶がよみがえります。
『深海の宇宙怪物』という本の内容だったと思います。
タコみたいな触手が伸びてきて、
それに触れたら引きずり込まれて餌にされる。
抗って難を逃れても、皮膚がべろりと剝けてしまったり。
確か最後に日本人の発明で宇宙人をやっつけたような気が?
食べられるのは勘弁とか、皮膚が剥けた痛さを想像してうんざりしたり、
日本人やったぜ!とか思いながら読んだものです。
刷新版とも言える冒険ファンタジー名作選の表紙一覧。
現代的なイラストですね。
それでは、脱線タイムを終了して、挿絵の差し替えの話題に戻りましょう。
出版社の変更後も、同じ挿絵が採用されたケース
例えば復刊ドットコムさんが新発行元として復刊された場合の典型例。
新装丁で表紙が変わることは有れど、
本文中イラストはそのままという印象がある。
昔の作品をそのままの状態で読みたいというリクエストに応えるのだから、
さもありなん、である。
昔の読者を尊重する場合の再出版ですね。
「何で昔の装丁のまま出版しないのか?」という疑問は残る。
漫画の場合と同様に、新たな読者の獲得という観点は当然として・・・。
装丁にも著作権はあるから、そこのところの折衝は避けたいのかな?
本文と挿絵がそのまま利用できれば、本丸は守れるもんな。
権利関係を全部クリアするよりは、かなり楽なのだろう、きっと。
出版社変更後に、挿絵が差し替えられたケース
正に『L'orso con la spada』⇒『Colpa di chi?』の場合ですね。
挿絵変更の理由を推測するために是非ドンズバの類似例を
思い浮かべたいところなのですが・・・。
頭に浮かぶ範囲で挿絵が変わったケースを調べてみたら、
元の出版社さんから再販されたものばかり。
上記の『ぴかくんめをまわす』などです。
手間をかけ愛情を砕いて世に送り出した本には並々ならぬ愛着を
出版社さんはお持ちなのでしょう。
そりゃあ、出来る限り自社で再販なさいますよね、納得。
でも、契約の更新が出来なかったり、トラブルが起こったりという理由で
他社に乗り換えるというケースは絶対に有るはずで。
・文筆家さんは、出版社と揉めて絶縁
・イラストレーターさんは、出版社と関係円満で縁を切りたくない
という場合には、他社から挿絵の差し替えられた新装版が出るのだろうな。
そんなゴタゴタしたケースではなくとも、
自社再販と同様の理由で他社再販時に挿絵が変更される場合があるだろう。
即ち、絶版が決定された後に他社からお声が掛かって、
・組み込まれるシリーズに合わせて
・新規読者獲得のための時代に合わせたリニューアルと銘打って
挿絵が差し替えられる場合があると思う。
Copilotが教えてくれたのだが、
・元の挿絵の権利が複雑
な場合には、断腸の思いで挿絵を差し替えるケースがあるようです。
これまで扱ってきたケースは、
存続中の著作権の許諾を得て書籍を発行しなければいけない場合。
それでは、著作権が切れた場合、もともと民話などで作者が不明な場合は
どうなっているのか?
著作権の切れた名作
著作権は著作権者の死後70年間保護されます。
というわけで、
・民話のように遥か昔から存在し、創作者が誰かすらわからない作品
・創作者は既知だが著作権が消滅し、パブリックドメイン(PD)化した作品
は言わば、著作権という鎖から解き放たれた野良ちゃん達。
残念ながら、全ての野良ちゃん達に新しい飼い主が見つかるわけではない。
選別という名のふるいが待っている。
人気のある個体はあっという間に貰い手が決まるが、
引き取り手が現れずそのまま消えていく個体もある。
玉石混交の中の「玉」と呼ぶべき「名作」は、
手堅い売り上げが見込める有望株。
黙って見過ごす手はありません。
引く手あまたで、多数の出版社で書籍化されていますよね、実際。
「PD化済み=何でもやりたい放題」なわけではない
PD化した作品でも、関連する著作権が存続中の場合がある。
・地域や伝承者によって異なる内容から有意な要素を抽出し、
必要な要素を補い構成して話をまとめたこと(再話)
・外国語の原作を翻訳した場合の翻訳文
・原作文章にインスパイアされ創作された、原作者とは別人による挿絵
の著作権は、原作とは別の権利として存在する。
例えるなら、生きた著作権が地雷として点在する「PD化平原」。
出版社は「許諾」という面倒かつコスト増の手間を省きたい。
地雷を華麗に避けつつ地雷原を抜けるのに最も効率的なのは
著作権が絡む部分を別人に依頼して差し替えるという手段。
「ここ掘れわんわん、地雷はさよならポイ」作戦と呼ぶべきか。
その結果、PD化した作品については
挿絵や翻訳が異なる様々なバリエーションが入り乱れることになる。
正に、戦国時代の群雄割拠。
下剋上を狙え、である。
・『桃太郎』は、リズムのある文章や挿絵や装丁の工夫で
・『西遊記』は、翻訳者の個性や挿絵、注釈で
時代や文化のギャップを軽快にひとっ飛び。
各社の渾身の工夫で、同じ物語でも選択の幅が大きく広がっている。
また、『フランダースの犬』や『アルプスの少女ハイジ』、『赤毛のアン』のようなアニメで知名度が爆発的に上昇した作品の場合には、
・思い入れのあるアニメのシーンが挿絵として使われた絵本
・「詩情溢れる正統派挿絵」、「漫画風の直感に訴える挿絵」、「人気イラストレーターという”ブランド”の集客力を見込んだ挿絵」によって差別化が図られた小説本
がずらりと陳列棚に並び、好みの本を気の召すままにチョイス出来る。
なんていうか、ペットがより愛らしく、様々な好みに合うように改良され、
犬や猫の品種がどんどん増える感じに似てますね。
エントロピー増大の法則と言うべきか?
多様化から「初版」への収束:原点回帰の鮭の川登り
以上に観察したように、出版エントロピーはどんどん増大していくのだが、
北極星のように不滅不同の存在として君臨する存在がある。
時代の荒波にも負けず読み継がれて名作中の名作へと至った作品。
多彩なバリエーションで目移り必至の乱立状態でこそキラリ🌟と光る
普遍的な絶対価値・・・初版。
多様化がもたらす「選択のパラドックス」のジレンマと呼ぶべきか。
ーーー本来は、作品が有名になる前からその価値を見抜いていた証。
ーーー入手困難という希少価値。
ーーー作品の真の理解者へのパスポート。
初版という希少価値に執着する層が一定数存在するのはこの世の常。
「原初状態」という純粋無垢のオリジナリティへの渇望は引きも切らず、
財布の紐もついつい緩くなるものだ。
そういうコアな方々の心をくすぐって放さないのが、「完全復刻版」。
どんな作品が完全復刻の名誉に浴するのか?
・原作が名作中の名作で、オリジナルへの興味・執着を生じさせるもの
時代が十分に経過して、古さが逆に「時代らしさ」として評価されるもの
例)『不思議の国のアリス』『シャーロック・ホームズ・シリーズ』
夏目漱石氏の各著作など
・挿絵自体に芸術的価値が認められるもの
例)『グリム童話』『アンデルセン童話』など
・加筆修正が頻繁な作家の初出状態の作品
例)手塚治虫先生の各著作
手間暇かけて贅を凝らすための高価格が受け入れられる、
狭き門のニッチ市場。
マニアの如き煩型を満足させる完全復刻版を作成することに伴う試練とは?
原画が残っている場合は良いが、
発行物からスキャンする場合には画像の粗さや劣化が目立つだろう。
原画に退色、汚れが生じている場合も厄介だ。
高精細でスキャンを施し、
マニアを満足させる補正レベルを如何に設定するかで頭を悩ませる。
費用も掛かるし、補正が過ぎれば何かしら批判されることは避けられない。
素人が考えるよりは、手間と費用を要し神経をすり減らす仕事なのだろう。
完全復刻版というのは庶民には高嶺の花的なお値段だが、
販売数の少なさ、手間暇を考えればきっと妥当な金額なのだろう。
そういえばバブルの最中には、『あさきゆめみし』の超豪華版として、
和紙が用いられた例がありましたね。
確か1冊1万円だったような。
先人はおっしゃった、「歴史は繰り返す」と。
粋を凝らした豪華さをウリにするバージョンもそのうち出るかもしれない。
「実は私、完全復刻版持ってるんだよね」の自負心に酔えば
現実の憂さもきっと忘れられるのだろう。
文章と挿絵を同一人物が手掛けた場合
PD化した作品は出版社によって挿絵の差し替えが行われやすいことは
既述の通り。
しかし、文章と挿絵が分かち難いと認識される場合には、
一体不可分として扱われる。
文章と挿絵が同一の作者によって生み出された作品では特に、
その傾向が顕著だ。
『ピーターラビット』や『星の王子さま』が良い例だ。
著作権切れを待ってましたとばかりに乱立状態に突入したが、
文章と挿絵はあくまでも“セット”扱いで、まさに運命共同体。
著作権というお目付け役がいなくなっても、
切り離したら「作品らしさ」が失われるという世間の認識は
いまだ「見えざる神の手」の如く健在である。
文章も挿絵も他社と同一となると、差別化のポイントは絞られてくる。
レイアウトや翻訳ですね。
・おしゃれで目を引く装丁。
・現代用語や、ターゲット年齢層に合わせた言葉遣いの翻訳文やルビ。
・価格も訴求ポイントとして地味ながら効く。
皆さん、腐心されているようだ。
とはいえ、禁忌に踏み込むチャレンジャーが出現するのもこの世の理。
新しい挿絵を堂々と掲げるのは、蛮行か、英断か?
新種の発現は、エントロピー増大の定め。
同一性保持権の観点からの疑問は残るが、
サン=テグジュペリ氏の著作者人格権の承継者はすでに不在らしい。
異議を唱えるためには「正当な権利者」であることが必要なのだ。
実例観察のまとめ
淘汰を免れるための進化
以上、一つの作品が様々に変化していく実例を観察してきた。
この変化はダーウィン的「進化」に例えることが出来よう。
著作権存続中には、「独占権の許諾」という優位性がある。
そのため、進化は、他種族(競合作品)に勝るために己を磨く
「リニューアル」としての意味合いが強い。
動物の祖先は特定の食べ物を摂取しやすい形態へと進化し続けながら、
他種族との競合を上手に避けた。
キリンは、アカシアの葉を食べやすいように首がどんどん長くなった。
ハチドリは、花の蜜を吸いやすい長い嘴を得た。
一旦抜け出た海に戻ったクジラなんてのもいる。
しかし、著作権が一旦切れると、権利の空白地帯が生まれる。
参入障壁が崩れて一つの作品が恣意的に多重に枝分かれすることは、
「同種族の亜種」が劇的に増えることと同質だ。
同じ餌を争い合う亜種間の争いは、
「似た者同士」だからこそ苛烈となるのが必定。
そこで、自然淘汰をサバイブせんと必死で適合し、
亜種ならではの形質を手に入れる。
雪深い地域に進出したエナガは白っぽく進化して「シマエナガ」に。
最近では、「千葉エナガ」なんて呼ばれる輩も出てきている
(学術的には未認定)。
その「ちょっとの差異」が人気に大きく影響するのだから、侮れない。
同様に本も、その「ちょっとの差異」に生き残りを賭けるのだ。
以上、進化の樹状図が枝分かれしていくかの如き本の変化を観察してきた。
「著作権が切れると変化は加速する」という法則が導き出せた。
経過観察が楽しみな実例
次に、面白い例を2つ挙げておこう。
まだ著作権は切れていない段階でも、様々な変化を呈している実例だ。
変装&復活の達人『おっとあぶない』
これから、
・同じ出版社での表紙絵の複数回の変更
・他社からの複数回の復刊
が為された実例をご紹介する。
要は、
「一つの作品がその内容を維持したまま装丁が何度も変更された」実例だ。
例えるなら、変装の得意なシャーロック・ホームズ。
千変万化で、神出鬼没。
しかしどんなに姿形を変えようと、
人間嫌いな頭脳明晰の探偵という中身は不変で、ただ一人しか存在しない。
それでは、名探偵にご登場いただきましょう。
マンロー・リーフ(1905-1976)さんの絵本『おっとあぶない』。
それでは皆様、拍手でお出迎え下さい。
まずは本国でのお顔、本家英語版。
タイトルは、『SAFETY CAN BE FUN』。
タイトル&表紙絵とも危険な香りはしない「素顔」で、
のどかな雰囲気が漂います。
1938年発行。
遥か海を渡ってやってきた素顔さん。
日本に溶け込むための変装をご覧あれ。
奥付の写真から、昭和43年(1968年)バージョンの変装態様。
表紙絵に「建築現場の梁でおどける子供」が採用され、
危険な香りのするお顔に。
『おっとあぶない』の和名でも危険を仄めかし、
「素顔」よりも子供の興味を引きやすくなっている。
私が小学校の図書館で目撃したのはこの変装。
変装の写真は無いが、1982年の出没証言。
実物の変装姿(表装)は
こちらの写真ではないかと推測したのですが・・・。
女装姿は珍しいなと思わせといて、
実は『ボヘミアの醜聞』の「あの女」の写真の隠れ蓑にしていた?

女の子が表紙絵を務める日本語版は、私が知る限りこのバージョンだけ
下記のリンク先の奥付の写真から、1979年に初版発行と判明。
’79年に初版を発行して、”82年にまた別の版を発行するのは、不自然。
奥付の写真は信用できるだろうから、
書店さんの記録が間違っているのか?
zaa-509 絵本 おっとあぶない マンロー・リーフ (著) わたなべ しげお(訳) 復刊ドットコム 1982/12/10|Yahoo!フリマ(旧PayPayフリマ)
1988年のお顔。
1周回って昔のバージョンに。
1995年のお顔
学研さんをアジト(発行元)にしたのは、これが最後。
この変装姿で、ライヘンバッハの滝に消えました。
名探偵も万事休すかと思われたが・・・。
滝つぼでの消息不明から、華麗なる復活。
『空き家の冒険』でワトソンを驚かせた際の変装。
2003年のお顔、我が家にあります。
フェリシモさんがアジト。
華麗なる復活劇、再び。
2018年のお顔、昔の面影復活。
復刊ドットコムさんがアジト。
名探偵にはご退場いただき、ここからは、通常モードに戻ります。
学研さんでの度重なる表紙絵の変更について、
1つの仮説が浮かび上がってくる。
マンロー・リーフさんのイラストは、
表紙として十分魅力的なものが多数あった。
だから、表紙を変更する誘惑にあらがえなかった。
↓
「一つ一つのイラストに十分な訴求力があるからこそ表紙絵が変更できる」
シリーズ変更時における重要な変更理由が1つ解明できました。
まあ、ここまで人気が長期的に持続するのならば、
絶版せずに増刷し続ければ良いものを、と感じちゃいますね。
絵本と童話が並行して別の出版社から発行中
忍術の達人「王さまシリーズ」
次に、人気があり過ぎて様々なバージョンが同時に存在する例を挙げる。
『ぞうのたまごのたまごやき』 著者 寺村輝夫さん
絵本と童話が別々の出版社から発行されており、挿絵担当作家が異なる。
『ぞうのたまごのたまごやき』のバージョンについての詳細はこちら。
【絵本系】 福音館書店さん
1959年の初出の配布本 挿絵担当の山中春雄さんは、’62年に死去。
1984年発行の書店販売絵本
【童話系】 理論社さん
元々の童話集から段々絵本へとテリトリーを広げたようだ。
そういう経緯で、一社の中に様々なバージョンが存在する。
復刻版らしい
複数の話が収録された童話集
新装版らしい
この作品を例えるなら、忍者。
分身の術を使って二手に分かれ、「絵本の里」と「童話の里」に潜入。
・絵本の里では配布用→書店用へと活躍の場を広げた際に変化の術を使用。
・童話の里ではさらに分身の術を使って孫分身化。
その孫分身がさらに変化の術を使って互いに別人に成りすまし、
「同一人物が複数人」という違和感を見事に消して市井に溶け込んだ。
そういう例えになりますかね。
様々なバージョンを眺めると、なんていうか、
「商品ラインの充実」というキーワードを思い出しました。
互いの絵本が需要を食い合いながらも共存できるのは、
人気作だけの特権ですね。
既出の『ブラック・ジャック』も、
複数のバージョンが同時に存在する一例であることに言及しておきます。
以上の2つの実例が、著作権満了後にどうなるか、楽しみです。
芸能事務所の退所問題というアナロジー
出版とは関係ないが、芸能事務所とのいざこざも、
「閉じられた業界の体質」を読み解く参考になりそうだ。
「芸名=本名」のタレントさんが退所で事務所と揉めて
本名の使用を禁じられたという噂を耳にした方は多いだろう。
何年間か仕事を干されるとも聞く。
事務所を超えて芸能界全体で連帯して生殺しにされる恐怖は、
一般人でも知るところ。
人気のある作曲家さんが事務所から独立する際に、
長年曲の提供を受けて来た歌唱ユニットが岐路に立たされた。
「ついて行く派」と「事務所に残る派」に分かれて決裂。
その活動に終止符が打たれることになった。
恐らく、不文律の「鉄の掟」なるガラスの壁が
業界には存在するものなのだろう。
そういう壁は理不尽一辺倒か?
「必要悪」という言葉もある。
散々投資して売れたらバイバイでは、
誰も新人を育てようとしなくなるだろう。
互いの利害のバランスを程よくとることが肝要だ。
「いじめ」と呼ぶべきレベル、つまり「理不尽」に該当するやり過ぎは
許されないと私は考える。
そして、芸能界を出版業界に置き換えてみると、
出版社が変わる時には「何がしかの仁義」を切る必要があるのだと
推定する。
リメイクの必要性
『L'orso con la spada』が『Colpa di Chi?』に衣替えした理由を
考察しよう。
ようやく本題に戻ってきたわけだ。パチパチ。
まずは、変更点と一致点を表形式でまとめてみよう。
オリジナル版⇔リメイク版の比較表
オリジナル版 リメイク版 注目点
題名 L'orso con la spada Colpa di Chi? 剣の明示の有無
出版時期 2008年9月 2022年10月 14年の時間経過
著者 Davide Cali
挿絵画家 Gianluca Foli Regina Lukk-Toompere 明解⇒控え目
出版社 Zoolibri Kite 出版社変更
言語 伊・英・仏・独 伊・仏・蘭 英&西&独が抜け
蘭・中・西 中・日 日が増えた
(注:オリジナル版の日本語版は存在したが、
電子書籍版で余り普及しなかった。)
表を参照すれば一目瞭然、著者以外は総とっかえの様相である。
ストーリーの変更点
そしてストーリーの内容に関しては、
①水門の門番がビーバーからアリクイに変更
②お尻に矢が刺さったのは同じだが、
オリジナルではバビルサの耳も切れている
ことが違いとなっており、あらすじには大きな変更はない。
①に関して
水門の門番として直感的にふさわしいのは、
リメイク版のアリクイではなく、オリジナル版のビーバーだろう。
ダムを作って巣とする動物だからだ。
なぜわざわざ適任と思われるビーバーからアリクイに変更されたのか?
理由には悩む。
そこで、もし私がビーバーでバビルサが突進してきたら?と仮定する。
ダッシュして地上を逃げ回るよりは、
バビルサが追ってこない水中へと逃げ込むだろう。
水中に逃げたら、水門の番は出来るから、
水が大量に押し寄せてクマの砦を壊すことは無い。
アリクイなら、地上を必死で逃げ回るしかないから、
水門の面倒なんか見ちゃいられない。
それくらいしか思いつかないなぁ。
ともあれ、登場動物の交代は、
絵本のメッセージには本質的な影響を与えていない。
②は、暴力性の程度に関する問題ですね。
題名から「剣」が消え失せ、耳が切れるという被害も消失。
挿絵の中のクマの凄みを利かせた暴力性も、リメイクでは低下したと思う。
暴力描写はなるべく控えるという時代の要請を汲み取ったのかな?
暴力描写が控えられると必然的に、トレードオフが起こる。
・オリジナル版 「暴力」への批判が明確
・リメイク版 「他者に配慮しない傲慢」への批判が明確 ⇒ SDGs的
そんな違いはあるものの、いずれも「自分勝手」という根っこは同じ。
枝葉の違いに過ぎない。
リメイク迄のインターバルは僅か14年であり、
「ストーリーの変更はマイナーチェンジに過ぎない」
という結論は揺るがない。
良書というお墨付きを得たオリジナル版の題名をわざわざ変更して、
登録上では全く別の作品としてやり直すというのは、
著者にとってはデメリットが大き過ぎると感じる。
リメイク理由は霧の中
オリジナルの出版会社では同じ著者とイラストレーターの組み合わせで
数冊の絵本が出版されていたことは既に記した。
その事実に鑑みると、この組み合わせは出版社の功績であり、
他の出版社に元の挿絵を持ち込むことは不可能だったと
考えることにしておく。
(推測で勝手な理由をゴチャゴチャ書き連ねるのは控えるべきだから。)
契約の延長に至らなかっただけなのか、
何がしかの感情的もつれがあったのか、部外者は知る由もない。
ただ、多言語に翻訳された事実に加えお墨付きを得た事実に鑑みると、
オリジナルは良書であったことが明らかだ。
僅か14年で絶版にされるべきではなかったと思う。
そして、引き続き出版すべき価値があるからこそ、
他社から名前を変えて刊行されたのだと思う。
リメイク版の英語版&スペイン語&ドイツ語版は未発行
私が注目するのは、
オリジナル版には存在した英語版&スペイン語版&ドイツ語版が、
リメイク版では不在な点。
オリジナル版の「わかりやすさ」がリメイク版では低下したことが、
英語版未発行の理由ではなかろうか?
オリジナル版への渇望が出版社を動かして再販されるのか、
それともリメイク版の英語移植で手を打つのか。
いずれ出る結果が楽しみだ。
スペイン語&ドイツ語版のリメイク版が不在なのは何故だろう?
スペイン語圏の読者は多いので、移植されて当然の気がします。
オランダ語版はあるのにドイツ語版が無いのも不思議です。
ドイツって、国を挙げてナチス関係の贖罪を継続していらっしゃるので、
この絵本のストーリーの需要はありそうなのですが。
最初の疑問、忘れちゃいません
”orgoglioso”をどう訳すか問題
お忘れかもしれませんが、私が『だれのせい?』の英語版を探したのは、元々”orgoglioso”の英訳単語を知りたかったからだ。
リメイク版の英語版は無いので、オリジナル版の英語版の内容をチェック。
絵本の読み聞かせ動画から聞き取った内容。
Once upon a time, there was a bear with a sword.
The bear was very proud of it.
多分"proud"じゃないかと予想していたが、その通りだった。
ただし、「誇っている」対象は、
クマ自身ではなく剣だったというオチが付いた。
成程、これだと日本語翻訳で「高慢ちきか、気高いか」で悩む必要は無い。
”orgoglioso”の訳をどうすべきか問題は結局進展しなかった。
新たな翻訳問題の浮上 キツネの性別への対応
しかし、新たな翻訳の問題に気付くことが出来た。
オリジナル版が存在したという事実が今回の大発見だったのだが、
オリジナル版に触れて初めて気付いた事実がある。
「キツネ」が女性だったのだ。
『100分de名著』を初見した時には気付かなかったが、
改めて見直してみるとリメイク版でもキツネは「スカート」を履いていた。
矢でバビルサを攻撃したキツネが女性だということには、
著者の明確な意図があるのだろう。
それならば、翻訳では「わたし」ではなく「あたし」または「あたくし」を
用いるべきだったと感じた。
プロの翻訳家なら、しっかりと性別を反映した翻訳になっただろう。
翻訳の素人さんを目玉として起用するなら、
やはりセーフティーネットは張るべきだった。
譜面に書かれていない作曲家の意図まで汲み取って演奏を組み立てるのが、
プロの指揮者。
翻訳も、同様の深い考察が必要な仕事なのだ。
クマと小鳥が同居する見開きページ問題
『100分de名著』の中で、
翻訳担当のY女史は、見開きの最後のページの挿絵をべた褒めされた。
挿絵を引用いたしますので、絵本を未読の方はご注意ください。

クリックすると引用元のインタビュー記事に飛びます。
切り倒した木を有効利用して造られた家には、
小鳥が同居するたくさんの小部屋が設けられている。
小鳥が安心して居住する様子が微笑ましい家が、見開きの大半を占める。
主役のクマは紙面右端に見切れた状態で、一羽の小鳥を腕に抱いている。
表紙では内股だったクマは、外股になっている。
Y女史はこの挿絵について次のように評価した。
本当の利他性というのは どういうふうに表したらいいんだろうって
多分 考えられたんじゃないかなと思っていて
自分が真ん中にいて鳥たちに囲まれてて おうちがあって
ハッピーエンドでもいいんですけれども
もう 違う違う
本当に自分は もう 君たちのためにこれから尽くすからっていう
その誠心誠意的なもの 彼の心の中にある
つつましさであり 謙虚さであり・・・
人間として忘れてはいけない精神性を見切れで描く・・・というところで
表現したのかなって思いますね。
リメイク版の挿絵に対するこのべた褒めは、
オリジナル版の挿絵には「ビンタ」になるな、残念ながら。
以下の動画の貼り付けをクリックしていただくと、
オリジナルの最終挿絵の少し前から動画が開始するのでご覧いただきたい。
倒木利用の家の窓からクマが上半身を覗かせ、
掌の餌を小鳥に与えている挿絵。
家はざっくりと形だけ拾われる程度に簡素に描かれており、
笑顔のクマと警戒心のない小鳥に自然に読者の視線が集まる構成だ。
クマの鼻先、顔、首、しなる腕、小鳥が餌めがけて群れ飛ぶ一連のラインは、「黄金螺旋」に似ている。
Y女史の視点だと、
この挿絵は「ありきたり」と一刀両断されてしまうのだろうか?
挿絵を比較して判断するに、美意識の違いが表れただけという気がする。
オリジナル版では、イラストレーターはクマの成長に強い関心を持った。
だから、
・得意気に木を切り倒しているときの笑顔と
・小鳥に給餌しているときの穏やかな笑顔と
の描き分けに魂を燃やされたのだと思う。
そして、リメイク版のイラストレーターは、
倒木が見事に活用されたシェアハウスの素敵さがぱーっと心で広がった。
その素朴な木肌や木の組み方、お庭の止まり木やその屋根の温かみを
描き出す作業が楽しくて仕方なかった。
ただ、それだけの違いだと思う。
イラストに優劣は無い。
演出の違いがあるだけだ。
他者に迷惑かけたことをようやく自覚して埋め合わせをすることは大事。
でも、そういう「悪いスタート地点」を相互理解によって払拭した後に、
新しい「信頼関係」が始まるのだと思う。
一方的に尽くす関係がずっと続くのは、
尽くす方も尽くされる方も、居心地が悪いのではなかろうか?
オリジナル版では、
表紙 クマ⇔小鳥の緊張感
最終見開き 素で接することが出来るささやかな幸せ
が描かれている。
リメイク版では、
表紙 暴力性は封印しつつもクマが内股で心が閉じた状態
最終見開き 外股でリラックスした状態
をさり気なく描き出している。
どちらの挿絵も「計算された構成がプロの仕事だな」と感じられた。
同じテーマが与えられても解釈の違いによって描き方が違ってくる。
「みんなちがって みんないい」という
金子みすゞさんの言葉が自然に浮かんできた。
Y女史が何故リメイク版の挿絵にあれほど肩入れされているのか
オリジナル版が発見された時でさえ不明だった。
しかし、絵本の神様は私を見捨てなかった。
疑問は後日解消されることになる。
出版社さんの紹介の部分までお待ちください。
リメイク版の裏表紙の仕掛け
オリジナル版とリメイク版の違いは、裏表紙。
オリジナル版・・・販促用
リメイク版・・・絵本の教訓を一文にまとめた、著者からのメッセージ
リメイク版では、裏表紙を〆のページとして有効に活用している。
リメイク版裏表紙の内容はこちら。
イタリア語版 Non tutto è come sembra.
直訳(全てが見た目通りというわけではありません)
日本語訳 すべては思っていた通り、とはいきません

クリックすると転載元に飛びます
「切り倒された木の代わりの新芽が正にこれから伸びていくぞ」と
“未来”を感じさせる挿絵。
でも、折角の締めの言葉が添えられるなら、
もうちょっと別の挿絵が見てみたかった。
アリクイ、バビルサ、キツネが手土産を持って連れ立ち、
目的地であるクマの新居が遠くに見える・・・。
そんな挿絵なら、
・バビルサのお尻の傷が癒えて良かったなと思える。
・本文最後はクマと小鳥だけ登場して物語が狭く閉じると一旦見せかけて、
実は豊かに広がっていたことが裏表紙で判明して嬉しい大団円に。
この方が、裏表紙のメッセージに合う気がする。
リメイク版の出版社さん
さて、先ほどのリメイク版の裏表紙の画像の右上をご覧になると
税抜定価1800円と出版社名"green seed books"の文字とが目に入る。
現在の税抜定価2200円よりもかなり安い定価に驚いて
出版社さんのページを訪ねてみた。
何せ、発行から3年ほどの間に2割強の値上げである。
「円安や原料高などのコスト増を吸収する体力のない小規模出版社さん?」
という疑問が浮かんだのだ。
2022年7月に設立したばかりの出版社さんで、
リトアニア、インド、イタリアの3冊の海外絵本の翻訳本の出版が実績。
お金儲けよりも、意義がある本を世に送り出したいタイプと見た。
どうやら発足と同時に、
'23年2月出版の『だれのせい?』の出版準備を開始されたみたいですね。
色んな事が腑に落ちたぞ。
小規模出版社さんゆえの
・失敗=命取り
⇒ 絶対に売れる話題性が必要
・従事者の層が薄い
⇒ 翻訳のチェックや装丁に大手ほど予算を掛けられない
という切実な事情が頭に浮かぶ。
以下、私の勝手な想像を展開。
①オリジナル版『L'orso con la spada』の素晴らしさに以前から注目
②リメイク版『Colpa di chi?』の世界展開に乗る形で日本語版の出版権取得③著名な漫画家に翻訳を依頼して話題性確保
「伊→日」の翻訳文のチェック体制には甘さが出てしまった。
④表紙はイラストに黒文字を添えるだけ。
イラストと文字を重ねるイタリア語版の真似は出来ないから、
剣がタイトルの隙間を横断したり、文字を蛇行させる工夫を施した。
大手よりも手作り感が滲む翻訳本になったわけだ。
気風の良さそうなY女史は、
依頼が小規模出版から、という理由では断らなかった。
自分でお役に立てるならと奮起されたのだろう。
そして、100分de名著に出演された際には、
少しでも援護射撃になるようにリメイク版の絵本をべた褒めした。
それが行き過ぎて、オリジナル版の最終見開きページの挿絵には、
ちょっと辛らつな発言になってしまったんですね。
な・る・ほ・ど・ね。合点しました。
まとめ
25分のテレビ番組を視聴して感じた疑問を追求するうちに、
様々な事実が明らかになりました。
紆余曲折の過程を一緒に楽しんでいただけたら幸いです。
さて、日本には生息しなかったと思われたオリジナル版クマですが・・・
実は、ひっそりと生息していたことがこの記事を書き上げる直前に判明!
折角なので最後にご紹介させてください。
最後にまたまたアッと驚く為五郎♬
なんと、本当に偶然に、日本語版の電子書籍を発見してしまいました。
書店で購入できると書いてあるのに、
楽天さんやAmazonさんで検索しても引っかからない。
オリジナル版が絶版状態なのに、
日本だけ入手可能というのも不自然。
電子書籍だから、物理的な売り切れは考えにくい。
「うーん、どうなんだろう?」と思ったら案の定、
別のページに販売終了のお知らせが。
あらあら。
日の目を見ずに消えた”幻の日本語版”かあ。
恐らく入手された方はごくごくわずかで、
再生プレイヤーは既に過去の遺物。
そんなわけで、本文中で紹介することは控え、
注意書きで言及する程度にとどめました。
どうして紙媒体で発行しなかったんでしょうね。
電子書籍普及のために囲い込まれたのかな?
「オレのデータをぶっこわした奴を見つけ出して、まっぷたつにしてやる」
そんなクマの悲痛な雄たけびが聞こえてきそうです。
オリジナル版はもしかしたら、
電子書籍関連の”ゴースト契約”が足枷になり世界展開に支障があったとか?
だからリメイク版で新装開店、契約関係は一旦リセットして
”別モノ”として再出発を図る必要があったかも。
まるで証人保護プログラムのような展開です。
電子書籍版の発見で、新たなリメイク理由に気付けました。
でも、素人の視点では、
出版社と挿絵を変えてまで再出発する必然性は薄いような・・・。
「意味のなくなった契約を解消すれば済む話だし」
と考えるのは安易ですか?
でも、電子書籍はこれから伸びると踏んで
強気の長期契約が結ばれてしまった可能性もあるな。
契約関係の糸が複雑に絡み合って、
「ハサミでちょん切る方が早い」と苦渋の最終判断が下されたのかも。
真実は関係者のみぞ知るという現実の前では、
オリジナル版のクマの退場理由は定かではありません。
しかし、絵本『だれのせい?』がずっと読み継がれていけば
クマの魂は新しいクマとして生き続けます。
そして、私の記事も一助となって、
消えてしまったクマにほんの少しスポットライトが当たれば幸いです。
昨今、正義を振りかざして他国に侵攻したり攻撃を仕掛けたりする
『ジャイアン』的振る舞いが国際政治を揺るがせています。
こんなご時世だからこそ、
『The Bear with the Sword』に再登場願うか、
英語版の『Colpa di chi?』にご登場いただくなりして欲しいものです。
(どういう振る舞いが「ジャイアン的」なのかは、
個人によって解釈が異なるのでしょうが。)
そんな要請にこたえて何かの拍子にちゃっかり、
オリジナル・クマが再登場する機会が訪れないとも限りません。
不要になった道案内の筍は、
冬眠から目覚めたクマに食べてもらうことにしましょう。
ちょっとした思考の寄り道から生まれた長い文章をお読みくださり、
ありがとうございました。
ベーカー街発の事件報道風〆
最後に、今回の記事を「大衆向け事件報道風」にまとめてみます。
『クマ失踪~絵本世界版ボディスナッチャー事件・解決か!?』
我らが名士は、実は替え玉だった!
誰にも気づかれなかった"すり替えトリック”の真相を暴く。
完全犯罪の綻びは、イタリア語の謎の一語"orgoglioso"。
「高慢ちき」か、はたまた「気高い」か?
そんな気まぐれな美女の香りがホームズ氏を数多の容疑者たちへと導いた。
ついに、実行犯が判明。
意外な犯人は、まさかの電子書籍契約。
事件の類似性から疑われる黒幕「モリアーティ教授」生存の可能性とは!?
今回の絵本追求記事はあくまで寄り道。
翻訳挑戦の櫓というべき記事、そして本丸と呼ぶべき記事も
順次公開される予定です。
(9月29日追記)
櫓的記事が公開されました。
またお会いできる日を楽しみに。
では、さようなら。 (終)