
【小説】護送中に脱走しようとしたエステティシャンの女〜
鉄格子と幻のネオン
神奈川県警川崎警察署、留置施設。
冷たいコンクリートの壁と、等間隔に並んだ鉄格子。無機質な蛍光灯の光が、24時間絶えることなく照らし出しているその空間で、星野咲(ほしの・さき)は膝を抱えていた。
年齢は29歳。つい昨日までは、川崎駅東口の繁華街から少し外れた路地裏にある、隠れ家的なダイニングバー『Luce(ルーチェ)』のオーナーだった。
「どうして、こんなことに……」
すり減った畳の感触が、現実であることを冷酷に突きつけてくる。咲の頭の中は、パニックと後悔、そして店舗の運営に対する強烈な焦燥感でぐちゃぐちゃになっていた。
事の発端は、元交際相手であり、共同経営者でもあった男との金銭トラブルだった。店の運転資金である数百万円を無断で持ち出し、武蔵小杉の高級タワーマンションに女と逃げ込んだ男。電話にも出ず、LINEもブロックされた咲は、怒りと焦りから冷静な判断力を失っていた。
昨日の夕方、男のマンションを特定した咲は、エントランスを他の住人に紛れて突破し、男の部屋のドアを激しく叩いた。鍵が開いていなかったため、ベランダ側からよじ登ろうとするなど常軌を逸した行動に出て、最終的に恐怖を感じた男が110番通報。駆けつけた警察官によって、咲は「不法侵入(住居侵入罪)」の現行犯で逮捕されたのだ。