
グチに「あらすじ」はいらない
グチを聞くのって、意外と体力がいる。
「少女漫画のヒロインみたいに、丸ごと受け止めてほしいのかも?」なんて考えながら、アリサと話していたら、思わぬ発見があった。
アリサというのは私の高校時代の友人で、今でも一緒に旅行に行くような仲。
そんなアリサが、友人のA子と旅行中にグチを聞いたそう。それが今回のおしゃべり、グチに共感できるかどうか、につながった。
A子のグチとは、仕事中に頻繁に席を離れて同期のところで油を売っている正社員の部下がいて、きちんと仕事をこなしているパート社員に対して、示しがつかないということ。それを聞いたアリサは、A子が上司として部下を指導すれば解決することなので、グチに対して共感できなかった。すると、A子に『それでも、共感してほしい』と言われたそう。
このA子の丸ごと全部受け入れてほしいという感覚に、私は既視感を覚えた。そういう風に勘違いしていたときが私にもあった。同性の友人に対してというよりは、異性に対する幻想なのかもしれないけど…。
少女マンガに出てくるヒーローには、ヒロインがいくら刺々しいことを言っていたとしても、ヒロインが秘めた自分への愛情を全てお見通しで、刺々しさすら受け入れる完全無欠なタイプがいる。A子は、そんな風にアリサに丸ごと全部受け入れてほしいということを望んでいたのかもしれない。
するとアリサは、それならば、A子が上司として行動すべきなのは理解しているけど、その行動に移すのがめんどくさいのだ、という気持ちまで表現してくれれば、その部分に共感することはできるのに、と。
そこで、私はひらめいた。
グチを言う人は「共感してほしい」という思いで、グチを伝えている。けれど、自分の気持ちを表現するのが下手で「事象の説明」ばかりになってしまう。
そうすると、受け手としては、「事象」についての理解ばかり深まってしまう。そのため、求められている、グチへの共感ではなく「解決策」を返してしまう。
このすれ違いが「共感できない感覚」を生んでいるのではないだろうか。
これってなんだか、読書感想文に似てる気がする。
私が小学生のとき、一番きらいな課題が読書感想文だったのだけれど、それは、先生が言う「自分がどう感じたかを自由に書いたらよい」が分からなかったから。
だから、読書感想文の課題が出ると、読んだ本のあらすじを書いてごまかしていた。つまり、気持ちを書かずに、事象を説明していたのだ。そして先生も、そんな読書感想文に「よくできました」の、はなまるをつけてくれたりしちゃう。
こうして、私たちは気持ちの表現下手になり、事象の説明が得意になっていったのかもしれない。それが、かたちを変えて現れているのが、「共感できない感覚」なのではないだろうか。
グチとは「共感を求める行為」なのに、本当に伝えるべき「自分がどう感じたか」ではなく、自分のグチを引き起こしている事象を説明してしまう。
そのため、グチの本質である気持ちが受け手側には伝わらず、グチを言う人を取り巻く事象だけが伝わる。
その結果、グチを言う人も言われた人も、なんだかモヤモヤした空気になってしまうのかも。
じゃあ、どうやったら自分の気持ちを表現できるのか?
ミサトのオススメは、はやみねかおる先生の『めんどくさがりな君のための文章教室』だ。この中で、感情を記号化してみると、気持ちを表現しやすくなるという章がある。
ということで、これからはグチを言うときに、一度記号にしてみたら気持ちよくグチを言えるようになるかもしれない(笑)