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怒りの果お

    毒芪育ちの私が、19歳で母になり、21歳でシングルマザヌになった。
    ‹40歳を過ぎた今、やっず思える。
    「倧䞈倫、間違っおいなかったよ」
    ‚――そう、過去の自分に蚀える日々。

    通信高校をなんずか卒業した私は18歳でキャバクラに勀めた。
    ‚そこで䞭卒の職人である、のちに嚘の父芪ずなる人ず出䌚った。
    ‚出䌚っおたもなく圓時でいう
    【できちゃった婚】をしたのが私は18歳、元旊那は20歳の時だった。
    ‹19歳で出産、そしお21歳で離婚をした。

    ここたで聞いた䞖間の人はどんな子䟛像を思い浮かべるのだろう。

    うちの嚘は東京倧孊を受隓した。
    小孊生の時のテストは100点以倖、皀だった。
    ‚䞭孊生の時は垞に孊幎で成瞟トップだった。
    ‚偏差倀70超、倍率玄6倍の私立高校にさらっず掚薊合栌をした。

    【どうやっお育おたの】

    ‚䜕床聞かれたこずだろう。

    私は勉匷のできる子に育おようず思ったこずは䞀床もなかった。
    ‚勉匷しなさいず蚀ったこずも、䜕かを匷制したこずもなかった。

    幌い嚘に、「なんで勉匷するの」ず聞かれた時、「遞択肢を広げるためだよ。」ず答えたこずは今でも鮮明に芚えおいる。

    【孊びは人生の遞択肢を広げる手段】

    嚘には知っおいおほしかった。

    芪ぶり偉そうに教えられるこずはないけれど、嚘に䌝えたいこずはたくさんあった。
    ‚教えるのではなく䌝えよう。
    【䌝え続けるこず】
    ‚これが私の子育おのモットヌになっおいた。

    子䟛が子䟛を育おおいる最䞭、私はたくさんのこずを考えた。
    ‚芪の終わりはない。
    ‚でも子育おは完党に終わりにしたい。
    ‚私の思う子育おのゎヌルは、嚘が心配のいらない状態で私自身も心配をしないこずだった。
    ‚その為には、どうすればいいのだろう 
    どんなに考えおもわからなかった私は唯䞀知っおいる【自分の怒りの感情】を頌りにした。

    矛盟を感じたこず。
    ‚されお嫌だったこず。
    ‚しおほしかったこず。

    私には数えきれないほどの負の感情があった。
    ‚だからこそ、“じゃないこず“を積み䞊げおいければ自分の理想像に近づけるず信じるこずにした。

    包䞁を振り回しながら、殺しおよず叫ぶ祖母
    ‚怒鳎る父
    ‚泣き叫ぶ母

    誰も守っおくれないんだ 
    ‚抌し入れに毛垃をかぶっお隠れおいた幌少期の私。

    毎日無蚀の食卓

    垞に芪の顔色を䌺う幌少期だった。

    私が14歳の時、父芪が飲酒運転でひき逃げ事故を起こした。
    ‚唯䞀あった“裕犏なこず“すらなくなった私には非行の道を遞ぶこずしかできなかった。

    芪ぞの怒り
    ‚元旊那ぞの怒り


    怒りの感情をガ゜リンにした19歳の私は自分ず20幎の契玄をした。

    ⚫気分で怒らない

    ⚫手䜜りのあたたかいご飯を楜しく䌚話をしながら食べる。

    ⚫嚘が成人するたで再婚はしない。女である前に芪であれ。

    ヌヌヌ1人でも必ず立掟に育お䞊げおみせる。

    それが私にずっお唯䞀の埩讐であり蚌明だった。

    嚘が18歳になるたでこの気持ちだけでやっおこれた。

    寝る間を惜しんで働くこずも
    嚘が行きたいず蚀った私立高校にも‚䞊行しお塟にも通わせた。
    ‚父芪も祖母も介護を経お看取った。

    私は自分のやるべきこずをちゃんずやっおきた。

    反面教垫ず怒りを燃料にかえるこずで䜕床だっお立ち䞊がっおきた。
    それなのに 

    【東倧䞍合栌】


    私の䞭で音をたおお党おが厩れ萜ちた。

    私は今たで䜕のために頑匵っおきたのだろう。

    私の頑匵りが䞍合栌ず蚀われおいる気がした。

    子䟛に期埅する芪はバカずさえ思っおいたのに、自分が1番期埅しおいたこずを思い知った。

    ‚䜕䞀぀蚌明するものがないんじゃないか 

    ‚泣き叫びたかった。

    ‚できるこずなら感情を党お衚に出したかった。

    けど、できなかった。
    ‚【よく頑匵ったね】
    ‚この蚀葉をかけるこずしか。


    私の䞭で倩䜿ず悪魔は2幎半囁き続けた。
    ‚それでも私がこれたで倧切にしおきたこずは“間違っおはいない”ずいう灯りだけは消えるこずがなかった。

    自分ずの契玄が満期を迎えた頃、プロのサッカヌ遞手を目指すために䜏み蟌みの高校に息子さんを通わせおいる人ず瞁があった。
    ‹3幎間通った結果、その息子さんはプロにはなれなかった。
    ‚トヌタルで盞圓なお金もかかっただろうに 
    ‚なのに、その人は笑っお蚀った。

    【芪なんおそんなもんだよねヌ】


    私の䞭の悪魔の囁きが消えた瞬間だった。

    ヌヌそうか、芪ずはそういうものなんだ。

    “じゃない“を積み䞊げた理想の芪像しかわからなかった私が初めお腑に萜ちる芪像を目の圓たりにした。

    それ以来、私の䞭である蚀葉が囁きだした。

    【倧䞈倫、間違っおいなかったよ。】

    蟛かった幌少期
    ‚荒れた10代
    ‚がむしゃらだった20代
    ‚もがき続けた30代
    ‚そしお40代に突入した。

    東倧䞍合栌から極端なほどに勉匷ず距離を眮いおいた嚘は22歳になり、自分の意志で再び勉匷ず向きあいはじめた。
    ‚数々の囜家資栌を取埗するこずで自信を取り戻しながら、野望を胞に今日も嚘は懞呜に走り続けおいる。

    そんな嚘の背䞭が私の䌝えたかったこずの本髄を教えおくれた。

    私は【生き抜く力】を教えたかったのだず。


    い぀だっお人生ずはただ途䞭だ。
    ‚合栌じゃなくたっお、キレむな䞞ではなかったずしおも、泥臭く“じゃない”を積み䞊げおきた私は間違っおはいなかった。

    だからこそ私はこの先も呟く。

    ヌヌヌ倧䞈倫、間違っおいなかったよ。

    #創䜜倧賞2026
    #゚ッセむ郚門

     
     
    【著者プロフィヌル】 毒芪育ちが19歳で母になり、21歳でシングルマザヌに。 40歳を過ぎた今だからこそ、思えるたくさんのこず。 泥臭く生きおきた人生を曞いおみたいず執筆をはじめた。

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