
論破という言葉が議論を無価値にした!?思考の整理06|議論は勝敗を決めるものじゃない
議論とは最適解を見つける一つの方法である
議論とは、複数の視点や知識を持ち寄って、課題やプロジェクトの最善策を模索したり、関係者間の負担の調整が必要な際に最もバランスのとれた折衷案を見つけたりするために開かれるものです。
議論は、現状の最適解を見つける一つの方法と言えます。
論破とはどのような状態か
論破とは?
論破とは、論理破綻の略だと考えられます。つまり、その意見が成立していないという指摘で、もっと簡単に表現するなら間違っているという意味のはずです。
そしてその間違いを相手に認識させたことを「論破」と言うのではないかと思います。
論破とはどのような状態?
論破という状態が起こるときは、論破される側の知識不足や認識のズレが起こっていると言えます。
前提となる知識を取得できていないか、勘違いが起こっていたかしたために、その間違いを修正しただけに過ぎません。
正しく議題選定がされていれば、論破で議論が終わることはない
議論とは、ある議題に沿って最適解を見つける方法です。複数の選択肢の中から最も適したもの選び抜くことが議論であり、間違いはこの選択肢に含まれません。
間違っていることを正すために議論が開かれていなければ、間違いを指摘した後も議論が進むはずです。論破で議論が終了するということは、議題の選定が間違っていると言えます。
間違いを正すだけなら、説明や教育で十分だからです。
論破が議論のゴールになってしまった
最近は「論破」がまるで議論の終了の合図のように使われることが増えたように感じます。
「論破」では、どうしても間違いを正す側と間違いを正される側に分かれます。論破する側が「勝ち」で論破される側が「負け」という分かりやすい判定の観戦コンテンツ的な側面を持ってしまいました。
本来の論破は、勘違いの訂正以上の意味を持たず、最適解を見つけるという目的から逸れた生産性のないつまらない行為だったはずでした。
しかし「勝つ優越感」と「分かりやすい観戦体験」によって日常の小さな議論のゴールが「論破」という勝敗に徐々に侵食され始めています。
議論する人の脳内が勝ち負けに支配されるとき
論破という勝ちを達成するために、相手の粗探しを始めると考えられます。間違いを指摘することに一生懸命になるあまり、最適解の判定が疎かになってしまいます。また、論破されるという負けを回避しようとするでしょう。アイディアを思いついたとしても、自信や確証が持てない場合は発言を避けてしまいます。
このような人が議会の大多数を占めてしまった時どうなるでしょうか。選択肢となるアイディアは挙がらず、限られた選択肢から最適解を選ぶことになります。下手をすれば議題とは無関係の小競り合いが繰り返される生産性のない時間を過ごすことが会議と呼ばれるようになってしまうかもしれません。
議論の本来の目的を失ってはいけない
最適解を探るという過程において、論破される意見は選択肢にならないため、議論が論破で終わることはないはずです。議題に沿った提案ができるように、最適解を探ることができるように、見かけの勝敗に惑わされることがないように気をつけたいです。
論破に勘違いの訂正以上の意味がないって考え方が広まれば、みんなが有意義な時間が過ごせずのではないかと思います…💭
最後までご拝読いただきありがとうございました🫶