
花火の話にたどり着くまで

息子は、この花火大会をたぶん覚えていない。
この写真を撮ったのは、夫が退院して約八か月後の、二〇二四年の夏だった。
「溶けそうに暑い夏。
父ちゃんの膝に乗って花火大会に行った事、
ずーっと忘れないでね。」
そう思いながらシャッターを切ったことを覚えている。
夫は心臓の三分の二が壊死し、いつまた発作が起きるか分からない状態だった。
夫と幼い息子を連れて、私一人で出かけることは難しく、外出の話が出るたび、できない理由ばかりが先に浮かんだ。
それでも、両親と妹夫婦は、暑さの中でガンタンクのような電動車椅子ごと夫を連れ出し、ばぁばが買った甚平を着た息子を父ちゃんの膝へ乗せた。
私が不安を一つ並べるたび、「これなら大丈夫」「これなら行ける」が一つずつ用意された。誰か一人でも「今日はやめておこう」と言えば、この写真まではたどり着かなかっただろう。
レンズのこちら側では、じいじとばぁばが息子の名前を呼んで目線を引き寄せ、妹は夫の体勢が崩れればすぐに支えられる距離で見守っていた。そのわずかな条件の中へ、息子がすっぽりと収まった。シャッターのこちら側だけが、妙に忙しかった。
写真に写っているのは父ちゃんと息子だけなのに、この一枚を見ると、写っていないはずの声や手まで浮かんでくる。
日が落ちると、蒲郡名物の正三尺玉が海の上から打ち上がった。それぞれが抱えてきたものが、火花と一緒に夜空で弾けた。少し遅れて届いた「どーん」は、家族全員の胸の奥を震わせた。
二年後の夏を迎えた今、夫はまだここにいる。
けれど、いつ何が起きるか分からないことも、あの夏から変わっていない。
あの花火大会のあとにも、父ちゃんの膝に乗った日があり、一緒に出かけた場所があり、息子に話して聞かせられる出来事が積み重なっている。
これが父ちゃんと息子を一緒に撮る最後の一枚になるかもしれない。そう思って残した写真の後ろには、二枚、三枚と新しい写真が連なっている。
いつか息子がこの写真を見つけて、「これ、どこ?」と聞く日が来るかもしれない。
その時、蒲郡の花火大会だったと答えるのは、私でなくてもいい。
倒れる前はプロのカメラマンだった夫は、おそらく、花火の話をする前に、写真の中のカメラの機種と、ガンタンクへの取り付け方から説明を始めるだろう。それから話は、この写真の外側へ移る。その日、誰がいて、何をしていたか。
息子が聞きたい話はまだその先だ。
話が花火にたどり着くまで、ゆっくり三人で写真を眺めていられたらいい。
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