
おふくろの味が存在しない国の、わたしの朝食
日本における、女性が専業主婦をやっているのが当たり前だった、ひと昔前の時代。
あの頃の朝食の風景が『おふくろが台所に立ち、味噌汁を作る』ものだとするならば、私にとっての朝食の風景はシンガポールの屋台街『ホーカーズ』での風景だ。
中華系にマレー系、インド系に英国系。
さまざまな国の文化や歴史がごちゃ混ぜになったシンガポールという国は人種のるつぼと言われるが、屋台街『ホーカーズ』のラインナップは人種以上に “カオス“ そのもの。
八角のスパイスが食欲をそそる肉骨茶(バクテー)屋の隣には、魚の頭がそのままぶっ込まれたインドカレーの香りが強烈に漂い、その向かいの店ではなぜだか英国式のブレイクファーストがあまり美味しくなさそうに、やっぱり人気なく売られている。
昨今では物価が高くなったと言われるシンガポールだが、観光客のこないホーカーズに行けば(ガイドブックには決して載っていないような場所だ)いまだに日本円で500円を切る値段で一食が食べられる。私は、そんな場所にある公団マンションの一角で幼少期を過ごした。
日本よりも同等か、それ以上に治安の良い国、シンガポール。
当時3歳だった私は、母親に2ドルのコインを握らされ、公団のマンションの階段をたったひとりで毎朝駆け降りた。公団の中には見知った人しかいないもんだから、3歳の子供がひとりでいたとしてもみんなどこかで気にかけ、見守っていてくれた。公団に住んでいない人間がひとりでも混ざっていれば皆警戒し、すぐにわかるようなコミュニティが形成されていて、とても安心できてあたたかい場所だった。
いつものおばちゃんに「朝ごはんちょうだい」と言い、お金を渡す。
ひとりでちょこんと椅子に座って待てば、「はいどうぞ」とおばちゃんがお粥を届けてくれる。大きな白いボールにたっぷり湯気の立つお粥、そこにたっぷりと乗せられた青ネギとピータンが私の大好きな朝のご馳走だ。
3歳児には少し大きく感じるレンゲで、ふーふーと息を吹きかけながら、少しずつ味わう。言うてここは南国の国、熱々のお粥は少しずつ食べても汗が吹き出す。それでも忘れられないほどの美味しさで、舌にからむピータンのとろみ、青ネギの青臭さ、お粥の旨み、すべてが強烈な私の思い出になっている。
国の政策で経済発展を第一優先にしてきた、共働きが昔から当たり前だったシンガポールには、台所に立つ母の姿は当たり前ではなかったし、おふくろの味なんてものも存在しなかった。
その代わりに、同じ公団の様々な肌の色の住人たちや、フィリピン人のメイドさん、両親以外の多くの大人たちからの数えきれないほどの大きな優しい愛情に私は見守られてきた。おかげで、私は毎日安心して朝ごはんを食べることができたし、幼稚園へ向かうバスにも安心して乗ることができたのだった。
それはもしかすると、“おふくろの味”よりも、愛情の大きな朝食の風景だったのかもしれない。私はそんな屋台街での朝食の風景を、今もずっと懐かしく思っている。