
魔法使いになれると信じた私と、からかう男たち
これは、私が父親のことを猛烈に嫌いになった、幼少期の実話である。
ーーー
私が幼稚園の年長だった、休日のある日。
リビングでセーラームーンのアニメを見ていると、父親が「庭へ出ておいで」と窓越しに私のことを呼んでいた。
親の言うこと、それすなわち絶対である。
幼少期の子供からすれば、親の言うことは命令、絶対、神の言葉のようなもの。
渋々、ビデオ再生を一時停止し、庭へ出た。
当時、私の父は30代後半。バブルが終わった直後の時代そのままに、チノパンにシャツをしっかりインしたスタイルで、メガネをかけていて若い頃の堀内孝雄そっくりのおっさんだった。
(みんな、堀内孝雄、わかる?)
庭にいる父の手元を覗くと、なぜかそこにはバナナが一本。
なぜ?
幼稚園児でも疑問に思っていると、父がそっと話し始めた。
「あのな。ひとつ、お前に教えないといけないことがある」
「なに?」
「実は、今まで言っていなかったのだが……うちは、おじいちゃんの代からずっとずっと、魔法使いの家系なんだ」
「そうなの?」
そのあまりに唐突で突然の発表は、幼稚園児の私に強烈なインパクトを残した。
驚きはしたが、すぐに喜ぶわけでもなく、それでどういうことなの、という気持ちだけがまずは横たわる。
「お父さんの家でしか伝わらないもので、しかも魔法は、最初に生まれた子供にしか伝わらないものなんだよ。弟や妹には伝わらないんだ」
「へえ……」
よくわからない理論が続いたけれども、幼稚園児の私は、そこからむくむくと喜びが湧いてきた。
というのも私には2歳年下の妹がおり、妹の誕生以来、当時は両親も祖父母も何かと妹にかかりきりだった。確かに妹は華奢で、かわいらしく、年齢の割に身長も高い私に比べると家族中の注目を集める繊細なプリンセスのようだった。
「お姉さんなんだから」を決めゼリフに、いろいろなことを我慢させられていた気がした私は、いつか家出するもん、とすら思っていた頃だった。
それに加え、その前日には妹の誕生日を祝ったばかり。
妹だけにプレゼントがあることを、誕生日だからそうでしょと頭ではわかっていても納得はできない状態であった。そんな長女としての葛藤や子供の嫉妬に揺れる中での、「妹には使えず、私にしか使えない魔法の継承」には、さすがに特別感があり、思わず胸が踊ってしまう。
昨日、妹がもらっていたおしゃれプリンセスの化粧台セット、羨ましかったな。
でも私には、魔法がある、だって?
「じゃあ、おじいちゃんの次はお父さん、そしてお父さんの次、最初に生まれた子供は……私だから……」
「そう、お前だよ、お前が次の魔法使いなんだ!お前だけなんだよ!」
「やった〜〜〜〜!」
両手をあげ、ぴょんぴょんと庭で踊り出しそうなほど喜ぶ私。
今思えば、大変に健気である。そして、よくわからないロジックである。
「でもな、美奈子。これはお母さんにも妹にも内緒にしないといけないよ、なぜなら魔法というものはバレてしまったときにパワーを失ってしまうからね」
「なるほど」
「だからな、今から魔法を教えるけどこれは決して人に使えることを伝えてはいけないし、特にお母さんと妹には絶対にバレたらいけない。いいね。お前がバラしてしまったら、パパも魔法を使えなくなる、わかったね」
「うん、絶対だね。守るよ、約束する」
当時、私は5歳。
妹ばかりが可愛がられる日々に、ちょっぴりうんざりとしていた幼児。
お父さんから特別扱いされるということに、私はとても嬉しくなっていた。
そうなんだ、私、特別なんだ。妹にはない、魔法が、私にだけあるんだ!
私は真剣な顔をして、父の言葉に頷き続けた。
「ここに、バナナがあるよね。まず最初に教える魔法というのはね、このバナナをフリスビーのように投げても戻ってくるというものなんだよ」
「バナナを投げても、戻ってくるの?そんなこと、あるの?」
「だって、魔法だからね」
「じゃあお父さん、やってみせて」
父は渋い顔をした。
「いや、今はできない。ほら、向かいを見てごらん」
そこにはご近所のおばさんが、庭いじりをする姿があった。我が家の庭が完全に見える位置である。
「今魔法を披露すると、あのおばさんに、バレるよね」
「たしかに。うん」
「だから見せてあげることはできないけど、いま、ここでパワーを注入する」
そう言って父は、片手でバナナを握り、片手で私の手を強く握った。
「魔法!」
そう言うと、私の小さな手のひらに電気が走ったような気がした。
「これで今度からはいつでも、美奈子が投げてもバナナは戻ってくる」
「すごい」
「ただし、絶対に誰にも見られないこと。いいね」
「わかった」
そう父と約束をすると、父は私にその魔法注入で使った一本のバナナを託した。
父はリビングに戻り、新聞を読み始めた。
にやにやが止まらない私は、父の横でセーラームーンを再生しながら、魔法を試したくて仕方がなかった。うずうずしながら、庭で誰にも見られなさそうなタイミングをずっと見計らっていた
ーーー時は、来た。
夕方ごろ、父はどこかへと出かけていた。
母は妹と寝室で昼寝をしていた。
1995年頃の話である、それはそれはのどかな時代である。
5歳児の私はひとりで庭へと出てしまうことができたのだった。
高鳴る胸を抑えながら、昼からおもちゃ箱に隠していたバナナを手に握る。
向かいのおばさんはいない、家族は寝ている、道路にも誰もいなさそう。よし。投げる!
私は庭の端へと向かって、バナナを大きく投げた。腕を大きく使い、思いっきり。
私魔法使いなのだから、どんなに投げても必ずバナナは戻ってくると、信じて。
まあもちろん、バナナは戻ってこない。
どんなに願っても、物理法則として、戻ってくるはずもない。
しかし目をつぶってバナナを投げた私は、そっと目を開き、いつまで経ってもバナナが戻ってこないことに気がついた。
「え?」
見ると、バナナは我が家の庭より一段下がった位置にある、駐車場の屋根の上に乗っていた。
おわかりでしょうか、一軒家の駐車場につけられた屋根。

(参考画像、こんな感じ)
屋根の上には、枯葉や鳥のフンなどがあり、なんだかどろっとして汚さそうな泥がまみれた茶色いエリアと化している。そんなエリアに、ポツンと乗っかる黄色い物体が、ひとつ。
どうしよう!
バナナは戻ってこなかった、そして怒りが湧いてきた。パパの嘘つき。
でも、そんなことよりも駐車場の屋根の上で泥だらけになったバナナ、どうしよう!めっちゃ目立つ!ガラス製の天井のせいで、下から見上げてもバナナ見える!
怒りと混乱で爆発しそうになり、心臓のバクバクとする音が止まらなかった。
5歳児、本気を出す。
頭をフル回転させる。
駐車場の屋根からバナナを取ろうにも、私の身長では到底届かない。庭の隅っこにあった、掃除用のホウキを手にとり、慌ててホウキを活用して、手を伸ばす。格闘すること数分、どうにかこうにか私は屋根の上からバナナを救出する事ができたのだった。
しかしながら、バナナは泥だらけ。虫っぽい何かもついているし、いくら皮がついた状態とはいえ、もう食べられる状態では無さそう。こんなのおしまいだ、おしまいのバナナだ。
私はこのバナナをなんとか隠蔽すべく、キッチンへと運び、大量のティッシュペーパーでバナナを包んだ。
絶対にバレませんように、ママに怒られませんように。そうしてふわふわの白い大量のティッシュで包囲されたバナナを、そっとキッチンの端っこのゴミ箱に捨てたのだった。
その30分後、早速母にバレた。早い、早すぎる。
母が「どうしてこんなに綺麗なティッシュがたくさん捨てられているのだろう、これはなに?」と気づき、ゴミ箱の奥に隠した泥だらけのバナナを救出してしまったのだ。
「これ、だれがやったの!!!!!!」
母親の怒りが一軒家を包む。
父はまだ、帰宅していない。
私は最初は黙りこくっていたが、嘘をついている罪悪感で押しつぶされそうになり、ついに泣き出してしまった。
「ご、めん、なさい」
嗚咽を漏らしながら、私は子供なりの言葉で全てを白状した。
パパは実は魔法使いだということ。
魔法使いのパワーを私に今日くれたこと。
そのパワーを使いたくて試したら魔法がうまくいかなかったこと。
泥だらけになってしまったバナナをどうにか救出したこと。
そのことがバレないよう、ティッシュで丁寧にぐるぐる巻きにしたこと。
魔法を失うことになってもいい、この罪悪感に耐えられないと、5歳の私は母に向かって必死にすべてを説明した。
母はその言葉を聞きながら、むくむくと怒りが湧いている様子だった。
まさにそうやって説明が終わった頃、タイミングよく、いや、悪く。父親が帰宅してきた。
泣きじゃくる私を見た父は、なにごとかと駆けつける。
母が怒りを爆発させながら「あなたね、魔法って一体なに?」と父に詰め寄った。
すると父は開口一番、私を見てニヤリとしながらこう言った。
「お前、言ってしまったのか」
私はついに、罪悪感とパニックで爆発した。
母親は、父親をビンタした。
父は不服そうに怒られていた。
地獄絵図である。
父はその後、一切魔法の話をしてこなくなった。
私も父を見限り、魔法の話はしないようにしていた。本気でムカついていたのだ。
ちなみに母は、バナナとティッシュがもったいないとブチギレて、その後しばらくバナナを食卓に出すことはなかったし、しばらく私はティッシュを使うたびに許可を取る必要があった。不便。
中学生の頃、ふと思い出してこのエピソードを本人に話してみると、そんなことあったっけ、と真顔で言われ、そこからはさらに胸に封印していた。
その真顔すら、わざとふざけているのが本気で忘れているのか、分からなかったのだった。
ーーー
私の父は、昔からそうだった。
いつもふざけたがりで、私をからかう。
からかって私が泣くと笑い、ふざけ倒す。
しかもなぜだか、妹にはやらない。
そんな父のことが嫌いで憎くて、当時は嫌で仕方がなかった。
今思えば、あれはきっと、高田純次的な作法なのである。
テキトーにやって、テキトーに嘘ついて、んなわけないじゃーん、で押し通す腕力マックスの冗談なのである。しかしながら当時の私は非常に傷つき、好きな女にこそ、男子はからかいたくなるんだよと少女漫画で学習しても、そのロジックはやはり意味不明だった。
スカートめくりなんて、しないに限るでしょ、普通に。平成と令和に生きとるんやぞ、こちとら。
こういう男、本当に本当にやだね。
そう思いながら、私は35歳になった。
最近になり、恋人にこのエピソードを話してみると、恋人はニヤつきながらこのエピソードを聞いていた。最後に彼は、こう言った。
「俺も、お父さんと同じ気持ちだよ」
はっ。そういえば、この人も私をからかうんだった。
丸顔の私のことを「まる」と呼び、今日もまるいねと嬉しそうに話す。
からかわれた私が本気で泣き始めると、その段階になりようやくごめんごめんと言いながら、にやついている。
本当か嘘かわからないことを言い始め、こちらが信じると、なかなかネタバラシしない。
私は結局、こういう男たちにからかわれ続ける人生なのだ。
そして、私は結局、こういう男たちのことが、大好きなのかもしれない。悔しいし、くだらない。けれども、父親の影響は今も色濃く私の恋愛にまで影響しているのだと気が付かされた。
からかってくる男たちは、私のこと好きなんですねと。そう思わないともはや、泣きまくる私がやってらんないのよ。
そしてまた、ふと気がつく。
魔法は長男や長女にしか継承されないと言うてたけど、おとん、弟やんけ。
悔しい。ああ、今日も悔しい。