
時代をトリップする純喫茶 珈琲ロン × ジャムトーストを堪能【東京・四谷】
私達の身の回りに当たり前にあって、日々の生活を豊かにしてくれるもの、それは建築と甘いもの。
私にとって建築は日常風景の一部でありながら、その場所で起こる出来事をドラマチックに演出してくれる特別な存在だ。
そんな私のもう一つの楽しみが、甘いものだ。
素敵な建築共に味わう一品は、訪れた場所の記憶を彩り、忘れがたいものにしてくれる。
今回訪れたのは、歴史ある建築と豊かな緑が共存する東京・四谷。
格式高い近代建築から新しい商業施設までさまざまな建築が並ぶこの街に、建築と甘いもの、そのどちらも味わえるとっておきの場所がある。
1. 四谷の駅前に静かに佇む老舗喫茶「ロン」
たまたま平日に仕事が休みになった。
休日とは少し違う街がまだ働いている時間に出かけられる一日は、土日には営業していない店へ行きたくなる。
平日だけ営業している喫茶店にはその曜日、その時間にしか流れない独特の空気がある。
そうして向かったのが、四ツ谷駅近くにある珈琲「ロン」だ。

駅からは歩いて2分ほど。
四谷駅を降りて新宿通りを進むと、周囲のビルとは少し違った空気をまとったコンクリートの建物が姿を現す。
外観は端正なデザインが特徴の小さな建物だ。
街に近い低層部分にはリブ状の凹凸が施され、日差しを受けるたびに陰影がゆっくりと表情を変えていくのが印象的だ。
ロンが入る建物が完成したのは昭和の中頃の1969年。
設計を手掛けたのは建築家・池田勝也氏で、彼が独立後まもなく手掛けた代表作の一つとして建築好きの間では知られている喫茶店だ。

低層部は道行く人を招き入れるような斜めの壁と、螺旋階段を包み込む円柱状の壁が組み合わされたデザインが特徴。
その間に細いスリット状の入口が設けられている。
決して奇抜ではないが、一度見たら忘れられないユニークなデザインだ。
ただ、入口から中に入るには少しだけ勇気がいる。
ガラスは街の景色ばかりを映し、店内の様子はほとんど見えない。

昔ながらの純喫茶を訪れる時はいつも少し緊張する。
常連ばかりだったらどうしよう。
店の雰囲気はどんなだろうか。
そんなことを考えてしまうのは私だけではないと思う。
けれど、この扉の向こうにはどんな空間があるのだろうという好奇心が少しだけ緊張を上回り、意を決して中へと入る。

扉を開けて中に入ると、武骨なコンクリートの外観から受けた印象が心地よく裏切られる。
目の前に広がるのは真っ赤なレザーソファと、鈍く艶めく木質の内装。
暖色の照明が店全体を包み込み、外とはまるで違う時間が流れていた。
先ほどまでの緊張が嘘のように「入ってよかった」とテンションがあがる。

座席は一階と二階に分かれ、その中央には外観のスリット窓と繋がる大きな吹抜けが設けられている。
上下階をつなぐ螺旋階段もまた美しい。
丁寧に貼られたタイルの曲面壁。
長い年月を経て飴色に変わった木の踏み板。

半世紀以上使われてきた建物なのに古びた印象はなく、むしろ時間そのものが建物の魅力になっている。
新築の建物には完成した瞬間の美しさがある。
一方でロンには、人々に使われ続けた建築だけが持つ美しさがある。
年月によって味わいを増していくのが建築の面白さのひとつだと思う。

店内に流れるのはビートルズ。
私が生まれるずっと前から受け継がれてきた空間と音楽に包まれながら、まだ誰もいない開店直後の席についた。
2.日常と非日常の両方が味わえる素敵建築
今回注文したのは王道メニューのジャムトースト。

食べやすく切り分けられた厚切りのトーストに、たっぷりとのったいちごジャム。
奇をてらったところは何もないのだけれど、スペシャルなメニューに見えるのだから純喫茶巡りは面白い。

香ばしく焼かれたパンに染み込んだバターの香りと、どこか懐かしい甘さのジャム。
建物と同じようにこの味も長い年月をかけて愛されてきたのだろう。
せっかくなので純喫茶の定番クリームソーダもオーダー。

エメラルドグリーンのソーダに白いアイスクリームは、大人になっても心ときめく魅力がある。
強すぎない炭酸も昔ながらな感じがして、この店によく似合っていた。
店内は現在も喫煙ができるということも大きな特徴。
灰皿には挽いたコーヒー豆が添えられていたのが印象的だった。

煙の匂いを和らげるための小さな工夫。
こういう気遣いを見つけると、この店が長く愛されてきた理由が少しだけ分かる気がする。
伝票一枚にもどこか昭和らしい丁寧さとセンスが見え隠れするのが素敵だ。
クリームソーダを飲みながら改めて店内を眺めると、外から見た特徴的な外観が内側空間にもしっかり効いていることに気づく。
外観でみた斜めの壁や円柱状の壁は、店内へ落ちる光の向きや影に微妙な変化を生み出している。

中央の吹抜けは道路側から差し込む自然光を建物の奥まで運び、時間とともに内装の表情を少しずつ変えていく。
さらに濃い色でまとめられた内装も道路側の壁や天井だけは明るく仕上げられていて、空間に広がりを感じさせる工夫が感じられる。

最初は少し暗いかなと思っていた店内も、不思議なことに10分も過ごすとその明るさが心地よく感じられる。
自分の目が暗さに慣れたというよりも、自分の呼吸がこの空間に合ってくる感覚だった。
また、近くに座っていた2人組の女性の1人が小さな声でビートルズの曲を口ずさんでいるのが聞こえてきたのも印象的だった。
本人も気づいていないくらい無意識な口ずさみから、寛いでいる様子が窺える。
そうしているうちに、私が店へ入る前に感じていた緊張もいつの間にか消えていたことに気づく。
肩の力は抜け、時間の流れまで少しゆっくりになったように感じる。

特別な出来事があったわけではない。
ジャムトーストを食べ、クリームソーダを飲み、建物を眺め、音楽を聴いていただけだ。
建物は言葉を話さないが、光や素材、音や匂い、たまたま居合わせた人達との共通体験を通して言葉以上に濃密な体験をもたらしてくれる。
店を出ると四谷の街並みは来たときと何も変わっていないが、帰り道は少しゆっくり歩きたくなった。
【珈琲ロン 店舗情報】
住所:東京都新宿区四谷1-2
行き方:四ツ谷駅から歩いて約2分
竣工:昭和44年
設計:池田勝也
その他:土曜、日曜、祝日定休日(公式SNS等を要確認)
3.あわせて訪れたいおススメのグルメ建築
せっかくなので珈琲ロンとあわせて訪れたい四谷のグルメ建築についても、建築好きの視点から少し紹介してみたい。(四谷には素敵な建築が多いが、ここでは食事もできるおススメ建築として2建築を紹介する)
まずはじめに紹介する迎賓館 赤坂離宮前休憩所は、東京23区内唯一の国宝建築である赤坂離宮前につくられた案内所、カフェ、休憩所等の複合施設だ。
場所は四谷の駅前。ロンのすぐ近くの駅前広場。

赤坂離宮といえばネオ・バロック様式の外観が特徴の宮殿建築だが、その前面の地下につくられた休憩所も見逃せない。
建物の設計を手掛けたのは新国立劇場や東京都現代美術館などの建築で知られる柳澤孝彦+TAK建築研究所。
円形の吹き抜けと噴水を中心に観光案内所やレストランが配置されているが、地下につくられた建築ということもあり周りの喧騒からは一歩距離が置かれている。
吹抜け自然光が溢れる気持ちのよい空間が広がる建築は、赤坂離宮の見学後にその余韻に浸るのにもピッタリである。

【迎賓館 赤坂離宮前休憩所 施設情報】
住所:東京都新宿区四谷1-12-11
行き方:四ツ谷駅から歩いて約4分
竣工:令和2年
設計:柳澤孝彦+TAK建築研究所
営業時間:9:00~17:00
続いて訪れたホテルニューオータニ東京は、前々回の東京オリンピックが開催された昭和39年に建てられたホテルだ。

敷地北側に建つザ・メインは高さ約70m、竣工当時日本一であり日本初の超高層建築ともいわれている。
風車のように3方向に広がる客室構成が特徴のホテルは、上部に乗る円形展望台によって敷地の持つポテンシャルを最大限に引き出しつつ優雅でシンボリックなデザインが素敵だ。
ホテルの地下に設けられたカフェをはじめとする店舗群は、宿泊しなくても利用可能。

昭和の時代の空気をパッキングしたかのような空間で、プリンや珈琲等の伝統メニューを堪能できる隠れた建築グルメスポットだ。
【ホテルニューオータニ東京 施設情報】
住所:東京都千代田区紀尾井町4-1
行き方:四ツ谷駅から歩いて約8分
竣工:昭和39年(ザ・メイン)
設計:大成建設
今回は私の訪れた四谷の建築と甘いものを紹介したが、どの建築も素敵な体験をもたらしてくれる名建築なので機会があれば是非訪れてほしい。