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加工して認められる承認欲求か、加工を見抜こうとする真贋の苦労か

    一枚の写真を見て、「きれいだね」と言われる。

    そのために、肌を少し整える。

    輪郭を少し細くする。

    目を少し大きくする。

    「少しだけ。」

    その積み重ねは、自分を偽るためではなく、自信を持つためなのかもしれない。

    誰だって、少しでも良く見られたい日はある。

    誰かに認められたい日はある。

    だから加工は、承認欲求というより、不安を隠す化粧のようなものなのかもしれない。

    一方で、それを見る人は少しずつ変わっていく。

    写真を見る。

    動画を見る。

    プロフィールを見る。

    そして無意識に考える。

    「本当はどんな顔なんだろう。」

    「会ったら違うのではないか。」

    「これはどこまで本物なんだろう。」

    加工を見抜こうとしているつもりはない。

    けれど、加工が当たり前になった世界では、疑うことが当たり前になってしまう。

    誰かを見るたびに、本物を探してしまう。

    褒める前に疑う。

    信じる前に比べる。

    それは一人の問題ではない。

    世界の見え方そのものが変わってしまう。

    加工する人は、「見られる苦労」を抱えている。

    写真の自分に近づこうとする。

    会う日が近づくほど、不安になる。

    「がっかりされたらどうしよう。」

    加工は自信をくれることもある。

    けれど、本当の自分まで好きになれるとは限らない。

    見抜こうとする人は、「信じる苦労」を抱えている。

    加工を見破る力が身につくわけではない。

    常に、誰かに嘘をつかれているような気持ちになる。

    写真を見ても。

    動画を見ても。

    初めて会う人を見ても。

    「これは本当なのだろうか。」

    そんな問いが、頭のどこかに残り続ける。

    誰も疑いたくない。

    それでも、疑うことが癖になってしまう。

    承認されたい人も。

    信じたい人も。

    どちらも、この時代が作った苦労を抱えている。

    認められるために自分を変えるのか。

    騙されないために人を疑うのか。

    どちらが幸せかは分からない。

    ただ、誰も加工していないのに疑ってしまう世界は、誰も嘘をついていないのに信じられない世界でもある。

    その世界は、少しだけ寂しい。

     
     
    見えたものと、見えなかったもので、写真と小説と詩を作ってます。毎日20時投稿してます。

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