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老後とピアノと私

    「老後とピアノと私」と題して綴ったPart1をまとめて創作大賞に応募したものです。


    稲垣えみ子さんの著書『老後とピアノ』。それは今や、私の人生のバイブルとなっている一冊です。
    現在、私は毎日ピアノを弾いています(平均すれば、1日2時間ほど)。
    「弾かずにはいられない」という表現が正しいかもしれません。まるで稲垣さんのように、いくつもの偶然が重なって、ピアノが突然、私の生活に飛び込んできたのです。
    稲垣えみ子さんに憧れと尊敬を表して、『老後とピアノと私』と題してその顛末を綴ってみたいと思います。

    第1章 3000円の運命の出会い

    私の相棒となっているのは、一台の電子ピアノです。
    出会いは、ある「お宝市場」でした。そこは中古品から、「がらくた」に見えるようなものまでが雑多に並ぶ不思議な場所。これまでそこで買ったものといえば、大釜や鉄板、あるいは自在鉤(かぎ)といったものでした。
    そんな場所に、そのピアノはぽつんと置かれていました。
    値段は、なんと3000円。しかも椅子付きです。
    「まさか」と思いながらも、夫と二人で店を一周してきても、どうしてもそのピアノが気になって仕方がありません。結局、私たちはその運命(?)を受け入れることにし、軽トラの荷台に載せて家へと連れ帰ったのです。
    実は、もともとピアノはありました。
    けれど、以前の引っ越しの際、持っていくのを諦めて手放したのです。売ろうとしたものの査定は0円。その頃の私はずっと鍵盤の蓋を閉めたままで、「もう人生でピアノを弾くことはないだろう」と思い込んでいました。

    それから数年。再び私の手元に、形を変えてピアノがやってきました。
    とはいえ、すぐに弾き始めたわけではありません。
    しばらくは、自動演奏を流したり音色を変えてみたりして面白がっていましたが、次第にほったらかしになっていきました。うっすらと埃を被ったまま、1年ほどの月日が流れてしまったのです。

    その頃、私は「back number」の音楽をよく聴いていました。特に『水平線』という曲に、深い感銘を受けたのです。
    YouTubeでそのMVを観ていたとき、偶然、あるピアノ演奏の動画が目に留まりました。画面には、親切にも演奏用の楽譜が公開されています。
    それを見つめているうちに、胸の奥からふつふつと、ある想いが湧き上がってきました。
    「そうだ、私もこの曲を弾いてみたい」
    私はノートに自分で五線を引き、一音一音、手書きで楽譜を写し取ることから始めました。
    たとえ3000円だったとしても、使わずに眠らせたままではもったいない。電子ピアノだって、弾いてもらったほうがきっと浮かばれるはず――。そんな、ピアノへの申し訳なさもありました。
    こうして、子供時代以来となる私のピアノライフが、静かに幕を開けました。
    2024年5月、私が六十五歳の春を迎えたときのことです。憧れの稲垣えみ子さんがピアノを再開されたのは五十三歳でしたが、私の場合は正真正銘、「老後」からの出発となったのでした。

    第2章:突然の『ラ・カンパネラ』

    back numberの『水平線』の楽譜を手書きで完成させてからというもの、毎日ピアノを弾く日々が始まりました。
    ピアノの椅子に座るのが楽しみでたまらず、少しずつ弾けるようになるのが嬉しくて仕方がありません。
    そんな中、次第にクラシック曲にも挑戦したい気持ちが芽生えてきました。
    きっかけは、YouTubeで偶然流れてきたフジコ・ヘミングさんの『ラ・カンパネラ』でした。「引越す前にコンサートへ行ったなあ」と懐かしく聴いていると、次から次へと色々な方の『ラ・カンパネラ』がレコメンドされます。
    その中に、一人の漁師さんが8年かけてこの曲を弾けるようになったという動画が現れました。さらに彼はテレビ番組の企画でフジコさんに会い、ついには彼女のコンサートの冒頭で演奏するまでになったというのです。
    それを聴きながら、私は思いました。
    「全くの素人の方が8年で弾けるようになったのなら、曲がりなりにも子供の頃に習っていた私なら、2、3年で弾けるようになるかも……?」
    善は急げと、街のイオンモールにある島村楽器まで出かけましたが、あいにく楽譜は欠品。取り寄せを頼むことになりました。なんともアナログな私です。
    こうして、『水平線』の次が、突然『ラ・カンパネラ』に決まりました。
    それからは、朝夕のびーちゃんの散歩中も常に聴きまくる、『ラ・カンパネラ』漬けの毎日が始まったのです。

    「ラ•カンパネラの楽譜が届きました」との連絡を受け、イオンまで取りに行きました。
    田舎暮らしに憧れて引っ越してきた私にとって、イオンへ出かけるのはちょっとした「一大行事」です。
    さて、さっそく届いた楽譜を開いてみました。
    最初の四小節は、とりあえず弾けました。けれど、その次からは全く手が届きません。
    想像を絶する「跳躍」が必要であることを、身をもって知らされました。
    「これは、とんでもない難曲だ……」
    早い段階で突きつけられた、微かな絶望感。
    けれど、毎日弾き続けた『水平線』は、なんとか最後まで暗譜で弾けるようになっていました。
    「よし、これからは『ラ・カンパネラ』を一小節ずつ攻略していこう」
    私はそう決心したのです。

    そんな折、Eテレで『3か月でマスターするピアノ』が始まることを知りました。
    心が躍り、すぐに本屋さんへ走りました。ところが、大変な人気で売り切れ。またしても取り寄せを頼むことになり、結局、初回の放送には間に合いませんでした。
    番組では、初めての人向けにサティの『ジムノペディ第1番』、経験者向けにショパンの『革命』が用意されていました。
    「次に挑戦するのは、この二曲だ」
    2024年10月私のピアノライフがさらに加速していきました。


    第3章:最初の先生と感動の音色

    毎日ピアノを弾くようになって半年近く。
    3000円の電子ピアノのペダルが、ギコギコと鳴り出しました。
    「3000円だったし、もう元は取ったけれど、もう少し頑張ってほしい……」
    弾くのに邪魔になるほどうるさくなり、思案した末に思いついたのが「CRC 5-56」でした。
    機械の動きを良くするあのスプレーを、ダメ元で吹きかけて二、三回ペダルを上下させてみると、音もなくスムーズに動き出しました。5-56、本当に優秀です。

    さて、待ちに待った『3か月でマスターするピアノ』。テレビの前に正座する勢いで見入りました
    私は先生には習っていません。だから、講師の本田聖嗣先生が私の「先生」となりました。優しくてユーモアがあり、的確な指導。子供の頃の先生がこんな風だったら、もっと楽しかっただろうと思わずにはいられません。
    先生おすすめの「親指と中指を開いて伸ばすストレッチ」を試すと、遠い鍵盤へも少し指が届きやすくなりました。
    初心者用のサティ『ジムノペディ第1番』は、わりと早く形になりました。
    けれど、大人のピアノは「弾ける」だけでは意味がありません。本田先生の「自分の人生を乗せる」という言葉を受け、私は一生懸命、これまでの自分の歩みを思い返しながら鍵盤を叩きました。
    一方、経験者用のショパン『革命』は、やはり難曲。なかなか音を外さずに弾くことができません。番組で挑戦していた元アナウンサー寺田理恵子さんも、テレビカメラの前で弾くのは大変なプレッシャーでしょう。私にとっても彼女にとっても、あとは練習あるのみでした。
    そして3 か月が経ち、最終回。
    二人がストリートピアノで、聴衆の前で演奏します。私も手に汗握りました。
    無事に弾き終え、拍手喝采を浴びる二人。
    その姿を観て、私の中でストリートピアノの存在が急激に大きくなりました。
    ふと、イオンへ行く地下道に置かれていたストリートピアノの光景が、鮮やかに浮かびました。

    『3か月でマスターするピアノ』の放送が終わり、すっかり気が抜けてしまった私。
    ちなみにこの番組のテキスト、当時は二十一万部を売り上げ、あらゆる種類の本の中で月間売上ナンバーワンだったそうです。それだけ多くの「同志」がいたと思うと心強く、大人ピアノの人気を改めて実感します。

    そんな、ぽっかり穴が空いたような私の心に入り込んできたのは、ピアニスト・辻井伸行さんの演奏でした。
    YouTubeで流れてきた、ヨーロッパのコンサートのアンコールで演奏された『悲愴』第二楽章と『月光』第一楽章。最初に聴いた瞬間、私は動きが止まりました。一音一音を聴き逃したくありませんでした。そう思わせる音色でした。
    横から夫が「お前に辻井伸行の良さがわかるんか」と茶々を入れてきましたが、「うるさい、早くどこかへ行って」と心の中で念じました。
    辻井さんのピアノは、心の柔らかい部分にさざなみのように染み込んでくるのです。
    こんなに感動することがあるんだ、と驚くと同時に、こんなに素晴らしい曲を残してくれたベートーヴェンに感謝の気持ちが湧いてきました。
    音楽って素晴らしい。ピアノって素晴らしい。
    私も、私なりにピアノを続けていきたい。
    そうして、自然に次に取り組む二曲が決まりました。
    さて、楽譜はどうしよう……と思った時、あることを思い出しました。
    『ラ・カンパネラ』の楽譜をイオンの島村楽器へ取りに行った日、ついでに一冊のピアノ曲集を買っていたのです。

    取り出して確認してみると……なんと、二番目と三番目に『悲愴』と『月光』が並んで載っているではありませんか。さらに目次を見ると、『ラ・カンパネラ』も、そして『革命』までもが。
    「あちゃー、ここにあったのか……」
    実は、番組のテキストに載っていた『革命』は本田先生が編集したスペシャル版で、中間の部分がすっぽり抜けていたのです。
    「完全版はどんなだろう」と思っていた矢先に見つけてしまったからには、仕方がありません。もう一度『革命』にも取り組むことに決めました。
    これが、さらなるドツボにハマるきっかけになるのですが……。

    第4章:稲垣えみ子さんとの突然の出会い

    40℃近い気温が連日のように続き、文字通りの酷暑だった2025年の夏。
    田舎暮らしに憧れて引っ越してきた私たちは、「家庭菜園以上、農家以下」を目指して日々土に触れていました。しかし、暑さに弱いトマトは早々に枯れてしまい、放っておいても実るはずのピーマンすらなりませんでした。どうも高温障害らしい。「この先、どうなってしまうのだろう」と、目の前の畑を前に大きな不安に襲われていました。
    外は命に関わるほどの暑さ。何もできない午後は、エアコンをガンガンに効かせた和室にこもり、心置きなくピアノを弾くことができました。
    でもその頃から、「なぜ私は毎日ピアノを弾いているのだろう」という疑問が頭に浮かぶようになっていました。

    そんなとき、出会いは突然やってきたのです。

    その夏、私は「1ヶ月無料」の言葉に惹かれてAudibleに登録し、話題の『国宝』などを聴いていました。しかし、自分のペースに関係なく耳元で流れ続ける声が、私にはどこか音の暴力のように感じられ、どうしても馴染めなかったのです。
    「早々に解約しよう」
    そう思っていたまさにその時、おすすめ欄に一冊の本が表示されました。
    稲垣えみ子著『老後とピアノ』。私はビビッときて、試しに聴くこともせず、そのままネットで注文していました。
    注文した本は、すぐに手元に届きました。
    ページをめくってみると、そこに書かれているのは「これ、私のことじゃない?」と思うことの連続でした。40年ぶりにピアノを再開した稲垣さんと、50年ぶりに再開した私。本に綴られていた「再開してからの1年間の軌跡」は、今の私にあまりにもドンピシャだったのです。
    そしてそこには、私が漠然と抱いていた疑問への「答え」が、鮮やかに書かれていました。
    私は頁を繰りながら、大いに共感し、そして深く救われたのでした。
    音楽を心から美しいと思う気持ち、自分の出す音、一音でもいいから美しい音を出したいという気持ち――その気持ちがあればいいのだと。

    そして、「登っていけるかどうかなんて関係なく、ただ目の前のことを精一杯やることを幸せと思えるか?」という稲垣さんの問いかけに、自信を持ってYESと答えられる私は、本当にピアノを再開してよかったと思うのです。

    そうして、再開から一年半が経とうとする頃、稲垣さん憧れのドビュッシーの「月の光」と、稲垣さんが「ベートーヴェンのピアノソナタの速い曲の中では比較的弾きやすい」というネット情報を得ていた「悲愴 第3楽章」に挑戦することにしました。

    「月の光」については、私はちゃんと聴いたことがありませんでした。だから憧れてもいなかったのですが、大人ピアノの人たちの憧れの曲ということで、どんな曲なのか知りたかったのです。
    こちらは、例のピアノ曲集の後半に載っていました。適当に選んだ曲集でしたが、名曲揃いでした。

    そして「悲愴 第3楽章」の方は、楽譜がありません。
    どうしようと思案していたら、そうだ、稲垣さんが「楽譜はネットで手に入る」と確か書いていたと思い、もう一度見返してみると、なんと「楽譜は瞬時に手に入る」とあるではないですか。
    でも、やり方が書いてなかったので、初めてGeminiに訊いてみました。
    まあ、親切丁寧に説明してくれて、「悲愴」全曲のダウンロードができました。無料なのにもびっくり。

    一年ほど前にパソコンが起動しなくなり、スマホだけになっていた私は、「スマホだと印刷できない」と思い込んでいました。するとGeminiが、「コンビニで印刷できますよ」と教えてくれたのです。
    「さあ、コンビニに行こう」となった時、最近、夫がプリンターを買ったことを思い出しました。夫の部屋をのぞいてみると、プリンターがこじんまりと鎮座していました。

    「家のプリンターで印刷できますか?」と訊くと、「Wi-Fi環境があればできます」とのこと。そりゃそうだよね。
    Wi-Fiのパスワードを入力して、あとは適当に押してみていたら、カタカタと印刷が始まり、すごい勢いで両面印刷して、あっという間に楽譜が手に入ったのでした。
    ああ、驚いた‼️

    そしてプリンターを調べてみると、Canonのモノクロ両面印刷ができるレーザープリンターだったのです。
    これは、楽譜を印刷するのに最適ではありませんか。
    夫も、たまには役に立つものです。

    第5章 2番目の先生と誠実な音

    2025年の秋も深まる頃、私はドビュッシー作曲の『月の光』にいよいよ本格的に取り組み始めました。
    それにしても、何とも不思議な曲です。まるで異世界に引き込まれてしまうような感覚に陥ります。そこには、今まで私が知らなかった美しい音がどこまでも連なっていました。
    私は今まで、こうした印象派の音楽世界を全く知りませんでした。子供の頃のピアノレッスンは、古典派のベートーヴェンの入り口あたりで終わっていたからです。
    先日の教会でのコンサートでこの曲を聴いたときは、まだ練習を始めていなかったため、「ああ、美しい曲だなあ」という感想しか持てなかったことが、今となっては悔やまれてなりません。
    やはり、「聴く」と「弾く」とでは大違いでした。
    楽譜を見ながら鍵盤を叩いてみるのですが、私の出す音からは『月の光』の気配が全くしません。
    そんなとき、YouTubeの画面に一本の動画が現れました。
    それは、かつてNHK教育テレビで放送されていた『スーパーピアノレッスン(2006年放送)』という番組の録画でした。「フランス音楽の光彩」と題されたその回では、フランスのピアニスト、ミシェル・ベロフ氏が講師を務め、日本の学生に『月の光』を指導していました。
    昔の映像なので画質はもの凄く悪かったのですが、私は完全に画面に釘付けになってしまいました。
    ベロフ先生が弾くお手本の響きが、とにかく美しいのです。そして、彼に指導された生徒さんの演奏が、みるみるうちに良くなっていく。
    私はすっかり夢中になり、自分がその日に練習したところまでを、何度も見返すということを繰り返すようになりました。
    こうして、私に「2番目の先生」が誕生したのです。私はベロフ先生のアドバイスをひとことも聞き逃さまいと必死でした。

    ところで、この「ミシェル・ベロフ」というお名前、なんだか聞き覚えがあるな……と、ふと思ったのです。
    もしかしてと、私の最初の先生の本田聖嗣先生登場のYouTubeを見返してみました。すると何と、本田先生がフランス留学中、まさにこのミシェル・ベロフ氏に師事していたと語っているではないですか!
    「ということは……私、ミシェル・ベロフの『孫弟子』じゃない!?」
    テレビの前で勝手に弟子入りしていた本田先生を通じて、まさか世界的な巨匠へと繋がっていたなんて。歴史的な大発見をしたような気持ちになり、私は一人で大いに盛り上がりました。
    そんな嬉しい勘違い(?)も手伝って、しつこくYouTubeのレッスン動画を見続けているうちに、少しずつ、私の『月の光』も本物に近づいているような気がしてきました。

    もし私が若い学生だったなら、間違いなくミシェル・ベロフ先生に恋をしていたでしょう。
    いや、今も私は画面越しに恋をしているのかもしれません。

    2026年の幕開けを迎えた頃、私は『月の光』と並行して、ベートーヴェンの『悲愴(第3楽章)』に取り組み始めていました。
    この曲は、『月の光』のような弾き方の迷いが一切ありませんでした。おそらく、子供の頃の私が得意としていた系統の曲だったからだと思います。
    当時の私は、演奏に1ミリでも感情を込めることが恥ずかしくてたまらず、「とにかく1秒でも早く弾き終えて、早くこの場を終わらせよう」とばかり思っていました。一体何のためにピアノを弾いていたのやら、と呆れてしまいます。
    しかし、子供の頃はあれほどよく回った指が、大人になった今はちっとも回りません。その代わり、今の私は「人生の感情を音に乗せる気」だけは満々なのです。
    なかなか上手くいかないものです。

    『悲愴(第3楽章)』の理想のお手本をYouTubeで探していましたが、なかなか「これだ!」という演奏に出会えずにいました。そんなとき、自分がベートーヴェンのピアノソナタ全集のCDを持っていることを、思い出したのです。
    10枚組のCDボックスを探し出し、『悲愴』を聴いてみました。
    素晴らしい演奏でした。「私のお手本はこれだ!」と直感しました。
    一体誰が弾いているのだろうと、改めてピアニストの名前を確認して、私は「あっと」息を呑みました。そこには「ダニエル・バレンボイム」と書かれていたのです。
    私はすぐに、稲垣えみ子さんの『老後とピアノ』のページをめくりました。やはり、ありました。稲垣さんが、当時78歳だったバレンボイム氏のコンサートを聴きに行ったくだりです。
    不思議な運命の繋がりを感じずにはいられませんでした。私はずいぶん前に、何も考えずにこのCD全集を買っていたのです。それが時を超えて今、稲垣さんの文章と共感し合えるなんて。

    CDの悲愴第3楽章の前には当然第2楽章があり、その後ろには月光の第1楽章がありました。
    バレンボイム氏の紡ぐ音からは、誠実さが伝わってきました。世の中には「誠実な音」というものが、確かに存在するのだと知りました。
    バレンボイム氏のくだりで、稲垣さんはこう綴っています。
    ほんとうに肝心なのは、上手く弾けるかどうかじゃなくて、曲へのみずみずしい愛を持っていることなんだとしたら、それをいくつになっても持ち続けることができるかどうかなんだとしたら……

    憧れの『ラ・カンパネラ』は、相変わらず弾けないながらも、力技でなんとか最後まで辿り着かせては、文字通り畳の上にぶっ倒れるようになっていました。ピアニストには、体力が必要なのだと痛感します。
    そして最近、我が家でもう一つ、面白い現象が起きるようになりました。
    『ラ・カンパネラ』の終盤、曲が一番激しく盛り上がるところに差し掛かると、びーちゃんが戸の近くで、「ワオーン、ワオーン!」と鳴き出すのです。
    最初はうるさいなあと思っていたのですが、鳴き出すのは決まって後半のラストスパートの場面。もしかしてこれ、曲の盛り上がりに合わせて「合いの手」を入れてくれているのかもしれません。
    なんせ、遠くで救急車のサイレンが聞こえると、いつも「アオーーン、アオーーン」と呼応する、びーちゃんですから

    第6章 グランドピアノの快感

    さて、2026年4月、私は「note」への投稿
    を再開しました。実は3年ほど前にも少し熱心に書いていた時期があったのですが、その後はずっとご無沙汰だったのです。
    それが、ふと「自分のピアノ再開の顛末を文章にしてみたい」と思い立ちました。いざ始めてみると、かつて「スキ」をくれていた人たちの多くがすでに更新を止めてしまっていることを知り、少し寂しさも覚えました。
    しかしそのうちに、今度はピアノ関連の新しい人たちと出会うことになりました。
    彼らのnoteを熱心に読んでいるうちに、私はあることが気になり始めました。
    それは、「電子ピアノとグランドピアノの違い」についてです。
    驚いたことに、私はこの2年間、あの3000円のオンボロ電子ピアノに不満を持ったことが一度もありませんでした。
    けれど、私の目標であるストリートピアノは、グランドピアノであることが多いのです。「ストピを目指すなら、タッチや鍵盤の重さが全く違うという『本物のピアノ』を一度弾いておく必要があるのではないか」――そんな思いが頭をよぎり、かつて触れていた本物の鍵盤の感覚を、もう一度確かめたくなりました。
    とはいえ、私が住んでいるのは田舎です。近くに時間貸しのレンタルピアノがあるなんて、到底思えませんでした。「やっぱり町まで出ないと無理かしら。移動の時間もお金もかかりそうだな……」とあきらめ半分でネット検索をしてみると、画面に何だか見覚えのあるお店の写真が飛び込んできたのです。

    私は週に2回、片道1時間かけて卓球の教室に通っています。街中を通るルートは距離こそ近いものの時間がかかるため、いつも郊外をぐるりと回る道路を利用していました。
    その途中に、正面に大きくグランドピアノのイラストが描かれた建物があることは知っていました。「楽器屋さんなんだな、こんな田舎でやっていけるのかしら」なんていらぬ心配をしていたお店です。いつも通る川沿いの道の対岸にあるため、これまで間近できちんと見たことはありませんでした。
    さっそく電話をかけてみると、確かにグランドピアノの練習室を貸し出しており、料金はなんと「30分330円」とのこと! 私は次の卓球の練習帰りの時間に、さっそく30分の予約を入れました。
    神様が、私のピアノライフを応援してくれているとしか思えない展開でした。

    卓球の練習当日。いつもなら汗をかいた練習着のまま車に飛び乗って帰るところですが、その日はきちんと服を着替えてから楽器店へと向かいました。
    案内されたのは、憧れのグランドピアノが鎮座する防音室です。
    いざ椅子の高さを調整し、楽譜を置いて弾こうとしたのですが、電子ピアノに比べて楽譜立ての位置が高すぎて、どうにも譜面が見づらいのです。仕方なく、急きょ暗譜で弾ける曲を弾いてみました。
    なんだか右手がキンキンと耳障りに響き、逆に左手はモゴモゴとこもって、ちっとも素敵に聞こえません。「本物のピアノって、こんな感じだったかしら……」と軽くがっかりしながら、楽譜立ての角度を動かしてみたり、違う曲を少しずつ弾き散らしたりしているうちに、30分はあっという間に過ぎてしまいました。
    けれど、ここで懲りないのが私です。ピアノのせいではないと思ったものの、帰り際に別の部屋にある、違うグランドピアノを30分予約して帰りました。
    2週間後、再び私はグランドピアノと向かい合っていました。今度は前回よりも少し広い部屋で、ピアノの響きも調和が取れてるように感じました。そこで、ベートーヴェンの『悲愴(第3楽章)』を弾いてみることにしました。
    防音室いっぱいに広がる大音量を全身で浴びながらなんとか最後まで弾き終えたとき、体の中に何とも言えない「快感」が駆け抜けました。
    「ああ、ピアノは『フォルテピアノ(強弱が自在につけられる楽器)』なんだ!」と、その語源の意味を体全体で実感した瞬間でした。

    私の新たなピアノライフの始まりでした。

    結び:すべての奇跡に感謝を込めて

    この2年間を振り返ってみると、私の「老後からのピアノライフ」は、信じられないような奇跡と出会いの連続でした。
    神様が、私の新しい挑戦を後押ししてくれたのかもしれません。

    音楽を愛する心があれば、どんな結果になっても怖いものはありません。
    いよいよストリートピアノの演奏に踏み出したいと思います。まずは、イオンモールに続く地下道にあるグランドピアノで

     
     
    ビーグル犬に癒され、卓球に情熱をそそぐ。 新たにピアノを練習することの楽しさにはまり中。 心配事は統合失調症の息子のこと。

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