
小雨の日のさんぽ
去年やおととしのまぶしい初夏とはうってかわり、今年の初夏は灰色の雲が雨を降らしてばかりいる。じっとりとして、体が重く、心もくすんでいくのがいやで、小雨のなか、今日はお昼に散歩に出かけた。
近所の小学校の二階の窓辺に、給食配膳用の白衣をぬぐ児童五、六人見えた。私が五年一組のとき使っていた教室なので、窓の下に荷物掛けがあるのを知っている。今でもあの教室は五年一組なのだろうか。
私のいたころは授業中も休憩時間もとにかく騒がしくていやになるくらいであった。数年前まで騒ぎ声が外にまで響いてきていたが、今は給食時間だというのにしんと静まっている。一階の教室から、みなが声を合わせて何かを読み上げているような声が聞こえた。まじめで控えめな声である。「学校はみんなを『いいこちゃん』にしようとするからいけない」と母がよく言っている。私はもともとまじめないいこだったが、学校に入ったことで、必要以上にまじめになってしまった。自分を苦しめるほどのまじめさなど、ないほうがいい。辛いことのほうが多かった小学校時代のことを思い出して、今この学校にいる子供たちは幸せであってほしいと願う。
小学校方面は戦前から変わらないような古い家ばかりである。そういう古い家にかぎって、散歩する人に見せるようにコンクリート塀から花をあふれさせてくれている。車を停めた出入口が伸び放題の草木にすっかりふさがれ、どうやって車の出し入れをするのだろうと思われるような、空き家とも見える家の脇にも、青や濃紫がモザイク画のようにまざったあじさいが、しっとりと雨を受けている。葉っぱの掛け布団をかぶった室外機も、涼しげな色合いを喜んでいるようであった。
見上げると、高くのびた素朴な木に、びわの実がなっていた。近くの電線に小鳥がいるが、私のいたせいか、びわをつつきにこなかった。今ごろ食べていればいいが。


美しいと思ったものを写真にとるうちに、少しまえまではよく散歩中に、雲や空、草花の写真をとっていたなと思い出す。曇天のもとでますますあざやかな花をみて、胸のにごりがとれ、おだやかな満たされた気持ちになった。