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本蚘事では、「『笑芞』ずは䜕か」に぀いお曞いおいきたす。



「笑芞」ずいう蚀葉に぀いお

たず はじめに、この「笑芞」ずいう蚀葉に぀いお。

僕が最初に この蚀葉に出䌚ったのは、織田正吉 先生の『笑いのこころ ナヌモアのセンス』岩波曞店、2013幎においおです。その p.3 に「笑芞」ずあり、これは「銙川登志緒の造語ずいわれる。」  そこでは、笑いの舞台芞胜を指しおこの蚀葉が䜿われるこずもある、ずいう颚に曞かれおいたすが、僕はこの蚀葉を「笑いの文●孊●」ずしお䜿っおいこうず思いたす。


『笑芞』の定矩

『笑芞』の定矩を、僕の「笑芞ダダ宣蚀」から匕甚したす――

  『笑芞』ずは、『笑いずは䜕か』ずいう最も根本的な問いにより埗られた答えをもずに組み立おられた方法或いは、テヌマによっお行われる笑いの技芞である。

初代王倩君「笑芞ダダ宣蚀」

これが『笑芞』の定矩です。芁するに、「笑い ずは䜕をすべきか・䜕をしなければ ならないのか」ずいうこずを考えお行う掻動、です。

そしお、この定矩の結果は、『笑芞』ずは「笑い・おかしさを目指した蚀語遊戯・蚀葉の構成Composition」ずなりたす。なぜなら、笑いはほずんどの堎合蚀葉によっお行われるから、です。

しかし、そうするず、「では、蚀葉ずは䜕か」ずいう人間にずっお最も倧きなものの䞀぀である問いずなりたす。即ち、『笑いずは䜕か』ずいう問いが『蚀語ずは䜕か』ずいう問いぞず倉わっお行きたす。こうしお、『笑い』の問題が『蚀語』の問題ずなり、これを哲孊者・りィトゲンシュタむンの蚀葉を剜窃しお“笑いの蚀語論的転回” ず呌んでおりたす。

『笑芞』はすべおの掻動の前に蚀語ぞの批刀・分析がありたす。そしお、“蚀語ずは䜕か” をすべお理解した䞊で、蚀葉ず遊びたす。笑芞家は哲孊者であるよりも反哲孊者であるよりも、哲楜●者であり、蚀語楜●者であり、論理楜●者です。そうしお、『笑芞』は ‟論理遊戯・論戯 ” であり、‟蚀語論理芞術” です。或いは、笑いギャグずは、思考の技術・技芞です。


西欧文孊の方から

ここで、笑いを西欧文孊の方から芋おみたしょう。たずは匕甚を2぀。高橋康也 先生の『ノンセンス倧党』より――

ピ゚ヌル・ゞャネ博士が䌝えるレヌモン・ルヌセルの《興味ある考え》――「文孊䜜品ずはなにひず぀珟実的な芁玠、䞖界や人間たちに぀いおのいかなる芳察を含んでいおはならず、たったく想像的な蚀葉の組合せ、ただそれだけしか含むべきではない」――はそのたたルむス・キャロルのものであり埗ただろう。蚀いかえれば、ルヌセルの䞖界もたた《答えのないなぞなぞ》なのであり、事物・芳念・珟実ずいう圢の《心》ず手を切った《蚀葉そのもの》の空間なのである。『黒いナヌモア』の遞者アンドレ・ブルトンが「䞻題を消滅せしめる」ルヌセルの特城を指摘したのも、この意味であったにちがいない。

高橋康也『ノンセンス倧党』昌文瀟、1977幎、p.207

゚リザベス・シュヌ゚ルにならっお蚀いかえれば、たず蚀語的には、単語をチェスの駒かトランプのカヌドか点棒のように分析的に操り、順列組合せのゲヌムを楜しむこず、そしお䞻題的には、矎や豊饒や生殖や愛聖俗を問わずなど、情緒的反応をひき起したり、有機的統䞀や融合をもたらしたりするようなテヌマを、タブヌずしお忌避するこず――それによっお《閉ざされた堎》を構築するのがノンセンスなのである。

同曞 p.96

こうあるように、『笑芞』は「なにひず぀珟実的な芁玠、䞖界や人間たちに぀いおのいかなる芳察を含んで」はいず、語る・䌝える・衚珟する内容ずしおの「䞻題」は「消滅」しおいる、䞀切の「情緒的反応」を目指さない、ただただ蚀葉の「順列組合せのゲヌムを楜しむ」‟遊戯” であり、‟ノンセンス” 文孊です。

同様に、・・ホッケ『文孊におけるマニ゚リスム―蚀語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術―Ⅰ』からも2぀匕甚したす――

詩を䜜るこずは、十䞃䞖玀においおはしばしば叀兞的な䌝達ずはもはやほずんど無関係である。詩䜜ずはたずなによりも蚀葉の組み合わせによる矎的掻動である。

・・ホッケ『文孊におけるマニ゚リスム―蚀語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術―Ⅰ』皮村季匘蚳、珟代思朮瀟、1971幎、p.67

詩䜜ずはテサりロにずっおは、〈蚀語劇堎を構築する〉こずを意味する。

同曞 p.148

このように、文孊におけるマニ゚リスムにおいおも蚀語の䜿甚は「叀兞的な䌝達ずはもはやほずんど無関係」であり、それらずは「手を切った」「〈蚀語劇堎を構築する〉こず」・「《閉ざされた堎》」「《蚀葉そのもの》の空間」の構築が目指されおいたす。或いは、絵画においお・セザンヌや・マレヌノィチが、写真や映像で撮ったものずは党く根本的に異なる絵画独自の空間を創出したように、「《蚀葉そのもの》の空間」・「蚀語劇堎」を創出するこず。これが『笑芞』です。蚀葉を䜕かを䌝えるための手段・媒䜓ツヌルずしお䜿うので●は●な●く●、ただ「笑いおかしさ・おかしみ」のみを目指した蚀語䜿甚。しかし、そうでなければ――最高玔床の遊戯でなければ――到達できない領域が存圚するのも確かで、そこが  ‟『笑芞』の領域・孀塁” です。

そうしお、『笑芞』は詩でも小説でも随筆でもノンフィクションでも童話でもありたせん。それらの既存の文孊ゞャンルが䜕を目指しおいるかはさおおき、『笑芞』は、ただ「笑いおかしさ・おかしみ」のみを目指した新しい文孊です。匷いお蚀うなら、 ‟綺想䞻矩文孊コンチェッティスムス” ã§ã™ã€‚ 『笑芞』は䜕かの衚珟ではありたせんし、䞖界の描写・再珟でもありたせん。䜕かに぀いお語るものでもありたせんし、䜕かを䌝えるものでもありたせん。諷刺や皮肉ですらありたせんし、真理の探究などはもっおの他ですし、教蚓などはありたせんし、生きおいくために圹に立぀こずもありたせん。考え埗る蚀語の有甚性・実甚性をすべお拒み、ただ ‟遊戯” のみを目指した文孊――。

そしお、『笑芞』は ‟蚀語論理芞術” であり、音楜や矎術や文孊等の他芞術ず肩を䞊べられるこずを目指したす。或いは、『笑芞』を文孊ずするなら、文孊の他ゞャンル――詩・小説・随筆・ノンフィクション・童話等――の䞭に「笑いの文孊」『笑芞』を組み蟌んで行きたいです。


結論

芁するに、『笑芞』ずは䜕か 蚀葉のお●か●し●さ●のみを目指した掻動、です。これに尜きたす。ここたでの論は すべお これを蚀い換えおいただけにすぎたせん。


おわりに

そう蚀えば、ここたでギャグを入れ忘れおしたっお いたので、最埌にダゞャレパロノマゞヌを茉せお終わりたす――

暜タルずルタヌ宗教改革者ずルヌタヌに祟たたるタタヌルのタルタル゜ヌス。




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