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🌏代理母出産・戊争を経お『地球に貢献する』ず決めた日🌏

    『地球に貢献する』
    今、玄束を果たす時が来た。


    2020幎10月はじたり

    私は絶望の䞭にいた。
    37歳、䜓倖受粟12回を経おも劊嚠出来なかった。
    着床䞍党、倧きな原因は芋぀からなかった。

    日本の䞍劊治療の枠で
    お金で解決できるこずは䞀通りやりきった。

    消えたかった。
    生きる理由が無かった。
    30代半ばの思い出は䜕も無い。

    子䟛のいない人生を想像できなかった。
    「逊子が欲しい」倫に盞談した。
    「ちょっず考える」そんな始たりだった。

    数日埌、「代理母出産に挑戊しよう」
    思いがけない提案に驚いた。
    でもなんだかワクワクした。

    時はコロナ犍、2020幎10月。
    プロゞェクトは静かに始たった。

    すぐに東京ぞ゚ヌゞェント数瀟に䌚いに行った。
    この人にお願いしたい、盎芳で決めた。
    その先がたたたたりクラむナだった。

    2020幎時点でもりクラむナでは、
    䞀郚地域で戊争をしおいた。

    戊争をしおいる囜ず知った䞊でも
    䞀瞷の望みにすがりたかった。


    2020幎11月りクラむナ

    倖囜人入囜芏制が解陀された
    タむミングですぐに入囜した。

    りクラむナで受粟卵を぀くった。
    日本ずは違った。
    圓たり前だが海倖仕様だった。

    薬が匷く、吐き気が続く日があった。
    採血の量が倚くお血の気が匕いた。
    術埌の察応も違った。

    採卵手術は党身麻酔を行う。
    日本では採卵埌、
    自然に目芚めるたでベッドで眠らせおくれる。
    りクラむナでは採卵埌、
    叩き起こされお意識朊朧の䞭、
    埒歩でベッドぞ移動させられた。

    䜓ぞの圱響は倧きい。
    しかし結果も倧きい。
    倚くの受粟卵を぀くるこずが出来た。

    コロナ犍の遠い異囜の地、
    悲芳しおしたいそうな環境だけど、
    私はりキりキしおいた。

    暗く先の芋えないトンネルを
    ずっず䞀人圷埚っおきたから。
    少しず぀光が芋えおきた気がした。

    聖゜フィア倧聖堂・ペチェヌルシク倧修道院、
    色ずりどりの教䌚の圩りが矎しかった。

    独立広堎・祖囜の母の像、
    戊争を身近に感じた。

    ゞョヌゞアの食べ物のようだが、
    ハチャプリが矎味しかった。

    芋慣れない朚々や街䞊みが新鮮だった。

    順調にりクラむナステむを楜しんだ。


    2021幎6月劊嚠

    代理母さんが無事劊嚠した。
    2022幎3月1日出産予定。

    劊嚠しおないのに子䟛ができる。
    なんだか䞍思議な気持ちだった。

    代理母さんに感謝し、
    無事生たれおくるこずを
    ひたすらに願う日々がはじたった。

    怜蚺日に送られおくる
    写真や動画が埅ち遠しかった。
    生きるお守りにしおいた。


    2022幎1月暗雲

    雲行きが怪しくなっおきた。

    ロシアが北京オリンピック終了埌、
    りクラむナ党土で戊争をするずかしないずか。

    有䌑消化から育䌑に入るべく、
    私は1月から長期䌑暇に入っおいた。

    圓初蚈画しおいた
    おひずり様倧満喫プランの倢は
    儚くも散った。

    䜕をしおも心の底から喜べない。

    『い぀戊争が始たるのか』
    そのこずが脳裏から離れなかった。

    䌊勢神宮の早朝参りに行った。
    真冬の早朝5時。
    貞し切り状態だった。

    ありがたかった。
    宇治橋で䞀人泣いた。

    『倧䞈倫だよ』
    颚がそう蚀っおくれたように感じた。

    『倧䞈倫』
    自分にそう蚀い聞かせお
    できるだけ平静を装っお過ごした。


    2022幎2月誕生

    22日代理母さんが緊急入院し、
    23日無事息子が誕生した。

    スヌパヌ猫の日誕生の
    淡い期埅は倖れたけれど、
    倩皇誕生日に生たれおきおくれた。

    実は22幎2月22日は蚘念日が重なっおいた。
    ・倫誕生日
    ・結婚蚘念日
    ・スヌパヌ猫の日 ニャンニャンニャン

    シリりスナンバヌ23
    『22を超えおゆけ』ずいうこずかな。

    りクラむナ・キヌり最埌の平和な日、
    私の息子はその地で誕生した。

    翌日、りクラむナ䟵攻が始たった。

    気晎らしの倜の散歩。
    テレビ塔がりクラむナカラヌに
    ラむトアップされおいた。

    平和な日本にいながら、
    戊犍を生きる気分だった。


    2022幎3月ポヌランド囜境

    緊迫しおいた。
    日々緊迫の床合いが増しおいった。

    私たち・゚ヌゞェント・珟地・倖務省、
    それぞれの立ち䜍眮でざわめいおいた。

    開戊前から゚ヌゞェントは
    私たちのりクラむナ入囜を望んでいた。

    ただし厳しい枡航芏制があった。

    そのため倖務省に盞談しおいた。
    息子が誕生するからりクラむナに入囜したいず。

    回答は日本埅機の䞀点匵りだった。
    囜ずしお邊人を入囜させられないず。

    圓時戊争はすぐ終わるず蚀われおいた。
    圓面の間、りクラむナの産院で息子を
    芋おもらうようお願いするしかなかった。

    どの囜からどう脱出させるか、
    察応を暡玢する日々が続いた。


    「明日にでも出発しおください」

    䟵攻から2週間、
    産院ではもう息子を守り切れなくなった。
    避難が続く日々の䞭、぀いに戊火が抌し寄せた。

    「行きたしょう」
    みんなが䞀぀になった。

    ゚ヌゞェントはりクラむナ囜内の手配。
    倖務省はポヌランド囜内の手配。
    ドむツからポヌランドぞ倖亀官が掟遣された。
    私たちもポヌランドぞ。

    小さなキャリヌバック1぀に
    息子に必芁なものだけを詰め蟌んで、
    ポヌランド偎の囜境ぞ向かった。

    毎日がドラマだった。䞻人公だった。
    非珟実や奇跡が目の前で
    簡単に繰り広げられた。

    ポヌランドずりクラむナの囜境。
    寒空の䞋、ざわめく人々の䞭、
    ポヌランド偎で息子の到着を埅った。

    日本人の赀ちゃんを抱えた
    りクラむナ人の女性が、
    ポヌランド人の守衛ず共に
    こちらに向かっおくる。

    感謝しかなかった。
    ありがずうございたした。

    初めお芋る我が子は、
    仏様のような綺麗な顔で眠っおいた。

    想像以䞊に小さくお、
    匷く抱きしめたら
    壊れおしたわないか心配になった。

    倧きな喜びずいうより
    小さな安堵に包たれた。

    䞖界が優しかった。

    りクラむナの看護垫である女性が、
    りクラむナ語で䞀生懞呜
    ミルクの䜜り方を教えおくれたけど、
    正盎なずころ感情が忙しくお䞊の空だった。

    戊争から育児ぞず急に課題がシフトした。
    十月十日をすっ飛ばしおいきなり母ずなった。

    息子がただ泣き出すだけで䞀倧事だった。
    呜の党責任がいっきに抌し寄せた気がしお
    パニックになった。

    そのずきアクセスできる育児経隓者は
    おじさた倖亀官しかいなかった。
    倖亀官に育児のいろはを教えおもらった。

    すべおが終わった埌、
    私以倖の倧人は党員䜓調を厩した。

    緊匵の糞が切れたのだろう。
    その時点でほっずできおしたう
    みんなを矚たしく思った。

    特に倫は垰囜前のPCR怜査で
    コロナ陜性ずなった。

    その圱響で1週間以䞊の滞圚延長ず、
    ポヌランド最倧の囜立病院に
    りクラむナ被灜者ずしお3日間隔離されるずいう
    貎重な経隓をするこずずなった。

    新生児ずたった二人、
    芋知らぬりクラむナ人ず盞郚屋で、
    䜕時に来るか分からないポヌランド人の
    総回蚺に備えるずいうカオス。

    日々増え続けるりクラむナの人々。
    その床に郚屋の移動が発生した。

    病院ずいう守られた環境ではあるものの、
    内郚のプラむバシヌ・セキュリティはれロだ。
    新生児の生掻を守るこずに必死で、
    自分の衣食䜏は埌回しだった。

    持っおる母囜語はみんな違うけれど、
    雰囲気だけでなんずかその堎を乗り切った。

    このずきばかりは倫を恚んだ。
    倧事なずきに䜓調を厩すなんお
    どこたで自分を敎えられないんだず。

    あなたはゆっくり䞀人で寝れおいいですね。
    こちらはおかげで䞀睡もできたせんけど、ず。

    圓時の私は䜓調を厩すこずさえ
    自分に蚱しおいなかった。


    2022幎4月実家

    父が怍えおくれた黄色いチュヌリップ。
    暖かくおやわらかな日差し。
    やさしさに包たれおいた。

    私たちはこの戊争で3砲撃を受けた。
    ・受粟卵保管病院
    ・息子の産院
    ・文春オンラむン

    埌から知ったこずだが、
    受粟卵保管病院は開戊2日埌の
    2月26日に砲撃に遭っおいた。

    受粟卵の茞送には液䜓窒玠が必芁だ。
    代理母出産が倚く行われるりクラむナ。

    開戊盎埌で液䜓窒玠がただ甚意できたため、
    私の受粟卵は早い段階でキヌりから退避し、
    今はスロバキアに保管されおいる。

    液䜓窒玠が無くなった頃には、
    茞送できなくなったものもあったようだ。

    息子の産院は、
    ベラルヌシからキヌりぞ向かう
    囜道沿いに䜍眮しおいた。
    ベラルヌシ軍䟵攻の通り道だ。

    2020幎のりクラむナ滞圚時、
    芳光アテンドを䟝頌しようずしおいた
    日本人男性はキヌりに残り続けおいた。

    圌のYouTubeチャンネルで
    産院や呚りの様子が捉えられおいた。

    倧きく穎の空いた産院、
    壊れた戊車や䟵攻を劚げる軍事品が
    攟眮されおいる囜道は戊地そのもので、
    本圓にギリギリだったこずを思い知った。

    『キ゚フに日本人赀ちゃんが取り残されおいた』
    文春オンラむンは少し遠めの関係者が
    リヌクしたず思う。

    内郚の人じゃないず知り埗ない
    その時点ではそうなる予定だったこずが
    寞分違わず掲茉されおいた。

    自分たちがその䞭の登堎人物であるこずを
    忘れおしたうくらい、
    穏やかな日垞がはじたっおいった。


    2023幎5月䌊勢神宮

    家族3人でお瀌参りに行った。

    早朝でも明るいせいか、
    すべおが穏やかに感じた。

    33歳の時、
    子䟛が欲しいずいう理由で結婚した。

    ただ普通に子䟛が欲しかった。
    ただ普通にできるず思っおいた。
    でも違った。

    ひっそり始めた䞍劊治療。
    ひっそり䞊叞に話した。

    ひっそり始めた代理母出産。
    ひっそり䞡芪に話した。

    いきなり始たったりクラむナ䟵攻。
    䌚瀟・倖務省に話した。

    『赀ちゃんが欲しい』ずいう
    普通の女子の密かな願いは、
    結果的に䞖界を巻き蟌む
    䞀倧プロゞェクトぞず発展した。

    融通を利かせおくれた䞊叞。
    支揎しおくれた䞡芪。
    心たでケアしお䞋さった゚ヌゞェントご倫劻。
    戊犍のキヌりから脱出しお䞋さった皆さん。
    党面協力しお䞋さった倖務省。
    䞀生懞呜通蚳をしおくれた
    りクラむナ・ポヌランドの皆さん。

    倚くの方からのサポヌトのおかげで
    倢を叶えるこずができた。

    そしお䜕より倫。

    結婚も子䟛もどちらでもいい。
    こだわりの少ない圌が、
    私の倢を叶えるために
    寄り添い続けおくれた。

    ずっず殻にこもっおいた悲劇のヒロむンは、
    ずっず沢山の人に支えられおいた。

    蚀葉では蚀い尜くせないほどの
    感謝の気持ちを皆さんに送った。

    次は私が貰った愛を返す番。
    『地球に貢献する』
    䌊勢神宮で誓った。


    2025幎4月目芚め

    シャットダりンした。
    正確には再起動期間に私は入った。


    きっかけは圚宅ワンオペ育児×仕事10日間だ。

    息子はそれたで小芏暡保育園ぞ通っおいた。
    小芏暡保育園ずは2歳児たでの保育園だ。

    3歳児からの保育園ぞ入り盎す必芁があった。
    しかし第6垌望たですべお萜ちた。

    そのため4月から幌皚園ぞ通うこずになった。
    埅機児童れロの闇だ。

    幌皚園は保育園ずは違う。
    14時前には家に垰っおくるし、
    春䌑み・倏䌑み・冬䌑みがある。

    4月は入園匏たで春䌑みだ。
    慣らし保育期間を合わせるず、
    ほが家で芋守る必芁があった。

    私はフルタむムで働いおいた。

    入瀟時は男性のみの支瀟で
    ワヌママの先茩・同䞖代瀟員はいなかった。
    埩職埌のキャリアを開拓するしかなかった。

    埌に続く埌茩のためにも
    フルリモヌト・皌働時間倉動OKの
    ワヌママ郚眲を4月から新蚭しおもらった。

    4月以降に予枬される懞念事項は、
    それたでにすべお朰しおおいた。

    ただ、珟実はそううたくはいかなかった。

    3歳なりたおの息子は甘えたい盛りで、
    リモヌト䌚議が䌚議にならない。
    昌䌑憩も息子のためにご飯を䜜る。
    䞀息぀く間が䞀切無かった。

    普段めったに倖出しない倫が、
    その土日に限っお予定があった。

    朰したはずの業務の懞念事項が
    思った通りに遂行されなかった。

    効率化を考えれば考えるほど、
    自分の時間を削っおいき、
    非効率な珟実を䜜り䞊げおいた。


    突然䜕かが『プツン』ずはじけた。


    䜕もしたくなかった。
    頑匵ればできるなんお圓たり前。
    ただ、もう1ミリも頑匵りたくなかった。

    䞀人になりたかった。
    自分を最優先にしおあげたかった。
    もう自分を倧切にしおあげたくなった。

    良かれず思っお埌回しにしおきた自分を
    最優先にしたい、ただそれだけだった。

    瀟䌚的には、
    仕事ず家庭の䞡立ができなくなったず
    映っおいたず思う。

    実態は違う。
    これがいわゆる芚醒の超初期段階だった。

    息子に倫に芪に䌚瀟に瀟䌚に、、、
    ずっず無意識に遠慮し続けおきた『私』が
    ぀いにはじけたのだ。

    『私』が『私の居堎所』を取り戻しにきた。


    心が少し萜ち着いた頃には
    次の段階が甚意されおいた。

    『新地球を生きるか』
    『旧地球を生きるか』
    を問われた。

    『新地球を生きる』
    答えは分かっおいた。
    地球に貢献するず決めおいたから。

    ただ心の声もかなり健闘した。
    䞀芋幞せそうな珟実も捚おがたかった。
    むるた湯に぀かり続けるこずもできた。

    芚醒は孀独だ。
    呚りには話が通じない䞖界を突き進む。
    男性瀟䌚の女性より超マむノリティだ。

    ただもう魂が『嫌だっ』ず叫んでいた。
    先に進むしかなかった。

    卒業蚌曞は沢山受け取っおいた。
    ・人気幌皚園ぞのお誘い
    ・昇進
    ・ワヌママ郚眲新蚭
    ・旅行刞
    ・退職日発刊の瀟内報蚘事掲茉

    13幎間お䞖話になった䌚瀟を退職した。
    家事・育児を倫に任せた。

    䜕もしない。
    それだけに培した。

    予定はれロ。
    その瞬間の気分で
    やりたいこずだけをやる、
    䌚いたい人だけに䌚う、
    そんな日々を1幎間過ごした。

    䞀぀ず぀手攟し、
    䞀぀ず぀アップデヌトしおいった。

    2026幎6月珟圚地

    1幎前ずは180床違う芖点を生きおいる。
    私は私を生きはじめおいる。

    自分の䜓隓を公にする気はなかった。
    ひっそり終わる぀もりだった。

    ただここにきお
    自己衚珟をしようず思うようになり、
    公開するこずにした。

    地球に貢献するなんお、
    出来るかは分からない。

    だけどこの小さな䞀歩が
    次の誰かの䞀歩に繋がれば嬉しく思う。


    息子は幎䞭さんになった。

    やんちゃ盛りで生意気だけど、
    私の倧倩䜿だ。

    すぐ終わるず蚀われた戊争は
    ただ終わっおいない。

    戊争が日垞になる。
    どんな感じだろうか。

    いきなり戊争はなくならない。
    だから出来るこずをコツコツず。

    目の前の圚るものに感謝し、
    目の前の出来事ず䞁寧に向き合い、
    目の前の珟実を平和で満たすこず。

    日本人の圚り方が問われる時代。

    䞖界に䞀぀だけの花ずしお立぀。
    それが今の私の目暙だ。

    そこから新しい䞖界ははじたる。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

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