【掌編】事件の陰に隠れた私の罪悪感と父の正義:押し入れに隠れたあの日
※本作には、筆者が殺傷事件の犯人を目撃したときの描写が含まれます。そのような描写が苦手な方はご一読をお控えください。
幼い日の恐怖と、40代になってようやく解放されたある「罪悪感」を巡る、ノンフィクション私小説です。
その日は日曜の静かな夜だった。
家族五人で飯台を囲み、夕食を終えて、テレビを見ながらのんびりと家族団らんの時間を過ごしていた。
夏の午後七時、外は夕闇が迫って薄暗くなりかけていた。エアコンもない時代、アパートの二階に住む私たちは、窓からの夜風が心地よかったが、扇風機でさらに暑さを和らげながらくつろいでいた。
まったりとした穏やかな空気を裂くように、キャーという悲鳴が聞こえたあと、突然、外が騒がしくなった。
アパートの住人の話によると、裏の長屋で殺傷事件があったということだった。
それを聞くと、父は猛スピードで外へ飛び出した。
「お父さん!やめて!」
母はそう叫びながらすぐさま、父を追いかけた。
家に残されたのは眠ってしまっている幼い弟と妹、そして私…
弟と妹は何も知らない。私は一人取り残された気持ちになって、部屋の中で凍りついていた。
犯人に見つからないようにしゃがみ込んで、窓から下をそっと覗き込むと、犯人がこの建物の一階の窓を順番にガラガラと大きな音を立てて開けて行くのが見えた。
一瞬だけ見てすぐに身を潜めた。けれどその瞬間にも、犯人の男の顔は能面のように表情がないのに、興奮しているのは見て取れた。
近所なので、よく見かける人だった。普段はおとなしい印象のその男は、別人のように殺気立っていた。
猛烈に怖くなり、私の体はガクガクと震え出した。
「二階まで来たらどうしよう…」
非常用の外階段を登れば、簡単にここまで到達できると思うと恐怖が半端ない。
父も母も帰ってこない。
恐怖が限界に来た時、私は弟と妹をそのままにして、自分だけ押し入れに飛び込んだ。
怖くて怖くて押し入れの中で震えながら、弟と妹を放置してしまっていることの罪悪感にも押しつぶされそうだった。
やっぱり押し入れから出て、弟と妹を守らなくてはという思いもあるのに、怖さが勝って隠れ続けてしまった。
どれぐらい時間が経ったのだろう…
これ以上どうしていいのかわからずにいた時、戸を開ける音がした。父と母が帰ってきたのだ。二人が部屋に入る直前に私は押し入れからそっと出た。
私がどんなに怖かったのかも、弟と妹を置いて一人だけ押し入れに隠れていたことも、二人は知らない。私は言わなかった。
その後、母から聞かされたのは、父の武勇伝だった。
群衆が遠巻きにする中で、包丁を握りしめてぶらつく男を父は説得したらしい。警察が到着する前に自分の手で包丁を取り上げたというのだ。
自分も刺されるかもわからないのに、どうやって説得したのだろう。
それは尊敬するしかない勇敢な行動だった。
父の正義感と男気を知っていたからこそ、あの時母は、即座に追いかけて父の無謀な行いを止めようとしたのだと理解できた。
普通にできることではない。そんな偉大な父を持って、誇りに思う。
けれども…
けれども私は両親に側にいてほしかった。大丈夫だよと抱き抱え、守っていてほしかった。
私はかなり長い間、その自分の本当の気持ちに気付かずにいた。
40歳近くになって鬱病になった時、カウンセリングを受ける中で、やっと気付けた本音。
あれからずっと、弟と妹を置き去りにした情けない自分を恥じて、罪悪感にがんじがらめになって生きてきたことをようやく認識したのだ。
父の行動は人として、この上なく正しい。刺された人は太ももを深く刺されており、出血多量で亡くなっている。包丁を取り上げなければ、死傷者がもっと出ていたかもしれない。結果的に自分の子も守るための行いだった。
追いかけた母も正しい。父の命を守るために必死で止めようとした母の行動が間違いであるはずがない。
私の行動も、きっとそれでよかった。小学5年生の子供が、一人で罪悪感を背負い込む必要もなかったのだろうと思う。
誰が押し入れに入ったことを責めるだろうか。誰も責めはしない。
そう思えた時、罪悪感からやっと解放された。自分を許せた瞬間だった。
誰にも言えずに心の中に閉じ込め続けた苦しみを解放するために鬱病になったのなら、それも必要なことだったに違いない。
全てが繋がって今の私がいる。
人生はドラマなのだと、しみじみ感じている。
── 完 ──
※マガジンに、著者の実体験や人から聞いた話をベースに再構成した、一話完結のフィクション小説(掌編)を集めました。(一部、ノンフィクションの私小説)
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