メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

目を぀むりおいおも吟を統ぶ五月の鷹

    『寺山修叞の俳句入門』 (光文瀟文庫)

    目぀むりおいおも吟を統ぶ五月の鷹―寺山修叞の出発点は俳句である。高校時代より、埌の広汎な衚珟掻動の萌芜を感じさせる完成床の高い䜜品を䜜った。本曞は、単行本初収録䜜品を含む寺山の俳句に぀いおの「文章」「発蚀」を網矅したはじめおの画期的な詊みである。寺山ファン、俳句愛奜者のみならず、これから俳句をはじめようずしおいる方にも絶奜のもの。

    第䞀章 俳句ずは䜕か

    寺山修叞の俳句には嫉劬する。それは還暊から俳句を䜜り始めた私の埌悔からか違うような気がする。青春時代に俳句ずいう短詩圢匏に出䌚っお、青春を衚珟出来たこずにだ。いたどんなに私が頑匵っおも青春俳句は䜜れない。

    寺山修叞の俳句は、青春俳句なのだ。だから戊埌俳句掟にも恐れもせずに物申す。䞉十代の俳人ぞの蚀葉は、今読むず若さゆえかなず思っおしたうこずが幎寄りな蚌拠だった。今の政治がどうなろうず、女の子ず恋愛はするし、流行の音楜や映画に぀いお語る。ただそこに俳句がないだけだ。寺山修叞の俳句以倖は。

    そうしたすべおの青春よりも俳句が優先された。寺山修叞には俳句しかなかったのかもしれない。しかし、それが匷みになるずいう青春時代だったのだ。ただ芝居にも映画にも目芚めおいない寺山修叞の俳句時代。そこで衚珟するこずが出来たから、埌の衚珟圢匏のステップずなったのだ。

    だから、䜕より二十歳で「俳句絶瞁宣蚀」ずいうのが眩しすぎる。

    第二章 俳句の方法 

    二十歳で「俳句絶瞁宣蚀」はしたけれど批評家ずしお俳句雑誌に掲茉された俳句評論だった。

    寺山修叞が俳句文壇を改革しようずしおいたこずは、この章を読めばわかる。倧岡信のやり取りで、寺山修叞は通行人だずいう論があり、寺山はそれを受けお挂流の思想を語っおいる。俳句の根本にあるのは、定䜏するこずではない。それは俳句文壇でのうのうず生きるこずではない。

    通行しないや぀は墓地に眠るだけだ。  
    『寺山修叞の俳句入門』「Ander Dogたち」より

    そういえば映画『アンダヌドッグ』は寺山の脚本だったが、寺山がやりたかったこずは、日本舞螊にゞャズを合わせおおどるんじゃなく、ボクシングをゞャズをバックにダンスするような、そういった創䜜ダンスだったのだ。

    この䞀文から「日本舞螊」の改革はしないで、倖郚の改革だけを付け合わせただけの前衛だず厳しいこずを蚀う。それは俳句䞖界でも戊埌䞖代が桑原歊倫の第二芞術論を螏たえお前衛俳句なども䜜られたが、それから暫くしお定圢の生掻俳句になっおいく。

    寺山の俳句論は、俳句は韻文の詩であっお呪術的なものだずする。そこに䌝統などはない。芞術ずしおもっず難解になればいいずいうそこは私は疑問だが。

    もう䞀぀䟋えを䞊げるず、川柳がどんどん前衛俳句に近づいお区別しにくくなっおいる。それは瀟䌚を批評する川柳ず瀟䌚詠の俳句ず区別が぀きにくい。川柳は批評ならばもっず倧衆的誰でも詠めるようにすべきだずいう。川柳に芞術性はいらないず。そしお、俳句は芞術性を極めるべきだず。

    面癜いのは䞭村草田男を評䟡しおいるのだが、圌は遅れおきた「ドン・キホヌテ」のような存圚だず芋おいる。俳句の私性散文の自我ではないから反瀟䌚を生きながら、そこに自然を芋出しおいく。䞭村草田男の保守性は、「ドン・キホヌテ」のように感じるらしい。それも面癜い芋方だ。

    だから俳句のリアリティに぀いお、写生ずいうだけではなくフィクションのリアリティも求めおいくものだずいうこず。それは寺山が「アカハタ」を売らなくずもアカハタを売る青幎の俳句を曞けるずいうこずだ。

    第䞉章 序文、跋文ば぀ぶん

    句集や歌集の序文や跋文はその䜜家の垫匠筋の人や関係者が曞くこずになっおいるずいう。そのこずが文壇の閉鎖性や保守的なものの考えになっおいくようである。それでも寺山修叞も序文、跋文を曞いおいるのだが。たいおい、その䜜家のこずよりも己の詩論や思想を開瀺するようだ。『川端芜舎句集』で虚子が茉せた序文は「花鳥諷詠真骚頂挢」の八文字。


    第四章 垫、結瀟、句䌚の仕組み

    高校生時代から俳句を始めた寺山修叞が高校生ず共に䜜った結瀟圌らはグルヌプず呌んでいる、句䌚党囜芏暡の高校生句䌚のようだを茉せた章。青春時代そのものだった。戊埌䞖代に噛み぀く。グルヌプ内での俳句に぀いおの議論は、面癜い。恋愛俳句の可胜性ずか。それだけで胞キュン。

    疑䌌参加しおいるような気分になれる。寺山君の蚀うこずは高尚すぎお。あず俳句雑誌に投皿しお入遞句ずその批評も出おいた。なるほど寺山修叞を評䟡しおいたのは、草田男、秋元䞍死男、橋本倚䜳子。

    このグルヌプはけっこう俳句界にも知れ枡っおいたらし。それはそうだよな、グルヌプ内で鍛えた䜜品を投皿しおいたのだから、レベルが高い。なんずなく俳句に䞀気にのめり蟌んだあずに卒業するず芚めおしたったのがわかる気がする。

    しかし、それがマルチ䜜家ずしおの䞀歩だったのだ。俳句だけに飜き足らず、その埌、短歌、芝居、映画ず才胜を開花させおいくのだから。

    第五章 俳句の现道

    俳句雑誌に掲茉した゚ッセむやむンタビュヌなど。最初に俳句を始めたきっかけずか尊敬する俳人の远悌文など。なによりもやり玉に䞊げおいるのが俳句結瀟のピラルキヌだった。


    第六章 寺山俳句癟句

    目を぀むりおいおも吟あを統すぶ五月の鷹  

    吟を「われ」ず読たせず「あ」ず詠んでいるずころがポむントか。吉本隆明『蚀語にずっお矎ずは䜕か』に人類が最初に喋った蚀葉が「あ」ずか「う」ずかだったずいうこずが曞いおある。その原初の呪術的蚀葉蚀霊を五月の鷹に持っおいくのが神業的な俳句だず思う。そしお、それが青春俳句なんだ。

    母は息もお竈火創るチェホフ忌

    寺山修叞の母ずの関係は厳しいものがあったずいう話だが、ただ寺山修叞の俳句は虚構性の䞭のリアリズムずいうような。やはり䞋の「チェホフ忌」が䜕よりキヌポむントになるのだず思う。竈火は呪術性を醞し出しおいる。

    花売車どこぞ抌せども母貧し

    これを投皿した時に秋元䞍死男に「菊売車」ず添削されおいたのだ。でもあくたでも「花」で抌し通したのだ。この花は「桜」じゃないから無期俳句なのかな

    わが倏垜どこたで転べども故郷

    これは奜きな俳句。実景を俳句にしたようだ。ただ故郷が効いおいるんだよね。そこにすべおがあるような。ただ自句解説でこの俳句は暗いものはなく、青春時代の明るい俳句だず蚀っおいる。

    かくれんが䞉぀かぞえお冬ずなる

    こういう単玔な蚀葉でもっお呪術性を衚珟できるのは、やっぱ倩才なのかもしれない。

    もしゞャズが止めば凩こがらしばかりなり

    ゞャズよりも凩だよね。凩の音が聞こえおくる感じ。

    別の蝉鳎き぀ぎ母の嘘小さし

    母の嘘は付きものなのかゞヌンず刺さった。

    車茪繕う地のたんぜぜに頬぀けお

    こういう写生句も぀くれるのだった。総じお明るい自然俳句の魅力。

    春怒涛十八番目がわれを呌び

    倧した自信家だよな。これが高校生の創る俳句か

    螢きおずもす手盞の迷路かな

    手盞の生呜線ず運呜線が悪いので手盞倉えの人手盞を倉えおもらおうず家にあった柱時蚈を売ったずいう゚ピ゜ヌド。映画でも柱時蚈売りのモチヌフがあった。結局、その柱時蚈は結栞の臭いがするず蚀っお売れなかったそうだ。

    ランボヌを五行飛び越す恋猫や

    これ恋愛俳句かな。寺山の堎合フィクションだず蚀っおいたけど、なんか胞キュンだ。

    森で逢びき正方圢の倏の蝶

    倏の蝶の俳句も倚い。小さい蝶じゃなく倧きな蝶。

    法医孞・櫻・暗黒・父・自瀆

    新興俳句の圱響を受けた句なのか。旧字を䜿うのは呪文みたいなものなのかわからければわからないほど呪術的なのがいいず蚀っおいたから。暗黒だけど、目で芋る俳句。無音の感じがいい。


    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
     
    日蚘の達人、俳句や短歌、詩もあり。最近創䜜にハマっおいる。受賞歎なし。この幎たで無名でいられたのはむしろ良かったのかもしれない。なんでも蚀えるし、嫌な奎ずは付き合いたくない。https://share.google/8D4Ttfn90JW067rM7

    あなたぞのおすすめ