
第1話 彼との最後の1日と命日になった日
はじめに
こんにちは。
今回は、彼が亡くなった日、その日に私がやったことを書こうと思います。
6年前、私は初めて大切な人の死と向き合いました。
私は、人の死と向き合うという
現実を知らなかったのかもしれません。
人が亡くなれば、悲しむ時間があるものだと思っていました。
でも現実は違いました。
悲しむ暇なんてありませんでした。
やることが次から次へと出てきました。
当事者になって初めて知ることばかりでした。
今日は、そんな日を思い出しながら、綴ります。
ICUで過ごした時間
彼は、救急車で病院へ
最初からICUに入りました。
私は待合室で、呼ばれるまで待機しているところに
同僚で彼の息子Kと合流。
そして身内のKくんは、先生の話を聞くように私が言いました。
私は身内ではないため、控えたんです。
Kくんは、先生との話をして、出てきました。
その時のKの表情でもうもたないとのことでした。
そこから、彼の内縁の妻などにも伝え、
内縁の妻(YO子とします)とその子供たちのいる
家に朝ごはんを届けに行きました。
私とKくんは、今病院に連れて行くべきかを
道中で話し、とりあえず、家にいて欲しいと
決断した。
なぜなら、YO子の子どもが小さかったからだ。(当時2歳と4歳)
YO子は、聞き入れる様子はなかったことで、
私とKくんは顔を見合わせた。
彼女の一言が「私も行きたい」と言われ、
なんで行けないのかを聞いてきた。
「病院に小さい子は連れて行けません」と話しているのに・・・。
そして、「私だけ行けるじゃん」の一言。
これには、私とKくん「絶句」
そして、KくんにTELが入った。
病院からだ。一旦戻って欲しいとのことで、
私とKくんは戻りました。
ここできっと皆さん、「私がなぜ病院へ行くの?」と思いますよね。
私が救急車を呼んで、付き添いとして救急車に同伴して
病院へ行ったからなんです。
ここ数日の状況を先生が知りたいとのことで、
私が行くんです。
私は彼らと共同で住んでいました。
(彼と私とYO子とその子ども、同居人TZです)
私は彼の身の回りのお世話もしていたからです。
(また追々、彼らとの生活を話します。)
病院に着くなり、先生の元へ
そして彼は変わり果てていた。
体にはたくさんの管がついていて、呼吸器もついていました。
足にはポンプもついていて、機械の音だけが響いていました。
私の記憶と記録
ここからは、彼が病院へ運ばれた朝から、
翌朝までの私の記憶と記録です。
病院と彼の家の往復をKくんと繰り返す1日
そして夕方、先生から「覚悟をしてください」とのことだったので、
私とKくんは、YO子たちを迎えに行きました。
病院の許可が出たからです。
その後、彼の親戚へ電話をしたり、YO子の親へ連絡したり。
先生や看護師さんとも何度も話をしました。
Kくんと私は必死でした。
その間…..
YO子は、ご飯やお菓子などを手伝うこともせず、
車で食べていた。子どもたちは、寝ていたそうです。
車には同僚の職人を居させました。YO子は運転できないので。
彼からの情報です。
待機のYO子と子どもたちを彼のもとへとの先生の指示により
対面しました。1時間くらいですが。
その後、先生からの指示により退室。
YO子たちは、一旦家に帰ることになりました。
居ても仕方ないとのことでした。
病院で言われたこと
彼の容態が悪化し始めた頃、病院からあることをお願いされました。
「葬儀場などを調べておいてください。」
病院から葬儀場の一覧を渡されました。
彼の場合は、本当に一からでした。
代々お墓があったり、
お付き合いのあるお寺があるわけでもないからです。
正直、混乱した私。
でもそれは一瞬のことでした。
「しっかりしない」と心で思いつつ、
私は、Kくん夫妻と相談しながら
葬儀場へ何件も電話をしました。
そして、ICUとの控室の移動を繰り返しつつ、
先生に呼ばれるたびに、ICUに行きました。
そんな中、Kくんが奥さんに電話して、
迷っている奥さんに私は、
「今来ないと後悔する」「学校よりも大切なこと」といい
Kくんの子どもと奥さんを病院に来てもらった。
その後私は、YO子たちを迎えに行き、
控室で待機してもらうことも伝えながら病院に
戻りました。
YO子たちをまず、ICUに向かわせた。
子どもとYO子だけで、行くように言った。
Kくんの奥さんが到着したとのことで、
Kくんが迎えに行き、控室に戻ってきた。
そして、Kくんたち家族とYO子たちと交代するように
向かったが、なかなかYO子が離れないため、ナースが私を呼びにきた。
私が連れ戻しに行き、控室待機をさせた
その後、子どもたちは車での待機(Kくんの子とYO子とYO子の子供たち)
そして、葬儀場などもKくんたちと
みんなで葬儀のことや和尚さんを決めた。
翌朝に彼は息を引き取った。
それは、YO子たちの朝ごはんを買いにKくんと
コンビニで買い終わり病院に戻るところで、電話が入った。
呼吸が浅いとのことだった
急いで戻った私とKくん。
Kくんと私は、ICUに入ってから呼吸が止まってることに
気づいた。
みんなを呼び、先生に確認してもらうまでの記憶が
私の中ではふわふわしている。
なぜ、ICUに私とKくんが居たのか、よくわからないんです
彼を見送る準備
先生の確認も終わり、彼はこの世を去った。
涙はあまり出なかった。悲しさはものすごくあるものの
それより、今後のことなどが私にのしかかった。
彼に最後に、「お疲れ様」と言った私。
涙を拭き、切り替えた。
控室にみんなでも戻り、葬儀屋に電話をしました。
その後、ナースにお迎えなどのことを伝えた。
彼は病院できれいにしてもらったのち
みんなで、霊安室で葬儀屋さんを待ち、到着後
彼を見送った。
葬儀場に向かい、準備してもらっている中
子どもたちとYO子たちで家に向かった。
その後、Kくんと私で葬儀場に行き
今後の打ち合わせ等を行なった。
命日の日から葬儀までの間、Kくんも私たちと一緒に家で過ごすようになりました。
打ち合わせも続く中
私一人では家のことまで回らないと感じてくれたからです。
家事をしながら、
葬儀の準備や役所の手続きなどは、
Kくんと私が進めていくことになりました。
ここで、きっと疑問に思う方もいると思います。
「内縁の妻だったYO子は、何をしていたの?」と。
そして、「なんであなたがそこまでやるの?」とも。
私自身、本来そこまでやる立場ではありません。
でも、あの時はやる人がいませんでした。
だから、私とKくんが動くしかなかったんです。
Kくん嫁と子供は自分の家に帰ったが、
週末や葬儀前日には手伝うようにしてくれていた。
葬儀までの1週前後
ここからは、本当にあっという間でした。
でも、コロナの時期だったこともあり、
葬儀の日程がなかなか空いていませんでした。
私たちは、一週間前後待つことになりました。
暑い時期だったので心配でした。
亡くなったご遺体は時間が経つと腐敗が始まり、
だんだん異臭などもしてきます。
だから本当は早く葬儀をした方がいい。
でも、空いていないこともあります。
私たちは、その空いていない時でした。
その間は、ドライアイスを入れていただいたり、
長く安置するための処置をお願いしました。
最後に
私は、人が亡くなると悲しむ時間があると思っていました。
でも現実は違いました。
電話をする。
葬儀場を探す。
YO子の子どもたちのことを考える。
YO子と彼の親戚へ連絡。
次から次へと現実が押し寄せてきました。
悲しいのに、立ち止まることはできませんでした。
あの日、私が初めて知ったことです。
最後に彼に、かけた言葉があります。
「お疲れ様 よく頑張ったね ありがとう」
これが、私が彼へ伝えた最後の言葉でした。
後悔はあるが、最後に心から
彼に感謝しました。
次回予告
第2話 違和感と彼の周りで起きていた現実
これは私が実際に体験した、フィクションのない現実です。
次回も読んでいただけたら嬉しいです。
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