
新しい列車が走り出す|「一人じゃない」と思える社会へ
『今日も列車は走り去る』
土曜日正午の小田急線。私はゆったりと左端の席に座り、右端にはおばあさんが、少し離れたところに背広姿の男性が座っていた。
新百合ヶ丘の駅を出るとき、若い母親と4歳ほどの娘が乗り込み、私の斜め前の席に座った。女の子はおとなしく、一言もしゃべらずにうつむいている。
突然母親が「ここに立って」と娘を電車の座席に靴のまま立たせ、髪の毛を結び始める。
「常識がないな」と思いながらも、見て見ぬふりをした。次の駅まであと2分。
電車の揺れに女の子がよろめいた。母親の眼の色が変わる。
「どうしてじっとしていられないのよ!」
母親は、女の子の髪をつかんだまま激しく揺さぶった。
女の子は「痛いよ、痛いよ」と繰り返す。
「やめて」とつい声を漏らした。おばあさんも腰を浮かした。静かな車内が凍りつく。男性も驚いたように親子を見つめる。母親は何も気づかない。
最寄り駅に着いた。誰も何もできないまま、親子を乗せた列車は走り去った。
「私には、なにができたのだろう。」
5分にも満たないあの一瞬の衝撃が、今も私に問いかける。
あの列車を降りてから、10年
この文章を書いたのは、10年以上前のこと。
当時、教員を目指していた私は、目の前の子どもを救えなかったことにショックを受けた。そして、家庭教育を支える商品をつくる会社に就職した。
教育のためのものづくりに携わる日々。けれど、4年ほど経っても、あの日、あの列車で何か別の行動を起こす自分を想像できないままだった。
それでようやく、これは「職業」ではなく、「私自身の問題」だと気がついた。
その後、日本を離れ、異国で暮らし、旅をした。
外国人という立場で、たくさんの人のやさしさに触れた。言葉を翻訳してもらったり、困っているときに話を聞いてもらったり。旅人同士で孤独を分かち合うこともあった。
何もない日の朝、あの親子を思い出した。
今、あの列車に戻れるなら。
私はバッグからお菓子を出して、女の子に渡すだろう。受け取ってくれるかはわからない。ただ、もし二人が望むなら、話を聞きたい。
何かを解決できなくても、「一人じゃない」と思えることが希望になるときもある。
10年前の私は、何かを変えられる人になろうとしていた。でも、まずは目の前の誰かのためにできることをしたい。
それがきっと、世界を少しやさしくしていく。
新しい列車が走り出す。