その一言が、相手の自信を奪うことがある。
その一言が、相手の自信を奪うことがある。
「できないこと」ではなく、「できること」に目を向ける介護へ。
「それ、違うよ」
「危ないから、私がやるね」
「もう無理しなくていいよ」
「前はできたのにね」
「何度言ったらわかるの?」
介護をしていると、つい口にしてしまう言葉があります。
どれも、相手を傷つけようとして言っているわけではありません。
むしろ、
「失敗させたくない」
「危険から守りたい」
「困らせたくない」
「できるだけ楽にしてあげたい」
そんな思いから出てくる言葉なのだと思います。
でも――
その「優しさ」のつもりの一言が、相手の中にある小さな自信を、少しずつ奪ってしまうことがあります。
「できない」ではなく、「やってみたい」
認知症のある方や、高齢になって身体機能が低下した方と関わっていると、
「以前はできていたことが、できなくなった」
という場面に出会います。
服を着る。
靴を履く。
食事をする。
洗濯物をたたむ。
部屋を片付ける。
お茶を入れる。
そんな、以前なら当たり前にできていたことが難しくなることがあります。
介護する側からすると、
「時間がかかるから、私がやったほうが早い」
「失敗すると危ないから、やらせないほうがいい」
と考えてしまいます。
もちろん、安全を守ることは大切です。
でも、そこで忘れてはいけないことがあります。
それは、
「できるかどうか」だけが大切なのではない。
ということです。
その人にとっては、
「自分でやってみたい」
「まだ自分でできる」
「誰かの役に立ちたい」
という気持ちそのものが、とても大切なのです。
「ありがとう」は、自信を取り戻す言葉になる
例えば、洗濯物をたたんでいる方がいたとします。
少し形が崩れている。
タオルがきれいにそろっていない。
介護する側からすると、
「こうやってたたむんですよ」
と、すぐに直したくなるかもしれません。
でも、そこで少し待ってみる。
そして、
「ありがとうございます」
「助かります」
「きれいにたたんでくれましたね」
と声をかけてみる。
すると、その方の表情が変わることがあります。
「そう?」
「これでいい?」
「じゃあ、もう一枚やろうかな」
そんな言葉が返ってくる。
これは単なる洗濯物の話ではありません。
「自分にもできることがある」
という感覚につながっているのです。
「間違い」を直すことより、「できたこと」を認める
認知症の方との会話では、間違った発言や勘違いが出てくることがあります。
例えば、
「今日は学校に行かなくちゃ」
と話されたとします。
「もう学校は卒業していますよ」
と正しく訂正することもできます。
でも、その言葉の奥に、
「昔の生活を思い出している」
「大切な役割を思い出している」
「誰かの役に立たなければと思っている」
そんな気持ちが隠れているかもしれません。
だから、
「そうなんですね。学校では何をしていたんですか?」
「学校は楽しかったですか?」
と、その人の世界に少し入ってみる。
すると会話が続いていきます。
大切なのは、
間違いを正すことより、その人の気持ちを受け止めること。
もちろん、安全や生活に関わる重要な情報は確認する必要があります。
でも、すべての「間違い」を訂正しなければならないわけではありません。
「早くして」より、「一緒にやりましょう」
介護では時間との戦いになることがあります。
食事の時間。
入浴の時間。
服薬の時間。
送迎の時間。
次の業務。
職員には職員の事情があります。
家族にも家族の生活があります。
だから、
「早くしてください」
「まだですか?」
「私がやります」
と言ってしまうこともあります。
でも、言われた側は、
「自分は迷惑をかけている」
「自分は何もできない」
「自分がいると周りが大変なんだ」
と感じてしまうことがあります。
そこで、少し言葉を変えてみる。
「一緒にやりましょう」
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
「ここまでできましたね」
「次はどうしましょうか?」
それだけで、その人の気持ちは変わります。
介護する人が全部やるのではなく、その人ができる部分を一緒に探す。
それも介護なのだと思います。
「前はできたのに」は、過去と比べない
介護をしていると、
「前は一人で歩けたのに」
「前は何でもできたのに」
「前はこんなことなかったのに」
と思ってしまうことがあります。
家族なら、なおさらです。
長い年月を一緒に過ごしてきたからこそ、
「以前の姿」を知っています。
だから、今の変化を受け入れることが難しい。
でも、
「前はできた」
という事実を、そのまま今の本人にぶつけてしまうと、
本人は「できなくなった自分」を責めてしまうかもしれません。
大切なのは、
過去のその人と比べることではなく、今日のその人を見ること。
昨日より少し歩けた。
今日は自分で服を選べた。
食事を最後まで食べられた。
笑顔が見られた。
「ありがとう」と言ってくれた。
そんな小さな変化に目を向ける。
それが、その人らしい生活を支えることにつながります。
「できないこと」を数える介護から、「できること」を見つける介護へ
介護記録を書くときも、
「できなかったこと」
「介助が必要だったこと」
に目が向きやすくなります。
もちろん、それも大切な情報です。
でも、それだけでは、その人の姿は見えてきません。
例えば、
「食事全介助」
だけではなく、
「スプーンを持つと自分で口元まで運ぶことができた」
「好きな料理は自分から手を伸ばした」
と書いてみる。
「入浴全介助」
だけではなく、
「洗顔は自分で行うことができた」
「タオルを渡すと自分で身体を拭こうとされた」
と書いてみる。
そこには、
「できない人」ではなく、「できることを持っている人」
の姿があります。
介護とは、できないことを代わりにするだけではありません。
残されている力を見つけ、その力を大切にすること。
それも介護の大切な役割です。
その一言を変えるだけで、関係が変わる
例えば、
「危ないからやらないで」
ではなく、
「一緒にやりましょう」
「違いますよ」
ではなく、
「こうしてみましょうか」
「もうできないでしょう」
ではなく、
「どこまで自分でできますか?」
「早くしてください」
ではなく、
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
「何度言ったらわかるの?」
ではなく、
「もう一度、一緒に確認しましょう」
ほんの少し言葉を変えるだけです。
でも、その違いは大きい。
言葉は目に見えません。
けれど、
人の気持ちを軽くすることもできるし、
反対に、心を小さくしてしまうこともあります。
「できること」を奪わない
介護をしていると、
「やってあげること」が優しさだと思ってしまうことがあります。
食事を食べさせてあげる。
服を着せてあげる。
靴を履かせてあげる。
部屋を片付けてあげる。
もちろん、必要な介助はあります。
でも、
「できることまで、全部やってしまう」ことは、本当にその人のためになっているでしょうか。
少し時間がかかっても、自分でボタンを留める。
少し形が崩れても、自分で洗濯物をたたむ。
少しこぼしても、自分で食べる。
少し遅くても、自分で歩く。
そこには、
「自分でできた」
という喜びがあります。
そして、その小さな「できた」が、
明日の「やってみよう」につながっていきます。
今日から変えられる、たった一つのこと
もし今日から一つだけ意識するとしたら、
「できないこと」より、「できたこと」を一つ見つける。
これだけでも十分です。
「今日は自分で靴を履けた」
「自分から挨拶してくれた」
「好きな歌を口ずさんでいた」
「洗濯物を一枚たたんでくれた」
「笑ってくれた」
そんな小さなことでいい。
介護では、つい「何ができなくなったか」に目が向きます。
でも、
その人の人生は、「できなくなったこと」だけでできているわけではありません。
今もできること。
今だからできること。
その人らしくできること。
そこに目を向けていきたい。
最後に
介護をしている人も、決して完璧ではありません。
疲れることもあります。
イライラすることもあります。
余裕がなくなることもあります。
「また同じことを言っている」
「どうして伝わらないんだろう」
そう思ってしまう日もあります。
それは、介護をしている人が冷たいからではありません。
一生懸命だからこそ、疲れてしまうのです。
だからこそ、
「もっと優しくしなければ」
と自分を責めるのではなく、
「今日、一つだけ言葉を変えてみよう」
くらいでいいのだと思います。
「できないね」ではなく、
「ここまでできたね」
「危ないからやめて」ではなく、
「一緒にやろう」
「また忘れたの?」ではなく、
「もう一度、一緒に確認しよう」
その一言が、
「自分はまだできる」
という気持ちを守るかもしれません。
介護とは、
誰かの代わりに全部やってあげることではない。
その人が最後まで、
「自分らしく、自分でいられる」
ように支えること。
今日の私たちの一言が、
その人の自信を奪う言葉ではなく、
その人の「やってみよう」を支える言葉になりますように。
今日の介護のひとこと
「できないこと」ではなく、
「まだできること」を一緒に探してみよう。
その小さな「できた」が、
その人の明日を支える自信になるかもしれません。
