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『ドラえもん』が古典になる日

    月刊コロコロコミックでの『ドラえもん』の連載が終了したそうです。F先生が亡くなられてからも、傑作選の掲載が続けられていたようです。

    コロコロはそもそも「ドラえもんがたくさん読める」というコンセプトで誕生した雑誌です。79年~97年までは『大長編ドラえもん』が掲載され数々の名作が誕生しました。コロコロ=ドラえもんのイメージなので、掲載が無くなるというのはとても大きな出来事です。

    『ドラえもん』はたとえば『クレヨンしんちゃん』や『ゴルゴ13』のように作者が亡くなった後もスタッフや意思を継ぐ人達が(大長編以外の)新作を発表していくという形式を取りませんでした。理由はわかりませんが、F先生の作家性が強すぎたとか、あまりにも人口に膾炙しすぎたとか、いろいろあるでしょう。

    これが20年前くらいなら、私も「ずっと繰り返し載せときゃいいじゃないか」と思ったでしょう。けど、ここ20年での世界の進歩のスピードというものが凄まじいのですよね。特に人類のほとんどが端末を持って暮らすようになったとか、劇的にも程があります。でも、みんな普通に暮らしてますよね?

    あんなこといいな できたらいいな
    あんな夢こんな夢 いっぱいあるけど
    みんなみんなみんな 

    叶ったら日常


    そういうことなんだと思います。夢は叶うと、すぐ当たり前になる。当たり前を元にした社会が形成され、対応と適応を求められる。これは本当に大変なことです。ちょっと待ってくれ、もう少し叶った喜びを味あわせてくれ…という暇もなく、迷惑な広告が溢れ特殊詐欺まで発生します。

    実は「叶うこと」より「願うこと」や「目指すこと」が真に尊いのではないかと思えてきますね。そうすると、『ドラえもん』が夢見た世界は、着々と実現しているわけです。糸なし糸でんわ、ほんやくコンニャク、トレーサーバッジ、スパイ衛星、いたわりロボット(AIがみんなのカウンセラー)なんかは既に日常に行き渡っています。

    もちろんタイムマシンやどこでもドアがそう簡単に叶うわけはありません。これからも夢のままであり続けるでしょう。けれども、『ドラえもん』の世界観というものは、少しずつ過去になっていくわけです。それでいいと思います。スネ夫がのび太をLINEグループに入れないような光景を、あえて見たいとは思いません。

    『ドラえもん』は昭和・平成・令和の初期まで「あったらいいな」の夢を世の中に与え続け、そして今ゆっくりと古典への道を歩み始めたということではないでしょうか。時代が変わっても、連載が終わっても、クラシックな名作して人間の憧憬の尊さというものを伝え続けてくれるでしょう。

    ありがとうドラえもん。これからもよろしく。

     
     
    新作落語台本と短編小説を書いています 2025落語協会新作落語台本募集 佳作 第5回第9回上方落語台本大賞 佳作 集英社オレンジ文庫第2回ディストピア飯小説賞 入選 第60回北日本文学賞 最終候補 第22回坊っちゃん文学賞 佳作 第61回香川菊池寛賞 受賞