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毛が1本、ひげが1本、愛が残る。

    碧野心映


    6月14日。
    暑かった、昨年の今日。そしていつも通り朝が来た。
    今年は当たり前のようにやってきたけれど、
    朝から起こしてくれる“ミルクさん”はいない

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    今日の日付でカメラロールを検索。
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    まだふくふくして可愛らしい愛嬌のある姿
    昨年は病気をしていた為、写真はほぼ撮っていない。
    日付で出てきた写真です


    ミルクさんが旅立ってもう少しで半年になります。

    半年近く…経ったなんて信じられないような、
まだ昨日のことのような、押し入れに隠れて出てこないだけなんじゃないか?そう錯覚する。それでいて、
    ずっと前のことのようにも感じる でもひとつだけ、
    はっきりしているのは…
    
私はまだ、なにも捨てられていないということ。

    引っ越しを済ませ、新しい部屋で暮らしているのに、
ミルクさんの痕跡は、まだそこかしこに現れる。
    戻ってきて欲しいという深い念や執着から旧宅からの家具や諸々は変えずに新居に越してきました。
    新しい部屋でも迷子にならず帰ってきて欲しいと言うささやかなる願い。

    “いつでもおいで、まってるよ”の想いを込めて

    カーペットのあちこちに長くしっかりとした髭がいっぱい刺さっていて、少し黄色く褪色している…
    そのヒゲの褪色した事で時間の経過と真実を突き付けられる。

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    見つけたミルクさんの髭と
    引越し作業最中に拾った毛玉ふわふわの毛

    パルクローゼットさんより
    おしゃれでお部屋に馴染むアイテムが沢山あります
    私が購入したのは上記リンクの被毛ケースです


    しっかりした髭は10本以上。”私はいるよ”と言っている。太くて長いそのヒゲは、まさにミルクさんらしさそのもの。確かにここに生きていたという証。
    
そして洗濯物に紛れていた、黒と白が混ざる細い毛。
    
ふと立ち止まった瞬間に、
    ふわりと香る、ミルクのお日様の匂い。
    「もういない」はずなのに、
    「まだいる」と感じてしまうその瞬間、
    私の中の時間が止まり、
    一気に“あの日”へと巻き戻ってしまう。

    iPhoneの中には、まだ「いぬねこ」のアプリが残っている。
誕生日を設定したそのアプリが、実は今年の誕生日の日に、当たり前のように年齢を更新していた。
    アプリの通知が来るたび、ミルクの存在を再認識させられる

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    本当は生きていたら17歳だけど設定を何も変えなかった
    通知が来た時祝える相手がいない悲しみが溢れた
    ※初めの更新時から修正しているので投稿時間と噛み合っていません※


    “17歳のお誕生日おめでとうございます!”
    まるで、今も一緒に生きているみたいに。
    でも…生きていない。もう、いない。
その現実が、通知のたびに胸に刺さる。
    嬉しいけど今年の誕生日は忙しなさと悲しみに今以上暮れていた。

    でも、アプリを消せない。
    
消してしまったら、本当に全部が終わってしまう気がして。せめて、この画面の中でだけでも、生きていてほしい。だから消せない。

    療法食、大好きだったおやつ、
もう空っぽで余った抗がん剤を入れるカプセル、給餌用の1ミリのシリンジ。看病に使ったあれこれも、手元にそのまま残っている。

    そして、
    
一緒に暮らしていた頃から使っていたタオルも、
私は今も普通に使っている。 洗って、乾かして、今も当たり前に暮らしの中に溶け込んでいるのに、ふと手に取るたび、ミルクさんの記憶がよみがえる。 背中や毛繕いできなくなった場所を優しく拭いたときの感触。
ミルクさんの細い体を抱き上げたときの重み。

    寒かろうとペット用ベッドに掛けた水玉模様のストール。すべてが、この一枚のタオル、お気に入りのストールに染みついているようで。 使うたびに涙がこみあげるけど、それでも手放せない。

    今、私は離職中です。
4月に退職してから、最近働き始めたと思えばメンタル不調で、心と体のバランスが完全に崩壊してしまった。
    「働きすぎたから」「人間関係が合わなかったから」 …
    そう言えば納得してもらえるのだろうか?
    最早、甘えなのかと葛藤を繰り返す。

    
本当のところは

    
ミルクさんを看取ったこと、
その喪失が、私の中でまだ終わっていないから。
    全然受け止められていなかった。
    あの別れを経験してから、私は少しずつ壊れてしまった。
泣けなくなるほど疲れて、又は泣きすぎて呼吸を忘れてしまいそうになるほど、思考が止まった。

    誰かに話しても、「半年も経ったんでしょ」と言われると、私の悲しみは“もう終わっていること”にされてしまう。 だけど、終わらない。終わるはずがない。
    仲のいい友人はミルクさんがいない感じがしないともいう…”今日もうちにいるよ”という。

     “捨てられないもの”の正体は、きっと思い出だけじゃない。
    
ミルクさんと一緒に過ごした「時間」や「感情」そのもので。 それを無理やり手放してしまったら、
私までいなくなってしまう気がして。
    私は今も、ミルクさんと一緒に生きている。
そう思うことで、ようやく息ができる。 もう少しで半年。色々な感情や記憶が行ったり来たり 泣きながら、少しだけ前を向いて、
また泣いて、また少し歩く。
きっと今は、それでいい。

    最後に。
    先日行ったスリーコインズ(スリコ)ではペット用品をたくさん扱っていて、先週お店を覗いたらメモリアルグッズが充実していた。もしかしたら時期的にお空に帰る子が増える時期なのかな?と思いました。
    今、この記事を読んでくれている動物を家族として迎え、同じように、大切な存在を見送ったあなた様へ
捨てられない気持ちを、どうか責めないでください。
それは、愛がそこにあった証だから。

    よかったら何が1番大切か、お守りになっているよ!
    などあれば教えてください
    朝から長々と読んでいただきありがとうございます

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    良き週末を🐾
     
     
     
    見つけてくれてありがとう🐾 🕊️この記事を読んで、 少しでも私やミルクさんのことに関心を持ってくださった方へ。 → 私のnote全体の記録や想いは、 こちらの自己紹介記事にまとめています。 https://note.com/aono_storys/n/na0447db80cb2

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