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Aomori is in me. #0|青森は大好き。でも戻る選択肢はゼロです

    Aomori is in me.

    青森を離れた人間は、外に出た途端、急に「青森が大好きだ」なんて言い出す。
    それなら帰ればいいのに、なぜか帰らない。
    その煮え切らない、けれど確かな執着の正体を知りたくて『Aomori Is In Me』を始めます。

    初回は、38年過ごした青森を離れて、今は横浜の空気を吸っている三國さんに会ってきました。

    三國さん 
    青森県青森市出身。43歳。生まれは十和田市立病院。37年間を青森市で過ごし、2020年に妻と娘のいる埼玉へ。現在は神奈川県横浜市で暮らす。

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    夕飯の支度中になぜかインタビューに答えてくれました。土日の料理は三國さんが主にやっているのだそう。今日のメニューは豚肉となすとごぼうの煮物、肉そぼろ丼、きんぴらごぼうだそうです。

    僕のゲストをめっちゃもてなそうとしてくれる友達に感動した!


    最後に青森に帰ったのは先週です。ねぶた祭は毎年帰っています。

    いつもは家族3人なんですけど、今年は娘の幼稚園のお友達2家族も一緒に来てくれて。両親が亡くなってから空き家になっている僕の実家に、みんなで合宿みたいに泊まりました。地元の祭と食事を堪能してもらえて、まじで最高でした。

    でも今回、一番うれしかったのは、青森の友達が僕のゲストをめちゃくちゃもてなそうとしてくれたことかもしれません。

    ねぶたの観覧席を取ってくれたり、最終日の海上運行と花火大会では最高の場所を確保してくれたり。仕事の合間に、わざわざ焼き立てのアップルパイを届けてくれた友達もいました。ねぶたが終わったあとに行った店も友達の店で、かなり無理をきいてもらって。

    僕のゲスト、友達からしたら会ったこともない人たちを「せっかく青森に来たんだから楽しんでほしい」と思ってくれている。それがすごくうれしかった。

    僕自身、青森にいたころはねぶたを運行する側にもいました。沿道に知り合いを見つけると、扇子持ちに「あそこ俺の知り合いだから回して!」って言って、その人の目の前にねぶたを回してもらって。いまは僕がそうやってもらうほうです。

    歩いていれば、「シュー!」って声をかけられる。あ、僕、秀介で「シュウ」なんです。友だちの子どもたちもみんな僕のことは呼び捨て。そういう地元のノリも含めて、今回改めて、僕は青森で人に恵まれてきたんだなと思いました。

    ねぶたが終わると、青森の夏は終わる

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    青森って、ねぶたが終わると一気に涼しくなるじゃないですか。あれだけ街中にあった熱気が急になくなって、「ああ、夏終わったな」って。

    そこから秋になって、長い冬が来る。「次の夏までなげえな」って思うんですよ。

    逆に、青森の春がめちゃくちゃ好きです。関東の人にとって春って、ワクワクもあるけど「花粉がつらい」とかもあるじゃないですか。青森の春は、「雪解けたー!」「春のにおいする!」、ただひたすら、「わーー、春ーー!」という感じなんですよ。

    雪が解けて、陽の光が反射して、目に入るものが全部キラキラして見える。あの喜びは、冬が厳しい場所で暮らしている人間だからこそ味わえるものだと思います。

    僕は中学までずっとサッカーをやっていて。冬でもサッカーするんですよ。雪の上で。高校は青森山田だったんですが、サッカー部には入ることすらできませんでした。僕いちおう中学では津軽選抜だったんですよ!?(笑)。

    ただ、体育の授業は、当時サッカー部を率いていた黒田剛監督でした。今はFC町田ゼルビアの監督をやっている、あの黒田監督です。

    「今日の授業は・・・・・・・・・・・・・サッカー!」

    「毎回じゃねえか!」って全員で突っ込む。

    普通科で、バイトしたり、女の子と遊んだりしながら過ごして、そのまま系列の青森大学に進んで、青森で就職しました。

    髪を切るのも、いまだに青森です。
    こっちでもずっと美容師さんを探し続けてるんですけど、なかなか「この人だ」っていう人に出会えなくて。結局、青森に帰ったタイミングでいつもの人に切ってもらっています(笑)。

    「今から青森に戻って暮らすか?」と聞かれたら、その選択肢はゼロです


    そんなに青森が好きなら、戻って暮らしたいと思うのか。と聞かれたら、その選択肢はゼロです。

    理由は、シンプルに雪です。

    そもそも上京したきっかけは家族でした。結婚してからも、僕は青森、妻は関東で、しばらく別居婚だったんですよ。子どもが生まれたタイミングで、じゃあいよいよ一緒に暮らそうとなって、僕がこっちに来ました。妻も青森出身だし、なんなら妻のほうが青森に帰りたそうにしていたんですけど。

    でも僕は、環境を変えるならこれが最後のチャンスだと思った。関東に来ることにはもちろん不安もありましたけど、それ以上に、新しい環境に行くワクワクのほうが強かったです。

    そして、38歳で上京して知ってしまいました。

    「雪がない生活って、こんなに楽なのか」と。

    毎朝雪かきをしなくていい。アイスバーンの上を、滑らないように神経をすり減らしながら運転しなくていい。雪がない。それだけで生活ってこんなに楽なんだ、と思いました。「もっと早く出てくればよかった」と思ったくらいです。

    横浜の暮らしは、かなり気に入っています

    今住んでいる横浜も好きです。横浜といっても、僕が住んでいるのは結構山のほうで、自然もあるし、星もめちゃくちゃ見える。朝にはホーホケキョって聞こえてきます。

    でも、人は多いし、選択肢も多い。娘は地元のクラブチームでサッカーを習っていますが、コートもきれいだし、コーチもしっかりしている。冬も雪のないコートでサッカーできる。

    テレビをつければ普通にフジテレビが映る。テレビっ子の僕は感動しましたね。今じゃ、リモコンで8を押す指も相当なめらかですよ。

    湘南とか鎌倉、葉山みたいなところにもすぐ行けるし、昔テレビで見ていたような場所が普通に生活圏にある。それもちょっとカッケーなと思っています。

    妻は「生活費が高い」とよく嘆いていますが、僕は、貯金とか老後とかあんまり考えないので、ただただ快適です(笑)。

    ただ、友達はまだいません。

    上京して6年。恥ずかしながら、こちらにはまだ友達がいません(笑)


    僕、「同僚」って、どれだけ仲が良くても、友達とはちょっと違うと思っているんですよ。

    こちらに来たのがコロナ禍だったこともあるし、妻もフルタイムで働いているので、仕事以外で新しい人と知り合う機会もほとんどありませんでした。だから上京して6年になりますけど、恥ずかしながら、こちらにはまだ友達がいません(笑)。

    そのぶん、時々青森に帰りたくなります。青森には、中学の友達も、高校の友達も、大学の友達も、仕事で知り合った人もいる。どこか一つのグループというより、37年住んでいたので、いろんなところに知り合いがいるんですよ。帰れば、「シュー!」「おかえり!」って言って、みんな集まってくれる。僕、けっこう人気者なんで(笑)。

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    料理の基本は「醤油・ニンニク・ごま油」。
    漬物にも一味と醤油、ヅケのマグロに追い醤油をするそうです。


    たぶん僕は、自分の心のバランスを保つために、時々青森に帰って、地元の友達に会って、ちやほやされたいんだと思います。春、夏、秋。できれば年に3回くらいは帰りたいですね。弘前の桜を見たり、ねぶたに行ったり、十和田湖に行ったり。その帰省を快適にするために、今年VOXYに買い替えたくらいですから。

    ・・・・・・でも、超正直に言うと、桜とか別に見なくてもいいのかもしれない(笑)。ただ友達に会いたい。もし青森にいる友達が全員こっちに引っ越してきたら、たぶん僕、青森には帰らなくなると思います。

    そう考えると、僕が好きなのは青森という土地そのものより、そこにいる友達なんでしょうね。中学、高校、大学、仕事と、いろんな時代の知り合いがいる。それは37年青森で暮らしてきたからこそだと思います。

    僕にとって青森とは何かと聞かれたら、「ふるさと」という大げさな言葉より、「会いたい友達がいる場所」というのが、一番しっくりきます。


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