
助けてもらう側から、頼ってもらえる存在へ――その境界線で考えたこと
「とてもよく頑張っていると思いますよ。」
私は、支援員として目の前の利用者さんとの面談の中でこう言っていた。そんな私自身が、「障害者雇用」という枠組みで働く当事者であることを、彼は知らない。
「大丈夫ですか。無理しないでくださいね。」と声をかけながら、心の中は複雑だった。だって、この言葉は、私が「私の支援員」にいつも言ってもらうものだから。これは本当に私の言葉なんだろうか、それとも私は「私の支援員」の真似事をしているだけなんだろうかと、どうしたって考えてしまう。
私は、障害を持ってから、「働く」ということが、こんなにも大変なんだと身をもって感じるようになった。冗談ではなく、朝、玄関のドアを開けることすら高い壁になり、出勤途中に家に引き返すこともたびたびあった。そのたびに情けなくて、やっぱりだめなんだ、と自分を責めた。
無職の期間を経て、縁あって今の会社でパート勤務することが決まったのは半年前。週2日の時短勤務、そして障害者雇用という枠組み。これでも無理だったら、もうどこでも雇ってもらえないだろうな、という諦めにも似た気持ちを抱えながら、体調を崩さずに、とにかく出勤することだけを考えて日々を過ごすことになった。
そんな綱渡り状態の私が、なんとか半年間の試用期間を終えようとしていたとき、上司からこんな言葉をかけられた。
「半年間、よく頑張ってくれていると思っています。これから働く時間をすこし増やすことにチャレンジしてみませんか。」
その言葉を聞いたとき、私は、私のためだけに働いていたと思っていたけれど、こうやって見てくれていた人がいて、次のステップを提案してもらえたことは、とてもありがたいことだと感じた。
できるかどうかはわからない、不安も大きい。それでも次の瞬間には「やってみたいです!」と答えていた。その声は自分でも驚くほど弾んでいた。
話し合いの結果、週2日の時短勤務から、週3日のフルタイム勤務をすることに決まった。数字にすればわずかな変化かもしれない。「みんな週5で働いている」と言われればそれまでだ。世間からしたら、たいしたことではない。わかっている。わかっているけれど、私にとっては世界の見え方が変わるほどの、大きな一歩だった。
今、私は個別ケースを任されるまでになり、「何かあったらいつでも相談に乗りますよ」と利用者さんに声をかける。支援者に電話をかけてばかりの立場だった私が、誰かに頼ってもらえる存在になりたいと心から思っているのだから、人生何があるかわからない。
世間はよく、障害者を「かわいそうな存在」として一括りにしようとする。その言葉を聞くたびに、私は胸が苦しくなる。目の前の利用者さんは、そして、私は、果たしてかわいそうな存在なんだろうか。
私は、利用者さんのことも、自分のことも、かわいそうだとは思わない。「障害者だからかわいそう」なんて誰が決めたんだろう。たしかに、それぞれハンデや課題はある。でも、みんなが社会の中で一生懸命に毎日を生きていることを、私は知っている。障害者だからとかではなくて、社会の一員として、かけがえのない存在であることも、私は知っている。
今日も玄関のドアを開ける。私は、気がついたら玄関のドアを開けられるようになっていた。「今日も頑張ろうね」と自分に声をかけてから家を出る。これが私のルーティーンになった。障害者雇用だからだめだなんて思わない。これからも自分に合った働き方で、精一杯、この社会の中で生きていこうと決心している。