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まぶたの裏の王国【夢は時として現実よりもリアルに世界を描く。何故か私は故郷の夢しか見ない。】

    天使の羽根を拾ってから


    庭に羽根が落ちていた。
    天使の羽根だと思った。

    拾い集めて、おばあちゃんに渡した。みんなで記念写真を撮った。おばあちゃんはみるみるうちに元気になった。

    それからまもなく、オオトリ様と召使いが家にやって来た。

    妹は恍惚として倒れた。

    大丈夫、任せて。
    あなたが神の力を借りるのよ、とお母さんは云った。

    私の身体はシワシワになった。口から玉が出てきた。心の目で見える、妹の身体の光に手を当てた。蘇生に成功した。

    また、口から玉が出てきた。

    家の外では時間が止まっていた。この力を使えば、おじいちゃんも、おばあちゃんだって助けられる。そう思った。

    でも、なんだろう、この感じ。どこかおかしい気がした。
    「これってカルトじゃないの?」
    「そんなこと言っちゃいかん。母さん悲しむよ」
    おじいちゃんはそう云って、それきり黙った。

    私の口から、また玉が出た。




    帰る場所のない帰巣


    漫画の集団面接で、私は一番だった。
    何か言うたびに笑い声が起きた。簡潔に、と言われた。そういうのいいから、と言われた。順番が終わったとき、私はスカートを翻してパンツを見せながら走って出た。それだけははっきり覚えている。
    あとのことは知らない。

    気づいたら、十年前の男の部屋にいた。なぜそこへ向かったのか、自分でもわからなかった。ただ体が、どこかへ帰ろうとしたのだと思う。
    彼は怒っていた。それでも泊めてくれた。朝になって彼がそこにいるのを見て、私はひどく驚いた。彼は何もしなかった。ただそこにいた。

    アパートの階段の下では、中学の時のクラスメイトが藝大卒女性アーティストの画集を売っていた。手に取って開くと、中にはティッシュしか入っていなかった。

    夫から、何度も連絡が来ていた。
    折り返すと、こういうのが何度もあるなら、もう俺は無理だ、と彼は言った。限界だよ、と。
    それでも迎えに来てくれた。十年前の男の部屋まで。

    Twitterの名前が変わっていた。私が変えたらしかった。まったく記憶がなかった。散々荒れていたとも、あとから聞いた。退院はまだ先になるだろうと、誰かが静かな声で言った。

    宴会があった。みんなが心配してくれた。なんで十年前の元彼の家にいたの、と誰かが笑いながら聞いた。帰巣本能かな、と私も笑った。そんなふうにふざけながら話しているうちに、ふと、夫が隣にいないことに気づいた。
    探すと、宴席の遠い端のほうで、夫は寝ていた。

    電話が鳴った。面接の結果ですが、と声がした。前半と後半を肉付けして、どちらのキャラクターがメインなのかはっきりさせたほうがよい、と告げられた。

    Apple Pencilが畳の中にゆっくりと沈んでいった。赤ちゃんがイタズラしたのだ。あーっ、と私は言った。
    でも、掘り起こすといろんなペンがバラバラになって出てきた。

    また電話が鳴った。余罪ですが、と声がした。あなた、万引きをしましたね。本に落書きを。

    今度こそ飽きられるかもしれない、と思って振り返ったとき、夫も、ほかの誰も、もうそこにはいなかった。宴会はいつの間にか終わっていた。おーいと名前を呼んでも自分の声が反響するだけだった。

    真っ暗で広大な畳の部屋に、私はひとり立っていた。​​​​​​​​​​​​​​​​




    厜漭

    病みに病んで、記憶のないあいだにボロボロの個展をし、
    アーティストとして二度と復帰できない失敗をしたあおいうには、
    実家へ強制送還されることになった。

    母の運転する車で帰る。
    その車すら「家業」仕様に改造されていて、
    付き添いの人がドアに手を挟まれかけていた。
    安全よりも、機能が優先されている。

    実家は変形していた。
    はなれは消え、庭は異様に広がり、
    無数のこけしが立ち並んでいる。
    家の中は迷路のように複雑化していた。
    「外敵」から身を守るためだろう。

    おじいちゃんもおばあちゃんも生きている。
    まずおばあちゃんに会い、抱きしめる。
    おじいちゃんを探して、私は長いハシゴを降り、地下へ向かう。

    妹は見える場所で着替えている。
    それを囃し立てると、逆ギレしてくる。
    いつもの挨拶だ。

    だが妹は、二歳児ほどに縮んでいた。
    姉も十六歳くらいにしか見えない。

    「家業」を継いでから、若返ったのだという。

    そしてもうひとつ。
    姉妹には「うに化現象」が起きていた。
    顔立ちも、目の光も、話し方まで、
    少しずつ私に似てきている。

    私の複製のように。

    とりあえず眠る。

    朝四時。ベルが鳴る。

    妹と姉は跳ね起き、無言で「修練着」に着替える。
    「うにもだよ!」
    「えっ、私も? こんな早く?」

    修練着をまとった二人は、
    シュタタタ、と異様な速度で
    複雑化した家の最上部を目指して駆け上がる。
    長い、長いハシゴ。
    転びそうになりながら、私は必死で追いつく。

    頂上には、白く広大な空間が広がっていた。
    そこで「修行」が行われる。

    「家業」は、トップレベルのアーティストよりも稼げる。
    だが「修行」に失敗すれば、
    天災が起きる。
    多くの人が死ぬ。

    その重さに耐えられず、
    私は昔から修行をさぼっていた。
    東京へ逃げ、アーティストになった。

    だが、ひどい個展をしてしまった。
    もう干されるだろう。

    だから、戻るしかない。

    今後は、「家業」を継ぐ。



    足だけの鳥に変わったうさぎはマグロになって息絶える


    実家にいる。
    妹と並んで、クリーム色のみろびみたいなうさぎを五匹飼っている。

    みんな同じクリーム色だから、名前を呼ぼうとすると、少し不安になる。
    忘れてしまいそうで。

    ゲージの隙間から、うさぎたちはするりと逃げていく。
    「捕まえてー!」と叫ぶと、
    妹が笑いながら追いかける。

    そのとき、おじいちゃんが寝る前の挨拶に来た。

    「おじいちゃん、生きているの?!」

    「死んでからも、寝る前は挨拶に来るんだよ」と母が言う。

    「そっか。おじいちゃん、おやすみなさい。」

    名残惜しいけれど、
    手短に挨拶をすませて、またうさぎの確保に戻る。

    うさぎたちは増えていく。
    分裂し、交尾し、
    増えては減り、
    気づけば足だけの鳥になっている。

    線香を足だけの鳥の頭に刺すと、
    今度はマグロに生まれ変わり、瞬間、
    静かに凍って息絶える。

    その一方で、
    父は軍事用のスーツを着たまま、眠っている。



    走る慰霊展


    入り口に
    小さな文字で書いてある。

    これは死者を弔うための展示です。

    白いご飯を
    一膳だけ、きれいに盛る。
    湯気は立たない。
    けれど、たしかに重さがある。

    線香の代わりに
    QRコードが置いてある。

    読み込むと、
    バスが来る。

     

    展示室は走っている。

    つり革が揺れ、
    窓の外に知らない街が流れる。

    わたしはスマホを
    外に向ける。

    すると、
    さっきまで空だった歩道に
    誰かが立っている。

    字幕が静かに出る。

    「ここで待っていた」

    「まだ帰れない」

    「あなたが見たから、ここにいる」

     

    画面を下ろすと消える。
    また上げると現れる。

    風景はそのままなのに、
    世界の層が一枚増えている。

     

    座席の上には
    アニメのフィギュアみたいな
    小さな身体。
    誰かの記憶の縮尺。

    壁には絵がかかっている。
    顔のない肖像画。
    目だけが、こちらを知っている。

     

    バスは止まらない。

    弔いは移動する。

    墓標は固定されない。

    わたしが
    スマホを向けた場所だけが
    一瞬だけ
    墓になる。

     

    ご飯はもう冷えている。

    けれど
    誰かが確かに食べた気配がする。

    革新的な展示だな、と思う。

    死者は
    アップデートされ続ける。

    走りながら。



    妹が分裂した日


    時空の歪みにより、妹が二体に分裂した。
    一号は台所で大豆ミートを左利きで食べ、二号は「みろび」の写真を撮って遊んでいる。
    顔も声も同じで、毎朝前髪を切り揃え整える習慣まで重なっている。

    わたしだけが気づいている。そして知っている。妹がその事実を観測した瞬間、世界は均衡を取り戻そうとして、二人とも最初から存在しなかったことにする。写真も記憶も、全部まとめて消す。それが因果律の自己修復機構だ。

    だからわたしは、ふたりが出会わないように動き続ける。廊下の角を先回りし、用事を作り、視線が交わりそうな瞬間にわざと物音を立てる。未来を数センチずつずらしていく。

    妹たちはまだ、互いを知らない。
    その存在を認知した瞬間に泡となって消えてしまう。

    世界が軋む音を聞きながら、わたしは思う。
    こっそり撮った、ふたりが揃って笑顔で寝ている写真。
    奇跡じゃない。これはただの誤差の一時的保持状態にすぎない。
    観測されるまで、因果律違反はエラーとして処理されない。



    わたしとあのひとは未接触だ


    私にずっと会いたがっている人がいる。
    その人は夢の中に何度も現れて、まだ顔も知らないはずなのにこちらを知っている目で立っている。

    毎日「あおいうに」と私の名前をSNSに書き込み続けているけれど、私たちはまだ一度も同じ空気を吸ったことがない。

    文字だけが先に来る。肉体はまだ来ない。

    展示をする。
    壁に自分の内側を貼りつけるように絵を掛け、光の下に名前を晒す。
    人混みのどこかにその人が立っている可能性が生まれる。

    運命という言葉を信じきれない私でも、何かが少しだけ傾く予感がある。

    会えば何かが変わるのかもしれないと思う。
    だが、変わらないかもしれない。

    Facebook経由で知り合った東京造形大学の教授がいる。
    最初はしかくい画面の中の人だった。
    その後、実際に会って、作品の講評を受けた。

    その言葉は文字ではなく体温を帯びていた。
    画面越しの存在がゆっくりと肉体を持ってこちら側へ歩いてくる瞬間を、私は確かに見た。

    まだ会っていないその人も、いずれ具体になるのだろうか。

    わずかな期待がある。
    それを、まだ手放してはいない。



    社長さんと怪獣


    大企業の社長さんが主催するコンペに応募した。
    書類は通過し、実物審査に進んだ。

    対面した社長さんは怒っていた。
    わたしの作品と作文が、彼の著書と酷似していると言う。
    そんなはずはない、とわたしは思う。
    しかし咄嗟に「そういうコンセプトのアートです」と答えた。
    盗用も誤解も、設定に回収される。

    表彰式の日、スタッフが耳打ちする。
    「社長から伝言です。大賞・準大賞・優秀賞、どれか選べ、と」
    選択権が与えられる。
    わたしは即答した。「大賞」。

    記念撮影は、なぜか荒れた山道で行われる。
    瓦礫と乾いた土。祝祭の背景としては不適切な場所。
    これはドッキリだ、と理解する。

    そのとき、エミューのような怪獣がドドドドドドと現れた。
    細長い首、濁った眼。
    会場を踏み潰し、祝辞を引き裂き、
    人々を等しく殺した。

    わたしだけが生き残った。

    やがて怪獣は消防隊になった。
    赤い制服をまとい、整列し、
    口々に「すみませんでした、すみませんでした」と繰り返す。
    謝罪は復旧作業に似ている。

    バスが来る。
    わたしは乗る。

    受賞歴は、どこにも記録されない。



    見慣れた礼拝堂


    見慣れない山の輪郭、澄んだ空気の匂い。

    遠い場所へ来た。知らない土地、知らない言語、知らないアーティストたち。同じキッチンで料理をし、同じ机で制作をし、夜は飲みながら作品の話をした。

    どうしてここに来たのかは思い出せない。ただ、胸が高鳴っていた。こんな高揚は生まれてはじめてだった。

    ここではわたしはただのアーティストだった。姓も、生まれも、家の背景も説明しなくていい。解放に近い感覚があった。一生ここに暮らすのも悪くはないと思った。

    ある日、「今日は大事な礼拝があるよ」と言われた。そのときのわたしは疑わなかった。地域の慣習かもしれないと思った。

    礼拝室の扉を開ける。白い背景が照明を強く反射している。正面の壁に巨大な写真パネルがある。文鮮明。幼いころから見慣れている顔。二つの白い壺、煌びやかな祭壇、黒い経典『原理講論』。記憶の中と同じ配置で、同じ光沢で拡大されている。

    遠い場所に来たはずだった。だが、景色は一瞬で過去に接続される。拍手が起こる。わたしは手を動かさない。動かさないと決める。

    日本で読んだ本に「未開の地でアジアの新興宗教が流行している」とあったことを思い出す。

    逃れたつもりだったものは、移動距離では切断できない。光の下で拡大された顔は、場所の違いを無効にする。

    わたしは立っている。白はまぶしい。息は浅い。

    希望は崩れない。ただ、撤回される。

    法で裁くことのできない巨悪をにらみつけ。

    またここからだ。闘争がはじまる。



    迷ヒガ廻廊


    今日は私が友達の分まで奢ってあげる約束の日であった。
    しかし、​その店の伝票に宿る「¥三〇〇〇〇〇〇〇〇」という数字は、もはや通貨の単位ではなく、私の人生を断罪する判決文のように見えた。

    財布の中の数枚の紙幣は、あまりに無力で、あまりに卑屈だった。

    ​「ひひっ、なあに、いいコトしてくれたら、俺たちが肩代わりしてやるぜ?」
    ​そこにいたのは、獣のように瞳の奥が屹立した男たちだった。

    隣にいたはずの友人の姿はない。ふと足元を見れば、地面から突き出た指先が、絶望に震えながら土の中へと消えていく。助けを呼ぶ声は、私の喉の奥で乾いた砂となって崩れた。

    私は抗う術もなく、彼らの車へと連れ去られた。

    ​辿り着いたのは、深い杉林に囲まれた、静寂が耳を刺す山荘だった。

    ​しかし、そこは単なるアジトではなく……厳かなカルト教団の宗教施設であった。

    先ほどまで卑俗な笑いを浮かべていた男たちは、一様に白装束に身を包み、その瞳からは一切の情欲が消え失せ、代わりに昏い狂信が宿っている。

    ​「この女の穢れを祓わなければならぬ……。ぬぅー! 儀式じゃ!」

    ​導師らしき男の咆哮が、冷え切った堂内に響き渡る。

    私は、一切の虚飾を剥ぎ取られた姿で、板張りの廊下に据えられた。四肢を無残に開かれ、辱めという言葉すら生温いポーズを強いられる。

    ​それは、私という存在を「人間」から「供物」へと変える転換点だった。

    ​男たちが私を取り囲み、文字通り、私を「廻し」始めた。車輪のように、あるいは数珠の珠のように、独楽のように……。

    廊下の木目が、私の肌を高速で削り、世界が万華鏡のように歪む。遠のく意識の中で、彼らは祈りのような、あるいは食欲のような唸り声を上げ、私を「喰らう」と牙を剥く。

    ​沈黙と、原始的な狂乱。その境界線で、私はただ、山を渡る風の音を聴きながら、朽ち果てた。



    角質の奥にある施設


    おしりの角質を取っていた。
    雪崩みたいに、ボロボロ落ちてくる。

    皮膚は記憶よりも厚い。

    コットンが出てくる。
    メイク落としのやわらかい白が、
    内部から

    わたしはどこまでを外と呼んでいたのか。

    剥がす。
    まだ剥がす。
    まだある。

    やがて、部屋が出てくる。
    おしりの中に、生活可能な空間があった。

    入る。

    人がいる。

    知り合いのアナーキストが、わたしの絵を持ってずっと立っている。

    「捕獲しますじゃなくて保護します」

    言い直しが制度の匂いをしている。

    奥へ行くと遊園地。

    安全な狂気。
    循環する光。
    出口のない楽しさ。

    お茶を汲んで、と言われる。昔の上司に。

    ここでも労働があるのか。

    「あんた、やっぱとろいね」

    評価は皮膚の内側まで追ってくる。

    外に出たはずなのに、まだ剥がされている。

    わたしはまだ、途中だったのか。



    まいは時間の外にいる


    「妹が赤ちゃんのころに戻りたい」

    それは、ただの懐かしさだった。
    忙しさにすり減った夜、ふと口をついて出た願いだった。

    次の瞬間、わたしは1997年にいた。
    畳の匂い。ブラウン管テレビ。母の若い声。
    そして、布団の上で笑う赤ん坊——まい。
    願いは叶ったのだと思った。
    だから、しばらくここにいようと決めた。

    時間は普通に進んだ。
    季節が巡り、家電が少しずつ新しくなり、街も変わっていく。
    わたしも年をとった。大人になった。

    けれど、まいは——
    ずっと、赤ちゃんのままだった。

    最初は、気のせいだと思った。

    「個人差かな」
    「ゆっくりな子なんだよ」

    母はそう言って笑った。
    でも、その笑顔は、どこか薄かった。

    一年が過ぎても、三年が過ぎても、十年が過ぎても、
    まいは同じ顔で、同じ体で、同じ声で泣いていた。

    歯も生えない。言葉も話さない。
    ただ、赤ちゃんとして、そこにいる。

    2023年。
    カレンダーの数字だけが、現在を指していた。
    わたしはもう大人で、母は老いていた。
    それでも、まいは変わらない。
    小さな布団の上で、天井を見て笑っている。

    ある日、わたしは母に聞いた。
    「お母さん、まいって……いま何歳だっけ」
    母は少し考えてから、当たり前のように答えた。
    「26だよ」
    その言葉は、空気の中で形を持たなかった。

    「26……?」
    わたしは、まいを見た。
    どう見ても、一歳にも満たない。
    軽くて、柔らかくて、世界の重さを知らない体。

    「どう見ても、赤ちゃんじゃない」
    そう言ったはずなのに、声は妙に小さかった。
    母は何も言わなかった。ただ、まいの頭を撫でていた。

    それからも、時間は進み続ける。
    わたしは働き、疲れて帰り、そして、まいの世話をする。
    ミルクをあげて、オムツを替えて、寝かしつける。
    何度も、何度も。

    まいは、ずっと赤ちゃんのままだ。
    時間から、置き去りにされたみたいに。
    それでも、笑う。わたしを見ると、安心したように笑う。

    だから、わたしは思う。
    あの願いは、叶ったのだと。
    「戻りたい」と言った、その瞬間に。
    戻るだけじゃなくて、ずっとそこに留める形で。

    まいは、時間の外にいる。
    そしてわたしは、時間の中から、それを世話し続けている。
    終わりのない、あの頃の続きとして。



    白い壺の底で、時間が濁る


    妹が、家族の秘密をリークした。

    それは暴露というより、引き金だった。家の外には、抗議団体と記者とマスコミが、日替わりの祭りのように押し寄せる。拡声器の声は内容を持たず、ただ音量だけが現実を上書きしていく。

    秘密は、単純だった。
    母はかつて、反社会的組織の幹部だった。しかも「かなりの活躍」をしていたらしい。父は、過激派左翼だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。いずれにせよ、どちらも新聞の中でだけ確定していた。
    切り抜きが、部屋の中で舞っていた。紙片は軽く、事実は重い。

    妹は、家の奥の部屋にいた。光の届かない場所で、白い壺を逆さまにして描いている。統一教会のそれに似ていた。彼女は復讐のために、それを描いているのだと言った。長いあいだ、機会を待っていたのだと。

    家族は分裂した。
    妹と私とうさぎ。
    父と母と姉と叔母。
    境界は曖昧で、しかし確実に引かれていた。

    うさぎに餌をやる。うさぎは増えていた。大小さまざまで、すべてクリーム色だった。何匹かは死んでいたが、しばらくすると、また動き出した。それを誰も不思議に思わなかった。


    私は寝た。

    起きると、部屋は薄暗かった。隣に誰かが寝ている。夫だと思ったが、違った。

    「誰?」

    男は驚いた顔をした。ピアスが顔にじゃらじゃらと付いていて、青い髪をしている。こんな人間、一度見たら忘れないはずなのに、記憶がそこだけ抜け落ちていた。

    「えー!俺のことわかんないっすか?!」

    次の男が身を起こす。メガネをかけて、ヒゲを生やし、奇抜な服を着ている。

    「じゃあ、俺は?」

    わからない。

    気がつくと、部屋のあちこちで男たちが起き始めていた。どうしてここに、男ばかりが寝ているのか。その理由だけが、説明を拒んでいた。

    「旦那は……夫はどこ?今は何年?」

    誰かが答える。まるで天気予報のような口調で。

    「2039年ですよ。旦那さんは戦死しました。うにさんのご実家を守るために。」

    その言葉は、やけに整っていた。だからこそ、嘘に聞こえた。

    「えぇっ!そんなの嘘よ!」

    私は叫んだが、声は部屋の中で小さく跳ね返るだけだった。窓はなかった。時間も、出口もなかった。

    どこかで、白い壺が転がる音がした。



    現実の下書き


    ある日、わたしのもとに一通の手紙が届いた。差出人は見知らぬ漫画家だった。
    「あなたと妹さんの生涯を、漫画にさせていただけませんか」

    奇妙なのは、その同封原稿だった。そこに描かれた人物は、明らかにわたしと妹に似ている。しかも、その絵柄は、どこか自分の筆致に似ていた。だが、微妙に歪んでいる。線はなめらかなのに、表情だけがわずかにずれているのだ。気味が悪かったが、わたしは軽い気持ちで承諾した。

    数日後、第一話が送られてきた。内容は、つい昨日の出来事だった。偶然だろう、と笑い飛ばした。だが第二話は、まだ起きていない出来事を描いていた。そしてその通りのことが、翌日に起きた。妹が転ぶ。わたしがそれを見て笑う。笑ったあとで、なぜか胸がざわつく。第三話では、妹が泣いていた。理由は描かれていない。ただ泣いている絵だけが、妙に長く続く。

    その夜、妹は理由もなく泣き出した。やがて漫画は、次第に暗い方向へと進んでいった。事故、誤解、孤立。どれも現実で起きる。まるで筋書きに従うように。

    「やめてほしい」と連絡しようとしたが、差出人の連絡先は、どこにも見つからなかった。

    最終話が届いた。
    そこには、わたしと妹が、見知らぬ世界に立っている姿が描かれていた。空は黒く、地面はひび割れ、どこからともなく手が伸びている。

    「魔界」とだけ書かれていた。
    ページをめくった瞬間、足元が崩れた。気づくと、漫画と同じ光景の中に立っていた。

    わたしはしばらく考えた。ここから逃げる方法は、おそらくひとつしかない。
    しばらくして、紙とペンを見つけた。そして、手紙を書いた。

    「あなたと妹さんの生涯を、漫画にさせていただけませんか」

    書き終えると、それはどこかへ消えていった。
    わたしは、少し安心した。これで、物語は始まるのだから。




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    東京藝大油画卒/油彩歴20年/Art Lab Tokyo所属/宗教2世/既婚/茨城県出身/受賞歴・メディア出演多数/個人的な傷や日常の違和感を起点に寒色の抽象画で、カルト、信仰、政治、精神病、性規範などの社会構造を可視化する美術家。主に絵画、パフォーマンス、漫画、文筆活動

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