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『洋裁という名の判断力』――本には書かれていない、服作りの考え方


    プロローグ 洋裁はミシンからはじまらない

    服を作るというと、多くの人はまずミシンを思い浮かべるかもしれない。
    布を切って、縫い合わせて、少しずつ形になっていく。
    そんなふうに、「洋裁=縫うこと」だと思っている人は案外多い。
    けれど私は、いつも少し違うことを考えている。
    実は服作りというのは、縫い始めるずっと前からすでに始まっている。

    どんな布を選ぶのか。
    地の目はまっすぐ通っているか。
    水を通すべきか、そのままでいいのか。
    接着芯は貼るのか貼らないのか。
    どこで縫い代を減らし、どの順番で進めれば一番きれいに仕上がるのか。

    一つひとつは小さな判断に見える。
    けれど、その積み重ねが最後の仕上がりを大きく左右する。
    洋裁は、ただ縫うだけの作業ではない。
    むしろ縫う前のほうが、考えることはずっと多い。

    布に触れていると、いつも思う。
    服作りというのは、案外「仕事」とよく似ているのではないか、と。
    気づけばそこには、仕事に必要な段取りや判断が、ごく自然に含まれている。

    ずっと私は、自分の手の中にあるこの感覚を、うまく言葉にできずにいた。
    けれど最近になってようやくわかりはじめたことがある。
    本にはなかなか書かれていない、この目に見えない「判断の連続」こそが、長年積み重ねてきた私自身の「わざ」なのではないか、と。

    一枚の布を、一着の服へ。

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    さて。
    まずは一枚の布と向き合うところから、始めてみよう。

    1.布を前にすると、私は少し黙ってしまう

    一枚の布を前にすると、私は今でも少し緊張する。
    何十年も洋裁をしてきたのに、
    布を広げた瞬間だけは、いつも少しだけ黙ってしまう。

    まだただの一枚の布。
    けれど不思議なことに、
    その時点でもう頭の中では「これが何になるのか」を考え始めている。

    この布ならブラウスだろうか。
    いや、少し厚みがあるからジャケットのほうがいいかもしれない。

    色は悪くない。
    手触りもいい。
    けれど本当に扱いやすいだろうか。
    そんなことを考えながら、私は布と向き合っている。

    近頃はネットショップも充実していて、画面越しに選んで翌日には届く時代になった。
    便利だし、値段も手頃なことが多い。
    それでも私は、やっぱり自分で見て選びたい。

    実際に触ってみる。
    厚みを確かめる。
    地の目に歪みがないか確認する。
    柄があるなら向きや歪みも気になる。
    ここを適当に決めると、だいたいあとで後悔する。

    気がつけば何軒も生地屋を回っていることもある。
    下手をすると、服を一枚買うより高くつく。
    けれど不思議と、それでいいと思っている。

    実は服作りというのは、布を選ぶ時点で方向性がだいぶ決まってくる。

    どんな素材を選ぶのか。
    どこまで扱いやすさを優先するのか。
    柄を選ぶのか、無地にするのか。
    仕上がりを想像しながら、ひとつずつ決めていく。

    あとになって思えば、この感覚は仕事にも少し似ている。
    最初にどれだけ準備するか。
    どこで判断するか。
    そのあとが大きく変わってくる。

    服作りというのは、案外、頭を使う作業なのだ。
    布は、こちらの都合だけでは動いてくれない。
    思ったより伸びることもある。
    思った以上に縫いにくいこともある。
    こちらが勝手に「こうなってほしい」と思っても、案外そう簡単には応えてくれない。

    だからこそ最初によく見る。
    よく触る。
    じっくり確かめる。
    そして簡単には決めない。
    そうしてようやく、一枚の布が少しずつ一着の服へと近づいていく。

    ……と、ここまで考えてふと気づく。
    まだ一針も縫っていない。なのに、もうすでに疲れている。

    でも洋裁というのは、たぶんこういうものなのだ。
    多くの人は「洋裁」と聞くと、ミシンで縫っている姿を思い浮かべるかもしれない。
    けれど本当は違う。
    服作りというのは、縫うずっと前からすでに始まっている。
    たぶん、それが洋裁のいちばん面白いところなのだと思う。

    2.水通しと地直しー布の記憶を呼び起こす

    よく「地直しは、布への挨拶のようなもの」と言われる。
    けれど、私には、それはもう少し、毅然とした作業に映る。

    布を手に、キッチンのシンクへ向かう。
    無造作に折りたたんだ布に、冷たい水を容赦なく浴びせかける。
    ジャージャーと降り注ぐ水。
    手で押し、めくり、折り直す。

    全体に水が染み渡るその刹那、
    それまで整然としていた布が、ふっと力を抜いて、本来の姿へ戻っていくような気がする。

    たっぷり水を吸った布はずっしりと重くなる。
    そのまま洗濯機に入れて脱水ボタンを押す。
    ギュイーンという音を聞きながら、
    いつも少しだけわくわくしている自分がいる。

    洗濯機から取り出した布は、たいていみるも無残だ。
    きれいだった布目は崩れ、しわだらけになり、
    端からは糸がボロボロ出ている。
    でも私は、この姿が嫌いではない。
    ここからやっと布が本来の姿に戻ってきたような気がする。

    陰干しが正解なのはもちろんわかっている。
    でも私はつい、よく晴れた日に外へ干したくなる。
    太陽の下でしっかり乾かした布には、なんだか力がある気がするのだ。
    つい干しすぎてカラカラにしてしまうのは昔から変わらない。
    取り込むとき、まだほんのり日向の匂いが残っている。
    あの匂いがいい。

    このままその布をまとったら、きっと少しだけ元気をもらえる気がする。
    太陽の匂いを残した布には、どこか生き生きとした気配がある。

    3.アイロン ― 布と対話する時間

    大きな裁断用の台に、布をいっぱいに広げてみる。
    今日の布はだいぶ歪んでいるな、ここからはじめるか、と
    布端のボロボロになった糸たちをハサミで切り進めていく。

    途中で切れてしまっていた横糸の斜めのラインの奥から、まっすぐに通った一本の横糸がすうっと浮かび上がってくる。

    ――見えた。

    その一本のまっすぐ通った横糸を、まず基準にする。
    はみ出した余分な部分は迷わず切る。

    これでようやく布が整った。
    布を歪ませてしまう原因は、
    縦横の方向性を雑に扱ってしまうことにある。

    経験が少ないうちは知らなくて見落とす。
    慣れてくると今度は「まあ大丈夫だろう」と雑になる。
    理由は違うけれど、どちらもあとでだいたい後悔する。

    布というのは正直だ。
    少し無理をさせただけで、そのクセはあとからちゃんと出てくる。

    だから私は、まずここで一度布を整える。
    よく見て、その性質を確かめる。

    この布はどんなふうに動くのか。
    どこに気をつけたほうがいいのか。
    ここで布の状態をちゃんと知っておく。

    乾いた布に霧吹きで水をかけ、熱いアイロンをゆっくり当てていく。
    シュッ、という蒸気の音とともに、アイロンをそっと滑らせる。
    布が少しずつ平面へと変わっていく。
    さっきまで暴れていた布が、ようやくこちらの話を聞いてくれるようになる。

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    ゆっくりとアイロンを動かす。
    縦はまっすぐに。
    横方向は少しだけ浮かせながら、余計なシワは作らない。
    布を無理に引っ張らない。
    焦らない。

    アイロンというのは、ただシワを伸ばすための道具ではない。
    布の向きを整え、形を落ち着かせる。
    アイロンひとつで、そのあとの仕上がりはかなり変わってくる。

    シュッ、シュッ、と蒸気の音だけが静かに響く。
    その音を聞いている時間が、私に一時の平安をもたらす。

    そうしてようやく布は落ち着く。
    まだハサミは入れていない。
    けれど、もう服作りは始まっている。
    次はいよいよ裁断だ。

    4.裁断―もう後戻りできない

    水を通し、乾かし、アイロンで整える。
    ここまで来て、ようやく布はスタートラインに立つ。

    そして次に待っているのは、いよいよ裁断という大仕事。

    洋裁において、この裁断の瞬間ほど緊張することはない。
    なぜなら、一度ハサミを入れたらもうやり直しはきかないからだ。

    どれほど高価な布でも、一度刃を入れれば、もう元の一枚には戻らない。
    考えれば考えるほど、失敗が怖くなり、もういっそのこともう少し待ってみたくなるのだ。
    だから考えすぎる前に、ハサミを入れる。失敗したってどうにかなる。
    この謎の自信に支えられてここまできた。

    ざくざくと、躊躇なく。
    時には縦に、横に、斜めに。
    複雑な曲線だって、一気に切り進める。
    さっきまで一枚だった布が、少しずつ形を変えていく。

    切ったその瞬間から、布は少しずつ変わりはじめる。
    切り口から糸がほどけ、さっきまできれいに整っていた布が、
    急に乱れていく。
    そっと手に取り、大きなパーツは丁寧に畳まれ、小さなパーツは静かに重ねられていく。

    先ほどまで布だったものは、今、この手の中で「袖」や「身頃」という、新しい名前を付けられていく。
    切り分けたパーツを並べながら、頭の中では次の工程を考えている。

    どこから縫うか。
    どの順番で進めるか。
    完成した姿を思い浮かべながら、一つずつ確認していく。

    さて。
    次は、いよいよ縫製だ。
    ここからようやく、服らしい形が見え始める。

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    5.縫製―迷わず進める

    ここまできて、これからやっと縫い始めるというこの時、
    ここでちょっと、一呼吸を置く。

    長く服を作っていると、自然とわかってくることがある。
    実は、裁断までにかけた時間と、そのあと縫い上げるまでの時間は、
    案外同じくらいだったりする。

    そう考えると、裁断が終わった時点で、
    実はもう半分くらいは終わっていることになる。
    あらためて考えると、準備にかける時間は決して無駄ではない。

    私が裁断の段階で、また、布を手に取った瞬間から細かな工夫を凝らすのには理由がある。
    それは、縫い始めた瞬間に、一切の迷いなく完成まで突っ走るためだ。
    できれば縫い始める前に、頭の中では最後まで見えていたい。
    次に何をするか考えなくても、自然に手が動くくらいまで準備しておく。
    準備がしっかりできていれば、そのあとの動きに迷いはない。
    勝負は、実はもうこの時点で大方決まっている。

    さあ、ここからは迷いなく縫い進めていこう。
    まずはいつもの三角地帯をつくる。
    ミシン、ロックミシン、そしてアイロン。この三点を結ぶ移動距離は、最短でなければならない。

    ミシンをかけ、ロックをかけ、またミシンに戻り、アイロンを当てる……。 何度も同じ場所を無計画に往復しながら縫うなんて、布に対して失礼だ。

    そのたびに布を掴み、あっちを触り、こっちを触り、撫でたり、擦ったり、時には天を仰いで、どうしたもんかと思案する。
    そうして無駄に手を入れ続けるうちに、布は少しずつ最初のいい状態からずれていく。

    余計な動きを増やさない。
    できるだけ同じ流れのまま、一気に進めていく。

    縫い始めたら、もう止まらない。
    頭の中にある工程表通りに、迷いなく完成まで突っ走るのみ。

    ダダダダダ……と響くミシンの規則正しい鼓動と、私の呼吸が完全に重なり、バラバラだったパーツがひとつの「形」へと統合されていく。

    ――だが、形が見えてきたその時、
    私はあえて、最後の一工程を残してやめる。

    ボタンホールを開ける、あるいは裾を上げる。そんな、ほんの数分で終わるはずの最後の仕上げを前に、
    私はあえて一晩、時には二晩、作品を寝かせるのだ。

    一度熱を冷まし、時間を置く。
    興奮状態のまま一気に仕上げへと焦ってはいけない。
    都合の悪い歪みを見落とし、細部の抜け落ちに気づけないからだ。

    インターバルは必要だ。心も体も脳も、一度休ませ、深呼吸をする。

    翌朝、すっかり冷静になった第三者の目で再び服と向き合い、
    静かに最後の仕上げをする。

    それが、私のクオリティコントロールだ。

    最後の糸を切り、仕上げのアイロンをかける。
    ようやく一着の服が、静かにそこに出来上がる。

    ああ、終わった。
    そんなふうに思う瞬間が、とても好きだ。

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    エピローグ 終わりなき旅 ―― 『わざ言語』がひらく未来

    一着の服が完成したとき、
    そこにあるのは、ただきれいに仕上がったという満足感だけではない。

    布を選び、水を通し、整え、切り、縫い進める。
    その一つひとつの小さな判断が積み重なって、ようやく一着の服になる。
    服作りとは、つくづく不思議な仕事だと思う。

    ここまで来るのに、私はいくつもの旅をしてきた。
    どうしても言うことを聞かない布に疲れ果てた時、
    斜行した布(ねじれて歪んだ布)にイラついてため息をついた日。
    地直しが面倒で飛ばしたくなった夜や、
    焦って裁断して失敗した苦い記憶。
    縫い直しに縫い直しが続き、形にすらならず、まるごと捨ててしまった苦い経験も一度や二度ではない。

    さらに年齢を重ねるにつれ、目は悪くなり、集中力も途切れがちになった。
    かつてと同じやり方では通用しなくなり、縫い方そのものを変えざるを得なかったときもある。

    けれど、旅を休むことはあっても、やめることは決してなかった。
    なぜここまで続けてこられたのか。
    そこに分かりやすい楽しさがあるわけではない。
    むしろ、思い通りにいかない布を前にする時間は、苦しいことの方が圧倒的に多い。
    けれど、どうしてもやめられないのだ。

    それはたぶん、ずっと私の中を流れ続けている、どうしても抗えない衝動なのだと思う。
    もしかしたらこの苦しさも含めて、私が私として生きるために必要な、静かな祈りのようなものなのかもしれない。

    洋裁の面白さも難しさも、ただ見ているだけ、言葉で説明されただけでは決して伝わらない。
    実際に手を動かし、何度も失敗しながら、少しずつ自分の感覚として身についていくものだからだ。

    それでも、この「言葉にできない微妙な空間」をなんとか他者へ伝えよう、共有しようとする試み――それこそが『わざ言語』である。

    職人の背中を見て盗めと言われた時代は終わり、
    これからは一人ひとりが長い時間をかけて身につけた「手の記憶」を、
    言葉にして手渡していく時代だ。

    そしてこの『わざ言語』の探求は、きっと布の世界だけの話ではない。

    長い時間をかけて身につけた感覚や技術を、
    どう言葉にして次へ手渡していくのか。

    それはこれから、どんな仕事にも必要になっていくのではないかと私は思っている。

    私の服作りという名のプロジェクトに、本当の終わりはない。
    明日もまた私は、新しい布を前にして、たぶん少しだけ黙ってしまうのだろう。

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    洋裁講師。「洋裁 碧」主宰。 ブログでは洋裁を、noteでは日々のことを。 ものづくりや本、映画、日々の暮らしの中で見つけた小さな発見を、ゆっくり言葉にしています。 あおい洋裁https://aoiroom.com/

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