
どうも、元ヤクザのケアマネ事務所です
【あらすじ】
ハートフル福祉用具事業所の新人・神谷翔平は人生最大のピンチに陥っていた。
「手すりのせいで転倒した」とクレームをつけたヤクザの利用者。
すったもんだの末、前任のケアマネジャーは辞め、方々に相談するも解決策は見つからない。
途方に暮れた翔平は、「元ヤクザのケアマネがいる」という奇妙な噂を頼りに山奥の一軒家を訪ねた。
そこにいたのは、佐伯と江藤というケアマネジャーたち。
クセ者ぞろいの二人は、介護の専門知識と現場経験を武器に、ヤクザ一家のトラブルへ真っ向から挑んでいく。
笑って泣ける介護現場を舞台に、人と人をつなぐケアマネジャーの仕事を描く、お仕事エンターテインメント。
どうも、元ヤクザのケアマネ事務所です
「あの~……僕はどうしたら?」
神谷翔平の今にも泣きそうな声に対し、電話越しの事務員は機械的に答えた。
「このままでは請求できません。なんでもいいから早く次のケアマネを見つけてください。もしくはレンタル品を引き上げて来てください。」
「だから!どっちも出来ないって言ったじゃないですか!」
思わず叫んだ翔平の胸元で真新しい名札が揺れる。
『ハートフル福祉用具事業所 神谷翔平』
「請求できないと売上計上できません。評価にも影響しますので、早めの対応をお願いします。」
事務員に舌打ちされ、翔平はますます肩を小さく丸めた。
全国展開しているこの会社は、事業所ごとではなくエリアごとに数名の事務員がいる。
請求、書類、請求、書類。
あと、たまに売上。
それ以外の言葉を、彼女たちから聞いた事がない。
「とにかく、今回の件で私たちに出来ることはありません。自事業所の先輩にご相談ください。」
今回も翔平の泣き言には一切付き合わず、事務員はガチャンと一方的に電話を切った。
「……どうすればいいんですかぁ……」
まだ新人、入社三か月目の翔平とて分かっている。
苦情トラブル解決は自事業所内で対応する。
もしくは、そのトラブル元が住んでいる地域の包括支援センターか役場に相談しなければならない。
一週間前、同じ営業所のエース竹内祥真にそうアドバイスをもらって、翔平はその通り動いた。
しかし―――
「……誰も助けてくれない……」
もともと泣き虫な彼の目がうるうると潤み始める。
「あらあら、また虐められたの?翔平ちゃん。」
奥から出てきた利用者の声に、翔平は泣きべそをかいたまま顔を上げた。
「松本さぁん、ポータブルトイレを届けに来ました。」
「こんな遠くまでありがとねぇ。はい、お茶でも飲んで一息つきなさい。」
「いや、でも、僕の会社は受け取っちゃだめで……」
「いいの、いいの!みんな飲んでるから!」
めそめそしている翔平をみかねたのか、彼女はお茶に加えてえびせんべいを差し出す。
「翔平君は頑張り過ぎよ。もっと肩の力を抜きなさい。」
翔平は断りきれず、湯呑を手に取った。
「じゃあ今日だけ……いただきます。」
「はいはい、どうぞ。」
ここ三浜町は人口一万人規模の小さな町だ。
町の人々は非常にフレンドリー。
良くも悪くも。
お茶を飲み終わった翔平は、持ってきたポータブルトイレを彼女の部屋へ運んだ。
「はぁ……本当にどうしよう……」
ここ一週間、何をしていても翔平の頭の中はあの利用者さんのことでいっぱいだ。
「なになに?何かあったの?」
夜、トイレに間に合わないとポータブルトイレを頼んだ松本さんが、キラキラした目で翔平の顔を覗き込む。
御年90歳の噂話が大好きな彼女の目に『本日のネタ』と文字が浮かんでいるのが見えた。
「だ、大丈夫です。すみません。詳しいことは個人情報だから言えなくて。」
「え~。ちょっとくらいいいじゃない。こんな田舎だし、なんかアドバイスできるかもよ?」
松本さんの親切めいた言葉に翔平の口元が引きつった。
今日ここで下手に話そうものなら、絶対に明日には町全体に広がるのだ。
この前だって、靴ひもをふんづけて玄関で盛大にこけた話を、翌日には他の利用者さん数人が知っていた。
「え~と、え~と……」
「うんうん。」
「あ、そうだ!」
「なんだい!?」
「松本さん。この辺でヤクザみたいなケアマネさんはいませんか?」
いや、どんな奴だよ。
そんな人間いるわけないと翔平は心の中で一人ボケ突っ込みをする。
「ヤクザ?大浦さん家?」
いきなりピンポイントでトラブル元の名前を言い当てられて、動揺した翔平は思わず湯呑を落としそうになった。
「ち、違います。ヤクザではなくて、ケアマネさん。元ヤクザか、元ヤンキーだった人で。」
「元ヤクザか、元ヤンキー?」
「ごつくて強くて、銃に怖気づかない人!」
翔平の出した条件に、目の前で松本さんがケラケラ笑い出した。
「あんた、本当に面白い子ねぇ。」
「アハハ……ありがとうございます。それじゃあ、僕はこれで……」
ああ、これでまた変な子って噂されるんだろうなぁ……
売上に影響したらどうしようと思いながら、翔平はその場から立ち上がろうとした。
「いるわよ。内藤さんとこのケアマネさん。」
「…………え?」
「ゴリラがいるとかいないとか。あと、眼鏡さんは訳アリだって聞いたことがある。」
「詳しくお願いします!!」
◇ ◇ ◇
「……こ、ここ?」
辿り着いたのは、ぽつんと一軒家のような森の中にある民家だった。
もっとも森と言ってもこの辺りに高い山はないのだが。
看板もない。
唯一分かるのは門にかけられた『内藤』の表札だけ。
近くにインターフォンもない。
何の変哲もない鉄の門だが、そこを開けるのは妙に躊躇われた。
「……帰ろうかな。」
しかし、引き返そうとした翔平の足元を何かがすり抜ける。
「わぁ!」
「ニャー」
そこにいたのは一匹の三毛猫だった。
可愛いというよりふてぶてしい面構えの大きな猫が門の前でゆらゆらと尻尾を揺らしている。
「ニャー」
「あ、開けてってこと?」
猫に導かれるように、翔平はおそるおそる門を開けた。
ギィっと小さな鈍い音とともに門が開く。
とことこと歩き出した猫は、門の中に入ると翔平をじっと見つめた。
翔平はその場にかがんで猫と視線を合わせる。
「あ、はじめまして、神谷翔平です。うちの人はいるかな?」
「ニャー」
「僕、ケアマネさんに会いに来たんだけど、ご在宅かな?」
いや、猫相手に何してるんだ。
正気に返った翔平に近づいた猫は彼にスリスリすると再び歩き始めた。
「ついて来いってこと?」
尻尾をパタパタと振って、猫が歩き出す。
翔平は慌てて猫の後をついて行った。
猫は玄関ではなく、庭の方へと回る。
庭には小さな畑と花壇があった。
ここ、やっぱり普通の民家なんじゃないか?
不安になった翔平は誰に言うでもなく声をかける。
「お、お邪魔します!」
その間も、猫はついて来いと言わんばかりの態度でずんずん進んでいった。
やがて縁側に登ると窓をカリカリし始める。
「ニャー」
「そ、そっちにいくのかニャ?」
ええいと翔平は窓を開けてあげた。
「開いた!」
田舎あるあるだが、未だに不用心にも玄関や窓が開いていることが多い。
猫は中に入ってからも、なおも翔平をじっと見つめてくる。
「ついて来いってこと!?」
翔平の脳裏に不法侵入の文字が浮かんだ。
いや、でも、もしかすると家人が倒れてて助けてくれってことかもしれないじゃないか!
自分に都合よく解釈した翔平は、お邪魔しますと縁側に靴を脱ぎ、えいやと中へ乗り込んだ。
猫はのんびり歩いて、やがて一つの部屋へとたどり着く。
「……誰の部屋?」
そこには小さなベッドと洋服箪笥、そして仏壇があった。
仏壇の前にある座布団に猫が座り、翔平を呼ぶように鳴く。
「あれ?写真、倒しちゃったの?」
写真立てが二つあり、そのうちの一枚が倒れている。
仏壇に近寄った翔平が倒れた写真立てをその手に取ろうとした瞬間―――
「ぐうっ……!」
すごい勢いで後ろから腕を捩りあげられて、翔平の身体はそのまま地面に倒された。
殺されるーーー!
「おやおや、殺しちゃダメですよ?」
「制圧だ。」
床に押さえつけられた翔平の鼻にふわりと石鹼の香りが届いた。
いつの間にか目の前に眼鏡をかけた背の高い美青年がいて、床に転がった自分の名札をじっと見つめている。
「……放してあげなさい。どうやら私たちへのお客様のようですよ。」
「はぁ!?泥棒だろ?」
「ほら、これが証拠です。泥棒がわざわざ福祉用具事業所の名札なんか用意しませんよ。」
眼鏡の青年が、ひらひらと名札を後ろの誰かに見せる。
「……紛らわしいことしてんじゃねぇよ。」
ぱっと身体を解放されて、翔平はその場にべたんと倒れ込んだ。
「う……ううっ……猫に案内されただけなのに……」
「手荒な真似をしてすみませんでした。大丈夫ですか?」
眼鏡の青年がにこりと笑いかけて翔平に手を差し伸べてくれる。
「は、はい……」
その手を取って、翔平はその場に立ち上がった。
「それは良かったです。さて、神谷さん。あなたは刑法第130条前段にある住居侵入罪を犯していますが、何か申し開きはありますか?なければこのまま警察に通報します。」
「ええっ!?」
慌てた翔平は胸元から名刺を取り出すと二人に配った。
「ハ、ハートフル福祉用具事業所の神谷翔平です!この度は猫に導かれてお邪魔しました!」
「……翔平、ですか……」
「ドラゴンズに案内されただぁ?」
二人は猫の方へ視線を向ける。
猫は我関せずといった様子で座布団の上で丸まっていた。
「ドラゴンズ。本当か?」
「ニャー」
「まったく。あなた、また拾ってきましたね?」
猫は呆れかえる二人に近寄ると、そのままそれぞれの足に頭をこすりつけた。
「……まぁ、いいでしょう。この子が呼んだなら仕方ありません。それで、神谷さん。うちに何か御用ですか?」
「営業か?新商品の売り込みか?新しい歩行器のデモなら、もう別の業者が持ってきたぞ。」
「ハートフル福祉用具事業所さんとは今、取引はないと記憶していますが。ああ、もしかして系列事業所から何か言われて来たのですか?」
話の内容からして、この二人はどうやらケアマネジャーらしい。
翔平は改めて二人を観察した。
二人とも165cmの自分よりずいぶん大きい。
一人は眼鏡をかけたスーツ姿の年齢不詳な優男。
そしてもう一人は、その男よりもさらに大きくてごつい若そうな男だった。
若そうな男の頬には大きな切り傷がある。
この傷、間違いない。
元ヤクザだ!
「ほ、本当にいたんですね。眼鏡さんとゴリラさん……」
「……え?」
「ゴリラ?」
「町の人が言ってました。眼鏡さんは元ヤクザなんですよね!」
すっかり曲解した翔平の言い草に二人の顔が引きつった。
しかしそれに構わず、翔平は怖くなさそうな眼鏡姿の男に対して距離を縮めてその手を取る。
「た、助けてください!僕、ヤクザに脅されてるんです!」
目をぱちぱちと瞬かせた眼鏡の男は、やがてにっこり微笑んだ。
「すみませんが、うちはケアマネ事務所です。管轄外ですのでお帰り下さい。」
「そうそう。悪いな。」
関わってはいけない。
そう判断した二人の男は、翔平の背中をぐいぐい玄関へ押していく。
「は、話だけでも!」
「聞いても何も出来ません。」
「警察に行け、警察に。」
そんな三人の足元をいつの間にすり抜けたのだろうドラゴンズが玄関に立ちふさがっていた。
それを見て、翔平を追い出そうとしていた二人の動きが止まる。
「……ドラゴンズ……」
「なんだよ、そういう事かよ。」
「では神谷さん、事務所へどうぞ。」
「……え?」
翔平は何が何だかわからないまま、再び奥に向かって歩き出した二人と玄関で毛づくろいを始めたドラゴンズを交互に見つめた。
◇ ◇ ◇
「なるほど。まとめると、ヤクザの利用者さんが転倒。すったもんだの末、前任者がクビ。なので後任のケアマネジャーを探している、と。」
「は、はい。」
「よく、お前はクビにならなかったな。」
「なりました。だけど……うちの事業所、地区制なので。」
「別の営業連れていけ。新人の抱える案件じゃないだろ、こんなの。」
「……最近、二人辞めちゃって。人手が足りないんです。エースの竹内さんなら絶対解決できると思うんですけど、ものすごく忙しそうで……」
最初にドラゴンズと出逢ってから三十分が経過した。
通された部屋はちゃんと事務所になっていて、三人は応接セットに向かい合って座っている。
翔平のしどろもどろな説明をじっと黙って聞いた二人は最後に大きく嘆息した。
「契約を終了すればいいのではありませんか。」
「……口座引き落とし手続きがまだ終わってないんです。次に行った時に紙をもらう約束で。」
「なるほど。納品したのが5月8日。今日が5月20日ですから、すでにレンタル料は一か月分発生していますね。では、利用者負担分は現金でもらっては?」
「そもそも!家に近寄ったら何をされるか分かんないから行けないんですよ!」
もう何度同じ台詞をみんなから言われただろうか。
引き揚げて現金徴収。
それが出来れば苦労しない。
「相手はうちの事業所の手すりのせいで転倒したって言ってて……のこのこ行ったら何をされるか……」
「大丈夫ですよ。昨今のヤクザさんはそこで殴ったりしませんから。」
「そうそう。暴対法があるからな。素人さんに手を出さないだろ。」
「……計画書にサイン……」
「それは最悪だな。」
大男の方が空を仰ぎ見た。
隣で話を聞いていた眼鏡の方は静かにお茶をすする。
「あの……」
「はい。」
「そろそろ、お名前を伺ってもよろしいでしょうか。」
翔平に聞かれて、初めて二人は名乗ってないことに気がついたのだろう。
それぞれの机から名刺も持ってくる。
「ナイトウ居宅介護支援事業所の管理者の佐伯です。」
「ケアマネジャーの江藤です。」
眼鏡が佐伯さん、ゴリマッチョが江藤さんか。
そう頭の中で復唱して、ふと翔平は疑問を口にする。
「内藤さんは?」
「……それは前管理者ですね。」
表情を曇らせた佐伯はそれ以上何も言わなかった。
聞いてはいけないことだったか。
翔平はさっさと話題を転換する。
「僕、考えたんです。」
「何をです?」
「目には目を、歯には歯を。なら、ヤクザにはヤクザかなって。」
翔平の言葉に佐伯は吹き出し、江藤は頭痛を覚えたのか頭を押さえた。
「お前、そんな短絡思考で道を踏み外すなよ?」
「まぁまぁ、今の若い子はハムラビ法典をそう解釈しているんですね。勉強になりました。」
どうやら笑い上戸らしく佐伯はまだ肩を震わしている。
意外だ。
こっちの方が笑わなさそうに見えるのに。
一方で、江藤の方は小さく嘆息しただけだった。
「佐伯。」
「フフ……すみません。」
はぁっと大きく深呼吸をして、眼鏡を外して涙を拭った佐伯は元のクールそうな顔に戻った。
「それで、神谷さん。どうしてあなたが新しいケアマネジャー探しをしているんですか?」
「え?」
「通常ではケアマネジャーの変更は包括が関わる案件かと。」
「そうだぞ。今回の件だって、お前から三浜包括に言えば良かったんじゃないのか?」
二人の鋭いツッコミに翔平は真実を話して良いものか迷う。
「……あの、ここだけの話にして欲しいんですけど……相談はしました。」
「それなら待てば良いのでは?」
「なんですけど……一週間前に相談して、今日まで返事がないんです。何度電話しても、担当者不在ですしか言われなくて……電話先は新人さんらしくて『私は何も分からない』と。折り返しますと言うんですけど、その件では折り返しも無くて……」
「ま、普段の付き合いもあるし、あんたも強く言えない訳だ。」
江藤の言葉に、翔平はこくんと首を縦に振る。
「今日がもう20日。請求のことを考えれば、一刻も早くと事務員さんが急かす気持ちも理解できますね。私も、月遅れは出来れば避けたいですから。」
「この前の件は悪かったって言ってるだろ!で、神谷。そいつは福祉用具以外のサービスは使ってないのか?」
「福祉用具だけなんです。だから他に頼れるところがなくて……」
「なるほど。少し待っていて下さい。」
佐伯は自分のデスクへ向かった。
受話器を取り上げて電話をかけ始める。
「もしもし。お世話になっております。ナイトウ居宅介護支援事業所の佐伯です。管理者さん、いらっしゃいますか?」
「あの……?」
「ま、黙って見とけ。」
翔平はそのままじっと聞き耳を立てた。
佐伯はどうやら包括支援センターに電話してくれているらしい。
でも、上手くやってくれると言っても、僕から話を聞いたとか言われたら、今後の包括さんとの付き合いが……
翔平は拳を膝の上でぎゅっと握る。
「ニャー」
「え?ドラゴンズ?」
「ハハッ、良かったな。」
いつの間にか側に来ていたドラゴンズが翔平の膝に飛び乗った。
抱き留めた翔平は、膝の上にごろんと転がったドラゴンズの背中を撫で始める。
「懐っこい子ですね。」
「……まぁな。優子さんの子だし。」
優子さんとは誰だ?
しかし、その疑問を口にする直前、目の前で微笑んだまま話していた佐伯の口から笑みが消えた。
一瞬で部屋の空気が五度近く冷えた気がする。
「おい、佐伯!」
彼の変化に気がついたのだろう江藤がその場に立ち上がった。
しかし―――
「なるほど。前任のケアマネジャーや利用者さんから相談がないので、この件は把握していないと仰るわけですね。利用者さんから依頼を受けたなら、あとは勝手に引き継げ、と。なるほど。要介護1だから包括は何もしないということですね。そうですか。あなたがたは何のために存在しているんですか?総合相談支援は?包括的・継続的ケアマネジメント支援とは何をさすんでしょうか。本件はカスタマーハラスメント事案だと思いますが?」
電話越しの相手が黙ったのが、離れている翔平にも分かった。
ここまで言っていいのか!?
相手は地域包括支援センター。
自分たちが逆らえるような相手じゃないのに!
江藤も立ち上がったまま、佐伯を見て顔をしかめている。
「またかよ……本当に相性悪いな……」
「え?」
「新年度に相手の担当者が変わってから、ちょっとな……」
盛大なため息をついた彼は佐伯の方へ向かって動き出した。
「ほな、勝手にさせてもらいますわ。おおきに。」
江藤が佐伯の肩に触れる直前、担架を切った佐伯は静かに受話器を置いた。
「佐伯……」
「さて、許可はもらいました。江藤も準備してください。」
「俺も行くのかよ!?」
「このケースに関しては、初回は二人で行った方が良さそうです。」
デスクから立ち上がった佐伯は鏡の前に向かうとネクタイを直した。
江藤もまたリュックサックをその手に持つ。
「神谷君。この後の予定は?」
「今日は、特に……」
「じゃあ、行きましょうか。」
「い、行きましょうか!?ってどこに?」
「決まっています。勝手にしろと言質は取りました。まずはその利用者さんと契約します。うちが担当することになったら、その場でサービス担当者会議も済ませてしまいましょう。」
穏やかな笑みを消し、隙のない表情になった佐伯は、ケアマネジャーというより企業のコンサルタントに見えた。
この人、いったい何者なんだ?
自分はとんでもない人を巻き込んでしまったのかもしれない。
ドラゴンズを膝から降ろして、翔平はのろのろと立ち上がった。
◇ ◇ ◇
大浦と立派な表札が掲げられた門のインターフォンを佐伯は躊躇することなく押した。
ピンポーン
他の家と同じチャイム音のはずなのに、帰れと聞こえるのは僕が弱虫だからだろうか。
「そんなに怖いなら、江藤の後ろに隠れていていいですよ。」
「そうします!」
「おい……勝手に盾にすんな。」
しかし口ではそう言いながらも、江藤は自分の後ろに隠れた翔平をそのままにする。
「神谷。携帯出しとけ。」
「なんでですか?」
「いざとなったら110番しながら逃げろ。」
いや、あなた方は今日ここに何をしに来たんですか?
心の中でそう突っ込みを入れつつも、翔平は素直に携帯を取り出して握りしめる。
「どちらさん?」
やがて出てきたのは、金髪に入れ墨。
漫画でしか見たことのないようなチンピラだった。
「突然すみません。大浦さんですか?」
「……親父に何の用だ?」
「息子さん?」
「ちげぇよ!それより、いきなり来て親父に何の用だって聞いてんだ!」
相手の威嚇するような怒鳴り声に翔平の小さな身体がブルブル震える。
震える手で江藤の服の袖をぐいぐい引っ張った。
「も、もう電話していいですか?」
「いい訳ないだろ。さすがに冤罪が過ぎるぞ。」
そんな後ろの二人のやりとりなどお構いなしに、佐伯は名刺を取り出すとにこやかに挨拶した。
「『ナイトウ居宅介護支援事業所の佐伯勇一郎』?」
「はい、お探しのケアマネジャーです。」
この人、既成事実を作ろうとしてる!?
いけしゃあしゃあと言質を取ろうとする佐伯の前で、舎弟が困り顔になった。
「そんなもん頼んでねぇよ。」
「そうですか?失礼ですが大浦さんは要介護1になったと聞きました。介護保険サービスをご利用になるのであればケアマネジャーは必要です。それともサービスは何も要らないと?」
男は眉根を寄せたまま、佐伯とその後ろにいる江藤を見た。
「あんた……」
江藤の顔を見た瞬間、舎弟の顔色が変わる。
「……ちょっと兄貴呼んでくるわ。」
「いえいえ、それには及びません。」
奥へ引っ込もうとした男を、佐伯はにこやかな笑みで呼び止めた。
「契約があるので、私どもも一緒に上がらせていただきます。」
嘘でしょ!?
あまりの強引さに翔平の口がぱくぱくと金魚のように開閉する。
一方、江藤は慣れたものなのか、佐伯に続いてさっさと中へ歩き始めた。
「行くぞ。」
「ちょっと、ちょっと待ってくださいよ!」
翔平は江藤の腰に抱きつくと、二人に続いて中へ入って行った。
昔ながらの日本家屋。
門から玄関まで庭を通る必要があり、かなり距離がある。
その道中、佐伯がふむと口元に手を当てた。
「……ここ、何もしなくて良かったんでしょうかね?砂利に置き石。清掃は行き届いていますが。」
「外は車いすなんじゃねぇの?」
「それなら門扉の敷居の所にスロープが必要ですよ。階段になっていましたからね。レンタル品は屋内の手すりだけだと神谷君が言っていたのを忘れましたか?」
「……そうだったな。」
「しっかりしてくださいよ、江藤。あなたはもう一人前のケアマネジャーなんですから。」
二人のひそひそ話す声が江藤の腰に抱きついた翔平の耳に聞こえてくる。
いや、今はそんなことより殴られたり撃たれたりしたらどうすればいいんだろうって話し合うべきでは?
それともこの二人も何か武器を持ってるんだろうか。
「僕、痛いの苦手なんだけどな……」
「……何を心配してるか知らないが、お前くらいなら守ってやれるから安心しろ。」
「江藤さぁん……」
「おや、江藤。すっかり神谷君に気に入られたようですね。この家、担当します?」
「本人が俺でいいならな。」
おどおどびくびくと、鳥の声を聞いただけでも小さな悲鳴を上げる翔平に対して、二人はどこ吹く風といった様子で玄関の前に立つ。
先に中に入って行った舎弟が戻ってくるまでそこで待機だ。
「玄関も高い敷居あり、か。年寄りにはダンジョンみたいな家だな。」
「言い得て妙ですが、この辺、こういう家ばかりでしょう?」
「あ、あの……」
「なんだ、神谷。」
「一応玄関からは手すりを置きました。上がり框と廊下、あと居間と寝室。」
「……住宅改修した方が安上がりでしょうに。」
「あとで提案するか。」
三人の前で玄関が中からガラリと開いた。
その光景を見て、翔平が素っ頓狂な声を上げる。
「手すりが無くなってる!?」
上がり框の手すりはある。
しかし、廊下から居間へ続く手すりは全て跡形もなく外されていた。
「な、なんで……?」
「てめぇ、あの時の兄ちゃんか!」
玄関に集まっていた男たちの視線が、一斉に翔平へ突き刺さった。
◇ ◇ ◇
「すみませんが、ご本人もしくは血縁関係者をここへ出してください。」
「ああ?なんだ、俺じゃ不満だってのか、兄ちゃん。」
もう何度同じやり取りをしただろうか。
通された居間で舎弟五人に取り囲まれても、佐伯の顔色は少しも変わらなかった。
江藤もまたソファに深く腰掛けて腕組みをしたまま様子を見守っている。
江藤の隣でぴったり身を寄せた翔平は、佐伯と舎弟たちのやりとりを子犬のように震えながら見つめていた。
いつ自分にまた矛先が向くか。
そう考えただけで目から涙が溢れそうになる。
「これ使え。」
見かねた江藤が皺ひとつないハンカチを渡してくれた。
「す、すみません……」
ハンカチを広げた翔平はそれでゴシゴシと顔をこする。
「あ、ごめんなさい。鼻水ついちゃった。」
「……やる。」
「本当ですか?ありがとうございます。」
翔平はハンカチを折りたたむとそれをポケットにしまった。
「それにしても、お二人とも怖くないんですか?」
「むしろ俺は、なんでそこまでビビってるのか知りたい。」
「だ、だって……銃とか、日本刀とか……気に入らない人間はコンクリートで海に沈めるんでしょう?」
「やるわけないだろ、マンガじゃあるまいし。」
「じゃあ、サメの餌?」
江藤は、信じられないものを見るような目で翔平を見た。
「……茶でも飲んで黙っとけ。」
「そこ、ええ加減黙っとき。」
佐伯の底冷えするような声に二人は姿勢を正す。
「大変失礼いたしました。本題に戻ります。こちらは契約書です。ここに署名していただくのは、大浦礼二さんに何かあった時、代わりに連絡を受けたり、意思確認に関わったりする方です。皆様がその立場なのですか?」
「何かあった時って?」
「例えば認知症が進行して自分のことが自分で決められなくなった時、もしくは自分の意思をはっきりと示すことが出来なくなった時です。」
「親父のことなんて、恐れ多くて俺たちが決められる訳ねぇだろ!」
「じゃあ誰が何するんや……ええ加減、めんどくさい人たちやな……」
「あ゛!?」
「失礼。本音です。」
佐伯の一言に、なぜか翔平が情けない悲鳴を上げる。
「……あんたら、本当に何しにここに来たんだ?」
「謝罪じゃねぇのかよ!」
舎弟たちが徐々に苛立ち始めた。
そんな中でも佐伯と江藤の顔色はまるで変わらない。
「謝罪?どうして我々が?」
「だから!そこの兄ちゃんが置いてった手すりで親父がこけたって言ってるだろ!?」
「そうだぞ。今もベッドから起き上がれないんだからな!」
「どう落とし前つけるんだ、あ゛あ゛ん!?」
舎弟のうち、若い三人が佐伯に詰め寄る。
しかし佐伯はふうとため息をついた後、なぜか眼鏡を外した。
湯呑を手に取って一口すする。
「いい茶葉使ってますね。」
そうして、柔らかく笑った。
さっきまで怒鳴っていた舎弟たちが、揃って言葉を失う。
居間が、水を打ったように静まり返った。
もしかして、この人、顔面偏差値で押し切ろうとしてる?
「淹れ方もとても丁寧です。素敵なお仕事されてますね。」
ホストかな?
「だろう!?あんた分かる口だな。これは親父のお気に入りで……って違うわ!」
有頂天な様子で喋り始めた若い舎弟が一人ボケ突っ込みをする。
この人たち、案外怖くないのかも。
掴まった江藤の腕からそろりと顔を出して翔平は全員を覗き見る。
しかし、すぐに舎弟たちに睨まれ、亀のように首をひっこめた。
「……そうですね。このままでは埒があきません。では、こうしましょう。」
佐伯はすっと立ち上がると江藤の肩に手を置いた。
「今から彼が、親分さんの転倒が神谷君の責任ではないと証明します。」
「……佐伯。」
「いいじゃありませんか。もう分かっているんでしょう?」
「まぁ、大体な。」
江藤はゆっくり立ち上がる。
大きく一度伸びをした。
「じゃあ、始めるか。」
一体何が始まるのかと佐伯を除く全員が固唾を呑んで見守る。
江藤は部屋をぐるりと一周した。
今度は中腰になって歩く。
「やっぱりこれか。」
全員の注目の中、江藤は何のためらいもなくその場に這いつくばった。
◇ ◇ ◇
「……ケアマネさんが床を這うの、初めて見たんですけど……」
「ああ、そうですね。そこまでしなくていいよと言ってあるんですが、彼の場合は職業病でして。」
今度はちゃっかり佐伯の隣に陣取った翔平は江藤の動向をじっと見つめていた。
江藤は何かを確かめるように、ぶつぶつ呟きながら床を這いずっている。
「おい、親分の部屋はどっちだ?」
「そ、そこだ。」
大男の突然の奇行に、さすがに驚いたのかおっかなびっくり舎弟たちが答えた。
「なるほどね。で、転倒したのは何時だ?」
「十日前の夜の十時だ。」
「……ずいぶん正確だな。」
「お、俺たちを疑ってるのか!?」
「親分の観たい番組が始まるところだったんだよ!」
「へぇ……」
江藤に鋭く睨まれて、気圧された男たちが一歩後ろに下がる。
いいぞ、もっとやれ。
そう心の中で江藤を応援した瞬間、矛先が自分に向いた。
「神谷。」
「はい!」
「お前、どこにどうやって手すり置いたか教えろ。」
江藤に手招きされ、翔平は慌てて駆け寄った。
「まずは玄関の上がり框、そこから廊下からこの部屋まで手すりを三つ繋げました。この部屋に関してはソファがすぐにあったので、伝い歩きが出来ると思ったので、僕が置いたのはそこ。利用者さんの部屋とテレビを繋ぐ間です。」
「……見事に無くなってるな。」
廊下もだが、親分の部屋とソファの間にあるはずの手すりはきれいさっぱりその場から無くなっていた。
「し、仕方ないだろ!親父の部屋を開けたときに、そこからテレビが見えなくて邪魔だったんだよ。」
「玄関はなんで外したんだ?」
「……見た目が悪い。ヤクザがこんなんじゃ格好悪いって親父が……」
自分達に非があることに気がつき始めたのか、徐々に舎弟たちのトーンが下がっていく。
「まぁ、手すりが無かったから転倒したとは一概に言えないけどな。」
江藤はもう一度部屋をぐるりと見回した。
ゆっくりと視線を床へ落とす。
そしてソファの下を指差した。
「犯人はこいつだ。」
そこにはデカい虎の敷物が横たわっていた。
「さっき触ってみたが、ふわふわしててつるつる滑る上に、少し力を加えると簡単に動く。滑り止め加工がされてない。いくら手すりがあっても意味が無いな。」
江藤の指摘に舎弟たちが口々に反発する。
「それは親父が大事にしてるんだよ!」
「若い頃、この家を建てた時に、当時の組長にもらったって。」
「……転倒してケガするより大事なのか?」
「大事だな。ヤクザもんから矜持を奪ったらなんも残らん。」
はぁっと大きなため息をついた江藤の背中側の扉が開いた。
年のころは80過ぎ。
一見すると好々爺にすら見える老人が扉にもたれて立っていた。
しかしその、あまりの威圧感に翔平はごくんと息を呑む。
「ほ、本人さん?」
「神谷君?まさか、ご本人にお会いしていなかったんですか?」
「……はい。」
「事情は理解しています。しかしそれでも、プロならご本人を見ずに設置すべきではありません。今回は大きなケガもなく済んだようですが、一歩間違えれば命に関わる事故になっていてもおかしくなかったのですから。」
佐伯に窘められて、ごめんなさいと翔平はその場で謝る。
「謝罪すべきは私ではありません。」
そんな二人の前で、江藤の顔をじっと見た親分はにかっと大きく笑った。
「なんだ、大五郎が警察が来たって騒いでたから誰かと思えば香ちゃんじゃないか。久しぶりだな!」
「……もう警察じゃねぇよ、大浦親分。」
江藤はバツの悪そうな顔で大浦親分からふいと顔を逸らした。
「そうか、そうか。で、そっちの別嬪さんとおチビちゃんは?」
「初めまして。ナイトウ居宅介護支援事業所の佐伯勇一郎と申します。」
「ぼ、僕は、ハートフル福祉用具事業所の、か、神谷翔平です。」
佐伯は優雅に、翔平はつっかえつっかえ自己紹介をする。
そんな二人を前にして、小首を捻った大浦親分はぼそりと呟いた。
「ナイトウって……あんた、もしかして優子ちゃんの拾って来た猫一号か?」
◇ ◇ ◇
「腰を打ったと聞きましたが、医者にはかかりましたか?」
居宅契約をつつがなく終えた佐伯は、ソファの向かいに座る大浦親分に質問した。
「医者は嫌いだ。行ってねぇよ。」
「ですが、骨に何か異常があると大変です。」
「そんなのある訳ないだろ。こけたって言っても、完全にはひっくり返ってないからな。ソファに倒れ込んだだけだ。」
大浦親分の言葉に、佐伯と江藤がじろりと舎弟を見る。
親分の登場以降、部屋のすみで正座した五人はそれぞれバツが悪そうに顔を逸らした。
「場合によっては、脅迫罪や威力業務妨害に問われかねない事案ですが。」
「まぁ、そう言うな。えっと……別嬪さんは佐伯勇一郎か。顔に似合わねぇ名前だな。ま、いいや。じゃ、勇ちゃんな。」
ずいぶん大浦親分はノリのいい人物らしい。
「そっちの兄ちゃんは翔ちゃんな。」
「え? あ、はい!」
思わずつられて笑ってしまった翔平に、親分は満足そうに頷く。
「アハハ、あんたは素直でいいな。で、勇ちゃんよ。あんただってカッとなれば思わず暴言吐いちまうこともあるだろう?こいつらはほら、こう見えて親思いなんだよ。ま、あんただって色々ある身だ。今回は多めにみてくれよ。」
「……」
「あんたの生活を良くしようとしてる人間をあんたに会わせねぇ。そんなの親思いもへったくれもねぇよ。」
「なんだ、香ちゃんまで今日は不機嫌なのか。前はあんなにニコニコしてたのに。なぁ、香ちゃん巡査。」
大浦親分が喋れば喋るほど、佐伯も江藤も難しい顔で黙り込んでしまう。
大浦さんは色々知っているみたいだけど、やっぱりこの二人、いったい何者なんだ?
すっかり警戒心を失くした翔平の好奇心がうずうずし始める。
そんな翔平に視線を寄こした大浦親分は「ところで」と話題を切り替えた。
「この敷物、やっぱり撤去しないといけないのか?」
大浦親分のその一言で、佐伯と江藤の顔つきが真剣なものへと変わった。
「すみませんが、少し室内を歩いていただいても?」
「おう、いいぞ。」
佐伯の指示に従って、立ち上がった大浦親分は寝室に移動した。
その横に江藤が付き添い、大浦親分のすぐ後ろでいつでも支えられる態勢をとる。
一方、佐伯はその間、真剣な顔で大浦親分の動きを観察していた。
数歩歩いたところで江藤が大浦親分に声をかける。
「歩き出しの時に足元にふらつきがある。それに右足よりも左足が出るのが少し遅れるな。じいさん、なんか病気したか?」
「ああ、三年前に脳梗塞をやっちまった。ま、こうしてピンピンしてるけどな。」
「なるほど。それで左足が少し摺り足気味なんですね。小さな段差は危ないかもしれません。それでも、何か掴まるところがあれば室内は良さそうですね。」
もういいですよと、佐伯は江藤と視線を交わして小さく頷いた。
「ありがとうございます、大浦さん。ところで日常的に杖は使いますか?」
「外に散歩に行くときはな。」
「ふらふらしませんか?」
「散歩に行くときは健一郎か寿三郎が付き添ってくれるから大丈夫だ。」
「健一郎と寿三郎?」
誰だろうと首を捻った翔平の前で舎弟五人のうち二人が手を挙げる。
「健一郎。」
「銀次郎。」
「寿三郎だ。」
「藤四郎……」
「……大五郎。」
どうやらこの組は古参順に名前が決まっているらしい。
「どうだ!俺が付けた名前だ。カッコいいだろ!」
……笑っていいかな?
「神谷君。お手洗いは向こうですよ。」
何かを察したのだろう佐伯が離席を勧めてくれる。
席を外した翔平はトイレに駆け込んで盛大に吹き出した。
ひとしきり笑ってから、きっちり用を足して出てくる。
「……あ!」
トイレから出てきた翔平は廊下の一角に雑に積まれた手すりを見つけた。
◇ ◇ ◇
「戻りました。」
「……遅かったですね、神谷君。」
「お前、まさか迷子にでもなってたのか?」
一体何をしていたんだと二人が非難の視線をぶつけてくる。
ソファの所まで来た翔平は、二人の間にちゃっかり割り込んで座った。
「すみません。撤去された手すりを見つけたので状態を確認してました。」
「ああ、あれ持って帰っていいぞ。」
「ダメだ!」
「ダメですよ。」
大浦親分の言葉に間髪入れず二人がダメ出しする。
「なんだよ。カッコ悪いじゃねぇか。それになんたら改修っての、やってくれるんだろ?」
「住宅改修は行いますが、それにはまず業者の選定が必要です。その後、図面や見積書、改修前の写真など、申請に必要な書類を作成します。」
「で、役場にそれを提出して着工許可が下りてからしか出来ないんだよ。どんなに急いだって二週間くらいかかる。」
「ケチだな。先にぱぱっとやってくれりゃいいじゃないか。」
「……全額自己負担で良けりゃやれるぞ。」
「介護保険は申請主義です。保険給付を受けるには、お上の許可が必要なんですよ。」
なんてめんどくさいと大浦親分は嘆息しつつも納得したらしい。
「それまでは見栄えが悪くても置いとけ、という訳だな。」
「理解が早くて助かります。」
「前に優子ちゃんが同じ台詞を言っとった。律子がガンで入院して、もう助からんって時も、『律子さん、また帰ってくるかもしれないんだから、まだ置いておこう』って。」
「……所長らしいですね。」
「そうだな。でもまさか、そんなことを言った人間があんなに早く逝くとは思わなかったけどな。」
大浦親分の言葉に、佐伯も江藤も床に視線を落とした。
今までの話を総合するに、ナイトウ居宅介護支援事業所の前所長の名前は内藤優子。
そして既に故人らしい。
ふと、翔平はナイトウ居宅介護支援事業所で見た祭壇を思い出した。
一人は60代くらいの男性。
そしてもう一つ、伏せられた写真立て。
「まさか、あの写真って……」
「神谷はん。」
翔平の言葉を遮ったのは佐伯だった。
その凍てつくような眼差しに、翔平は今日一番の恐怖を覚える。
思わず立ち上がり、大浦親分の後ろへ隠れた。
「お喋りやな。」
佐伯は口の端だけで微笑んだ。
「そういうの、いけずって言うんやよ。」
「ご、ご……ごめんなさ……」
歯をガチガチ震わせて翔平はなんとか謝った。
もう何もしゃべるまい。
そう心に決めた翔平は舎弟五人の横に正座して並ぶ。
「なんで来るんだよ。」
「ここにいれば喋らなくて良い組に入れるので。」
「……さっきまで俺たちを怖がってなかったか?」
「昨日の敵は今日の友って言うじゃないですか。」
開き直った翔平に対して、げらげら笑い始めたのは大浦親分だった。
それだけで重苦しかった空気が一変する。
「お前、本当に意外といい根性してるな。どうだ、うちの組来るか?そうだな。名前は六左衛門はどうだ?」
まさかのお誘いに翔平は素っ頓狂な声を上げる。
「ええ!?僕ですか?江藤さんじゃなくて!?」
「……おい。」
「香ちゃんは何回か誘ったけど来てくれなかった。」
「そりゃあだって、あの時は……」
「じゃ、今なら来るか?七蔵。」
「誰が七蔵だ。っていうか、なんで神谷より俺のが後なんだよ。俺の方が年上だ。」
「そ、それなら藤四郎より俺のが若い……」
「ああっ、ずるいぞ。そんなことを言ったら俺だって!」
やいやい騒ぎ始めた周囲に対し、佐伯はふぅと小さなため息をついた。
眼鏡をかけ直し、ふっと笑う。
「にぎやかですね。」
「だろう?俺の自慢の家族だ。あんたも来るか?」
「いえ、私は……」
「冗談だよ。あんたは優ちゃんの後継者だもんな。」
「……」
佐伯の次の言葉を待たずに、大浦親分はさっさと話題を切り替える。
「ま、手すり置いてっていいぞ。昨日、年忌も終わったしな。しばらくは近所の囲碁仲間しか来ねぇ。むしろあいつらも手すりがある方が安全だ。ジジイとババアばっかりだからな。」
「位置は前と同じでいいですか?」
「ああ。」
「神谷君。」
「はい!」
大浦親分の許可にすくっと立ち上がったのは翔平は動き始める。
「すみません。近所に100均ありませんか?」
「数軒先にあるが?」
「滑り止めマットを買いましょう。そしたら虎の敷物はそのままでいいと思います。」
ですよね?と同意を求めてきた翔平に対し、佐伯が首を縦に振る。
「あとは、出来ればスリッパを変えていただきたいですね。そのふかふかスリッパ。絶対に滑るでしょう?」
「かかと有りの物が安全だぞ。」
それぞれのアドバイスに舎弟たちが買いに走る。
「じゃ、玄関の手すりを元に戻しますね!」
「一人じゃ大変だろ?手伝うか?」
「え?全然大丈夫ですよ。」
早足で部屋を出た翔平はさきほど一個ずつ並べた手すりのところへ戻った。
「遠慮しなくていいぞ、神谷……ええっ!?」
江藤の大声に、佐伯と大浦親分も部屋から顔を覗かせた。
そのまま二人の目も点になる。
「どうしましたか?」
翔平は手すりを一個ずつ両肩に担いでいた。
「お、お前……それ、一つ30キロ以上!」
「ええ、そうですけど?」
「重くないのかよ!?」
「え~ベッドよりマシですよぉ。持ち手がついてますし。」
翔平はさらにもう一つ手すりを持ち上げた。
三つの手すりを抱えて玄関まで小走りに移動する。
「配置はこうでいいですか?」
「え、ええ……大丈夫です。」
「あとは隙間をジョイントしますね。」
背負ったリュックサックから工具を取り出した翔平は器用に手すりと手すりの間を繋げていく。
「なぁ、神谷。」
「なんです?」
近くに来て作業を見ていた江藤が楽しそうに作業する翔平に声をかけた。
「お前が最初から手すり三つ持って現れりゃ、全員黙ったんじゃねぇの?」
「それが一気に搬送しちゃダメなんですよ。竹内さんに絶対やるなよって止められてるんです。相手の心臓止まったらどうする気だって。」
「……お前の上司、優秀だな。」
「はい!竹内さんは全国一位の営業マンなんです!」
ちょうど玄関の作業が終わる頃、100均へ買い物に行っていた銀次郎と藤四郎が帰ってきた。
翔平は彼らから滑り止めシートを受け取ると、虎の敷物が滑らないようにしてから残りの手すりを設置し始める。
「フンフンフ~ン♪」
「……あれ、俺ら二人がかりで運んだよな?」
「やべぇ、六左衛門、マジやべぇ。」
目の前の光景に江藤は頭を抱え、佐伯も引きつった顔で見守っている。
「なぁ、勇ちゃん。」
「なんでしょうか。」
「あれ、やっぱりうちにくれ。」
大浦親分の真剣な表情に、佐伯は苦笑いを浮かべた。
「うちのスタッフじゃないので、ハートフル福祉用具事業所さんに聞いてもらっていいですか?」
ーーー数日後。
「神谷さん、お疲れ様です。」
事務員からの連絡に、その場に立ち上がった神谷は直立不動のまま携帯に出た。
目の前のパソコンでは完成したばかりの大浦家の図面が保存を待つばかりになっている。
半日かかった力作。
我ながら素晴らしい出来だと翔平は自画自賛したところへの電話。
「お、お疲れ様です……」
なんだよ、もう……
もしかして銀行の書類に不備があったのだろうか。
翔平はドキドキしながら携帯を握りしめた。
大浦親分の家には、近々、住宅改修の見積もりを持っていくことになっている。
しかし、今度は佐伯も江藤も同席してくれない。
僕にでも、印鑑を素直に出してくれるかな、健一郎さん……
「今回は大浦様という方から本社にお電話があったのでご連絡しました。」
「ク、クレームですか!?」
この前だって、直接本社に連絡しなかったのに!?
次はなんだと戦々恐々とする翔平に、電話の向こうから小さな笑い声が聞こえた。
「違います。むしろ絶賛されていました。素晴らしい子だって。」
「!」
初めて利用者さんに褒められた。
翔平の頬があまりの嬉しさで紅潮する。
しかし―――
「でも、その……退職届をくれと言われまして。」
「…………は?」
退職届?
「誰のですか?」
「もちろん神谷さんのです。『あいつは六左衛門になるから、親の自分が退職届けを出したい。郵送してくれ。』と。」
頭が真っ白になった神谷の耳に、笑いをかみ殺した相手から意向確認が入る。
「それで、その……退職なさいますか?」
「しません!!」
バンっと思わず翔平はキーボードを叩いてしまった。
画面が一瞬で真っ暗になる。
「あーーーーー!!!」
ハートフル福祉用具事業所名古屋支部の事業所内に翔平の叫びが木霊した。
◇ ◇ ◇
静かな事務所内に佐伯勇一郎の電話する声が響いている。
「ええ……はい。では、郵送させていただきます。はい。はい。もちろんです。」
電話の相手は、大浦礼二親分の息子である大浦浩二。
あとの舎弟たちの名前には数字が入っていたのに、どうして銀次郎なのか。
あの無邪気な神谷翔平が尋ねてくれて本当に良かったと思いながら、江藤香は電話に耳を傾けていた。
こういうところはさすが元弁護士だなと毎回感心する。
彼は相手を立てつつも、常に妥協点を探っている。
そうしているうちに最後は自身の望む方向へ誘導してしまうのだから、本当に質が悪い。
「ありがとうございます。では、失礼いたします。」
佐伯勇一郎が受話器を置いたところへ、江藤香は労いの言葉をかけた。
「どうだった?」
「とりあえず、身元引受人欄への署名と、何かあった際に連絡していいという許可はいただきました。」
「十年以上音信不通だった相手なら、それで御の字じゃねぇの。」
「ですね。」
ぐぐっと腕を上に伸ばし、佐伯勇一郎は大きく伸びをする。
「さてと、上がりますか。」
「ああ。」
二人はそれぞれパソコンを閉じる。
そして同時に出ると事務所を施錠した。
「で、今日の夕飯はなんですか、香ちゃん。」
「昨日のカレーの残りをドリアにする。」
「いいですね。じゃ、僕はお風呂の用意してきますね。」
そう言って佐伯勇一郎は自室へと戻って行った。
江藤香もまた、二階の自室へいったん戻り、エプロンを取ってくる。
一階の台所へ行くと、ドラゴンズが擦り寄ってきた。
「ニャー」
「ご飯か。よし。お前の部屋に行こうな。」
江藤香は仏壇の置いてある部屋へ行き、ドラゴンズの餌鉢にカリカリを補充する。
「水、変えましょうか?」
いつものように伊達眼鏡を外した佐伯勇一郎にそう声をかけられて、江藤香は水の容れ物を彼に渡した。
「はい、ドラゴンズ。お待たせしました。」
「ニャー」
二人にもてなされ、ドラゴンズはカリカリを食べ始める。
その様子を二人は目を細めて眺めていた。
「なぁ。」
「はい。」
「神谷を追い出さなかったのは、『翔平』だからか?」
「そうですよ。」
基本的に佐伯勇一郎という人間は警戒心が強い。
その上、ひどく無駄を嫌う性格をしているため、各事業所にアポイントメントなしならば対応しないと事業所開設時に通達した人物だ。
「ドラゴンズの次は『翔平』って優子さん、言ってましたから。」
「……当時ならファイターズかエンゼルスな気がするけどな。」
「野球が好きだったのは宏隆さんの方でしたから。優子さんは大谷翔平を追いかけてましたね。息子に欲しいって。」
「日本国民の母親が一度は思う奴な。」
さてとと立ち上がった佐伯勇一郎はお風呂場へと消えた。
残った江藤香は仏壇の前に座ると手を合わせた。
そして伏せられた写真へと目を向ける。
「優子さん……今日、大浦親分に会ったよ。相変わらず元気そうだった。」
「あれからもう12年か。3人で大浦親分の奥さん探したのが懐かしいよ。」
交番勤務直後だった。
徘徊して行方不明になった大浦律子を大捜索したのは。
「俺、親分の担当になったよ。優子さんが、律子さんを担当してたときみたいには出来ねぇと思うけど、頑張るから。」
報告を終えて、江藤香はその場から立ち上がった。
頭の中で大浦礼二親分の声が響く。
『まさか、あんなに早く逝くとは思わなかったけどな』
江藤香は強く拳を握りしめた。
「……優子さん。あの日の真実は、俺と佐伯で絶対に見つけてみせるからな。」
「香ちゃん、そう言えば……」
お風呂の準備を終えて、戻ってきた佐伯勇一郎がクスリと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
内藤夫妻の仏壇の前から立ち上がった江藤香は振り向いた。
「どうした?」
「明日から僕ら『どうも、元ヤクザのケアマネ事務所です』って名乗ります?」
「は?」
「その方がウケて、お客さん増えるかもしれませんよ?」
佐伯勇一郎は笑顔のままだった。
こういう時のこいつは、これが本気か冗談なのか十年経った今でも判別がつかない。
「……飯にするぞ。サラダ作るの、手伝え。」
「分かりました。」
二人は連れ立ってドラゴンズの部屋から廊下へと歩き出した。