
執り成す人 第二章第四話
「それでは退院前カンファレンスを始めます。」
相談員の声が静かな会議室に響いた。
病院からは担当医、看護師、相談員とリハビリ職として隆が出席している。
その向かいに座るのは、幹夫の在宅生活を支える面々だ。
相談員に促され、時計回りに自己紹介をする。
「では、遠藤さん。これからこのメンバーで遠藤さんのことを話し合いますね。」
「ああ。」
幹夫はお誕生日席に座っている。
その隣には、隣町に住んでいる甥が同席してくれていた。
最初に医師から病状説明、次いで看護師から病棟での経過が伝えられる。
「次にリハビリさん、お願いします。」
相談員に促され、隆はこの前悠里に話したことと同じ内容を伝えた。
「十日前から杖の練習も始めましたが、まだ少し不安定な状態です。帰ってからもリハビリを続けると聞いていますが、個人的にはまだしばらくは歩行器を使用することをお勧めします。以上です。」
「ありがとうございました。」
伝え終えた隆はふぅと小さく息をついた。
ああ、妙に緊張した……
目の前では退院後に幹夫が利用するデイケアの職員がメモを取っている。
ハートフル福祉用具事業所の竹内さんはいつも通りイケメンだ。
そして、悠里は病院側から渡された情報シートと、話している相手の顔を交互に見ていた。
相槌は最小限。
表情もほとんど変わらない。
必要な情報を一つ一つ拾い上げ、漏れがないか確かめているようだった。
なるほど。
これが『氷の女王』と言われる理由か。
この前、幹夫を交えて話していた時には気づかなかった。
彼女から感じるのは威圧感ではない。
些細な情報も漏らすまいとする、静かな緊張感だった。
「それでは、何か質問はありませんか?」
相談員が在宅支援チームにバトンを渡す。
最初に手を挙げたのはデイケアの職員だった。
相手はリハビリ職らしく、話に出なかった食事形態やアレルギーの有無、そして今のリハビリ内容をかなり細かく聞いてくる。
「では、左半身の麻痺は改善の見込みあり、ということですか?」
「はい。ですが完全に無くなるという訳ではないと考えます。しかし、まだ回復期なのでもう少し改善する可能性はあるかと。」
「なるほど。さきほど歩行器を勧められていましたが、杖歩行や家の中は伝い歩きが可能になりそう、という見解で大丈夫ですか?」
「はい。」
なぜだろう。
さっきから妙に左半身の麻痺の話ばっかり聞いてくる気がする。
普段は「今できること」を中心に話が進む。
ここまで麻痺そのものや今後の見通しを確認されることは珍しかった。
「えっと、他にはどうですか?竹内さんとか。」
相談員がなぜかケアマネジャーの悠里ではなく、福祉用具の担当者を指名する。
この人も竹内ファンか。
思わず隆は苦笑してしまった。
指名された竹内は爽やかな笑顔を見せる。
「そうですね。遠藤さんのご自宅に関してですが、基本的には杖でも歩行器でも大丈夫だと思います。しかし、前回奥様の時にはお風呂は訪問入浴を利用したため、浴室には手すりがついていません。今後はデイケアを利用しますが、ご自宅では入浴されますか?」
「する。」
「浴槽は中が深くなっているので、浴槽台があった方がいいかもしれません。あとはシャワーチェア。もしよければデモ品を一度お持ちします。あとは生活空間ですが、もともと一階に寝室がありますし、ベッドもあるので大丈夫だと考えています。もしも起き上がりがしにくいようであれば置き型手すりのレンタルをしてはどうでしょうか。」
そこまで話して、竹内さんは悠里へちらりと視線を送った。
「木原さん、どうでしょうか。」
「はい。」
彼の後を継いで、悠里が話し始める。
「あとは住宅改修も視野にいれましょう。改修場所はトイレと浴室。それらは前回工事していない場所と伺いました。ご自宅に戻られる当日に各サービス事業所との契約とサービス担当者会議を予定しています。園田さん、その時に評価をお願いできますか?」
「はい。分かりました。」
もうすでに話が出来ていたのだろうデイケアのスタッフが頷く。
「あの、すみません。病院からも伺いたいのですが、今回利用するサービスはデイケア週2回と福祉用具だけですか?ヘルパーさんとか……」
このサービスで足りるのかとずっと心配していた病棟看護師が声を上げる。
それに対して、答えたのは悠里ではなく幹夫本人だった。
「ヘルパーは要らん。買い物は近所の人がしてくれる。小夜子が倒れた時に多少家事は覚えた。どうせやることはないし、ゆっくり時間をかけてやればいい。」
「でも、外に洗濯物を干すのは大変じゃないですか?」
「大丈夫だ。」
何を言っても大丈夫と言いそうな幹夫に対して看護師が眉を顰める。
それに気がついたのだろう甥が助け船を出した。
「叔父の家にはルンバと乾燥機付き洗濯機があります。それに親戚や友達が近くにいっぱいいるので。今までもそうだったように、皆さんがこれからも助けてくれると聞いています。」
「甥御さんもこれからもご協力を?」
「……そうですね。仕事があるので何でもっていう訳にはいきませんが、契約とかそういう事には立ち会うつもりです。」
どうやら幹夫は、人に助けられるだけの人望を積み重ねてきたらしい。
まぁ、長年ボランティアやってきたっていうし、顔が広いんだろうな。
それなら心配ないかと隆を含めた病院関係者が安堵したところで、最後にいいですかと悠里が手を挙げた。
「先生に伺いたいことがあります。」
「はい。」
「車の運転はどうでしょうか?」
「……車?」
医師の眉間に軽く皺が入る。
一体この人は何を言い始めたのかと、隆も耳を疑った。
この場合、主語は遠藤幹夫だ。
「待ってください。危険です。」
医師よりも先に、隆が口を開いた。
「85歳ですよ?軽度麻痺もあるし。」
看護師も隣で何度も頷いている。
「運転、ですか?」
それでも、少なくとも幹夫の年齢で、介護保険を受けるようになっての運転再開というのは今まで聞いた事が無い。
しかし悠里は顔色一つ変えず、平然と答えた。
「遠藤さんは左下肢の軽度麻痺、ですよね?運転はオートマ車ならば右です。」
悠里の一言に、会議室は水を打ったように静まり返った。