
30枚の写真——幼いころからのアルバムを、全部捨てた
幼いころからのアルバムを、全部捨てた。手元に残したのは、30枚だけだった。
写真を捨てよう。
その思いは、仕事が休みの日に突然やってきた。
アルバムは、大切にしなければならないもの。ずっと、そう思っていた。母と同じように。
部屋の片づけをしていた、晴れた日の午後。わざと部屋の隅に置いていた、分厚く重いアルバムたちが、妙に主張してきた。
無視できなくなった瞬間、もう決まっていた。
大切にしなければならない、が、そう思わなければならない、に変わっていた。
それに気づいたとたん、捨てなければ、とも思った。
写真は、もれなく全部見た。
一冊に100枚ほど入るアルバムが、4冊。気が遠くなる400枚だった。
でも、見ないまま捨てることはできなかった。一枚ずつ、最後まで見た。
懐かしさと、胸の上に乗る重みは、どこまでも一緒にいた。
重みで呼吸が止まりそうになると、懐かしさが、ときどき息つぎをさせてくれた。
畳の上に、二つの山ができていく。
残す山は、なかなか高くならなかったけれど、捨てる山は、ずっと高かった。
紙の擦れる音だけが、部屋に響く。
その音を聞くたびに、額に汗をかき、指先が少し冷たくなる。
体は、もうやめたいと言っていた。それでも、手は止まらなかった。
写真の中の私は、ちゃんと子どもの顔をしていた。
たくさん、どこかに連れて行ってもらっていた。
父と母に抱きしめられている写真があった。祖父母と手をつないでいる写真があった。
愛情をもらっていた。
思っていたよりも、ずっと多くあった。
うれしかった。でも、かなしかった。
私は、その写真を見ながら、深くもぐりこんだ。
当時の映像や色や匂いまで、感じられるように。
少しでも多く、愛情のかけらを、拾いたかった。
写真の中から、愛情のかけらを見つけたのに、痛みはむしろ、深く固定されたように感じた。
写真は、写っているものしか見せないはずなのに、そこに写っていない多くのものを思い出させた。
家の中の空気。誰かの声の調子。誰かの顔色を見てしまう癖。言葉を飲み込んだ瞬間。
私は、幸せだったのか。
かわいそうだったのか。
写真の中の自分が、わからなかった。
でも、写真を撮られたときの、偽物の気持ちだけは、はっきりと思い出された。
母が、とくに気に入っていた写真があった。
長い間、リビングに飾られていた写真だ。
クマのぬいぐるみを抱えて、私はほほ笑んでいる。
母に写真を撮られたとき、私はうまく笑えた。
よかったと思っていた。
今、その笑顔を見る。
口元は、ちゃんと笑っている。
でも、目だけが違った。
目だけが、冷たい黒をしていた。
温度のない黒だった。
それでも、残したい写真はあった。
見ていると胸の奥が固くなるのに、捨てられない写真があった。
それは、顔を作る前の私が、写っている写真だった。
大切にしなければならないから、残す。
そういう選び方は、もうしたくなかった。
母が残してくれたものだから、残す。
そういう選び方も、もうできなかった。
苦しくなっても、それでも残したいと思えるものだけを残した。
最後に残ったのは、30枚だった。
少ないのか、多いのかはわからない。
でも、これだけで十分だと思った。
この30枚なら、持っていられると思った。
残す山をきれいに整え、封筒にしまった。
薄い封筒だった。
あれだけ分厚かったアルバムが、この厚みに変わったことが、まだうまく信じられなかった。
捨てる山は、ゴミ袋に入れた。
持ち上げると、腕にずしりと重みがきた。
紙だけなら、こんなに重いはずがなかった。
それでも、重かった。
ゴミ袋は、その日の夜、玄関に置いた。
口は固く結んだ。
そこを通るたびに、私は目をそらした。
中を開ければ、まだ少し戻せるかもしれない。
でも、もう見たくなかった。
翌朝、収集所まで持っていった。
早朝のまだ人の少ない道で、袋の持ち手が指に食い込んだ。
ゴミ置き場に置いたあと、少しだけ立ち止まった。
いちどだけ深呼吸をして、振り返らずに、家へ戻った。
玄関に入ると、昨日までそこにあったかたまりは、なくなっていた。
アルバムを捨てたあとも、急に楽になったわけではない。
過去が遠くなったわけでもない。
ただ、あの大量の写真を、私はもう持っていない。
その事実だけが、ここにいた。
写真の中の私は、今も笑っている。
たぶん、大切にされていた。
でも、その顔を作ることを、私はいつから覚えたのだろう。
今も、考えている。
子どもになれなかった日々のことを。
子どもでいられるための愛情のことを。
手元に残した30枚の写真は、何も説明してくれない。
ただ、薄い封筒の中にある。
今日も、幼いころの私が、こちらを見ている。
私は、少しだけ目を細めた。