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10幎前のカルテず、今

    私が元気になっおから、元䞻治医の先生ず街で再䌚した。
    元気になった私を芋お、ずおも喜んで䞋さった先生に、
    ある日
    「自分のお店をオヌプンしたす。」
    ず䌝えた。
    連絡先は知らなかったので、先生の行き぀けのバヌのマスタヌに名刺を枡した。
    そのバヌが再䌚堎所だった。
    初来店も、先生からのお花が届いた時も、私は飛び跳ねた。

    そこから䞀幎以䞊が経過し、先生ずはずおも倚くのこずを話した。
    粟神の医孊的な話や、たわいない出来事、経営の分野たで、二人の䌚話は倚岐に枡り、ずめどない。
    歳は芪子ほど離れおいるにも関わらず、なんずも気が合うのだ。

    先生はよく物を倱くしたり、忘れたりする。
    運転免蚱蚌の䞋䞀桁は、"4"だ。
    クレゞットカヌドは䜕十枚も、県鏡は200本も倱くしおいるそうだ。
    私はクリニックに通っおいた頃、圌にそんな䞀面があるずは思いもよらなかった。
    私に呆れ、もう自分の手には負えないず思っおいたそうだ。
    薬が効かないず喚く私を芋る、先生の困った顔は今も脳裏に焌き付いおいる。
    今先生が私に向ける顔は、ずおも朗らかである。
    時に私の蚀動で、倧笑いする。
    私も先生の蚀動で、倧笑いをする。
    そうしおいるず、先生は130歳たで生きられるのではないかずすら思えおくる。

    先生は今たで䞀䞇人以䞊蚺おきた䞭で、私の状態の酷さが䞊䜍五本の䞭に入るず蚀う。
    ふず、カルテを敎理䞭に私のものを探したそうだ。
    懞念しおいたこずであった。
    「恥ずかしいですよ先生」
    ず蚀いながら、私自身も興味を隠せなかった。
    初蚺は十幎前だった。
    蚺断名は"情緒䞍安定性人栌障害"ず曞かれおいた。
    圓時の私は絶望した。
    今ならば、自分を耒めおあげたい。
    やっかいなもので、これがあるず鬱病であっおも包み蟌んでしたう。
    うずくたり小さくなっおいる自分を、翌で芆い隠すように。
    治る、治らないではないのだず思っおいる。
    「症状が萜ち着く」
    「コントロヌル出来るようになる」
    「自分が壊れない構造を䜜る」
    そういう話だず思っおいる。
    なぜあの私が元気になったのか、䞍思議だったそうだ。

    元気になった私を半幎ほど芋おきた先生は、
    もう䞀぀の蚺断を䞋した。
    "ADHD"である。
    私ず先生の、䞀番の共通点だろう。
    先生によるず、ADHDの重さも蚺断をした二癟人䞭、私は五本の指に入るず蚀う。
    せっかくならば総合䞀䜍ずいうこずにしおもらった。

    食刞制の店で、先に食刞を買っお䞊んでいたずきのこず。
    どちらが持っおいた方が良いのだろうかず私達は悩んだ。
    い぀も呚りの人に持っおいおもらうからである。
    幟分たしかず思い、私が持った。
    幞い倱くさずに枈んだが、我々の議論は続いた。
    最終的に、
    「リスクを分散させるために、自分の分は自分で持ちたしょう。」
    ず提案した。
    先生も賛同しおくれたが、この時の二人はただ
    「そもそも自分で持぀ものだ。」
    ずいう倧前提が、頭の片隅にすら浮かんでいなかった。

    最近ふず、先生ずいるず自分のおっちょこちょいが曎に露呈するような気がした。
    ずいうこずは、普段呚りの人が盞圓気を利かせおくれおいる。
    そういう気づきも含め、
    先生から、自分のこずも、孊問的なこずも様々教わっおいる。
    「再䌚できお本圓に良かったです。」
    そしお返答を埅぀前に、
    「先生も私ず再䌚できお、良かったですね。」
    ず蚀っおしたう私の性栌も。

    私はあのカルテの䞭に閉じ蟌められた、
    十幎前の自分ず察峙した。
    そしおそれを、元䞻治医ず笑いながら読んだ。
    そんな時間も、もうカルテには曞かれない。

     
     
    山梚・甲府のスナックBloomのママ、あおいBRUTUSず申したす。 日々の䌚話やドラマの䞭にある“面癜さ”をすくい䞊げお綎りたす。 くすっず笑えお、気づけば元気になるような。 䞀緒に飲んでる気分で、気楜に読んでいただけたら幞いです。

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