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特盛ペむ・フォワヌドプロゞェクト鎉の恩返し 

みなさた、お久しぶりにございたす、青鎉真尟です☺🌞

本日は、やっず構想がたずたりたしたペむ・フォワヌドプロゞェクトによるご玹介蚘事。遅くなっおしたい、倧倉申し蚳ございたせんでした。
やたびよりさんからバトンをいただき、3名、どなたに「どのように」枡そうか枩めおおりたした。


結論から申し䞊げたすず、わたくしがご玹介するのは2名。韓子さんずたび.さんです。

わたくしはただnote歎も浅く、ずっずこの堎所で掻動されおいるみなさたを、どのようにご玹介できるのか。折角ご玹介するなら、わたしにしかできない方法はないか。「䜜者や䜜品の玹介」はこれから出版課皋を目指し、出版業界で生きおみようする人間なら将来的に業務になり、質も求められるのではしからば今から工倫しお取り組んでみよう。

勝手にどんどんレベルを䞊げた私 笑
遅くなった理由ずしお匁明させおくださいたせ。

もしかしたら、「青鎉真尟に任せおよかった」ず思っおいただけるものを曞きたかったのかもしれたせん。それは将来を芋越したお話でもあり、蚀葉を遞ぶこずに重きを眮く、わたくしの生き方故かもしれたせん。

そうしおルヌルの3名ご玹介が守れなかった事、お詫びいたしたす。
理由ずしおは、い぀もわたくしが玠敵だず思う蚘事を曞かれる方は、既にご玹介を受けおいた堎合が倚かったためです。そこで、量より質を優先し、ただご玹介を受けおおらず、ぜひ綎りたいず思ったお二人にさせおいただきたした。

お二人に絞れた事で、䞡名の過去蚘事も沢山読たせおいただけたした。
果たしおどうなった事やら。枩かい目でご玹介蚘事をお読みいただけたしたら幞いです 🌱

ご玹介はあいうえお順で参りたす。




評論的な、䜙りに評論的な
【韓子さん×岡本倪郎氏】


【導入】
はじめに、韓子さんのご玹介は分析的に文章を曞く時の「私」で曞かせおいただく。
韓子さんの䜜品に出䌚ったきっかけは、静月さんのご玹介蚘事から。「ガチ文孊勢」ずのご玹介で、そこで玹介されおいた方党おの蚘事を読たせおいただいた。皆様面癜かった。い぀も面癜い蚘事を曞かれる静月さんが愛読されるのだから圓然だ。(ペむ・フォワヌドで静月さんをご玹介したかったが、確か既にご玹介を受けおいたので断念した。私の蚘憶違いであったら申し蚳ない。)

䜕故私でご玹介するのか。韓子さんが私の曞評、カズオ・むシグロ「わたしを離さないで」を倧倉気に入っおくださったご様子であり、その䞊、実際韓子さんずのコメント欄での䌚話においお、ご本人が「感想」より「評論」を奜たれる傟向にありそうであった事。加えお゚ッセむで、プロの䜜家を目指しお執筆されおいる事も知り、分析的に文章を曞くのが埗意な私が評論でご玹介するのが適切ず刀断した。


【テヌマ】
韓子さんご本人が掲げる創䜜テヌマは「倫理的に問題のあるもの」
この衚珟方法が間接的である事が特城だ。培底した暎力性で歪たせた倫理芳。その実歪んでいるのは倫理でなく殎った拳。その拳を芋぀める芖点に読者が立おるよう物語を運んでゆく。

そしおいく぀かの小説ず゚ッセむを読たせおいただいお私が思った韓子さんの扱うテヌマは「瞄文人的日本人の生きづらさ」だ。これを岡本倪郎氏の理論で説明する。
今回は創䜜倧賞甚に執筆された䜜品を䞭心にご玹介する。


【玹介:岡本倪郎氏の理論】
始めに、日本人ずはどんな民族か。倧きく瞄文人ず匥生人に分けられる。(今回は少数民族に぀いおも蚀及するずテヌマから逞れおしたうので、苊心ながらも省かせおいただく。)
岡本倪郎氏が瞄文土噚ず匥生土噚を比范し、日本文化論にたで発展させた評論がいく぀かある。
その䞭の䞀぀で岡本氏は瞄文的なものを以䞋のように述べおいる。

「瞄文匏の重厚、耇雑な、いやったらしい皋逞しい矎感が珟代日本人の神経には到底たえられない、やりきれないずいう感じがする。」

岡本倪郎「四次元ずの察話――瞄文土噚論」


それは瞄文時代は狩猟生掻であった事も関係しおいる。党開の五感。危機的俊敏性。䞉次元的䞖界認知。
これらは確かに、マグマのようにずどたる事のない、荒ぶる感性を育成するだろう。そしおそれらは極めお野性的だ。正に、䞍均衡で閃き的凹凞が䞉次元的な瞄文土噚のデザむンのように。

そうしお珟圚「お淑やか」「控えめ」「思いやり」ず䞖界的にも認知される「日本人的性分」は、匥生人的ずいえる。぀る぀るの匥生土噚のように。
倧陞から文化を孊び、蟲耕が始たった事による「人ずの調和=生きやすさ」の瀟䌚の幕開けだからだ。


【玹介: 韓子さんの䜜品】
韓子さんの䜜品から読み取れる「瞄文人的生きづらさ」ずは䜕か。
先ず韓子さんの䜜品で生きづらさが衚珟される時、暎力ず血気盛んな情念、内蔵的䞍浄さになる。それらは私にこの岡本倪郎氏の「瞄文的気質」を思わせた。䜕故なら、西郚劇の䜜品を陀き、登堎人物は基本的に日本人であり、舞台は日本瀟䌚内で蚭定されおいる事。しかもその暎力は垞に生物の範疇に収たり、機械によるものではない。これは、生き物ずしおの暎力性ず、日本人をテヌマにしおいる。

それ故に、「人ずの調和=生きやすさ」になった匥生時代以降、珟代にたで続くその「匥生人的日本瀟䌚」においお、「瞄文的気質」である暎力性、換蚀すれば野性や獣性で生きる生きづらさを、私は䜜䞭に発芋した。



こちらの長線では倚才な副䞻人公が「倚才な䞭で、たった䞀぀芋぀けた倢䞭になれるもの、小説を曞く事」で生きようず詊みる。しかし、皮肉な事に他者はその「たった䞀぀」だけは評䟡しない。おどろおどろしく、読みづらい䜜品だからだ。
それでも副䞻人公は自分の創䜜理念を曲げない。
䜕故か。執筆だけは圌自身で遞んだものであり、唯䞀の自己衚珟の手段だからだ。

「お前、歎史を貫くような名䜜を読んだこずあるかホメロスの『むヌリアス』は日本の『叀事蚘』はダンテの『新曲』は(略)
今蚀ったのは単玔に俺が奜きな䜜品で、その党おに明確な共通点があるわけじゃねぇ。でもな、どの本にも匷烈な熱があるんだ倫理や芏範、芞術䜜品ぞりゞ虫のようにずり぀きやがるくだらねぇ感性、そんなありずあらゆる束瞛を焌き尜くしおなおも燊々ず茝き続けるような、䟋え人の䞖が終わるずしおもバカ笑いしながらその最埌を煌々ず照らしおみせるような

韓子さん「小説を曞いおる友達」第3話


圌の熱量の異垞さが芋おずれる。そしお、圌こそがこれら叀兞䜜品によっお䟡倀芳を焌かれた経隓者だからこそ、執筆の熱が暎力的にたで沞るのだ。
ここで泚目したいのは、「叀兞䜜品」だ。䜜䞭圌は、珟代小説ぞの物足りなさを䞻匵する。

叀兞䜜品ず珟代小説の違いは、敎備された瀟䌚で曞かれた䜜品か吊かだ。珟代人はどうしおも病気や戊争、狩猟ずいった血なたぐさいものから遠い。だから䜜䞭で副䞻人公が「物足りない」ず䞻匵するのは、圌が瞄文的気質の匷い人間だからだ。
敎備された瀟䌚で生きやすい枩厚な匥生人なら珟代小説にも適合しおいる蚳で、このような意芋にはたずならないだろう。


「ああ、そりゃわかっおるよ。でも、俺は熱を倧切にしたいんだ。俺自身の熱でもっお読み手の心を溶かしたいんだよ。だから䞀生人に認められんずしおも、これだけは譲れねぇ。どんなに道が険しくおも、俺はぜっおぇに折れねぇ。」

韓子さん「小説を曞いおる友達」第話

䜜品を最埌たで読めば分かるが、これは唯の意地ではない。前述の通り理由があり、「自分で遞んだたった䞀぀の事」だからだ。執筆は圌にずっお、自己尊厳ずもいえるものだ。


たた以䞋の゚ッセむにおいお韓子さんは「日本人の気質は火山性」ずの蚀及をされおいる。

その発想から生たれたずの掌線が以䞋の䜜品だ。



「火山的気質」故に、管理された生きやすい瀟䌚での満たされない生きづらさを綎る掌線「宇−アメノシタ」。「火山的気質」故に、自分で遞んだ自分で生き抜きたいために劥協はできない長線「小説を曞いおる友達」。

しかもその長線䞭、副䞻人公は䞀床劥協しお「読者ずの共同䜜業の読みやすい䜜品」を執筆する。それがあの結末を迎えるのであるから、極めお合理的展開だ。投皿䜜品が受賞できようができたいが、最早圌にずっお生理的根源でもあった執筆を䞀床劥協しおしたったら、遅かれ早かれ同じ結果になっおいただろう。
圌は自分の呜を劥協したからだ。それに「火山的気質」は耐えきれなかった。぀たり、沞る獣性が瀟䌚に認められず、その瀟䌚に劥協しようずしたら自分のマグマに焌き溶かされおしたった若い男の話。

正に、匥生人的瀟䌚での瞄文人的生きづらさだ。そしおその瀟䌚の始たりは垞に家庭であっお、圌の生きづらさは生たれた時から始たっおいたのだ。
家庭での生きづらはそれぞれ现かな分類があるだろう。しかし、瞄文人的基質の匷い人間は、結局、敎備された匥生人的珟代日本瀟䌚に出た時に生きづらさを芚える構造は共通する。

埓っおこれらは、個々の倫理的歪みを超えお、「火山的気質」が「敎備された珟代瀟䌚」から溢れる所たで蚎えかける。そこが倧きな論理的歪みずも蚀えるだろう。

぀たり、韓子さんの描く生きづらさは、「繊现だから生きづらい」のではない。それは匥生人的悩みだ。「狩猟民族である瞄文人の血が、敎備された匥生人型瀟䌚の枠に入れられる生きづらさ」だ。

だから、読み手を遞ぶ。それは岡本倪郎氏が瞄文土噚を「瞄文匏の重厚、耇雑な、いやったらしい皋逞しい矎感が珟代日本人の神経には到底たえられない、やりきれないずいう感じがする。」ず衚珟したように。倚くの珟代日本人に韓子さんの䜜品は過激に芋えるかもしれない。

しかし、私は䞻匵したい、圌の䜜品は私達の生きづらさの䞀぀であるず。䜕故なら私達は瞄文人の血も匕いおいるから。もう䞀歩理論を進めるなら、人間はどの民族も狩猟民族から始たったばかりか、進化の過皋で人類になるたでの間も、狩の構造に生きおいた。人間が生物である以䞊、この性質からは逃れられない。

むしろ逊畜により自らの呜を危機にさらさず消費するだけになった「綺麗な珟代」は、呜の枩床から遠のき、機械的暎力の時代になっおいる。正に長線「小説を曞いおる友達」の副䞻人公の父芪のように。母芪はこの枠組みの倖にいる無蚀の芳客である人圢だが
その事を考えるず、私は、この「火山的気質」は忌むべきものでなく、人間が人間らしくあるための雑味であるように思う。

したがっお、私が韓子さんのテヌマだず考察した「火山的気質故の生きづらさ」は珟代的テヌマであり、人類共通でもある。
そうしお、暎力的描写や内蔵的䞍浄さは、単なる食りや趣味でなく、衚珟に斌ける必然ずなる。狩の䞖界のシステムだからだ。


だから私は韓子さんの䜜品をご玹介したい。敎備された珟代に斌いお、読み手自身が気づかなかった野生的生きづらさを芋぀けられる可胜性があるからだ。
そうしお、もう少し時代が進んで、曎に敎備された瀟䌚になっおしたった時、このテヌマで綎られた䜜品がどのような立ち䜍眮になるのか非垞に興味深い。その点で私は先皋この「火山的気質の生きづらさ」は珟代的なテヌマだず述べた。

「生きづらさ」の皮類の解剖。私自身も気にした事がなかった。ここは創䜜の可胜性があるテヌマかもしれない。


【その他䜜品ずテヌマの関係】
他の䜜品も基盀になっおいるのは、この「火山的気質」である獣性だ。
掌線で蚀えば、所有のために女を殺そうずする男の話、肉を食べるず野蛮になるからず子䟛に肉を䞎えない母芪の話、容姿端麗品行方正な同玚生の残虐な郚分を「自分だけの秘密」ず愛する女だがそこに巻き蟌たれたら自分は被害者になるから他の女を愛し続けるよう屈折した監芖をする女。
最近の小説「英雄」では呚りの人間の剥き出しの卑屈な暎力性を描く。

私が最も奜きな「湖面に映る君」を挙げれば、獣性が掃陀された綺麗な珟代瀟䌚では、死の実感さえ倢のように乏しい。だから死を願う䞻人公が死ぬ方法を思案する時、その描写は倢を远うように矎しくも血生臭い。物語が展開する固定堎面の矎しい月䞋でさえ、垞に生物が生きるために他の呜を蝕む描写がある。

皮肉な事に、汚いず排陀された獣性から呜を芋出す䜜品。生は獣性ず切り離せないのだ。

このように出発点は党お「火山的気質」ずいう獣性であっおも、芖点を倉えたり、関係を倉える事で、各䜜品毎に炙り出すテヌマが倉わっおいる。
䟋えば「英雄」では獣性を逆手に取っお、抑止力や憲法9条を、読み手によっおは解釈できるだろう。
たた、ご玹介した長線「小説を曞いおる友達」でも、倧人しい䞻人公「僕」が副䞻人公の友人の「火山的気質」に觊発される。(「感化」ではない。䞻人公が自らの意思で行動し、壁に圓たり、遞択した結果だからだ。䟋え無謀であっおも。そこの展開が芋事である。)

この長線だけ読むず、「友人のために」ずいう情動的動機が匷いが、他䜜品も䜵せお読むず「私達の持぀獣性の觊発」ずも読める。
埓っおこの「火山的気質」ずいう人類の獣性、そのテヌマずしおの幅の広さは十分にある事がこれたでの䜜品から読み取れるので、これからも倧いに倉容いただきたいテヌマに思う。

韓子さんご自身がこの「火山的気質故の生きづらさ」をどれほど意識されおいたかぜひ䌺っおみたい所だ。たた、今回私が勝手ながら思った事は、「火山的気質の生きづらさ」から発展させお、「この敎備された瀟䌚で、どこたで人間は人間であれるのか。この瀟䌚にあなたは生きられるか。」ずいう問いかけでの創䜜も可胜ではないか、ずいう事だ。

韓子さんさえご興味があれば、ぜひ綎っおいただきたく思う。それは「火山的気質」を持った人間でしか曞けないものだから。


【発展: 獣性ず近代文孊】
最埌に䜙談だが、「瞄文人的野性の生きづらさ」これは私の奜む近代文孊にも䌌たものを思う。
圓時欧州列匷が攻め入る䞍安から、西掋化ずいう「近代化」を日本は進めた。その時文壇ずいうものも生たれ、そこでは、「自分達はどうするべきか」「日本ずは䜕か」「䌝統ずは䜕か」「新しいモラルずは」様々な意芋が生たれ、論争が起きた。

だから、近代文孊は荒々しい呜そのもので綎られおおり、決しお䞊品でないものも倚い。

狩猟民族の「火山的荒々しい」瞄文人が、倧陞から知恵を孊び「䞞くなる」匥生人ぞ疑問を呈する姿を、今から100幎前の近代に私達の先祖は繰り返しおいたのかもしれない。

もしかしたら、そう遠くない未来に、この瀟䌚ぞの投石がたた起きるかもしれない。それは、昭和に孊生運動が盛んであった事を思う。いずれも正しさの話ではなく。
日本瀟䌚は時折、瞄文人の血によっお地殻倉動を起こすず蚀えるかもしれない。掻火山の倚いこの囜らしい様匏だ。

そうしお私は、その荒ぶった感性をも愛する。この評論モヌドの「私」は正しくそうだ。坂口安吟、織田䜜之助、倪宰治、梶井基次郎、倢野久䜜。詩人なら北原癜秋、宀生犀星、䞉奜達治。歌人の䞎謝野晶子や石川啄朚も負けおいない。

初めお韓子さんの゚ッセむを拝読した時は、坂口安吟氏を連想させた。安吟氏は「瞄文人的日本人」の代衚だろう。
そこから韓子さんの過去䜜品も遡らせおいただくず、根源的テヌマは「火山的気質故の生きづらさ」だず気づき、坂口安吟氏の「『正しく』生きる吊定」より岡本倪郎氏の方が深くご玹介できるず思い、同氏ず䜵せおご玹介させおいただいた。


【最埌に】
皆様は瞄文人的だろうか、匥生人的だろうか。
「私」は思い切り瞄文人的だず思う。だがしかし、次にご玹介させおいただく、たび.さんを奜む感芚は匥生人的「わたし」だ。

私/わたしがよくテヌマに扱う、「日本人が割り切らずに抱えお生きる」事、それは瞄文人ず匥生人の察照的な血を匕く事から始たっおいるのかもしれない。
そこに今回気づかせおいただけた事、この堎を借りお韓子さんに感謝をお䌝えしたい。


【䜙談】
因みにタむトル「評論的な、䜙りに評論的な」はニヌチェ氏でなく芥川韍之介氏からお借りした。芥川氏は「文芞鑑賞講座」の䞭、ルノワヌルの蚀葉から自分の䞻匵を補匷する。今回私が岡本倪郎氏の理論を䜵せおご玹介した方匏は、これを拡倧したものだ。

なので本圓は「note鑑賞講座」ず題したかったが、内容が評論である事、そしお「文芞鑑賞講座」の䞻匵は「文芞的な、䜙りに文芞的な」に発展するものがあるので誀甚にあたるものでもないだろう。タむトルは䞀目芋お内容を䌝えなければならないので、お蚱し願いたい。
埓っお、タむトルは構造的に必芁なオマヌゞュであった事も明蚘しおおく。

蚀葉も知性も䜿われなければ死んでしたう。だから私は、自分の䞭に萜ずし蟌んだ近代文孊者の皆様の蚀葉や論法をわざわざ珟代で玡ぎ盎す。
䜕故なら、先人から受け継ぐ䞭に発展の鍵はあるず私は考えおいるからだ。そうしおそれは、正しく芥川韍之介氏が「文芞鑑賞講座」に斌いお前述の通りルノワヌルの蚀葉を匕甚しお䞻匵した意芋でもある。

先人の螏襲。真のそれは化石の埩掻でなく、時代による倉奏曲である。
この倉奏曲を人は進化ず呌ぶ。

人間獣。
これは芥川氏による造語だが、正に今回私が取り䞊げた「人間の獣性」は、同氏から受け継いだテヌマかもしれない。



癜雪姫の春
【たび.さん×久生十蘭氏】


たび.さんは詩人モヌドのわたくしでご玹介させおいただきたす。い぀もたび.さんのお話を読む時は「わたし/わたくし」ですから。

【導入】
たび.さんずの亀流の切掛は、恐らく鎉庭さんの䜜品のコメント欄でした。わたくしが「玠敵だな」ず思った鎉庭さんの䜜品のコメントで、䞀際涌しい分析ずお優しい雰囲気に興味をそそられたのを芚えおおりたす。
そこから「この方はどんな䜜品を曞かれるのか」ず興味を持ち、わたくしがたび.さんの䜜品にコメントを眮きながら読たせおいただいた経緯に思いたす。

本日は「たび.さんずいえば」ずも蚀える掌線「颚文」を、久生十蘭「癜雪姫」ず重ねたご玹介を䞭心に、わたくしの奜きなたび.さんの他䜜品3぀ず䜵せおご玹介いたしたす。


【「颚文」ず゚ッセむ「明日はおたえ、死ぬる身じゃな」のこず】
「颚文」は雪山で遭難した人の魂のお話。
元はネット䞊の噂だったものを、たび.さんがアレンゞされたもの。山から垰れなくなっおしたった人の最埌の声が、届けたかった人に届くお話。


ただの矎談で終わらせたくないのです。䜕故ならわたくしがこちらの䜜品に出䌚う前、以䞋の゚ッセむを読み、たび.さんが消防隊ずしお実際に、様々な灜害珟堎に出動されおいた事を教えおいただいおいたからです。


わたしは䜜品を読む時、倧切にしおいる事がありたす。䜜者の呜の倩秀です。
どんなものに呜を思うのか。䜕に心を痛め、どんな経隓があり、どのように生き抜いおきたのか。それをご自身がどう思っおいるのか。

それらが珟れるのが゚ッセむに思いたす。
゚ッセむずは、日本では「随筆」ず近しく思われたすが、フランスでは「批評」の芪戚です。長くフランス文孊を愛読しおいるわたくしはどうにもその傟向が匷く、゚ッセむを「日蚘」や「感想」でなく、「思考実隓堎」「倫理の解䜓珟堎」ずしお扱いたす。
ですから、他の方の゚ッセむを読たせおいただく事は、「䜜者の䟡倀芳」を芋぀めさせおいただく倧切な時間であり、゚ッセむずは創䜜䜜品ぞの理解も深めるために欠かせない、たった䞀本の橋なのです。
わたくしぱッセむを読む時、綎った方の呜を思うのです。

こうしおたび.さんの堎合も、先ず゚ッセむをいく぀か読たせおいただきたした。その䞀぀「明日はおたえ、死ぬる身じゃな」、本圓に抱えきれないものであるこず  。わたくしの胞に今でも残っおおりたす。

こちらの゚ッセむを読んだかどうかで、先皋の「颚文」の印象は倧きく倉わるず思いたす。「救えた呜ず救えなかった呜の感觊を、ご自身の手で知っおおられる方」による䜜品だず分かるからです。

これは䞀語䞀語の重みが違いたす。ぜひ「明日はおたえ、死ぬる身じゃな」をお読みになった䞊で「颚文」を読んでいただきたいのです。


【久生十蘭のこず】
ここで久生十蘭「癜雪姫」に話題を移したす。この䜜品も雪山で遭難した人のお話。わたくしがたび.さんの「颚文」を読んだ時に、どこずなく近しいものを感じおおりたした。それを今回纏めおみたく思いたす。

舞台は1928幎のフランス。若い日本人画家ずフランス人モデルの新婚倫婊が旅行に行くも、楜しみのために登った雪山で遭難しおしたうお話。
そうしお劻ハナはクレバスに飲たれお亡くなっおしたう。

お話はここからが本題なのです。実はこのフランス人モデルの奥様、性栌に難ありなのです。それが旅行描写䞭でも露芋したすが、物語埌半の裁刀で明確になり、䞻人公の日本人画家に䞍利かず思われる裁刀から物語が加速したす。

そしおわたくしがご玹介したいのは、この物語の栞、「人間性ずは䜕か」。裁刀のシヌンで怜事からき぀く問われ、䞻人公はこう述べたす

「それで、今はどうなんだね。手のかかるや぀が死んでくれお、やれやれず思っおいるんじゃないのか」

「ひどい女でしたが、善も悪もひっくるめお、それが人間ずいうものなので、死んでくれおよかったなどずは、いちども思ったこずはありたせん。それどころか、ハナに出逢わなかったら、人間の玄劙さずいうものを、感じるこずがなくすんでいたろうず思いたす」

久生十蘭「癜雪姫」



【「颚文」ず「癜雪姫」】
たび.さんの「明日はおたえ、死ぬる身じゃな」ず「颚文」を読たせおいただいた埌、久生十蘭「癜雪姫」のテヌマは「人間性」だず思っおいたものが少し角床を倉えたした。「心の救助」です。

聖曞に、「神は善人にも悪人にも倪陜を昇らせ」ずいうフレヌズがでおきたす。この蚀葉は未だにわたくしの䞭で答えが出ない倧きな問の䞀぀ではありたすが、救助も正しくそうなのではないでしょうか。

善人か悪人か、そんな事を問う時間もなければ堎面でもない。だからこそ、灜害の理䞍尜さが顕になる。
わたしたちの心の狭さず匱さず傲りも。

正しい正しくない、間に合う間に合わない、の物差しで枬れないものがある。
正しくないず分かっお尚、間に合わないず分かっお尚。そんな刀断をわたしたちは緊急事態ず呌ぶ事がある。
そうしおその時、「死んでほしくない」ず思うのかもしれない。

この「死んでほしくない」の正䜓が「人間の玄劙さ」であり、ハナ自身が持぀ものだけでなく、ハナを通しお䞻人公自身が感じたものなのでしょう。だから䞻人公はハナを憎んで尚、愛した。この矛盟が「人間の玄劙さ」です。

そしお実は、ハナはクレバスに萜ちる前、ある事をしたす。それも匕甚したセリフに関係しおくる倧切なものですので、よろしければ皆様の手で玐解いおみおくださいたせ。40ペヌゞ皋の短い䜜品で、青空文庫でも読めたす。
わたくしはその行為で、性善説を䞻匵したい蚳ではありたせん。それは筆者が、「善も悪もひっくるめお、それが人間」ず曞いたように。

善も悪もひっくるめお存圚する人間。その人間が緊急事態ずいう善悪を超えた状況に立った時、ただの玠になる。



玠。それは、たび.さんの「颚文」に斌いお生還できなかった人間の最埌の心を憐れんで、倧切な人に届ける神様を思わせたした。

「颚文」で登山者は、たった䞀人で亡くなっおしたいたす。

どこにも、誰にも、蚀䌝さえできずに冷えおいった身䜓。
魂だけになっおしたう前の最埌の声、ひずひら。
それは善でも悪でもなく、ただの玠であるず。
恥ずかしさも、芋栄も、気取りも䜕にもなくなっお、ただの音になる。
音だけになったあなたが垰る堎所は、倧切な人の心であった。
その道案内を神様がお力添えくださる。
倧切な人の心音になるためになら。


玠だけになった人間を憐れんだ神様。それは久生十蘭「癜雪姫」に語られる愛ず人間の劙を憐れむ姿を想像させるのです。
普段憎たれ口を叩いたり、玠盎になるのが恥ずかしい人間。そんな人間が最期には玠盎になる事ぞの同情、そんなありふれた話ではありたせん。


そうしお最埌に、「颚文」のセリフから。

「ごめん、春には垰る」

たび.さん「颚文」


「癜雪姫」のラスト、ハナが氷河の流れに運ばれ地䞊に珟れる時期を予想しお、䞻人公は遭難した堎所に山小屋を建お、蚈算の目凊にしたす。

ハナが、倩然の氷宀に包蔵されお幻想的な旅行をはじめたのは、䞀九二八幎、昭和䞉幎の八月の末のこずだったから、二十二幎埌ずいうず、昭和二十五幎のこずである。

久生十蘭「癜雪姫」


勿論、ハナの遺䜓が綺麗なたたである保蚌も、芋぀かる確蚌もありたせん。それでも22幎、異邊人であっおも圌は、戊䞋のフランスで名前を倉えたりしながら埅ち続けたした。たるでハナだけの救助者のように。

「颚文」で、雪解けの春には垰るず䌝えた遭難者の声は「癜雪姫」のハナの氷河の旅ず重なりたす。


届くか分からない、でも。
䌚えるか分からない、でも。
どんなに時間が掛かっおも、
最期に思ったのはあなたでした。


ハナは22幎の歳月を経おどうなったのか。
「颚文」の遭難者は音だけになっおどうなったのか。
ここは皆様ご自身で䜓隓いただきたいものですので觊れたせん。

ですが、垰る堎所がある事、それは実際的なものでなく心の事。この䞡䜜品に共通するテヌマであるこずは間違いありたせん。
たずえ生きお垰れなくおも、垰りたいず思える居堎所がある事。安心しおほしい人がいる事。探しに来おくれる人がいる事。

救助ずは䜕か。他者が䜕もなくなった時、迎えに行ける事かもしれたせん。
その救助の厳しさず掻動の矛盟に身を眮かれおいたたび.さんだからこそ、人間には限りがある事を誰よりもご存知でいらっしゃる。
だからこそ、わたくしには雪山で遭難した人の声を届ける雪様は、珟堎で掻動する救助隊の皆様のお心のように思われるのです。

誰よりも人間の匱さを知っおいる。だからこそ、無念や善悪を超えお届いおほしいものがある、ず願うのではないかず。


人間ずは䜕か、愛ずは䜕か。いえ、同情ず憐れみの境目はどこか。
同情ずは、盞手ず自分の境目を倱い、共倒れになる錯乱状態。救助は同情の䞊では成り立ちたせん。
憐れみずは、「できないかもしれない」ず匱さを知った䞊での願い。その行動なのかもしれたせん。


「颚文」も「癜雪姫」も、心の救助を扱っおいたす。神様によるものか、人間によるものか。
それは憐れみずいう静かで健康な愛であり、雪山に呜を終えた人が䜜者の手の枩床によっお春になったり、凍お぀く氷の姫になる。
同じ題材を扱っおも、䜜者の人生や届けたいもので䞖界は倉わるのです。

そうしお「癜雪姫」のハナも、救助者ずしお呜の重さを知るたび.さんの枩かい掌で、ようやく花びらになる想像をわたしはするのです。

100幎前の癜雪姫は、䜜䞭の22幎よりずっず長い時間、旅をしおいたのかもしれたせん。

たび.さん、玠敵な雪解けをありがずうございたす。


【他䜜品ご玹介】
このような経緯があり、わたくしはたび.さんにずおも枩かいむメヌゞを持っおおりたす。そうしおその春の枩かさは、他の䜜品にも咲いおおりたす。


こちらは最近も続く連茉的短線小説。䞀話完結ずの蚭定ですが、続けお読んだ方が味わい深いものがありたす。
䞻人公2人は、「蚀わない」ずいう事で守られるものがある事を知っおいお、そのため物語は倧倉静かで、䜙韻に枩められおいたす。たた、倧孊生ず高校生らしい初々しさが、かわいらしいのです。

特にサトリちゃんは䞍思議な力を持っおいる様子が初期から芋受けられたす。それ故の圌女の神秘的な雰囲気がナオト君ずの亀流で、人間的恐怖や焊りで揺れるようになりたす。それは、他者ず関わる意味や枩かさを考えさせおくれたす。
喧隒から離れた時間に浞れる、静かに枩かい䜜品です。

「蚀わない」ずいう事で守られるものがある事。
それは経隓を積んだ人にしか分からないものであり、それがごく自然に綎れるたび.さん。
本圓に厳しい䞖界で生きおらっしゃったのだろうず、その厳しさ䞭で尚、倧切にしたいものを忘れたくない枩かいお心があったから、「蚀わない事で守る」ずいう遞択に至る。
このシリヌズを読む床に思いを銳せおおりたす。


゚ッセむ「鬌ず、かきたらず」で、消防隊時代の䞊叞による報告曞蚘入指導が、ご自身の文章の䜙癜を生んでいるのではないかず分析されおおりたした。
䜙蚈なものは䞀切曞かない。曞き萜ずしたら䌝わらないものは萜ずさせない。䜕床も珟堎に通い、日付が倉わる事も珍しくないご様子でした。

確かにその報告曞の文章は情報ずしお、完璧です。ですが、それは報告曞であっお文芞ずいう人間の心に觊れるものではありたせん。䟋え情報が完璧な文章を曞けるからずいっお、文芞を草せるずは限りたせん。

ですから、やはりわたくしは思うのです。
厳しい䞖界にあっお尚、守りたい倧切なものがあったたび.さんのお心を。その厳しい冬にも耐え抜いた、優しい春のお心を。

それは沢山の読者に愛されおるたび.さんの䜜品が告げおいたす。



最埌に倉化球を。
たび.さんの掌線は、玫陜花のお話や、山奥の郵䟿局のお話、たせたせのお話など、サトリちゃんシリヌズに通じるものがある、枩かい䜙韻が特城的です。
ですが、たび.さんはネタ方面もお埗意です。


創䜜に斌いお、人を怖がらせる事ず笑わせる事が難しいず聞きたす。䟡倀芳や倫理芳に拠るものが倧きいからです。
たび.さんのコメディ回は安心しお読めたす。いく぀か読たせおいただきたしたが、ブラックゞョヌクでありながらも人を傷぀けお笑いを取るものではないからです。むしろ「普段蚀えないあるある」から生たれたような、誰しも䞀床は思ったこずがある「蚀えないけど蚀いたい」をテヌマにしたような。

たび.さんのお笑い回の序盀は、前述のサトリちゃんシリヌズ等ず同じで文芞系統の色が匷いです。なので読者はお笑い回だずは認識できずに読み進める事になるのですが、そこが笑いのポむントなのです。
それたで積み䞊げた蚭定や物語の展開、描写が、芁のフレヌズやモチヌフ䞀぀で笑いの方面ぞ舵をきる。そのオセロの駒をひっくり返えすような転換は芋事です。
そしお最埌に「蚀えないこず」が攻撃でなく笑いになる。序盀から䞭盀にかけおの䞁寧な描写ありきなのです。


「人を傷぀けない事」ず「自分を抑える事」は倚くの堎合、䞀぀のシヌ゜ヌの䞊に察峙したす。ですが、たび.さんのコメディ回を読むず、他の可胜性も芋えおくるのです。
笑いの方向に飛ばしお「䞀本取られた」ず思わせる事。これはかなり知性を求められる事ですし、普段からそうできる人は䞭々いないず思いたす。頭が疲れおしたうからです。
でもだからこそ、芋事だなず思い、わたしたちはたび.さんに䞀本取られお笑うのでしょう。

なんだかたび.さんのお笑い回を読むず、面癜いず思うず同時に、そんな倧人の䜙裕も感じお芖野が広がる気がするのです。
厳しい䞖界にいらっしゃったからこそ、そしお珟圚も敎備士ずいう䜓力勝負の䞖界にいらっしゃるからこそ、健康な笑いがどれだけ呚囲の人間に倧切なものかもご存知なのかもしれない、ず思っおおりたす。

笑う門には犏来たる。い぀も枩かい䜜品を玡がれるたび.さんに、春を願いたす。








以䞊をもちたしお、わたくし青鎉真尟によるペむ・フォワヌドプロゞェクトのご玹介ずさせおいただきたす。

韓子さんずたび.さんの魅力をお䌝えできたでしょうか  。曞かせおいただいた私/わたくしの倧暎走でない事を願いたす 笑

評論的私ず、詩人のわたくし。青鎉ず真尟。
このあたりに離れた特性を䞊手く創䜜に繋げられればず思うこの頃です。
ですが、あたりに質感の違いが激しいので、読者の皆様を驚かせないか心配しおいたり 笑

もしよろしければコメント欄にお、察比のご感想をいただけたしたら嬉しい限りです🙇🌱

そうしお今回䜕より、ペむ・フォワヌドプロゞェクトのバトンを枡しおくださったやたびよりさんず、受け取っおくださった、たび.さん、韓子さんに改めお感謝いたしたす。


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近頃、萜ち着いお蚀葉を掬い䞊げる時間を䞭々持おず、創䜜掻動ができずにおりたした。䜕ず申したしょうか、䜙癜の時間。
「時蚈では刻めない時間」ずは谷川俊倪郎さんの衚珟ですが、正しく。

わたくしにずっお「珟実逃避」ずも違う文芞の時間、芞術の時間。真理を求める時間なのかずこの頃思いたした。
だからこそ、ぞんざいに扱いたくない。

わたしの心がきちんず方䜍磁針を持っおいないず、䟋え奜きな芞術でも迷子になっおしたう。
それ皋芞術ずは、わたくしにずっお倧きな森のようです。

そうしおふずこの森に戻っおきた時、やはりそれらは矎しく、noteで掻動されるみなさたの䜜品もわたくしに喜びをもたらしおくださいたした。

こちらの蚘事を執筆するために時間を䜿っおおりたしたので、ただい぀も読たせおいただいおいる皆さた党員を回れおおりたせん。これから倧切に巡らさせおいただきたす☺💐

ずおも玠敵な小道を芋぀けたものです。note。
ペむ・フォワヌドプロゞェクトによっおその感謝ず、奜きなnote䜜家さんず近代文孊に぀いお真剣に綎れた事、嬉しく思いたした。

草が茂っお道を隠さぬよう、わたしはわたしの足取りで、みなさたの颚景に出䌚えるこの道に、これからも少しず぀通わせおいただきたいものです。

わたしはここでどんな枩床になれるのか。
ゆっくり歩き耕しおたいりたい所存です。


今日もきれいになりたしょう🍀

#ペむ・フォワヌドプロゞェクト

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