
どうしてだろう、私はいまだに田中マモルではない
映画『愛がなんだ』の最後のセリフ
(原作未読のため、原作でも最後の一文なのかもしれないが)
ずっと下書きにタイトルだけ記して眠っていたこのこを世に出すことにした!映画『愛がなんだ』は、おそらく高校生(か大学1、2年かも)のときに、地上波で放送されていたのを観ようとした が、展開のスローさと煮え切らなさを冗長に感じてしまい途中離脱をした覚えがある 当時のがきんちょ私には退屈だったということです
と言いつつ、社会人になる前最後の人生の夏休みこと大学の春休み中いくつも映画を観て過ごしていたなかで、たまたま本作が深夜放送されていたのを見つけ、せっかくだしもっかい観るか!とぽちったのがことの始まりである
何かのタイミングで幼馴染たちとこの映画の話になり、私が上に記したように「一回目にみようとしたときはつまらなくて途中でみるのやめっちゃったんだけど、いま見返してみたら感じ方が全然違って最後までみれた」と言ったところ、二人からの「分かる!!」という激しい同意をいただきまして、意気投合したのも記憶に新しい だから、この映画はそういう映画なのだと思う 高校生の私たちにはまだ早くって、ちょっとしたらあの世界についていけるようになった
本題に戻る
映画でこのセリフを聞いたときびっくりして思わず書き留めてしまった
「あの人になりたい」は、ときに「あの人のことが好き」を凌駕するほどのエネルギー いや、念か? を持つということを私はよーく知っているから
その感情に思い当たる節があるから この言葉の意味するところが痛いほど分かってしまうから
どうしてこの人は自分の恋人ではないのだろう
が
最後に行き着くところとして
どうして私はこの人ではないのだろう
なのが ひゃーーー恋って、愛って、念って怖い!
私自身の場合は劇中の登場人物みたく恋人になりたい!という願望はなく、ただこの人のことをもっと知りたい この中でこの人の(深い、内面に関する)ことを1番知っている存在は自分でいたい
とかいうバカデカ感情だったわけですが
それでも、その感情の根底、軸、いや最果てにあるのは
「この人みたいになりたい」
なんです。いまでも忘れられない(マイナスな意味ではなく)、忘れないのは
いまでもあの人みたいになりたいと思っているからで
それを悲しいことだなんて思ってはないよ
だから、山田テルコの執着も自分のそれとはカテゴリー違いだけれど、その利用されにいくのは分からないけれど、でも田中マモルになりたいと言い、田中マモルが冗談で言った言葉をなぞって象の飼育員になっていることは、うわぁぁああマジー、?!
と目を見開いてしまった
あなたはそこまで行けるんだ 私はそこまでは行けないや