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マッチョ華道 奥伝『蓮』「蓮が先にあり、後世がようやくそれに追いついただけなのである。」

あ、あれは……!
マッチョ華道奥伝――『蓮』!!

見よ。半身をわずかにひねり、片掌を前へ大きく押し出し、もう一方の手を胸前に畳むこの構え。

背後に顕れる巨大な蓮華は、単なる意匠ではない。躰内に沈めた気を一挙に開き、泥中より一輪を押し上げるがごとく咲かせる、躰華道における蓮系奥伝の完成形である。

その淵源は、いうまでもなく剛華斎筋念が最初に示した「原始蓮」にある。

だが、今日知られるこの型を整えたのは筋念その人ではない。筋念晩年の門に連なった弟子の一人、蓮阿弥重房《れんあみ・しげふさ》の名を挙げねばなるまい。

重房は、花を前にすると姿勢が整う一方、人前に立つと胸が閉じ、気が奥へ籠る癖のある門人であったという。

筋念はこれを見て、ただ一言、
「咲こうとするな。泥を押し分けよ」
と言い残した。

この言葉に執した重房は、寺の蓮池の浚渫に三年従事したと伝えられる。

泥をかき分け、沈み、押し返されるうち、彼は蓮とは花弁の形ではなく、濁りの中から中心を失わず立ち上がる力そのものであると悟った。

ここから生まれたのが、前掌で濁流を裂く迎泥掌《げいでいしょう》、胸前に華の核を蔵す蔵芯手《ぞうしんしゅ》、そして息を吸って背に沈め、吐く刹那に胸郭を開く開華呼吸《かいかこきゅう》である。

技法上の要諦は四つ。

第一に足幅は肩幅よりやや広く、重心を後ろ脚に六、前に四とし、前掌の伸びに浮足を出さぬこと。

第二に胸を張るのではなく、背を先に広げ、その反力で胸郭を咲かせること。

第三に前へ出す掌は押す手であって掴む手ではないこと。指先に力を入れすぎると蓮ではなく棘となる。

第四に視線は掌の先ではなく、その向こうに生じる虚の一点を見ること。これを古伝では華心《かしん》を射るという。

なお、現代に見られる異常な筋量は後世の改良によるが、この奥伝に限っては筋肥大すら蓮の厚弁を示す一要素とみなされ、ことに胸郭・三角筋・広背筋の練磨が重んじられた。

後の研究者は、この姿勢が現代格闘・鍛錬術の前方展掌系構えに酷似すると述べるが、躰華道家に言わせれば似ているのではない。

蓮が先にあり、後世がようやくそれに追いついただけなのである。

かくして「原始蓮」は、重房の執念によって“前へ咲く蓮”へと変じ、今日のマッチョ華道奥伝『蓮』として大成した。
――民明書房『泥中開華録・蓮阿弥重房伝』より

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