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ガダルカナルを忘れない


あらすじ

子どもの頃、実家の神棚の暪には「戊争のお兄さん」ず呌ばれる若い軍人の写真があった。その人は、犏島県鏡石で家族を助け、将来を玄束したりメさんを残し、歩兵第二十九聯隊の将校ずしおガダルカナルぞ向かい、垰れなくなった勲叔父だった。父は兄の戊没を生涯背負い、戊史資料を远い、珟地ぞ枡り、祖母キワの圢芋を兄の戊没堎所に埋め、砂を持ち垰った。父の死埌、私は鏡石の実家に残る額に刻たれた日付、陞軍倧尉、東條英機の名を芋お、教科曞の歎史ず家族の蚘憶が぀ながる瞬間を経隓した。今、私は父が生涯远い続けた兄の蚘憶を受け継ぎ、ガダルカナルで散った名もなき䞀人の兵士が確かに生きおいたこずを曞き残そうずしおいる。



はじめに

実家の神棚の暪に、若い軍人の写真があった。

子どもの頃、私はその人を「戊争のお兄さん」ず呌んでいた。誰なのか、どこで亡くなったのか、なぜ父がその写真を倧切にしおいるのか、圓時の私はよく分かっおいなかった。

父に叱られたずき、私はその神棚の前に正座させられるこずがあった。子どもの私には、ただ父が厳しいからそこに座らされおいるのだず思えたが、今になっお考えるず、あの堎所には父にずっお倧切なものが集たっおいたのだず思う。

神棚があり、祖先があり、家族の蚘憶があり、そしお戊争から垰らなかった兄の写真があった。

その人は、父の兄だった。

犏島県鏡石で家族を助け、将来を玄束したりメさんを残し、歩兵第二十九聯隊の将校ずしおガダルカナルぞ向かい、垰れなくなった勲叔父だった。

ガダルカナルずいう島の名前を、私は子どもの頃から知っおいた。けれど、それが南倪平掋゜ロモン諞島にある島であり、倪平掋戊争の䞭で倚くの兵士が呜を萜ずした激戊地であるこずを、はっきり理解しおいたわけではなかった。

この文章は、倪平掋戊争を倧きく語るためのものではない。もちろん、ガダルカナルの戊いを知るには、戊争の背景を知らなければならない。なぜその島が重芁だったのか、なぜ飛行堎をめぐっお激しい戊いが起きたのか、なぜ日本軍は補絊に苊しみ、倚くの兵士が垰れなくなったのか。そうした歎史を知らなければ、勲叔父が眮かれた堎所も芋えおこない。

けれど、私がたず曞きたいのは、䞀人の青幎のこずである。

犏島県鏡石で生きおいた䞀人の青幎。母を助け、匟や効たちの前に立ち、将来を玄束した人がいお、家に恥じないように生きようずしおいた䞀人の青幎。そしお、ガダルカナルで垰れない人になった青幎。

戊争は、䜜戊、郚隊、戊死者、撀退、激戊地ずいった倧きな蚀葉で語られるこずが倚い。そうした蚀葉は歎史を理解するために必芁であるが、その奥には、必ず䞀人ひずりの人生がある。

勲叔父も、その䞀人だった。

私はその䞀人の名前を、もう䞀床呌びたいず思った。

ガダルカナルを忘れない。

それは、戊堎の名前を芚えるこずではない。そこに䞀人の青幎がいたこずを、忘れないずいうこずだ。


鏡石の家

勲叔父は、犏島県鏡石の家に生たれた。

そこは、ただ䞀人の青幎が育った家ずいうだけではなかった。家には祖父がいお、祖母キワがいお、父を含めた倚くの匟や効たちがいた。勲叔父はその䞭で長男であり、家族の䞭で最初に倧きくなっおいく子どもだった。

長男ずいう蚀葉には、今の時代では少し分かりにくい重さがある。家を継ぐ者、匟や効たちの前に立぀者、芪を助ける者、家の期埅を受ける者。圓時の地方の家においお、長男であるこずは、単に生たれた順番のこずではなかったのだず思う。

勲叔父は、朝ただ暗いうちから提灯を灯しお、祖母キワの畑仕事を手䌝っおいたず聞いおいる。私は長い間、その話を芪孝行な青幎の矎談のように受け止めおいたが、今は、それだけではなかったのだず思っおいる。

母を助けるこず。匟や効たちの前に立぀こず。家の期埅に応えるこず。それは、勲叔父にずっお特別なこずではなく、日々の䞭で自然に匕き受けおいた圹割だったのではないか。

戊堎で突然、責任感のある人間になったのではない。軍服を着たから、立掟になったのでもない。勲叔父は、鏡石で暮らしおいた頃から、すでに家族の䞭で䜕かを背負っおいた。

その延長に、軍人ずしおの姿があったのだず思う。

勲叔父には、父を含めお倚くの匟や効がいた。父にずっお、勲叔父はただ幎䞊の兄ずいうだけではなく、家の前に立぀長男であり、母を助ける人であり、匟や効たちにずっお芋䞊げる存圚だったはずである。

そう考えるず、勲叔父の人生には、若い頃から「自分だけではない」ずいう感芚があったのではないかず思う。自分のためだけに生きるのではなく、母のため、父のため、匟効たちのため、家のため、そしお将来を玄束したりメさんのために、自分がしっかりしなければならないずいう思いである。

もちろん、勲叔父が実際にどのような蚀葉で家族を思っおいたのか、今ずなっおは分からない。手玙が残っおいるわけではなく、日蚘が残っおいるわけでもない。本人に聞くこずもできない以䞊、断定するこずはできない。

それでも、長男ずしお家族の䞭で生きおいたこず、母を助けおいたこず、匟や効たちがいたこずを考えれば、勲叔父が家族ぞの思いを持たずにいたずは考えにくい。

勲叔父は、家に恥じないように生きようずしおいたのかもしれない。

祖母キワに恥じないように。祖父に恥じないように。匟や効たちに恥じないように。りメさんに恥じないように。

その思いは、軍に入っおからも倉わらなかったのではないか。家では長男ずしお匟効たちの前に立ち、軍では将校ずしお郚䞋たちの前に立぀。家族の䞭で背負っおいたものず、軍隊の䞭で背負うこずになったものは、たったく同じではないが、どちらにも共通するものがある。

自分だけが逃げるわけにはいかない。

自分だけが匱音を吐くわけにはいかない。

自分が立たなければならない。

それは、矎しいだけのものではない。人を支える力にもなるが、人を远い詰める重さにもなる。勲叔父も、怖くなかったわけではないず思う。垰りたくなかったわけでもないず思う。母に䌚いたかったはずであり、匟や効たちのいる家ぞ垰りたかったはずであり、りメさんのもずぞ垰りたかったはずである。

それでも、垰れないかもしれない堎所に立たされたずき、せめお家に恥じないように、自分に䞎えられた圹割を果たそうずしたのではないか。

私は、そう考えおいる。


りメさんずいう人

勲叔父には、将来を玄束したりメさんずいう人がいた。

このこずは、勲叔父を「戊争で亡くなった若い兵士」ずしおだけ芋ないために、ずおも倧切な事実だず思う。戊争の蚘録では、兵士は郚隊名や階玚や戊没地ずずもに蚘されるこずが倚いが、その人が誰に埅たれおいたのか、どのような未来を思い描いおいたのかたでは、ほずんど曞かれない。

けれど、勲叔父には垰る堎所があった。

埅っおいる人がいた。

これから続くはずだった時間があった。

りメさんにずっお、勲叔父は戊争の䞭の䞀人の兵士ではなく、これからの人生をずもにするはずだった人である。その人が南の島ぞ向かい、垰らなかったずいう事実は、戊史の䞭では䞀行で終わるかもしれないが、残された人の䞭では、䞀行で終わるものではなかったはずである。

りメさんが、どのように勲叔父の戊死を受け止めたのか、私は詳しく知らない。どれほど埅ったのか、どのように知らせを受け取ったのか、その埌の日々をどのように生きたのかも、すべおを知っおいるわけではない。

ただ、りメさんの名前は家族の蚘憶の䞭に残っおいた。

そしお、父宛おの手玙も残っおいた。

䞭にどのような思いが蟌められおいたのか、すべおを知るこずはできない。けれど、その手玙が残っおいるずいう事実だけで、りメさんず父のあいだに、勲叔父をめぐる時間があったこずは分かる。

父がガダルカナルぞ行ったこずをりメさんに䌝えるず、喜んでくれたず母から聞いた。

その話を思うず、りメさんの䞭でも、勲叔父は長い時間、消えずにいたのだず思う。

戊争は、人を戊堎で終わらせる。けれど、残された人の䞭では終わらない。

りメさんにずっおのガダルカナルも、父にずっおのガダルカナルも、戊埌もずっず続いおいた。


戊堎に行く前の人生

私は、勲叔父を「ガダルカナルで戊死した人」ずしおだけ曞きたくない。

それは事実であり、この文章の䞭心でもある。けれど、それだけでは足りないず思っおいる。

勲叔父は、戊堎で初めお存圚した人ではない。

その前に、鏡石で生きおいた。家族の䞭で生きおいた。畑仕事を手䌝い、匟や効たちの前に立ち、りメさんずの未来を持ち、家の䞭で期埅され、圹割を担っおいた。

その人生の延長に、戊争が入り蟌んできた。

戊争は、もずもずあった人生を断ち切った。

だからこそ、勲叔父のこずを曞くずき、私は戊堎だけを曞いおはいけないず思っおいる。どこで亡くなったのかだけではなく、どこから来たのかを曞かなければならない。どの郚隊にいたのかだけではなく、どんな家族の䞭にいたのかを曞かなければならない。どのように戊ったのかだけではなく、誰に埅たれおいたのかを曞かなければならない。

そうしなければ、勲叔父はたた、戊史の䞭の䞀行に戻っおしたう。

私が曞きたいのは、䞀行ではない。

䞀人の人生である。


軍歎の䞭に残る勲叔父

勲叔父の足跡は、家族の蚘憶だけでなく、軍歎や戊史資料の䞭にも残されおいる。

軍歎蚌明曞を芋るず、勲叔父はある日突然ガダルカナルぞ向かったのではなく、入営し、軍人ずしおの幎月を重ね、郚隊の䞭で圹割を䞎えられ、幹郚候補生ずしおの道を進み、やがお将校ずしお郚䞋を率いる立堎になっおいったこずが分かる。

戊史資料の䞭では、戊闘圓時の蚘述ずしお「䞭尉」ず読める箇所があり、勲叔父はガダルカナルの戊堎では䞭尉ずしお郚䞋を率いおいたず考えられる。䞀方で、靖囜神瀟からの回答資料や、鏡石の実家に残る額には、勲叔父の階玚が「陞軍倧尉」ず蚘されおいる。額には昭和十䞃幎十月二十五日の日付もあり、勲叔父はガダルカナルで戊没したその日に、陞軍倧尉ずなったのだず思われる。

぀たり、勲叔父は戊堎では䞭尉ずしお戊い、戊没した日に倧尉ずしお扱われた。

このこずは、勲叔父の立堎を考えるうえで倧きい。家では長男ずしお匟や効たちの前に立ち、軍では䞭尉ずしお郚䞋を率い、そしお最終的には陞軍倧尉ずしお祀られた。そこには、家族の䞭での責任ず、軍の䞭で背負わされた責任が重なっおいる。

家では、匟や効たちの前に立぀長男だった。軍では、郚䞋たちの前に立぀将校だった。

その二぀は違うものである。家庭の䞭の責任ず、戊堎での責任を同じものずしお語るこずはできない。けれど、どちらにも、自分だけでは終われない立堎があった。

自分の刀断が、誰かに関わる。自分の振る舞いが、誰かに芋られおいる。自分だけが逃げるわけにはいかない。

勲叔父は、そういう堎所に立っおいたのだず思う。

それは、勇たしい話ずしお曞きたいのではない。むしろ、その立堎の重さを曞きたい。若い青幎が、家族の期埅を背負い、軍の䞭で郚䞋を持ち、やがお南倪平掋の島ぞ向かわなければならなかった。そのこずの重さを、私は簡単な矎談にはしたくない。

勲叔父は、死ぬために戊ったのではない。

生きお垰りたかったはずである。

しかし、垰れないかもしれない堎所に立たされたずき、家に恥じないように、祖母キワに恥じないように、匟効たちに恥じないように、そしお郚䞋たちに恥じないように、自分に䞎えられた圹割を果たそうずしたのではないか。

そう考えるず、勲叔父の勇敢さは、単に戊堎で前ぞ出る勇敢さではなかったのだず思う。

怖くなかった勇敢さではない。

怖くおも、背負っおいるものから逃げられなかった勇敢さである。


なぜガダルカナルだったのか

勲叔父を䞀人の青幎ずしお曞くためには、鏡石の家やりメさんのこずを曞かなければならない。

けれど同時に、勲叔父がどこぞ向かわされたのかも芋なければならない。ガダルカナルずいう島が、なぜ戊堎になり、そこで䜕が起き、前線の兵士たちがどのような状況に眮かれおいたのかを知らなければ、勲叔父の最期はただ「戊死した」ずいう䞀蚀に戻っおしたう。

だからここからは、少しだけ戊堎の話に入る。

それは、䜜戊を詳しく解説するためではない。犏島県鏡石で生きおいた䞀人の青幎が、どのような堎所ぞ向かい、どのような条件の䞭で垰れなくなったのかを知るためである。

ガダルカナルは、今の私たちにずっおも遠い島である。地図で芋れば堎所は分かる。南倪平掋、゜ロモン諞島の䞀぀。飛行機や衛星写真やむンタヌネットがある今なら、その島の姿を画面で芋るこずもできる。けれど、それでも日本からは遠い。

昭和十䞃幎の日本にいた祖母キワやりメさんにずっお、ガダルカナルは、ほずんど䞖界の果おのような堎所だったのではないかず思う。

今のように、珟地の写真をすぐに芋るこずはできない。地図を開いおも、南方の島々の距離感を実感するこずは難しかったはずである。家族が知るこずができたのは、「南方ぞ行った」ずいう倧きく曖昧な蚀葉や、埌になっお届く知らせだったのかもしれない。

その遠い島が、なぜ重芁な戊堎になったのか。

理由の䞭心には、飛行堎があった。

倪平掋戊争の䞭で、飛行堎を持぀こずは、その呚蟺の空を抌さえるこずに぀ながる。空を抌さえれば、海䞊茞送や補絊にも圱響が出る。反察に、飛行堎を奪われれば、その呚蟺の海ず空の䞻導暩を倱い、前線の兵士たちは補絊の面でも戊闘の面でも苊しくなる。

ガダルカナルの戊いは、単に南の島をめぐる戊いではなかった。飛行堎をめぐる戊いであり、制空暩をめぐる戊いであり、補絊をめぐる戊いだった。そしお、そうした倧きな戊略のしわ寄せが、密林の䞭を歩く䞀人ひずりの兵士に降りかかっおいった戊いだった。

勲叔父も、その䞭にいた。

犏島県鏡石から遠く離れた南倪平掋の島で、家族に埅たれながら、郚隊の䞀員ずしおそこに立たされおいた。


勝ち進む戊争から、すり枛っおいく戊争ぞ

ガダルカナルの戊いを、倪平掋戊争の最埌の倧きな地䞊戊ず呌ぶこずはできない。その埌にも、サむパン、ペリリュヌ、硫黄島、沖瞄など、さらに倚くの犠牲を䌎う地䞊戊が続いおいく。だから、ガダルカナルを「最埌の戊い」ず蚀うこずは正確ではない。

けれど、ガダルカナルには別の意味がある。

そこは、日本軍が勝ち進む戊争から、すり枛っおいく戊争ぞ倉わっおいった島だった。

開戊盎埌、日本軍は南方ぞ急速に戊線を広げた。けれど、広がった戊線を維持するためには、兵士を送るだけでは足りない。食糧、匟薬、医薬品、燃料、通信、茞送、航空支揎。そのすべおが必芁になる。

戊堎に兵士がいるずいうこずは、その兵士を生かし、戊わせるための補絊線が必芁だずいうこずである。しかし、ガダルカナルでは、その補絊が次第に远い぀かなくなっおいった。

匟が尜きる。食糧が尜きる。氎が足りなくなる。身䜓が病に䟵され、密林ず雚ず泥の䞭で消耗しおいく。

ガダルカナルでは、前線の兵士たちが持っおいた責任感や気力だけでは支えきれない珟実が、少しず぀露わになっおいったのだず思う。

このこずは、勲叔父のこずを曞くうえで避けお通れない。勲叔父がどれほど責任感を持ち、どれほど家族に恥じないように振る舞おうずしたずしおも、その気力を消耗させた戊堎の構造を芋なければ、勲叔父の死を正しく受け止めるこずはできない。

䜜戊ず補絊が、前線にいる䞀人ひずりの身䜓に盎接のしかかっおいく。

その珟実の䞭に、勲叔父はいた。


タサファロング海岞ぞ

資料をたどるず、歩兵第二十九聯隊は昭和十䞃幎十月九日、ガダルカナル島のタサファロング海岞に䞊陞しおいる。

タサファロングずいう地名を、私は父の資料の䞭で芋た。初めおその名前を芋たずき、それはただの地名だった。けれど、䜕床も資料を読み返すうちに、その名前は少しず぀、勲叔父が䞊陞した堎所ずしお重さを持぀ようになった。

地図の䞊では、海岞は䞀本の線に芋える。

しかし、そこに䞊陞した兵士にずっお、それは線ではなかったはずである。船を降り、荷を持ち、歊噚を持ち、湿った空気の䞭で島ぞ入っおいく。海岞の向こうには密林があり、飛行堎があり、敵がいお、これから進たなければならない道があった。

日本から遠く離れたその海岞に、勲叔父は立った。

そのずき、祖母キワは鏡石にいた。りメさんも日本にいた。父を含めた匟や効たちも、日本にいた。勲叔父がどのような思いでその海岞に䞊がったのかは分からないが、その背䞭に家族がなかったずは思えない。

戊史の䞭では、䞊陞日は䞀行で蚘される。しかし、その䞀行の䞭に、兵士䞀人ひずりの足がある。䞀人ひずりの荷物がある。䞀人ひずりの䞍安がある。そしお、䞀人ひずりの垰る堎所がある。

勲叔父も、その䞀人ずしおタサファロング海岞に䞊がった。

そこから、ガダルカナルの密林ぞ入っおいった。


䞊陞から戊堎ぞ

䞊陞した時点で、すべおが絶望だったわけではなかったはずである。

兵士たちは呜什を受け、郚隊ずしお行動し、飛行堎奪還ずいう目的を持っおいた。自分たちが進み、攻撃が成功すれば、戊況を倉えられるずいう感芚もあったかもしれない。

しかし、ガダルカナルは、地図の䞊で芋る島ずは違っおいた。

資料には、各郚隊が正確な地図を持たず、島䞊のゞャングルが行動を劚げ、絊食も困難になり、食糧は敵から奪うほかない状態に近づいおいたこずが蚘されおいる。

密林の䞭では、道が道ずしお続いおいるずは限らない。足元はぬかるみ、身䜓は湿気に包たれ、服も装備も重くなる。昌は暑く、倜は䞍安が増す。氎も十分に埗られなければ、兵士たちはツタや草朚に残るしずくにたで頌らなければならなかったのかもしれない。

それは、戊闘の前から始たっおいた消耗だった。

敵に撃たれる前に、密林が兵士の䜓力を奪っおいく。銃匟を受ける前に、飢えず枇きが身䜓を削っおいく。攻撃が始たる前に、兵士たちはすでに疲れおいく。

その䞭で、攻撃呜什が䞋り、たた䞭止される。

前進するのか、埅぀のか。攻撃するのか、延期するのか。郚隊は呜什に埓うしかない。けれど、前線にいる兵士たちにずっお、呜什の倉曎は、ただ予定が倉わるずいうこずではなかった。密林の䞭で埅぀時間が延びる。食料が枛る。䜓力が萜ちる。敵に発芋される危険が増える。緊匵だけが続き、戊う前から疲匊しおいく。

ガダルカナルの戊堎は、銃匟が飛び亀う瞬間だけが戊いだったのではない。そこぞ向かう密林の行軍、食料ず氎の欠乏、呜什の倉曎、銃火噚を䜿えない緊匵、そのすべおがすでに戊いだった。

勲叔父は、その過皋の䞭にいた。

犏島県鏡石で家族を支えおいた長男が、船で祖囜を離れ、タサファロングに䞊陞し、密林の䞭を進み、郚䞋を率いる立堎ずしお、戊堎ぞ近づいおいった。

この時間を曞かずに、勲叔父の最期だけを曞くこずはできない。

なぜなら、勲叔父は突然、肉匟突入の堎面に珟れたのではないからである。祖囜を離れ、島に䞊がり、密林を進み、食料ず氎に苊しみ、呜什の混乱の䞭で埅ち、銃火噚を抑えられたたた敵陣ぞ近づき、そしお最埌の戊闘ぞ入っおいった。

その流れの䞭に、勲叔父の最期がある。


東北の青幎が歩いた南の密林

勲叔父は、犏島県鏡石で育った人だった。

東北の冬を知っおいる人であり、寒さの䞭で身䜓を䜿い、朝ただ暗いうちから提灯を灯しお祖母キワの畑仕事を手䌝っおいた人だった。そういう生掻の䞭で、勲叔父には、寒さに耐える力や、黙っお身䜓を動かし続ける忍耐力が備わっおいたのではないかず思う。

けれど、ガダルカナルは鏡石ずはたったく違う堎所だった。

そこにあったのは、東北の寒さではなく、南囜の湿気だった。雪や冷たい颚ではなく、密林の熱気、雚、泥、ぬかるみ、芋通しの悪いゞャングルだった。氎も食料も十分ではなく、正確な地図もなく、兵士たちは敵陣ぞ近づくために、銃火噚を思うように䜿えないたた進たなければならなかった。

鏡石で鍛えられた忍耐力があったずしおも、それだけで越えられる堎所ではなかったはずである。

寒さに耐えるこずず、湿気ず飢えず枇きの䞭で進むこずは違う。畑仕事で身䜓を䜿うこずず、敵陣に近づくために息をひそめ、撃ちたくおも撃おず、郚䞋を率いお密林を歩くこずは違う。

それでも、勲叔父は小隊長ずしお前に立っおいた。

自分だけが苊しいわけではない。郚䞋も同じように枇き、同じように疲れ、同じように䞍安を抱えおいたはずである。その䞭で、勲叔父がどのような衚情をしおいたのか、どのような蚀葉をかけおいたのかは分からない。

けれど、家では長男ずしお匟効たちの前に立ち、軍では将校ずしお郚䞋たちの前に立っおいた人である。匱音をそのたた顔に出すこずは、できなかったのではないかず思う。

自分も枇いおいたはずである。自分も疲れおいたはずである。自分も垰りたかったはずである。それでも、前に立぀者ずしお、歩き続けたのではないか。

その姿を想像するずき、私は勲叔父をただ勇たしい兵士ずしお芋たいのではない。むしろ、東北の家で育ち、家族を支えおきた䞀人の青幎が、たったく異なる南囜の密林で、身䜓も心も削られながら、それでも郚䞋の前に立ずうずしおいた姿を考えたい。

そこには、掟手な勇敢さではなく、耐える勇敢さがあったのだず思う。

鏡石で身に぀いた忍耐は、ガダルカナルの密林でも、勲叔父を支えおいたのかもしれない。けれど同時に、その忍耐力さえも、戊堎は少しず぀削っおいった。

勲叔父は、匷い人だったのだず思う。しかし、匷い人であっおも、氎がなければ枇く。食料がなければ痩せおいく。銃火噚を䜿えないたた敵陣ぞ近づけば、䞍安も恐怖もある。郚䞋を率いる立堎であれば、その重さはさらに増す。

だからこそ、勲叔父の戊いを、ただ「勇敢だった」ずいう䞀蚀で終わらせたくない。

東北の青幎が、南囜の密林を歩いた。寒さに耐えお育った人が、湿気ず飢えず枇きの䞭で進んだ。家族の前に立っおきた長男が、今床は郚䞋の前に立った。

その積み重なりの先に、勲叔父の最期がある。


銃を撃おない䜜戊

ガダルカナルで勲叔父たちが眮かれおいた状況を考えるずき、単に「敵陣ぞ向かった」ずだけ曞くこずはできない。資料を読むず、第二十九聯隊の攻撃は、正面から火力で抌し切る䜜戊ではなく、倜の密林を進み、できるだけ敵に気づかれずに接近し、癜兵突撃によっお敵陣に食い蟌もうずするものだった。

呜什では、兵士は小銃、銃剣、匟薬、手抎匟などを携行する䞀方で、背嚢などは極力枛らすこずになっおいた。機関銃兵も軜装ずされ、機関銃䞀挺あたりの匟薬箱にも制限があった。倧隊砲隊に぀いおは、砲を残眮し、銃剣のみで行動するこずたで瀺されおいる。

ここから芋えおくるのは、十分な火力を前面に出しお戊うのではなく、兵士の身䜓そのものを敵陣ぞ近づけおいく䜜戊である。

資料には、倜襲は奇襲ずし、地䞋足袋などを䜿っお隠密に接敵し、癜兵突撃を敢行するこず、そしお突撃成功埌に射撃を再開するこずが蚘されおいる。぀たり、銃火噚は最初から自由に撃ち続けるものではなく、敵陣に近づき、突入した埌に初めお本栌的に䜿うものずしお䜍眮づけられおいた。

歊噚を持っおいるのに、撃おない。

敵がいるず分かっおいるのに、こちらの䜍眮を知られないために、息をひそめお近づかなければならない。

これは、前線の兵士にずっお、どれほど倧きな緊匵だっただろうか。

銃を持぀こずは、本来なら身を守る手段を持぀こずでもある。けれど、その銃を䜿うこずが、䜜戊䞊は危険にもなる。撃おば䜍眮を知らせる。撃おば奇襲が厩れる。撃おば、敵の火力を呌び蟌むかもしれない。

兵士たちは、歊噚を持ちながら、その歊噚を自由に䜿えないたた進んでいた。

しかも、盞手は十分な火力を持っおいた。資料には、米軍の火力装備が優秀であり、匟薬も豊富で、自動銃、短銃、信号拳銃、迫撃砲、重砲、手抎匟などを備えおいたこずが蚘されおいる。たた、防埡の火力配眮も組織的で濃厚だったずされおいる。

こちらは、倜の密林を進み、できるだけ発芋されずに近づこうずしおいた。䞀方の敵は、鉄条網ず陣地ず濃密な火力で埅っおいた。

この差は、䜜戊図の䞊では十分に芋えなかったのかもしれない。しかし、前線にいた兵士たちの身䜓には、その差がそのたた降りかかっおいた。

勲叔父は、その䞭で小隊長ずしお郚䞋を率いおいた。

自分自身も枇き、疲れ、緊匵しおいたはずである。それでも、郚䞋の前では立堎があった。進むのか、埅぀のか、撃぀のか、撃たないのか。その刀断䞀぀ひず぀が、自分だけではなく、郚䞋の呜にも関わっおいたはずである。

銃火噚を䜿えないもどかしさは、単なる戊術䞊の制玄ではなかった。それは、兵士たちの䞍安を増し、緊匵を長匕かせ、䜓力を奪い、粟神を削っおいくものだったのだず思う。


攻撃䞭止ず埅぀時間

戊堎では、戊う瞬間だけが苊しいわけではない。

むしろ、攻撃呜什を受け、前ぞ進む準備をしながら、呜什の倉曎や攻撃䞭止によっお埅たされる時間もたた、兵士を消耗させおいく。戊堎の党䜓像を぀かむ偎からすれば、それは䜜戊䞊の調敎であり、状況刀断だったのかもしれない。

しかし、密林の䞭にいる兵士にずっお、攻撃䞭止はただ予定が倉わるずいうこずではない。

埅぀時間が延びる。食料が枛る。氎が足りなくなる。身䜓は䌑たらず、緊匵だけが続く。敵に発芋される危険もある。そしお、自分たちがい぀、どの方向ぞ動くのかさえ、十分に分からなくなっおいく。

前進しろず蚀われれば進む。埅おず蚀われれば埅぀。攻撃せよず蚀われれば攻撃する。䞭止ず蚀われれば、たた密林の䞭にずどたる。

呜什に埓うこずが軍隊である以䞊、前線の兵士に遞択肢はほずんどなかった。けれど、その呜什の揺れは、兵士たちの身䜓に盎接返っおくる。

特にガダルカナルでは、食料ず氎の䞍足が深刻だった。食料がなければ、䜓力は萜ちる。氎がなければ、思考も鈍る。密林の䞭で進むだけでも消耗するのに、その状態で攻撃の時を埅぀こずは、戊闘そのものず同じくらい過酷だったのではないかず思う。

勲叔父は、そうした時間の䞭にもいた。

攻撃の瞬間だけでなく、その前の埅機、前進、呜什倉曎、食料䞍足、氎䞍足、銃火噚を䜿えない緊匵の䞭にいた。

その時間を飛ばしお最期だけを曞くず、勲叔父がどのように远い蟌たれおいったのかが芋えにくくなる。

勲叔父は、突然、戊死の堎面に立ったのではない。

船で祖囜を離れ、タサファロングに䞊陞し、密林を進み、枇きず飢えに耐え、呜什の揺れの䞭で郚䞋をたずめ、銃火噚を抑えられたたた敵陣ぞ近づいおいった。

その過皋の先に、最埌の戊闘があった。


気力だけが残っおいく

ガダルカナルで勲叔父たちが眮かれおいた状況を考えるずき、私はどうしおも、前線の兵士たちが戊闘に入る前から削られおいった時間を考えおしたう。

船で祖囜を離れ、南の島ぞ向かう。タサファロング海岞に䞊陞する。そこから密林ぞ入り、正確な地図も十分ではない䞭で進む。食料は乏しく、氎も足りず、ゞャングルが行動を劚げる。

この時点で、兵士たちはすでに戊っおいたのだず思う。

敵陣に突入する前から、密林ず飢えず枇きず呜什の混乱に察しお戊っおいた。䜓力を枩存したたた敵地ぞたどり着いたのではなく、たどり着くたでの工皋そのものが、兵士たちを少しず぀削っおいった。

本郚や指揮系統の混乱もあった。

攻撃呜什が䞋り、前進の準備をする。けれど、状況によっお呜什は倉曎され、攻撃は䞭止され、たた埅機が続く。党䜓を指揮する偎から芋れば、それは戊況刀断であり、䜜戊䞊の修正だったのかもしれない。しかし、密林の䞭にいる兵士にずっお、呜什の倉曎は、ただ蚈画が倉わるずいうこずではない。

埅぀時間が延びれば、食料が枛る。氎も枛る。䜓力も萜ちる。緊匵だけが続く。敵に発芋される危険も増える。しかも、自分たちがどこぞ向かい、い぀攻撃するのか、党䜓の状況がどこたで共有されおいたのかも分からない。

兵士たちは、ただ敵ず戊っおいたのではない。呜什を埅぀時間ずも、飢えずも、枇きずも、密林ずも、そしお銃火噚を思うように䜿えないもどかしさずも戊っおいた。

第二十九聯隊の攻撃は、倜襲であり、奇襲であり、癜兵突撃を前提ずしたものだった。資料には、地䞋足袋などを䜿っお隠密に接敵し、癜兵突撃を敢行し、突撃成功埌に射撃を再開するずいう考え方が蚘されおいる。

぀たり、兵士たちは歊噚を持っおいたが、最初から自由に撃ち続けるこずはできなかった。

撃おば、こちらの䜍眮を知らせる。撃おば、奇襲が厩れる。撃おば、敵の火力を呌び蟌む。

だから、銃を持ちながら撃おないたた、敵陣ぞ近づかなければならなかった。

敵地にたどり着いたずき、兵士たちに十分な䜓力が残っおいたずは考えにくい。十分な補絊もなく、十分な火力もなく、十分な䌑息もない。それでも、最埌に残っおいたのは気力だったのではないかず思う。

圓時の日本軍は、そこに匷さを芋おいたのかもしれない。物資が足りなくおも、装備が足りなくおも、補絊が届かなくおも、粟神力ず気力で進む。最埌は人間そのものが敵陣ぞぶ぀かっおいく。

けれど、それは匷さであるず同時に、前線の兵士にあたりにも重いものを背負わせる戊い方だった。

のちに特攻ずいう蚀葉で語られる戊いがある。飛行機や艇ごず敵に突入し、呜ず匕き換えに䞀撃を加えようずする戊いである。

ガダルカナルのこの倜襲も、圢は違うが、どこかそれを思わせる。

限られた歊噚で、限られた匟薬で、補絊も十分でないたた、敵陣ぞ近づき、最埌は癜兵突撃で䞀撃を加えようずする。空の特攻ではない。けれど、地䞊で、兵士の身䜓そのものを敵陣ぞ運び、そこに䞀撃を蚗すような戊いが、ここで起きおいたのだず思う。

私は、そのこずを読者にも知っおほしい。

ガダルカナルは、ただ南の島で行われた地䞊戊ではなかった。そこには、敵地にたどり着く前から疲匊し、食料も氎も乏しく、呜什の混乱に揺さぶられ、銃火噚を自由に䜿えないたた、それでも敵陣ぞ近づいおいった兵士たちがいた。

勲叔父も、その䞭にいた。

鏡石で育ち、寒さに耐え、家族を支えおきた長男が、南囜の密林で郚䞋を率い、最埌に残された気力で前ぞ進んでいたのかもしれない。

この工皋を曞かなければ、勲叔父の最期は分からない。

勲叔父は、突然、戊死の堎面に珟れたのではない。祖囜を離れ、船に乗り、南の島ぞ向かい、䞊陞し、密林を歩き、食料ず氎に苊しみ、攻撃䞭止ず埅機の䞭で消耗し、撃おない銃を持ったたた敵陣ぞ近づいおいった。

その先に、第䞉機関銃隊の戊闘がある。

その先に、機関銃匟を撃ち尜くした埌の肉匟突入がある。

そしお、その流れの䞭に、勲叔父の最期がある。


二十九聯隊の突入ぞ

そうした消耗の末に、第二十九聯隊は敵陣ぞの突入ぞ向かっおいく。

資料では、第二十九聯隊䞻力が敵陣に肉匟突入したこずが蚘されおいる。さらに、その埌、残った連隊に察しお再び倜襲を行う呜什が䞋ったこずも分かる。

この時点で、郚隊はすでに倧きな損害を受けおいた。

資料には、第二十九聯隊が二回の倜襲で、自動銃小隊を含む連隊総合戊力の䞃割を倱ったず蚘されおいる。

䞃割ずいう数字は、単なる苊戊を瀺すものではない。郚隊ずしおの力が倧きく削られ、残った将兵たちも、すでに疲匊ず混乱の䞭に眮かれおいたこずを瀺しおいる。

それでも、残った者たちは敵陣ぞ向かわなければならなかった。

勲叔父は、ただ䞀人で突撃したのではない。厩れかけた䜜戊の䞭で、損害を重ねた郚隊の䞭で、なお前ぞ出なければならない将校ずしお、そこにいた。


第䞉機関銃隊

その先に、第䞉機関銃隊の戊闘がある。

勲叔父が属しおいた郚隊を考えるうえで、第䞉機関銃隊ずいう存圚は避けお通れない。機関銃隊は、本来なら歩兵郚隊を火力で支える圹割を持぀。敵の動きを抑え、味方の前進を助け、戊堎の䞭で郚隊の生死に関わる火力を担う郚隊である。

しかし、ガダルカナルでは、その機関銃も、最初から自由に䜿えるものではなかった。

䜜戊は倜襲であり、奇襲であり、癜兵突撃を前提ずしたものだった。先に撃おば、こちらの䜍眮を知らせるこずになる。撃おば、敵の火力を呌び蟌むこずにもなる。しかも、匟薬は無限ではない。機関銃兵も軜装ずされ、携行できる匟薬にも制限があった。

぀たり、機関銃隊であっおも、火力で抌し続けるこずができる状況ではなかった。

敵陣に近づくたでは、撃ちたくおも撃おない。突入埌に撃぀ずしおも、匟薬には限りがある。そしお、盞手は鉄条網ず陣地ず組織的な火力を持っお埅っおいる。

この状況の䞭で、第䞉機関銃隊は戊っおいた。

資料には、第䞉機関銃隊員が機関銃匟を撃ち尜くし、その埌、肉匟突入しおきたこずが蚘されおいる。

機関銃隊が、機関銃匟を撃ち尜くした。

この䞀文は、戊堎の状況をよく衚しおいる。機関銃隊にずっお、匟薬を撃ち尜くすずいうこずは、自分たちが持っおいた火力を䜿い切ったずいうこずである。その埌に残されたのは、さらに撃ち続けるこずではなく、肉匟突入だった。

そこに、ガダルカナルの戊いの厳しさがある。

十分な補絊があり、十分な火力があり、十分な䌑息があり、十分な情報があったなら、戊い方は違ったのかもしれない。しかし、この時点で前線に残されおいたものは限られおいた。匟薬は尜き、食料も氎も乏しく、郚隊はすでに損害を重ねおいた。それでも、敵陣ぞ䞀撃を加えようずする戊いは続いおいた。

勲叔父は、その流れの䞭にいた。


勲叔父の最期

第䞉機関銃隊が機関銃匟を撃ち尜くし、肉匟突入しおいったずいう蚘述を読むず、私は父が語っおいた話を思い出す。

父は、勲叔父の最期に぀いお、䜕床も資料を远い、関係する人に話を聞き、ガダルカナルたで行った。その父が語っおいたのは、最埌は銃も匟薬も尜き、軍刀を持っお突っ蟌んでいったのではないか、ずいうこずだった。

それを聞いたずき、私は長いあいだ、ただ「すさたじい最期だったのだ」ずだけ受け止めおいた。

けれど、資料を読み、ガダルカナルの戊況を远い、第䞉機関銃隊が眮かれおいた状況を考えるようになるず、その話の重みが倉わっおくる。

銃も匟薬も十分ではない。機関銃隊でありながら、匟薬を撃ち尜くしおいる。敵は鉄条網ず陣地ず濃密な火力を持っお埅っおいる。それでも、郚隊は前ぞ出なければならない。

この流れの䞭で、勲叔父の最期があった。

資料には、第䞉機関銃隊員が機関銃匟を撃ち尜くした埌、肉匟突入し、その䞭で勲叔父が前ぞ出お、頭郚を撃ち抜かれお倒れ、即死したこずが蚘されおいる。

戊史資料の䞭では、この堎面は短い蚘述である。

しかし、その短い蚘述の前には、長い時間がある。

鏡石での暮らしがある。祖母キワを助けた日々がある。りメさんずの未来がある。入営し、軍人ずしお幎月を重ねた時間がある。日本を離れ、船で南方ぞ向かった時間がある。タサファロング海岞に䞊陞し、密林を歩いた時間がある。氎ず食料に苊しみ、呜什の倉曎に揺さぶられ、撃おない銃を持っお敵陣ぞ近づいた時間がある。

そしお、機関銃匟を撃ち尜くした埌の突入がある。

勲叔父は、そこで倒れた。

私は、この最期を勇たしい物語ずしおだけ曞きたくない。

もちろん、勲叔父は逃げずに前ぞ出たのだず思う。郚䞋の前に立぀将校ずしお、自分の圹割を果たそうずしたのだず思う。家に恥じないように、祖母キワに恥じないように、匟や効たちに恥じないように、そしお郚䞋たちに恥じないように、最埌たで前ぞ進もうずしたのかもしれない。

けれど、それは同時に、そこたで远い蟌たれた戊いでもあった。

十分な補絊がない。十分な火力がない。十分な食料も氎もない。正確な地図もなく、密林に阻たれ、呜什の混乱にさらされ、銃火噚を自由に䜿えないたた敵陣ぞ近づいおいく。

その果おに、勲叔父は呜を萜ずした。

勲叔父は、死ぬために戊堎ぞ行ったのではない。

生きお垰りたかったはずである。

祖母キワのもずぞ垰りたかったはずである。父を含めた匟や効たちのいる鏡石の家ぞ垰りたかったはずである。りメさんずの未来ぞ垰りたかったはずである。

けれど、垰れなかった。

昭和十䞃幎十月二十五日。

ガダルカナル島、ムカデ高地東方。

その日、戊堎では䞭尉ずしお郚䞋を率いおいた勲叔父は、戊没し、陞軍倧尉ずなった。

その日付は、鏡石の実家に残る額にも刻たれおいた。

父の死埌、私がその額を芋たずき、勲叔父の最期は、急に遠い昔話ではなくなった。


地䞊の特攻のような戊い

勲叔父の最期を考えるずき、私はどうしおも「地䞊の特攻」ずいう蚀葉を思い浮かべおしたう。

もちろん、ガダルカナルの倜襲を、のちに制床化されおいく航空特攻ず同じものずしお語るこずはできない。時期も圢も違う。飛行機ごず敵艊ぞ突入する戊いず、密林の䞭で敵陣ぞ向かう癜兵突撃は、同じではない。

それでも、そこには䌌たものがある。

補絊が届かない。火力で抌し切れない。匟薬が足りない。敵は鉄条網ず陣地ず豊富な火力を持っおいる。その䞭で、最埌に兵士の身䜓そのものを敵陣ぞ運び、䞀撃を蚗そうずする。

空の特攻ではない。けれど、地䞊で、人間の身䜓を最埌の歊噚のように敵陣ぞ向かわせる戊いが、ガダルカナルでも起きおいたのだず思う。

私は、そのこずを矎談ずしお曞きたいのではない。

むしろ、そこたで人を远い蟌んだ戊争の構造を曞きたい。

勲叔父が匷かったから前ぞ出た、ずいうだけでは足りない。勲叔父が勇敢だったから突入した、ずいうだけでも足りない。もちろん、そこに勇気はあったず思う。けれど、その勇気を前提にしお、人間の身䜓にあたりにも重いものを背負わせおいく戊い方があった。

そのこずを芋なければならない。

戊堎で勲叔父は䞭尉だった。郚䞋を率いる立堎だった。自分䞀人の刀断だけで動ける堎所ではなく、呜什があり、郚隊があり、䜜戊があり、圹割があった。

家では長男ずしお匟効たちの前に立ち、軍では䞭尉ずしお郚䞋の前に立぀。

その人が、最埌に軍刀を手にし、敵陣ぞ向かっおいったのだずしたら、それは個人の勇敢さだけでは説明できない。

そこには、責任があった。呜什があった。郚䞋がいた。家族に恥じないようにずいう思いもあったかもしれない。そしお、退くこずができない戊堎の空気があった。

私は、勲叔父の最期を、ただ「立掟だった」ず蚀っお終わらせたくない。

立掟だった、ず蚀うだけでは、勲叔父が眮かれおいた苊しさが消えおしたう気がするからである。

怖くなかったはずがない。垰りたくなかったはずがない。母に䌚いたくなかったはずがない。りメさんのこずを思わなかったはずがない。

それでも、前ぞ出なければならなかった。

その矛盟の䞭に、戊争がある。


戊略の限界の䞭で

ガダルカナルの戊いを考えるずき、私は前線の兵士たちだけを芋お終わるこずはできないず思っおいる。

なぜなら、前線にいた兵士たちの苊しみは、兵士個人の努力䞍足や、郚隊の匱さから生たれたものではないからである。

十分な補絊が届かなかったこず。正確な地図が乏しかったこず。密林の行軍が想像以䞊に困難だったこず。敵の火力ず防埡が匷固だったこず。攻撃呜什の倉曎や指揮系統の混乱が、前線の兵士たちをさらに消耗させたこず。

それらは、前線の䞀人ひずりが気力だけで解決できるものではなかった。

勲叔父がどれほど責任感を持っおいおも、食料を生み出すこずはできない。郚䞋を思っおいおも、氎を十分に配るこずはできない。銃を持っおいおも、匟薬が尜きれば撃ち続けるこずはできない。敵の火力が濃厚であれば、気力だけでそれを消すこずはできない。

それでも、戊堎では前に進むこずを求められる。

そこに、ガダルカナルの悲劇がある。

兵士たちは、匱かったから倒れたのではない。限られた条件の䞭で、十分な準備も補絊も情報もないたた、それでも戊い続けるこずを求められ、その結果ずしお倚くの人が垰れなくなったのだず思う。

このこずを曞くずき、私は、誰か䞀人を簡単に責めたいわけではない。歎史は、単玔に悪者を決めれば理解できるものではないず思う。けれど、少なくずも前線の兵士たちが、䜜戊ず補絊ず指揮の限界を、自分たちの身䜓で匕き受けるこずになった事実は芋なければならない。

戊略の限界は、地図の䞊にだけ珟れるのではない。

それは、兵士の喉の枇きずしお珟れる。空腹ずしお珟れる。足の疲れずしお珟れる。撃おない銃の重さずしお珟れる。匟薬が尜きた機関銃ずしお珟れる。そしお、最埌に軍刀を持っお前ぞ出る䞀人の青幎の姿ずしお珟れる。

勲叔父の最期は、個人の死である。

けれど同時に、それはガダルカナルずいう戊堎の構造が、䞀人の青幎の身䜓にたで届いた結果でもあった。

私は、そこを忘れたくない。

勲叔父を英雄ずしおだけ曞くのではなく、戊争の構造の䞭で垰れなくなった䞀人ずしお曞きたい。

その方が、勲叔父に近づける気がする。


戊埌も終わらなかったガダルカナル

勲叔父の戊いは、昭和十䞃幎十月二十五日に終わった。

しかし、家族にずっおのガダルカナルは、その日で終わらなかった。

戊堎で䞀人の呜が終わったあず、その知らせは遠く日本ぞ届き、祖母キワは息子が垰らない珟実を抱えお生きるこずになった。りメさんは、将来を玄束した人が戻らなかった時間を抱え、父を含めた匟や効たちは、兄のいない家で成長しおいった。

そしお、父は兄を远い続けた。

父にずっおガダルカナルは、歎史䞊の激戊地ではなく、兄が垰れなくなった堎所だった。だから父は資料を集め、赀線を匕き、関係者の話を远い、やがお自分の足でその島ぞ向かったのだず思う。

戊争が終わっおも、ガダルカナルは家族の䞭に残り続けた。それは神棚の暪に眮かれた写真ずなり、父が集めた資料ずなり、赀線の匕かれた戊史ずなり、慰霊巡拝の写真ずなり、母の短歌ずなり、ガダルカナルの砂ずなり、りメさんの手玙ずなっお、長い時間をかけお家族の䞭に残されおいった。

父にずっお、勲叔父の死は、遠い昔の出来事ではなかったのだず思う。

父は兄を盎接取り戻すこずはできなかった。戊堎で䜕があったのか、すべおを確かめるこずもできなかった。けれど、資料を集め、赀線を匕き、関係者の話を聞き、ガダルカナルぞ行くこずで、兄に近づこうずしおいた。

それは、ただ歎史を調べる行為ではなかった。

兄を探す行為だった。

兄に感謝を返す行為だった。

そしお、兄を家族のもずぞ垰そうずする行為だったのだず思う。


遺族に残された支え

父が兄を远い続けた理由を考えるずき、もう䞀぀觊れおおかなければならないこずがある。それは、勲叔父の戊死によっお、遺族に䞀定の支えが残されたずいうこずである。

勲叔父は、ガダルカナルの戊堎では䞭尉ずしお郚䞋を率い、戊没した昭和十䞃幎十月二十五日に陞軍倧尉ずなったのだず思われる。鏡石の実家に残る額には、その日付ず陞軍倧尉ずいう階玚、そしお東條英機の名が蚘されおいた。父の死埌、私がその額を芋たずき、勲叔父の戊死は、急に家族の昔話ではなく、教科曞の䞭にあった倪平掋戊争ず盎に぀ながる珟実ずしお迫っおきた。

圓時、軍人が戊死した堎合、遺族には扶助や匔慰、恩絊に関わる制床的な支えがあった。私はその制床の现郚をここで詳しく曞きたいわけではないが、少なくずも父は、兄の戊死によっお残されたものが、自分のその埌の人生にも関わっおいたこずを匷く意識しおいたのだず思う。

それは、呜の代わりになるものではない。

息子を倱った祖母キワの悲しみを埋めるものでもなく、りメさんが倱った未来を取り戻すものでもない。勲叔父が生きお鏡石ぞ垰り、家族ずずもに幎を重ねるこずに代わるものなど、本来は䜕もない。

それでも、残された家族が戊埌を生きおいくうえで、その支えが珟実の生掻に関わったこずも事実だったのだず思う。父は兄の戊死を、ただ悲しい出来事ずしおだけではなく、自分が孊び、東京ぞ出お、人生を築いおいくこずを可胜にした重い土台ずしお受け止めおいたのではないか。

だから、父の感謝は簡単なものではなかった。

兄が垰らなかったこずによっお、自分の人生に道が開かれたかもしれない。その事実をどう受け止めればよいのか。父はその問いを、蚀葉にしきれないたた、生涯抱えおいたのではないかず思う。


父が兄を远い続けた理由

父は、兄のこずを忘れなかった。

私が子どもの頃から、家の䞭には「戊争のお兄さん」の写真があり、父の䞭で勲叔父が特別な存圚であるこずは、蚀葉にされなくおも䌝わっおいた。けれど、父がなぜそこたで兄を远い続けたのかを、私は長いあいだ深く考えおこなかった。

今になっお思うのは、父にずっお勲叔父は、亡くなった兄であるず同時に、自分の人生を支えた人でもあったのではないかずいうこずである。

父は、兄を倱った匟だった。けれど同時に、兄が戊死したこずによっお残された制床的な支えを受け、孊び、東京ぞ出お、人生を築いおいった人でもあった。そのこずを父がどのように感じおいたのか、本人の蚀葉で十分に聞いおおくこずはできなかったが、父が戊史資料を远い、赀線を匕き、ガダルカナルたで行ったこずを考えるず、そこには単なる関心以䞊のものがあったのだず思う。

父は兄に、感謝しおいたのだず思う。

そしお、その感謝は、同時に重さでもあったのだず思う。

兄がいなければ、自分は違う人生を歩んでいたかもしれない。兄が垰っおきおいれば、家族の圢も、自分の圹割も、たったく違っおいたかもしれない。兄が垰らなかったこずで残されたものを受け取りながら生きおきた自分は、その兄に察しお䜕を返せるのか。

父は、その問いぞの答えずしお、兄の足跡を远い続けたのではないか。

戊史の本を読むこず。赀線を匕くこず。関係者の話を聞くこず。ガダルカナルぞ行くこず。祖母キワの圢芋を、兄が戊没した堎所に埋めるこず。砂を持ち垰るこず。

それらは䞀぀ひず぀、父なりの慰霊であり、父なりの返瀌だったのだず思う。


父が残した赀線

父の残した戊史資料には、赀線が匕かれおいる。

その赀線は、ただ重芁な箇所を瀺すための線ではなかった。父が兄に近づこうずしお、䜕床も読み、䜕床も考え、ここに䜕かがあるず思った堎所に匕いた線だったのだず思う。

赀線の先には、地名がある。郚隊名がある。䞊陞日がある。攻撃呜什がある。機関銃隊の蚘述がある。損害の蚘録がある。そしお、勲叔父の最期に぀ながる蚘述がある。

私にずっお、その赀線は、父の指の跡のようなものだった。

父がどこを読んでいたのか。どこで立ち止たったのか。どこに兄の姿を探そうずしたのか。父の死埌、資料を開くたびに、私はその赀線を通しお父の芖線を远っおいるような気持ちになった。

生きおいる父に聞けば、もっず詳しく教えおくれたのかもしれない。なぜこの箇所に線を匕いたのか、なぜこのペヌゞを倧切にしおいたのか、ガダルカナルぞ行く前ず埌で、この資料の読み方は倉わったのか。聞けたはずのこずは、いく぀もある。

けれど、もう聞くこずはできない。

だから私は、残された赀線を読む。

赀線を読むこずは、父の調査をたどるこずであり、父が兄に近づこうずした道を、遅れお歩き盎すこずでもある。父が芋ようずしおいたものを、私も芋ようずするこず。それが、父の死埌に私ができるこずの䞀぀なのだず思う。


父がガダルカナルぞ行った日

父は、晩幎にガダルカナルぞ行った。

幎霢を重ね、足も悪くなっおいた父が、南倪平掋の島ぞ向かったこずを考えるず、それがどれほど匷い思いに支えられた旅だったのかが分かる。母は、父が珟地の密林で滑ったり転んだりしないか、ずおも心配しおいたずいう。

それでも父は行った。

兄が垰れなかった堎所ぞ、匟である父は行った。

父は、芳光でガダルカナルぞ行ったのではない。戊史を確認するためだけに行ったのでもない。父にずっおその旅は、兄に䌚いに行く旅であり、祖母キワの思いを兄の堎所ぞ届ける旅だったのだず思う。

残された写真には、密林の䞭に膝を぀く父の姿がある。そこには、すでに亡くなっおいた祖母キワの圢芋を、兄の戊没堎所に埋めたこずが蚘されおいる。

私はその写真を芋るたびに、父は䞀人でガダルカナルぞ行ったのではなかったのだず思う。

父は、祖母キワを連れお行ったのだず思う。

もちろん、祖母キワ本人がそこぞ行けたわけではない。息子が戊没した堎所に立ち、土に觊れ、名前を呌ぶこずはできなかった。けれど、父は祖母キワの圢芋を持っおいくこずで、母を息子のもずぞ連れお行こうずしたのではないか。

父が密林の䞭に膝を぀き、祖母キワの圢芋を埋めたずき、そこには、兄を思う匟の姿だけでなく、息子を倱った母の思いも重なっおいたはずである。

その堎所で父が䜕を語りかけたのか、私は知らない。

兄さん、来たよ、ず蚀ったのか。母さんを連れおきたよ、ず蚀ったのか。それずも、䜕も蚀葉にならず、ただ土に手を觊れおいたのか。

今ずなっおは確かめるこずはできない。

けれど、父がそこたでしおガダルカナルぞ行ったずいう事実だけで、父の䞭で兄の存圚がどれほど倧きかったのかは䌝わっおくる。

父は、兄を探しに行った。

そしお、祖母キワの思いを、兄の堎所ぞ届けに行った。


砂を持ち垰る

父は、ガダルカナルから砂を持ち垰った。

遺骚ではなく、軍服でもなく、軍刀でもなく、父が持ち垰ったのは砂だった。その砂が、ガダルカナルのどの地点のものなのか、私は正確には知らない。父がどの堎所でその砂を手にしたのか、どのような思いで持ち垰ったのかを、本人の蚀葉で詳しく聞くこずはもうできない。

けれど、父が兄の戊没堎所に祖母キワの圢芋を埋めたこずを思うず、その砂もたた、兄がいた堎所ず深く぀ながるものだったのではないかず思いたくなる。

ガダルカナルの砂は、鏡石の西光寺で慰霊されたのち、鏡石の勲叔父の実家の仏壇に眮かれ、さらに私の実家にも眮かれるこずになった。父は兄の遺骚を持ち垰るこずはできなかったが、砂を持ち垰るこずで、兄がいた堎所を家族のもずぞ戻そうずしたのだず思う。

私の実家には、そのガダルカナルの砂がある。

そのそばには、祖母キワの遺圱があり、りメさんの手玙もある。私はその䞉぀を、できるだけ近くに寄せお眮いおいる。もう二床ず離れるこずがないようにず、匷く願いながら。

祖母キワは、息子が戊没したガダルカナルぞ行くこずができなかった。りメさんも、将来を玄束した人が垰れなかった堎所に立぀こずはなかった。勲叔父は、鏡石ぞ垰るこずができなかった。

それでも今、ガダルカナルの砂ず、祖母キワの遺圱ず、りメさんの手玙は、同じ堎所にある。

もちろん、それで倱われた時間が戻るわけではない。勲叔父が生きお垰っおくるわけでもなく、祖母キワが息子を迎えられるわけでもなく、りメさんが倱った未来を取り戻せるわけでもない。

それでも、私は離れたたたにしたくなかった。

父がガダルカナルから砂を持ち垰ったように、私はその砂を、祖母キワの遺圱ずりメさんの手玙のそばに寄せた。それは、私にできる小さな慰霊だった。

父が砂で兄を垰そうずしたように、私は残されたものを近くに眮くこずで、もう䞀床、家族の䞭に勲叔父を戻そうずしおいるのかもしれない。


母の短歌

母は、父のガダルカナルぞの旅を短歌にしお残しおいる。

平成十五幎十䞀月二日、母はこう詠んだ。

ふるさずを
離れ幟ずせ
土ずなり
垰るみたたに
降る萜葉かな

この短歌には、父が持ち垰った砂の意味が、静かに蟌められおいるように思う。

ふるさずを離れ、遠い南の島で土ずなり、長い幎月を経お、みたたが垰っおくる。その垰るみたたに、萜葉が降っおいる。そこには倧きな蚀葉も、激しい感情もないが、父が持ち垰ったガダルカナルの砂を、母がどのように受け止めたのかが䌝わっおくる。

母は、父が兄を思い続けおいたこずを、いちばん近くで芋おいた人だった。

父が資料を集めおいたこずも、赀線を匕いおいたこずも、ガダルカナルぞ行ったこずも、砂を持ち垰ったこずも、母はそばで芋おいた。その母が短歌にしたこずで、父の旅は、父だけのものではなく、家族の蚘憶ずしおもう䞀぀の圢を持ったのだず思う。

さらに平成䞉十幎の秋、母はもう䞀銖、ガダルカナルを詠んでいる。

ガ島より
垰るみたたに
散る萜葉
倚幎の涙か
さんさんず降る

ここには、「倚幎の涙」ずいう蚀葉がある。

その涙は、祖母キワの涙でもあり、りメさんの涙でもあり、父の涙でもあり、母自身が長い時間をかけお芋぀めおきた家族の涙でもあったのではないかず思う。戊堎に行ったのは勲叔父であり、ガダルカナルぞ枡ったのは父だったが、その蚘憶は、家族の䞭で母にも届いおいた。

戊史には、母の短歌は茉らない。

郚隊名、階玚、戊没地、䜜戊、損害、そうした蚘録の䞭に、母の短歌が入るこずはない。けれど、この家族の物語を曞くうえで、母の短歌は欠かせない。なぜなら、そこには戊争が終わったあずも続いおいた家族の時間があり、父が持ち垰った砂を、残された家族がどのように受け止めたのかが残されおいるからである。

ガダルカナルは、戊堎ずしおは昭和十䞃幎の出来事である。

けれど、家族の䞭では、平成十五幎にも、平成䞉十幎にも、ただ続いおいた。


父が亡くなっおから

父が亡くなっおから、ガダルカナルは、私にずっお以前よりも具䜓的な堎所になった。

父が生きおいた頃にも、神棚の暪の写真はあり、ガダルカナルの砂はあり、「戊争のお兄さん」ずいう蚀葉も家の䞭にあった。父が兄のこずを特別に思っおいたこずも、子どもの頃から知っおいた。それでも、その意味を本圓に受け止めおいたかずいえば、そうではなかったず思う。

父が生きおいるあいだ、ガダルカナルは父の䞭にある堎所だった。

父が資料を読み、父が赀線を匕き、父が珟地ぞ行き、父が砂を持ち垰った。私はその呚囲にいながらも、どこかで、それは父が抱えおいる蚘憶なのだず思っおいた。

けれど、父が亡くなるず、その蚘憶は私の前に残されたものになった。

もう父に聞くこずはできない。なぜこのペヌゞに赀線を匕いたのか、なぜこの資料を倧切にしおいたのか、ガダルカナルの密林に立ったずき䜕を思ったのか、祖母キワの圢芋を埋めたずきに䜕を語りかけたのか、りメさんが喜んでくれたず聞いたずきにどのような顔をしたのか、そうしたこずを本人の蚀葉で確かめるこずはできなくなった。

だからこそ、残されたものを芋る時間が増えた。

写真、資料、赀線、短歌、砂、手玙。父が生きおいるあいだは、父の蚘憶ずしお家の䞭にあったものが、父の死埌、私が受け取るべきものずしお目の前に眮かれた。

そのずき、ガダルカナルは、遠い南の島であるず同時に、私の実家の䞭にあるものになった。


歎史が家族の䞭に入っおきた日

父が亡くなったあず、私は勲叔父の鏡石の実家を蚪ねた。

そこで、家に残されおいた額を芋た。

そこには、昭和十䞃幎十月二十五日ずいう日付があり、陞軍倧尉ずいう階玚があり、そしお東條英機の名があった。

その文字を芋たずき、勲叔父のこずが急に遠い昔話ではなくなった。

東條英機ずいう名前は、私にずっお教科曞の䞭の名前だった。倪平掋戊争を語るずきに必ず出おくる歎史䞊の人物であり、孊校で習う倧きな歎史の䞭に眮かれおいる名前だった。

しかし、その名前が、勲叔父の額の䞭にあった。

その瞬間、教科曞の䞭の歎史ず、私の家族の蚘憶が、初めおはっきりず重なったように感じた。

それたで私は、勲叔父のこずを「戊争のお兄さん」ずしお知っおいた。父が倧切にしおいた人であり、ガダルカナルで垰れなくなった人であるこずも知っおいた。けれど、どこかでそれは、家族の䞭にある叀い話ずしお受け止めおいたのだず思う。

しかし、額の䞭にある日付ず階玚ず東條英機の名を芋たずき、その話は急に茪郭を持ち始めた。

昭和十䞃幎十月二十五日。

陞軍倧尉。

ガダルカナル。

ムカデ高地東方。

それらの蚀葉は、もはや資料の䞭の文字だけではなかった。父が远い続けおいたもの、祖母キワが埅ち続けおいたもの、りメさんが忘れずにいたもの、そしお私が今、受け取ろうずしおいるものだった。

教科曞で知る戊争には、開戊、南方䜜戊、ガダルカナル、東條英機、敗戊ずいう倧きな蚀葉が䞊ぶ。そこには、囜の刀断があり、軍の䜜戊があり、戊局の倉化がある。䞀方で、家族の䞭にあった戊争は、神棚の暪の写真であり、父が残した赀線であり、ガダルカナルの砂であり、祖母キワの遺圱であり、りメさんの手玙だった。

その二぀は、長いあいだ私の䞭で別々の堎所にあったのかもしれない。

けれど、鏡石の実家で額を芋たずき、その二぀が぀ながった。

そこにあったのは、教科曞の䞭だけの戊争ではなかった。家族の䞭に入り蟌んできた戊争だった。

そのずき、䜕かが動き出した気がした。

それは、倧きな決意ずいうより、これ以䞊攟っおおいおはいけないずいう感芚に近かった。父が生きおいるあいだは父の䞭にあった蚘憶が、父の死埌、私の前に差し出されたように感じたのである。

父がなぜ兄を远い続けたのか。

なぜガダルカナルぞ行ったのか。

なぜ砂を持ち垰ったのか。

なぜ母が短歌にしたのか。

なぜ私は、祖母キワの遺圱のそばに、ガダルカナルの砂ずりメさんの手玙を寄せお眮きたいず思ったのか。

そのすべおが、少しず぀䞀本の線に぀ながっおいった。


私が受け取ったもの

父が亡くなったあず、私は父の代わりに兄を語れるずは思っおいない。

父が兄に抱いおいた感謝や負い目や敬意を、私が完党に理解できるずも思っおいない。私は勲叔父に䌚ったこずがなく、祖母キワが息子を埅っおいた時間も、りメさんがどのように勲叔父を思い続けたのかも、盎接知っおいるわけではない。

それでも、私の前には残されたものがある。

父が集めた資料があり、赀線があり、付箋があり、ガダルカナルの砂があり、母の短歌があり、祖母キワの遺圱があり、りメさんの手玙がある。そしお、鏡石の実家で芋た、昭和十䞃幎十月二十五日、陞軍倧尉、東條英機の名が蚘された額がある。

それらは、父が生きおいるあいだは父の蚘憶ずしお家の䞭にあったものだった。

けれど、父が亡くなった今、それらは私が受け取るべきものになった。

受け取るずは、すべおを分かるずいうこずではないのだず思う。

勲叔父の最埌の思いも、祖母キワが䜕を祈っおいたのかも、りメさんの手玙にどのような時間が蟌められおいたのかも、父がガダルカナルの密林で䜕を語りかけたのかも、もう確かめるこずはできない。

けれど、分からないから曞けないのではない。分からないこずが残っおいるからこそ、今のうちに曞き残しおおかなければならないのだず思う。

写真は、語る人がいなくなれば、ただの叀い写真になっおしたう。砂は、どこから来たものかを知らなければ、ただの砂になっおしたう。手玙も、赀線も、短歌も、額に蚘された日付や階玚も、それぞれが䜕に぀ながっおいるのかを忘れおしたえば、やがお意味を倱っおしたうかもしれない。

だから私は、今、曞いおいる。

勲叔父のためだけではなく、父のためだけでもなく、祖母キワのため、りメさんのため、母が短歌に残した思いのため、そしお、これから先にこの蚘憶が倱われないようにするためである。


蚀葉で垰す

父は、ガダルカナルから砂を持ち垰った。

私は、ただガダルカナルぞ行っおいない。父が歩いた密林を歩いたこずもなく、父が祖母キワの圢芋を埋めた堎所に立ったこずもなく、勲叔父が最埌にいたずされる堎所の空気を、自分の身䜓で感じたこずもない。

だから今の私にできるこずは、父が砂を持ち垰ったように、蚀葉で勲叔父を家族の䞭ぞ垰すこずなのだず思っおいる。

もちろん、蚀葉で曞いたからずいっお、倱われた時間が戻るわけではない。勲叔父が祖母キワのもずぞ垰るこずも、りメさんずの未来が続くこずも、父が兄に盎接䌚うこずもない。戊争で断ち切られたものは、曞くこずで元に戻るわけではない。

それでも、曞かなければ消えおいくものがある。

勲叔父を戊史の䞭の䞀行に戻さないために曞く。祖母キワが埅っおいた時間を、ただの昔話にしないために曞く。りメさんが忘れずにいたこずを、誰にも知られないたた終わらせないために曞く。父が赀線を匕き、ガダルカナルぞ行き、砂を持ち垰った意味を、私自身が受け取るために曞く。

父は、砂を持ち垰った。

私は、蚀葉で垰したい。

鏡石の家ぞ。祖母キワのもずぞ。りメさんの蚘憶のそばぞ。父が探し続けた堎所ぞ。そしお、この文章を読んでくださった方の蚘憶の䞭ぞ。

父が砂で兄を垰そうずしたように、私は蚀葉で勲叔父を垰したいのだず思う。


名もなき兵士の䞀人ずしお

勲叔父は、歎史の衚舞台に名前を残した人ではない。

有名な将軍でも、政治家でも、教科曞に茉る人物でもない。倚くの読者にずっおは、この文章で初めお知る、遠い時代を生きた䞀人の兵士である。

けれど、知られおいないからずいっお、その人生が軜いわけではない。

戊争は、倧きな蚀葉で語られるこずが倚い。倪平掋戊争、南方戊線、ガダルカナルの戊い、飛行堎奪還、補絊の倱敗、戊没者。そうした蚀葉は、歎史を理解するために必芁であり、戊争がどのように広がり、どこで䜕が起き、なぜ倚くの人が呜を萜ずしたのかを考えるためには欠かせない。

けれど、その倧きな蚀葉の䞭で、䞀人ひずりの人生は芋えにくくなる。

戊没者ずいう蚀葉の䞭には、数字では数えきれない人生がある。誰かの息子がいお、誰かの兄がいお、誰かの匟がいお、誰かの恋人がいお、誰かに埅たれおいた人がいる。垰るはずだった家があり、続くはずだった日垞があり、戊堎ぞ行く前に積み重ねおきた時間がある。

勲叔父も、その䞀人だった。

犏島県鏡石で生たれ、祖母キワを助け、匟や効たちの前に立ち、りメさんずの未来を持ち、家に恥じないように生きようずしおいた䞀人の青幎だった。その青幎が、歩兵第二十九聯隊の将校ずしおガダルカナルぞ向かい、南囜の密林ず飢えず枇きず銃火の䞭で、垰れない人になった。

私は、勲叔父だけを特別な人ずしお曞きたいのではない。

むしろ、勲叔父のような人が無数にいたこずを、忘れたくないのだず思う。名前を知られないたた南の島で呜を萜ずした人がいお、家族の䞭だけで語られ、やがおその蚘憶も薄れおいった人がいお、遺骚も垰らず、墓暙も遠く、戊堎の土に残された人がいた。

その䞀人ひずりに、人生があった。

だから私は、䞀人を曞く。

䞀人を曞くこずで、数字の奥に人が芋えおくる。䞀人を曞くこずで、戊堎の奥に家族が芋えおくる。䞀人を曞くこずで、歎史の奥に、倱われた時間が芋えおくる。


読者の方ぞ

この文章を読んでくださった方に、勲叔父のこずをずっず芚えおいおほしい、ず匷く蚀い切るこずはできない。

読者の方にずっお、勲叔父は知らない人である。遠い土地に生たれ、遠い時代を生き、遠い南の島で戊没した、䞀人の兵士である。

それでも、ガダルカナルずいう島の名前をどこかで聞いたずき、そこに䞀人の青幎がいたこずを、少しだけ思い出しおもらえたらず思う。

その人には、母がいた。父がいた。匟や効たちがいた。将来を玄束した人がいた。垰りたい家があり、続くはずだった生掻があった。そしお、その人が垰らなかったあずも、家族の䞭では長い時間が続いた。

祖母キワは息子を埅ち、りメさんは忘れずにいお、父は兄を远い続け、母はその旅を短歌にした。父が亡くなった今、私はその残されたものを芋ながら、ようやくガダルカナルずいう堎所を、自分の蚀葉で考えようずしおいる。

戊争を考えるずき、私たちは囜ず囜、䜜戊ず補絊、勝敗ず撀退、政治ず軍隊ずいう倧きな枠組みを芋なければならない。そうしなければ、なぜその戊争が起き、なぜ倚くの人が呜を萜ずしたのかを孊ぶこずはできない。

けれど、それだけでは届かないものもある。

䞀人の青幎がいた。その人が垰らなかった。そのこずによっお、家族の人生が倉わった。

そういう小さな堎所から芋える戊争もある。

私は、その小さな堎所からガダルカナルを芋たい。そしお、そこから芋えたものを、できるだけ静かに曞き残したい。


もう䞀床、名前を呌ぶ

忘れないずいうこずは、毎日思い出すこずだけではないのだず思う。

立掟な慰霊碑を建おるこずだけでもなく、倧きな蚀葉で平和を語るこずだけでもない。もちろん、それらも倧切なこずではある。けれど、私にずっお忘れないずは、たず、その人がいたこずを思い出すこずだった。

名前を呌ぶこず。

垰りたかった堎所があったこずを思うこず。

その人の人生が、戊堎で突然始たったのではなく、その前に家族ずの時間や、働く日々や、誰かを思う心や、埅っおいた人ずの未来を持っおいたこずを思うこず。

勲叔父は、ガダルカナルで初めお「兵士」になったのではない。その前に、鏡石で生きおいた。家族の䞭で生きおいた。りメさんずの未来の䞭で生きおいた。父の蚘憶の䞭で生き続けた。そしお今、私の䞭で、もう䞀床蚀葉になろうずしおいる。

戊争の蚘録の䞭では、勲叔父は䞀人の戊没者である。郚隊の䞭の䞀人であり、䜜戊の䞭の䞀人であり、ガダルカナルで垰れなくなった倚くの兵士の䞭の䞀人である。

けれど、家族の䞭では違う。

祖母キワにずっおは息子だった。父にずっおは兄だった。匟や効たちにずっおは長男だった。りメさんにずっおは将来を玄束した人だった。私にずっおは、子どもの頃、神棚の暪にあった写真の䞭の人だった。

そしお今は、父が生涯远い続けた理由を、私に問いかけおくる人である。

名もなき兵士。

そう呌ぶこずはできる。

けれど、その「名もなき」ずいう蚀葉は、本圓は、私たちが名前を知らないずいう意味でしかない。その人には名前があった。呌ぶ人がいた。埅぀人がいた。垰る堎所があった。

だから私は、最埌にもう䞀床、その名前を呌びたい。

勲叔父。

あなたがいたこずを、私は忘れたせん。


ガダルカナルを忘れない

ガダルカナルを忘れないずは、戊堎の名前を芚えるこずだけではない。

そこに、名も知られないたた垰れなくなった䞀人の兵士がいたこずを忘れないずいうこずだず思う。そしお、その兵士にも名前があり、家族があり、垰りたい堎所があり、埅っおいた人がいたこずを忘れないずいうこずだず思う。

勲叔父は、ガダルカナルで垰れない人になった。

けれど、完党に消えたわけではない。

祖母キワが埅っおいた。りメさんが忘れずにいた。父が探しに行った。母が歌にした。そしお今、私は曞いおいる。

父は、砂を持ち垰った。

私は、蚀葉で垰したい。

鏡石の家ぞ。祖母キワのもずぞ。りメさんの蚘憶のそばぞ。父が探し続けた堎所ぞ。そしお、この文章を読んでくださった方の蚘憶の䞭ぞ。

勲叔父は、名もなき兵士の䞀人だったのかもしれない。

けれど、家族にずっおは、名のある䞀人だった。

ガダルカナルを忘れない。

それは、あなたを忘れないずいうこずです。

そしお、あなたのように、ガダルカナルで散った名もなき兵士たちを忘れないずいうこずです。


あずがき

この文章を曞きながら、私は䜕床も、父にもっず聞いおおけばよかったず思った。

なぜ、その資料に赀線を匕いたのか。ガダルカナルの密林で、䜕を芋たのか。祖母キワの圢芋を埋めたずき、兄に䜕を語りかけたのか。砂を持ち垰ったずき、それを家族にどう受け取っおほしかったのか。

聞けたはずのこずは、いく぀もあった。

けれど、父が亡くなったあずに残ったものを芋おいるず、父は蚀葉ではなく、行動で兄を語っおいたのだず思うようになった。

資料を集めるこず。赀線を匕くこず。ガダルカナルぞ行くこず。祖母キワの圢芋を兄の堎所に埋めるこず。砂を持ち垰るこず。

それらはすべお、父の蚀葉だったのかもしれない。

私は今、その蚀葉を遅れお読んでいる。

父が砂で兄を垰そうずしたように、私は蚀葉で勲叔父を垰したい。そう思っお曞き始めた文章だったが、曞き終えおみるず、これは勲叔父だけの話ではなく、父が生涯かけお兄に向き合った蚘録でもあり、祖母キワ、りメさん、母、そしお私ぞず続いおきた家族の蚘憶の物語でもあったのだず思う。

ガダルカナルを忘れない。

それは、遠い南の島で起きた戊いを芚えおおくこずだけではない。

そこに、垰りたい家を持った䞀人の青幎がいたこずを忘れないずいうこずだ。


参考資料

本文執筆にあたり、以䞋の資料を参照したした。

『若束聯隊党史』
『郷土郚隊戊蚘 第2巻』
靖囜神瀟からの回答資料
軍歎蚌明曞
父が残したガダルカナル慰霊巡拝の写真・資料
鏡石の実家に残る額
家族に残る聞き取り
母の短歌
りメさんの手玙
ガダルカナルの砂

本文では、珟圚の芪族に぀ながる個人情報に配慮し、䞀郚の姓名を䌏せおいたす。たた、戊況に関する蚘述は、戊史資料を参照しながら、家族に残された蚘憶ず照らし合わせお構成しおいたす。

これは、戊争を矎化するための文章ではありたせん。

䞀人の青幎がいたこず。
その人が垰らなかったこず。
その埌も、家族の䞭でガダルカナルが終わらなかったこず。

そのこずを曞き残すための文章です。


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