
懐かしい恋の話
#創作大賞2026 #エッセイ部門
人は年齢を重ねるほど、多くの恋を忘れていく。 けれど、不思議なことに、心の奥深くには、名前さえ呼ぶことのなかった小さな恋ほど、いつまでも静かに残り続けることがある。
私にとって、それは中学二年の夏だった。
当時、学校では一人ひとりが朝顔を育てていた。夏休みに入ると、水やりのために生徒が交代で学校へ通うことになっていた。七月下旬から八月末まで、出席番号順に一人ずつ担当日が決められ、私の当番は八月十五日。お盆の真っ只中だった。
四つのクラスから、それぞれ一人ずつが同じ日に学校へ来る。朝顔への水やりに。
その頃、私はなぜか二年二組の長岡君も同じ日が当番だと知っていた。
「もしかしたら会えるかもしれない。」
ただそれだけのことなのに、その日が近づくにつれ胸は少しずつ高鳴っていった。
約束など何一つない。 来る時間も分からない。 会える保証もない。
それでも「偶然」というものを信じて、そして信じたかった。
当日、私は職員室で用務員さんにジョウロを借り、自分のクラスの朝顔へ一鉢ずつ丁寧に水を与えた。
水を注ぐたびに校庭へ目を向ける。
今、この瞬間に彼が校門を入ってくるかもしれない。
そんな期待を胸に抱きながら、何度も振り返った。
じっくり、ゆっくりジョウロを動かしながら。
けれど最後まで長岡君は現れなかった。
少し拍子抜けしたような、それでいて誰にも知られずに済んだことへほっとしたような、不思議な気持ちで私は家路についた。
今思えば、あの日に本当に会っていたとしても、きっと何も話せなかっただろう。
中学校は近くのいくつかの小学校から新しい生徒が配属されてきていた。
長岡君は私とは別の小学校、豊原小学校出身でその一人だった。
勉強は普通にできたが、優等生というよりは少しやんちゃな雰囲気を持った少年だった。真面目一辺倒ではなく、どこか自由で、周囲を笑わせるような悪ガキらしさがあった。
彼を好きだった女の子は、私だけではなかったと思う。
特別に人気者というわけではない。
それでも、人を自然と惹きつける何かを持っていた。といっても当時の私にとってだけかも知れなかった。
私は中学時代は勉強だけは負けたくなくて、成績では彼より上だった。
けれど、恋心というものは成績とは何の関係もない。
好きになる理由など、自分でも説明できなかったがあの頃は悪ガキだから好き、というのもあった。
日曜日になると、自転車で遊びに行くことが好きで、彼の住む町の方へ向かうことがあった。
もちろん会う約束などない。
ただ近くまで行くだけだった。
彼の家へ近づくにつれ、鼓動が少しずつ速くなる。
結局、その近くに住む同級生の女の子と遊んで帰るだけなのだが、それでも十分だった。
もしかしたら道ですれ違うかもしれない。
その「もしかしたら」が、あの頃の私には何より大切だった。
長岡君とは中学三年間を通して同じクラスにはならなかった。
そして十ー年が過ぎた。
二十五歳になった私は、中学校の同窓会へ出席した。
そこには長岡君もいた。
地元の国立大学へ進学し、卒業後は実家へ戻り、農家の長男として家庭を築いているという。
穏やかな笑顔で近況を話す彼を見ながら、私は心の中で一つだけ言えなかった言葉を何度も繰り返していた。
「あの頃、あなたのことが好きだったのよ。」
結局、その言葉は口にすることなく終わった。
言わなかったというより、言う必要がなかったのかもしれない。
中学生の頃の恋は、その時間の中にあるからこそ美しい。
現実には、それぞれ違う人生を歩み、違う場所で暮らし、違う人を選んで生きていく。
もし当時想いを伝えていたとしても、何かが変わっていたとは思わない。
私は農家の暮らしには向いていなかっただろうし、彼にも彼の人生があった。
だからこそ、あの恋は実らなくてよかったのかもしれない。実ってほしいとも思ってなかった。
人の記憶とは不思議なものである。
大きな出来事よりも、真夏の校庭に差し込む光や、ジョウロから流れ落ちる水の音、自転車を漕ぎながら感じた胸の高鳴りのほうが、何十年経っても鮮やかによみがえる。
恋は終われば思い出になる。
けれど、思い出は決して色あせるだけではない。
人生を歩き続けるほど、その頃には気づかなかった自分の純粋さや、誰かを好きになることの尊さを、静かに教えてくれる。
あの夏、朝顔に水をやりながら待っていた少女は、結局その日、彼と会うことはなかった。
それでも私は思う。
あの日会えなかったからこそ、この恋心は、何十年経った今でも私の心の中で、夏の朝顔のように静かに咲き続けているのだと。