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芋出し画像

その朚の名前


    私は春に生たれた。その日は䞉月の氎曜日だっおむンタヌネットが蚀っおいた。「氎曜生たれは悲哀でいっぱい」ずマザヌグヌスは歌った。


    名前の由来は䞉月の怍物、杏の朚ず姉の名前から䞀文字を取っお「杏奈」。幌い頃からずおも気に入っおいる。響きも奜きだし、呌ばれ続けおきたから銎染んでいる。

    「癟恵にするかもしれなかった」ず母は蚀う。癟恵ず名付けられたら、それはそれでずおも気に入っおいたず思う。母の圱響で癟恵ちゃんも奜きだし。

    姉は「ひばり」になりかけおいたらしい。姉が生たれる盎前の、臚月の頃に矎空ひばりが亡くなったから祖母が぀けたがったのだず。「今の名前で良かった」ず姉は胞をなでおろす。

    私は「ひばり」ず「癟恵」の歌姫姉効になっおいた䞖界線を想像するず、かなりいいなず思う。たあ荷は重いか。


    今は私が実家から埒歩10分の賃貞に䜏み、姉ず母は二人で暮らしおいる。

    時々実家に垰るが連絡せず戞を開けるので、だいたいリビングに姉がいお「来たんだ」ず驚いおいる。実家にいる匹の猫は「誰だ」ず党員逃げの姿勢を取っおから、私の顔を芋お「あなたですか」ず寄っおきたり、「お前かい」ずそれぞれの堎所ぞ垰っおいく。

    実家に寄っおも誰もいない時はリビングでご飯を食べたり、昌寝をしおそのたた誰にも䌚わずに垰宅をする。その所業はほずんど空き巣だ。

    ある時は、無人の実家で普段裞䜓の猫たちに片っ端から掋服を着せお垰った。垰宅した姉から服を着た猫が眠っおいる写真が送られおきお「私じゃないよ」ずシラを切るか悩んだがやめおおいた。


    ここたで圓然の事のように母ず姉の事だけ曞いおいるが、私には父芪がいない。そしおこれは私にずっお文字の通り「圓然の事」だ。そのように今たで生きお来た。

    私が歳の頃に離婚をしたらしい。姉は父芪の蚘憶があるず蚀うが私は党くない。「あの時のあの顔が、声が」なんお懐かしんだり恋しく思う芁玠が䜕もない。これは良い事なのか悪い事なのか今も分からない。

    ずはいっおも「お父さん」がいた。気が付いた時にはいたその人の事を、本圓のお父さんだず思っおいた。だから小孊校3幎生の時に「あんたのお父さんは本圓の父芪じゃないよ」ず幌銎染のお母さんに蚀われた時は衝撃が走った。

    誰にも打ち明けられないような䞍安を、人生で初めお味わった。足元が党郚厩れお、芋おいる䞖界の色が反転したようだった。

    母に聞く勇気がなく、姉ず「これっお本圓」ず䜕か月もこそこそ話しおいたような気がする。今ずなっおは「なんであの人子䟛に蚀ったんだ」ず幌銎染の母芪を䞍思議に思う。あたりにもケロっず蚀われた。

    その埌勇気を出しお母に聞いたら「あそうだよ」ず曖昧に返された。子䟛だから「そうなんだ」ず思うしかなかった。

    衝撃を受けはしたが、それが䞀䜓どういう感情なのかその時の私には分からなかった。ただそこから、自分の反転した䞖界が少しず぀理解できるようになった。

    「家族で苗字がバラバラなのっお普通じゃないんだ」

    この事に䞀番驚いた。圓時の我が家は私ず姉の苗字、母の苗字、父芪だった人の苗字ずいう䞉぀の姓が存圚しおいた。

    私はそれを䜕故か「子䟛が生たれたら、芪が子䟛にぎったりの苗字を遞ぶ」ものだず思っおいたが、実際には母が実の父芪ず離婚した時に自分の苗字を戻しお、私ず姉の苗字はそのたたに、そしお「お父さん」ず暮らし始めおいたずいう事らしい。

    子䟛の持぀想像力ずいうのは凄い。「分からないこず」を、なんずか自分で色んなものに圓おはめお、䞖界のこずを理解しようずしおいく。

    他にも玍埗する事が倚々あった。「本圓のお父さんじゃないから、お父さんの方のおばあちゃんに䌚ったこずがないんだ」「本圓のお父さんじゃないから、初めお抱き着いたあの時振り払われたんだ」

    そういう理解を繰り返しお「本圓のお父さんじゃないから、私は愛されおいないんだ」ずいう考えに蟿り着いた時、垃団の䞭で䜕時間も泣いた。

    撫でられたり抱きしめられる事もないし、特別な思い出もなかった。父の日にお小遣いで買っおプレれントしたコップは、姉ず喧嘩しお泣いおいる時に「うるせえ」っお怒鳎っお投げられお割れた。キッチンの片隅で粉々になったコップを芋お心も同じくらいぐちゃぐちゃになった。息を吞うず喉が震えた。


    小孊幎生の時に苗字が倉わった。お父さんも母も私たちも党員同じ苗字になった。”お父さんの方のおばあちゃん”にも䌚った。

    歳くらいから飌い始めおいた猫も、増えおいっおこの頃には匹の猫がいた。ちゃんず「本圓の家族」ずしお繋がれたように思えた。

    小孊幎生の時、抌入れの䞭から母の叀い写真を芋぀けた。知らない男性ず映っおいた。それが実の父芪だずすぐに分かった。

    心臓が自分以倖の生き物みたいにバクバクしおいお、呌吞が乱れた。誰にも気づかれないようにその写真を匕き抜いお抌入れを閉じた。

    次の日、誰もいない家で父芪の写真を芋た。なんだか自分に党く䌌おいない気がした。この人ず血が繋がっおいるっお本圓なんだろうか。別の日に姉に芋せた。「芚えおる」ず蚀っおから姉は少し震えるように写真に觊れお黙った。

    それ以降の家の事はあたり思い出したくない。い぀も䞍機嫌で、気に入らないず怒鳎っお物を投げる男の顔色を、䌺いながら過ごした。その男がゲヌムをしおいる光で、リビングは毎日深倜たでピカピカしおいた。

    幎に数回䌚う䌯父が、䌚うず嬉しそうに私たちの頭を撫で、もう倧きくなったのに膝に乗せ、䜓調が悪く寝おいる時は垃団たで来お額に手を圓おた。

    その党おが「愛ず呌ばれるもの」だず子䟛でも分かったから、やっぱり”お父さん”から向けられるものは、そうではないず分かった。文章には曞けないような嫌な経隓もしおしたった。


    高校幎生の時に母は離婚した。私の苗字は母の旧姓になり、16幎の人生で䞉぀目の名前になった。

    私たちは䞉人の家族になった。ガタガタに厩れおしたった状況の䞭で、傷付いたもの同士で吠えるように怒鳎りあっお、物が飛んで、手も出お、私のゞャブが圓たっお姉は錻を骚折した。

    母は仕事から垰るず、毎日酷く酒を飲んだ。芪の酔い朰れおいる姿に嫌気がさした。アルコヌル䞭毒になるんじゃないかず心配だった。

    25歳の時に新宿で占い垫ず喧嘩した。䞀蚀目に「あなたは苊劎しない人生ですね」ず蚀われた。「芪バツで結構倧倉でしたね」ず答えるず、「でも食べるのに困ったこずはないでしょう」ず蚀われお蚀い合いになった。

    衣食䜏に困らなければ、子䟛が幞せに育っおいるこずになるだろうか。土砂降りの豪雚が続いた泥の䞭、そこに根を匵る事は容易ではない。私は「倧䞈倫」になるたで長い時間がかかった。


    倧孊を出お以降、「早く家を出ろ」ず頻りに蚀う母に、ある日私は怒鳎った。

    「じゃあなんで産んだんだよ生きおいくのが簡単な人生だず思うなよ他の人ず同じ人生なんお歩たせおくれないのに、なんでたずもさを求めるんだよ私達が生きおいる事に感謝しろよ」

    叫び声に近いくらいに怒鳎っお、喉が痛かった。

    「だっお生みたかったんだもん。」
    「可愛い女の子を二人産むっお決めおた。」


    口を尖らせお母は蚀った。
    なんだよそれ、ず力が抜けた。

    䞉人が䞉人ずもボロボロで、こんなんでどうやっお生きおいくんだず思っおいたけれど、生き続けおいたら思っおいたよりなんずかなった。

    盞倉わらず猫を可愛がり、働き、家族から埒歩10分の距離で生きおいる。母も酒を沢山飲たなくおよくなったようだ。


    今ずなっおは「自分には父芪がいない」こずをそこたで憂いおいない。それでも幌い頃は、「私のこずを倧事に思う、守っおくれる男の人はいない」ず匷く感じおいた。

    「お父さん」が実の父芪ではないず知った時、「実の父芪は”これだけは払っお”ず蚀ったあなたたちの孊資保険も勝手に解玄した」ず母に聞かされた。「本圓のお父さん」も私を愛しおいないのだず知った。

    茎がどこも折れおいない綺麗な花を芋るず、自分はそうなれないず苊しくなる。

    けれど、皆が圓たり前に持っおいるものを自分の力で埋めおいかなくおはいけないずいう苊しさを、嘆き続けるには人生は長い。この歳で今曎父芪も欲しくはない。

    もし実の父芪や、"お父さん"だった人が父芪ヅラをしおきおも蟟易ずするだろう。血の繋がりは䜕をも凌駕するだなんお聞くけれど、私にはそうは思えない。

    い぀か顔も声も芚えおいない父芪が死んで、それを聞かされたずころで、きっず私は䜕も思わない。その事実を悲しくは思う。それよりも嫌なのは、忘れたいだけの蚘憶の「お父さん」が死んだ時に、きっず嫌でも䜕かしらを思っおしたうずいう事。

    ガンダムを芋るず䞀緒に䜜ったガンプラを思い出し、呌び方が「あんちゃん」から「杏奈」に倉わった時の事が今でも映像ずしお蚘憶に残っおいる。

    たしかその人は照れたような嬉しそうな顔をしお、私ず姉の名前を小さく呟いた。私はそれを聞いお、たしか、たしか嬉しかったような気がする。

    こんな颚に自分にはどうしようもない、眠っおいる感情の幹みたいな郚分がグラッず倧きく揺れおしたう気がしおいる。だから、い぀かその時が来たら、どうかその蚃報は、私達姉効の耳に入らないで欲しいず願う。


    数幎前、実の父芪の別の写真を芋぀けた。昔芋た写真よりも私に䌌おいた。少し匕っ蟌んだような錻の付け根ずか、尖ったような薄い唇ずか。

    䜕かの拍子で父芪の名前も知った。この人はどうしおこの名前になったんだろう。この人の芪はどんな人なんだろう。

    私が生たれたのは䞉月で、その日は氎曜日で、時間は倜だったず、この人は芚えおいるんだろうか。

    私が生たれた時に、どう思った嬉しかったのかな。ただ話す事が出来ない私の、名前を呌んだりした

    家を出おいく時、それは䜕月で、䜕曜日だったんだろう。䌑みの日それずも仕事の日朝だった倜だったその足でたず、どこに行ったんだろう。

    最埌に私やお姉ちゃんを抱っこしたりしたのかな。もう䌚えないだろうっおい぀から分かっおいたの。

    私達に䌚いたいず思ったこずはあるのかな。思い出したりするんだろうか。


    答えを知るこずのない問いが、生きるほどに幎茪のように私を芆っおいく。


    数幎前に萜語の「子別れ」を芳た。離婚した父芪が町で子䟛を芋かけお声をかけ、小遣いを枡しお、鰻を食わせ「おっかさんはどうだ」っお聞いおいた。泣き凊ではないずいうのに、なんか泣いた。


    䜕床か「探しお䌚いに行こうかな」ず思ったこずもある。でも䌚っおも話すこずもない。ただ「こんなに矎しく育ちたしたよ」ず芋せびらかそうかなずか。

    あなたの遞んだ人生はこんなに矎しい嚘を二人も、手攟した人生だよず。

    もし察面する事があるずするなら、聞くならたず「私のこずを芚えおいたすか」ずいう䌚話になるだろうけど、それはあたりに皮肉めいおいる気もする。


    だからきっず「私の名前の由来になった朚を芚えおいたすか」ずか聞くんだろうな。





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    杏奈

     
     
    理屈っぜくお、根が明るい郜内で猫を飌っお暮らしおいる女です。゚ッセむ、日蚘、映画感想、玀行文、思い出等を曞きたす日垞の瞬間を切り取った文章や、ドタバタな日々を読みたい方は是非スキ、フォロヌ嬉しいです♡ (旧アカりント名:annetroll)

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