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ばあちゃんの寝顔と不謹慎な私

    私の両親は比較的若く(といっても今の私よりは少しだけ上だが)で私を産んだので、私が生まれた時点で「ひい」がつくおじいちゃんおばあちゃんも半分くらい存命だったし、おじいちゃんおばあちゃんに関しては全員元気に生きていた。最後のひいおばあちゃんは中2の時に死んだ。少し複雑でおじいちゃんが3人とおばあちゃんが2人いるのだが、初めておじいちゃんが死んだのが小6の時、次が大学生の時。それきり残りのおじいちゃん1人とおばあちゃん2人はピンピンしており、現在私は24歳目前、大学を卒業し役者をしているフリーターだ。

    7月に入っても梅雨が明けず、じめじめした日が続いている。その日はたまたま昼まで予定がない日だったので、前夜は珍しく家でお酒を飲んでから寝た。特に二日酔うわけでもなく、むくむくと朝起きてスマホを片手にベッドでごろごろしていた。すると母からラインがきた。「ばあちゃんが目眩で。あんこの予定聞いててもいいかな。緊急時に行ってあげられる人がいるかの調査です。」と。ちなみに母はよく私にラインしてくるし、私もよく母にラインをする。その日も覚えたてのインスタグラムでまた面白い動画でも見つけたのかなと思いながらラインを開いたので、予想外の内容に少し動揺した。その日母が朝から夕方まで仕事だったので、割と近くで一人暮らしをしている私に連絡が来たというわけだ。すぐに返事をしたが、文面上そこまで急を要する感じではなかった。20分くらいして、母から電話がかかってきた。「今からばあちゃん家に向かって、タクシーでばあちゃんを拾って病院に連れて行って、また家まで送り届けてほしい」という内容で、私は二つ返事で了承した。
    ちなみに、不安を煽らないよう先に書いておくが、ばあちゃんはもちろんこれを書いている今なお生きているし、その日も点滴後目眩と吐き気の薬を処方されて帰宅している。

    さて母からの電話後、飛び起きて顔を洗って服を着替えて昼間会う予定だった人に謝罪の連絡を入れて家を出た。結構な雨だったが、足早に駅に向かい、電車を調べてばあちゃんと母に連絡をした。私の家とばあちゃんの家は20分ほどで行き来できる距離にあるので、本当に良かったと思った。
    ばあちゃんの荷物を持って、ばあちゃんを介助してタクシーに乗せ、運転手さんに住所と道を説明しながら、私はばあちゃんの手を握って話し続けた。ばあちゃんは「喋ってたら少し楽になってきた」と笑いながらも、苦しそうだった。私は、大人になったなと思った。あまり自分で言うことではないんだろうけど、大人になったなと思った。無事に病院に着いた。降りる時もまた介助をして、運転手さんにお礼を言って、ばあちゃんの手を引いた。
    診察室に付き添って、点滴中もたまに目を覚ますばあちゃんの足元に座って本を読んでいた。家を出る直前、前日に買った岸田奈美さんのエッセイ本『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を咄嗟にリュックに入れた私を褒めたいと心から思った。
    診察と処置が終わってからタクシーが迎えに来るまでの間にばあちゃんは2回トイレに行った。なぜか頑なに鍵をかけないと言い張るので、私はトイレのドアの前で誰も入らないように見張った。まあ、私たち以外ほとんど患者さんはいなかったのだけれど。タクシーを待つ間、私とばあちゃんはおしゃべりをした。帰りのタクシーでも私はばあちゃんの手を握りながら、タクシーを完璧にナビゲートした。やっぱり、大人になったなと思った。

    私とばあちゃんの話をしておくと、別に私は初孫でもなんでもなくて、末っ子の母にとっての長女であるというだけだが、ばあちゃんは昔から私のことをかわいがってくれて、小さい時はよく「奥さまごっこ」をして遊んだ。奥さまごっこは私たち二人だけの遊びで、言ってみればただのおままごとなのだが、「奥さま、○○ですわよ」といった具合になぜか奥様設定を付け加えたおままごとである。小学生になり児童劇団に通っていた時は、帰りが遅くなるので毎週車で迎えにきてくれて、手作りの大きなお弁当を帰りの車の中で食べさせてくれた。ばあちゃんの唐揚げが大好きだった。今でも舞台も欠かさず観に来てくれて、私の夢を変わらず応援してくれている。しかし、元々はものすごく優秀なはずではあるのだが、とっても変わっているし、寂しがりで、一言多くて、熱しやすくそれでいて飽きっぽく、食にうるさく、常に隣の芝生が青く見えていて、多少めんどくさいところもある人だ。ばあちゃんとうちの家族でごはんを食べに行ってそれぞれ注文した時に、ばあちゃんが自分が頼んだものだけを大人しく食べているのを見たことがない。基本的に他人が食べているものが美味しそうに見えるようで、よく交換してもらっている。それと、スポーツ観戦が大好きで、昼夜逆転してでもテレビ中継を見る。翌朝テレビをつけた時にニュースでその試合のハイライトを先に見てしまうのがどうしても嫌で、深夜だとしてもリアルタイムで見ているらしい。ばあちゃんは、巨人が好きで、石川祐希がお気に入りで、ジョコビッチは大嫌いだ。今回のサッカーW杯も日本戦含め全試合放送を見ているらしい。もちろん深夜に。
    私は、そんなばあちゃんが嫌いだったことは一度もない。ばあちゃんは、少なくとも私が物心ついて以降いままで一度たりとも、「女の子だから」とか「お姉ちゃんだから」とか、その世代の人が言いそうなそれらを私に言ったことがない。私のことは「かわいいね」と言うばかりで、太ったとか痩せたとか、見た目のことを言ったこともないし、私が浪人していた時も大阪大学を出て就職もせず役者をやっている今も、将来や学歴のことを言ったこともない。分け隔てなく、肩書きや性別なんかにとらわれず、私を私として愛してくれる人だ。70歳くらいまでバリバリ働いていたのに仕事を辞めてからは少しずつ元気がなくなってきていると本人は言うものの、私からすれば、まだまだ元気だ。そんなばあちゃんがその日私の前で見せたのは、いままで見たことのないくらい弱った様子だった。私は平気なふりをしつつも、正直かなり心配していた。

    さて、ばあちゃんの家に着くと、私はまたタクシーを降りるのを手伝い、運転手さんにお礼を言って、ばあちゃんの手を引いた。処方された薬の説明をして、早速飲ませ、残りの薬を切り分けて朝昼夕夜と仕切られたお薬ボックスにそれぞれ直して、ベッドに寝かせた。ばあちゃんは私の昼ごはんの心配ばかりしていた。「杏ちゃんごめんね」と何度も謝った。その時のばあちゃんは目を開けているのも辛そうで、ベッドに横たわって目を瞑ったまま私に謝っていた。私は「大丈夫やで。しばらく家にいるから寝とき。」と言って、ばあちゃんの顔を触った。触ったというか、気がついたら触っていた。顔にかかった髪の毛を退け、それから腕をさすった。けれど、私がここにいては寝るに寝られないだろうと思い、ばあちゃんから離れ、数歩先の椅子に座った。できるだけ音を立てないように、座り直したり、椅子の上であぐらをかいたり、また足を伸ばしたり、手の絆創膏を貼り替えたり、理由もなくリップを塗ったりしていた。しばらくして、寝息が聞こえた。ばあちゃんが寝付いたとわかり、私は一息ついた。涙が出た。自分でも驚いた。なんの涙なんだと。ばあちゃんは死んでいない。寝息を立ててぐっすり寝ている。お医者さんに怖いことも言われていないし、タクシーの運転手さんは行きも帰りも信じられないほど優しかった。それなのに私は泣いていた。私はふと、ばあちゃんが寝ている顔を初めて見たことに気がついた。家族以外の寝顔を上からちゃんと見るのは亡くなった時くらいのような気がするし、実際私があの時ばあちゃんの顔を触ったのは、なんとなくそんな気がして怖かったからだと思う。しんどそうに眠るばあちゃんの顔がしばらく頭から離れなかった。父の寝顔を見ても、母の寝顔を見ても、弟の寝顔を見てもなんとも思わないのに、初めて見る祖母の寝顔には、どうやらこたえたらしい。明確な理由はわからない。でも、縁起でもない死を連想してしまったのは確かだ。絶対に元気に長生きしてほしいと願っているのに。どうしたって不謹慎である。

    そもそも、先にも書いたが、私は両親が比較的若い時の子どもなので、つまり当然「祖父母が比較的若い時の孫」である。実際私が生まれた時のばあちゃんは50代前半なので、おばあちゃんというよりおばちゃんだったはずで、バリバリ働いていたし、私の記憶の中でのばあちゃんも、始まりはかなり若い。そんなばあちゃんに、死の気配を感じたことが今までなかったのだ。当たり前だ。死んだ1人目のおじいちゃんは癌、2人目のおじいちゃんは認知症と、それぞれ違えど、やはりそろそろかもしれないというタイミングは私の中でもあった。ある程度覚悟もできた。ばあちゃんは結構、「足が悪い」だの「腰が悪い」だのどこどこが悪いと普段から自称するものの、実際検査してもなにもないことが多く、元気だ。いつも病院に付き添っている母なら体調の悪いばあちゃんを何度も目撃しているかもしれないが、私は初めてだった。だからといって寝顔を見ただけでそんな不謹慎な話があるもんかとも思うが、あったのだ、実際に。

    話を戻すと、その日私は夕方からどうしても外せないお稽古があった。ばあちゃんが寝てからしばらくして、これを解凍して食べなさいと寝る前に渡されたカチコチの特大うなぎを冷凍庫にしまって、代わりにハーゲンダッツと冷凍マンゴーをいただくことにした。季節のアソートらしい6個入りのハーゲンダッツのうち私が手に取ったそれは食べたことも見たこともない味で、正直かなり微妙だったが、もうすぐ24歳になるからと思い、食べ切った。冷凍マンゴーに関しては私に食べさせようとばあちゃんが随分前から買い溜めていることを知っていたので、食べた。持ってきた本も読み終え、休憩中の母と連絡をとりながら時間を過ごした。母には、「ごめんね。いい子に育ってくれてありがとう」と言われたが、私の中では特別なことをした感覚がなかったので、ピンときてはいなかった。それよりも、あまり何も考えられなかった。数分おきにばあちゃんの寝顔が頭をよぎり、このままばあちゃんの寝息が突然止まったらどうしよう、などと考えていた。そんな私の考えを吹き飛ばすように、ばあちゃんの大きめの寝息は絶えず部屋に響いていた。

    ところで、ばあちゃんは地域の老人向け講座にてウクレレを習っている。私はウクレレは弾いたことがないが少しだけギターが弾けるので、全く弦を弾いたことのなかったばあちゃんにウクレレを、というよりもコードを教えにたまに一人で遊びに行っていた。そのばあちゃんはというと、私が家に遊びにきた時にしかウクレレを練習しない。練習する気もたぶんないし、「杏ちゃんがきた時にしか弾いてない」と私の前で豪語する。さらに、ウクレレの先生に対しても、「孫が来てくれないので練習ができないんだ」と言い訳しているらしく、まず言い訳にすらいまいちなっていないし、私としてもとんだ風評被害であるが、笑いながらこの話ができるあたり、やはり血の繋がった家族なんだと感じる。これが縁もゆかりもない他人だったらキレているところだが、ばあちゃんやからなと笑えるし、実際それがばあちゃんなんだと思う。

    そんなこんなで夕方になり、私はこのままここにいるべきか真剣に悩んだが、ここで私がお稽古を休むと母や祖母にもっと謝らせてしまう気もしたので、泣く泣く家を出て駅に向かった。その前になにか食べようとカフェに入った。ちなみに私がバイトしているカフェチェーンの別店舗である。本来ならそこで頼むべきはサンドイッチなどといった食事だったと思うのだが、私はカフェオレとコーヒーゼリーを頼んだ。単に、好きだからだ。そこのコーヒーゼリーはゼリーの上にソフトクリームが乗っていて美味しいということを私は知っていた。一瞬、「これで、コーヒーゼリーがばあちゃんの大好物だから、とかだったら、ドラマ一本書けるのにな。くそぅ。」という考えが頭をよぎったが、無視してコーヒーゼリーを食べた。また涙が出た。やっぱりばあちゃんの寝顔が頭から離れなかった。右利きなのに右手首につけているスマートウォッチが揺れた。「リラックスリマインダー ストレス値が少し高いようです ストレッチをしてリラックスしましょう」と表示されていた。いつもならその表示に対してはうるせえ!と思うことがほとんどなのだが、その日は素直に、涙を拭いて、ぐっと伸びをして、コーヒーゼリーの上に綺麗に巻かれたソフトクリームを食べた。急に、「私、今日冷たいものしか食べてないな」と思った。微妙な味のハーゲンダッツ、冷凍マンゴー、ソフトクリームの乗ったコーヒーゼリー。「お腹壊すかもな」、「そういえば忘れてたけど今日の朝生理きたんだったな」、「でも私アイス食べてお腹壊したことないよな」、「私ってアイス食べるのだけはほんとに速いよな」、「あずきバー前歯で噛めるしな」、「それは関係ないか」、などと、どうでもいい言葉たちが頭の中を次々に駆けた。数時間ぶりの感覚だった。私は心底安心した。そうでなくっちゃ。私の頭の中は、常に言葉で溢れている。溢れているというか、湧き出てくる。なるほど、いつも私の頭を埋め尽くすどうでもいい言葉たちによって、時には邪魔だどいてくれとすら思うその言葉たちによって、私の心の安寧は守られていたのではないか、という気すらした。それならば、もっとどうでもいいことをいっぱい考えよう。ちょっとでも面白い方向に、話を転がそう。不謹慎でも大丈夫。頭の中から抜け出ることはない。
    だって、ばあちゃんは、生きているんだから。

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    ナナハシアンです。俳優です。演劇とラグビーを愛しています。ピアノが弾けます。24歳で、大阪大学人間科学部卒です。

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