
[雑記帳] 26.06 来世のために
ここ数年成果を出せていないが、それでも理工系研究者の端くれのつもりだ。科学で説明できないことを滔々と語るつもりはない。ただ、自分ひとりの生き方を決めるにあたって、密かに科学的ではない考え方をしてみるくらいは許されるだろう。来世の存在を今のところ科学は証明してくれないが、この頃の私は、来世がある、そのことに希望を置いて生きている。
習い始めてすぐに楽器が上手くなり、上達が早い人というのは、何の楽器に限らずいるものだ、そういう人は前世で既にその楽器を習っていたに違いない、とどこかで読んだ。なるほど、とすると、今ピアノを練習していることは来世に繋がるのか、だったらこの一生ではそこまで上手くなれないかもしれないけれど、来世のために練習しておこう、と思った。練習時間が作れなくて上達しなくて悶々としている日々のずっとずっと先に、小さな希望の光を見た。来世のために腐らず少しずつでも練習しよう。今していることの帰結を今生で完結させなくても良いと思ったら、少し楽になった。
先の楽しみのために何かしておく、どうやらそれは若い頃から変わらない考え方の癖らしい。大学時代、夏休みに入るとすぐに帰省し、そのまま後期開始の直前まで実家で過ごしていた。それをしなかったのは、修士最後の年くらいだ。実家に帰っていてはさすがに修論が書けないと思い、その年に限っては夏休みのかなりの期間を帰省せずに過ごした。そんなわけで、よほど実家が好きなのだ、と思われていたらしい。東京の企業に就職を決めた私に、高校時代の友人は驚いて言った。
「絶対、地元に帰ってくると思ったのに。休みの度に帰省してたじゃん」
それはちょっと短絡的だなと密かに思いつつ、私は答えた。
「逆だよ、卒業したらもう帰ってこないと思ったから、その分帰省しておいた」
そう、先々のために、自由な夏休みを放棄した。
今、なぜこんなに自分の時間を削ってまで、介護もどきをしているのか。もやもやしていた私に、あの会話が頭の中に甦った。そうか、同じだ。来世ではこういう形で会わなくて良いように、自由になれるように、今、自分の時間を削っている。来世への貯金。
先のために我慢しておく、という生き方を他の人には自信を持っておすすめはできない。地元を離れられるようにと自由な夏休みを放棄したのに、今頃になって毎週帰省せざるを得なくなっているのだから。自由を放棄したのに報われていないではないか。自分としては、これはあの夏休みの帰結ではなく、来世に向けての備えだ、と思っているが、うまく行くのかどうかは先にならないとわからない。わかったところで、その結果をこの世の皆さんにお知らせする術がないことが残念だ。
先のことなど考えずに、自由に生きられるなら、それが一番。母親との関係に悩む若い女性たちには、自分を最優先で自由になって、と声をかけたい。ただ、少し息苦しい時に、これが来世への貯金だと思って楽になれるなら、その考え方に少し希望を託してみようか、と思っている。