
優しい嘘か、真実か - あるエッセイを読んで思ったこと
とある大ベストセラー作家の近況を知りました。90歳を過ぎて大病を患い、積極的な治療をするか流れに任せるか悩んだ末に生きる為の治療を選んだと。幸い病気から回復し、今も月に何本もの連載を抱え、この度新たに本を出版するということで、インタビューが記事になっていたのです。
実は私はその方の本を読んだことがありません。それで、一番最初に目についた短いエッセイを読んでみました。とても読みやすくそして素晴らしい文章でした。数年前のものでしたが、どうやら毎月連載が続いているようです。そこで、新しいものから順に読んでいくことに。
すると。。。
ああ、老いるってこういうことか。そう痛感せざるを得ませんでした。同じ内容なんです。毎回設定が微妙に違ってはいますが、同じ主張が繰り返されています。女性の率直な意見より男性の優しい嘘がいい、褒め上手が人付き合いのコツ、気遣いより気を使わないおおらかさ。こんな感じです。
一つ一つのエッセイはどれもスイスイ読めて雑誌の連載にはうってつけなのでしょう。ただ、毎月同じ話の繰り返しを編集者が気が付かないはずはありません。もちろん読者も。みなさん作家の言うところの優しい嘘を実践されているのでしょうか。
私だったらどちらがいいかなと思ったりします。相変わらずとても面白い文章だけど最近ずっと同じこと書いてますよって言われたら嫌だな。でも、知ってて知らんふりで、先生の書くエッセイはやっぱり良いですねって言われ続けるのもどうかな。悩ましい。人の本音って必ずどこかで知ってしまうものだしな。等々。これぞ余計なお世話ですね。
そんなことを思いつつ、老いることのもう一つの真実を突きつけられたことに気がつきました。人は老いてなお生きたいと思うのだと。この作家が病気の治療を決意したのは、若くして非業の死を遂げた母親のことを思ったからだと仰っていました。生きたくても生きられなかった人達、今も生きることがままならない人達。そういう人達のことを思えば、生を全うすることこそ自分の生き方だと。
本当でしょうか。長生きすればするほど、未だ死ぬのは惜しい、もっと生きたいと思うようになった、そう言ってくれた方がずっと共感するけどな。生きることにかっこいい理由なんていらない、死ぬのは怖いし生きたいって欲望があるだけだから。そんなふうに思ったりするのは、私が未だ死を間近に感じていないからかもしれません。
ところで、エッセイを読み進む中で思い出した物語がありました。子供の頃、副教材か何かに載っていたとても短い作品です。
語り手は女学生で、彼女の母親がその姉か妹の看病をしています。語り手にとってはおばさんにあたるその人は、とても綺麗な人でした。日々弱り美しかった容姿も衰えていく中で、おばは自分の顔を鏡で見たがります。女学生の母親は本当の姿を見せたくなくて街中を探し回り、嘘つき鏡を手に入れます。その手鏡には美しいままの姿が映るのです。やがておばは最後まで自分の本当の姿を見ることなく息を引き取ります。そして女学生の母親が手鏡を棺に収めようとした時、女学生にはたしかに見えたのです。横たわるおばが、いやいやと首を振ったように見えたのです。
今から何十年も前にふと読んだだけのこの物語を私は折に触れて思い出します。そして、私がいよいよ今より老いて同じ話を繰り返すようになった時も、やっぱりこの物語を思い出すでしょう。優しい嘘の話ではなく。