メインコンテンツへスキップ
見出し画像

女性は「産まない」のではない――この場は、続けられるか

    女性は、
    子どもを拒否しているわけではない。

    ましてや、
    自己中心的になったわけでも、
    楽を選んだわけでもない。

    女性が見ているのは、
    もっと現実的で、
    もっと静かなものだ。

    この場は、続けられるか。

    それだけだ。

    新しい命を育める場があるか

    女性は、
    「産みたいから産む」のではない。

    多くの場合、
    こう感じたときに、子どもを迎えている。

    この家は、回っているか。
    この関係は、壊れないか。
    自分が消耗しきらずに、役割を引き受けられるか。

    つまり、

    この場を、もう一段あたたかくしたいか。

    子どもは、
    成果でも、義務でも、投資でもない。

    この関係。
    この空気。
    この暮らし。

    それを、
    続けたいと思えたときに、
    自然に迎えられる存在だ。

    だからこそ、
    女性は「不安定な場」では迎えにくい。

    削られ続ける場。
    回復の余地がない場。
    犠牲が集中する場。

    そこに、
    新しい命を迎えることはできない。

    それは拒否ではない。

    非常に誠実な判断だ。

    なぜ産まないのか、ではない

    現代の女性が直面しているのは、
    「選択の自由」ではない。

    「責任」が一点に集約された現実だ。

    子育ての成果責任。
    感情の安定。
    関係の調整。
    生活の継続。

    それらが、
    ほぼ母親一人に集まる設計になっている。

    かつては、

    叱る人
    逃がす人
    見守る人
    放っておく人
    頼れる人

    が分散して存在していた。

    だから、
    母は一人で「完璧」になる必要がなかった。

    今は違う。

    失敗すれば、「親の責任」。
    困れば、「家庭の問題」。
    子どもの人生まで、母が背負う設計。

    場が関与しない分、
    明確にされなければならない責任は、
    母に集中しやすい構造になっている。

    この状態で、

    「なぜ産まない?」

    と問われるのは、
    問いの向きが完全に逆だ。

    幸せが成立しない設計

    女性がしているのは、
    回避ではない。

    調整だ。

    これ以上、
    場を壊さないための判断。

    これ以上、
    誰かを犠牲にしないための判断だ。

    身の程を測り、
    責任を引き受けきれないと勘定している。

    女性は、
    幸せを拒否しているのではない。

    幸せが成立しない設計を、
    正確に読み取っているだけだ。

    だから、

    日本の少子化は、

    女性の問題でも、
    男性の問題でもない。

    場を大事にしてきた社会で、
    場が弱まった結果だ。

    ⸻

    次回は、余白の消失シリーズ#008
    「静かに形づくられるいい子の判断――子どもは社会を映す鏡」
    を公開します。

     
     

    Anju

     
     
    日本語と日本社会の前提を、 静かに言葉にしています。 本業が多忙のため、不定期更新です。

    あなたへのおすすめ