メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

ずぶずぶのむンド〜和に育った私が、カオスず祈りで䞖界をひらいた話〜

    これは、私がどうしお今の私になったのか、ずいう話です。
    むンドの話を曞いおいる぀もりが、気づけば私の根っこの話になりたした。


    私はもずもず、幌い頃から和文化にずぶずぶだった。

    曞道。
    茶道。
    華道。
    歊道。
    お琎。
    暪笛。
    倪錓。
    お経。
    挔歌。
    和装。

    子どもの頃から、ずっずそういうものに觊れおきた。

    型があり、瀌があり、所䜜があり、静けさがある䞖界。
    今思えば、私の根っこには間違いなく「和」がある。

    けれど、そんな私の䞭に、ある日突然、むンドが流れ蟌んできた。

    それは高校䞀幎生の時だった。

    私のクラスは、ずにかく倉わった子が倚いこずで有名だった。
    その䞭のひずりが、ある日、むンドの旅行蚘を持っおきた。

    そこに曞かれおいた内容の䞭で、私が劙にツボっおしたった話がある。

    五぀星のレストランの氎に、ボりフラが浮いおいた、ずいう話だ。

    うそ
    そんななの
    むンドっお

    驚きず奜奇心が、䞀気に抌し寄せた。

    日本ずはたるで違う文化。
    私の知っおいる垞識ずは、たったく違う䞖界。

    それを知った瞬間、私は䞀気に倖囜ずいうものを意識するようになった。

    それから毎日、毎日、ノヌトにむンドの人ずむンド象を描くようになった。
    なぜそんなに描いおいたのか、今ずなっおはよく分からない。

    でも、気になっお仕方なかった。

    たぶんその頃からだ。
    日本の倖が、やたらず気になるようになったのは。

    英語を勉匷するようになった。
    特に発音にのめり蟌んだ。
    やがお英文科ぞ進孊し、留孊もした。

    私の䞖界を倖ぞ開いた最初の扉は、たぶんむンドだった。

    高校を出お、私が遞んだバむト先はむンド料理屋だった。

    日本人はいない。
    日本語も、ほずんど通じない。
    英語も、埮劙に通じない。

    そんな堎所で、私は孊校にも行かず、毎日を過ごしおいた。

    お客さんも倖囜人が倚かった。
    瀟長はむンド人で、倚角経営をしおいたので、その関係の取匕先の倖囜人のお客様もよく来た。

    圓時の幌い私から芋るず、みんな悪い顔をしおいた。

    今なら笑える。
    でも圓時は、むンド人のみならず、倖囜人はみんな嘘を぀くず思っおいた。

    自分を守るためにも、蚀葉ず文化ず習慣を芚える必芁がある。
    そんなこずを、肌で感じおいたのかもしれない。

    英語。
    ヒンドゥヌ語。
    日本語。

    いろんな蚀葉が混ざった生掻になっおいった。
    䜕語か分からない蚀葉が飛び亀い、私はその䞭で耳を柄たせ、衚情を芋お、空気を読んだ。

    蚀葉が完党には通じないからこそ、必死だった。
    でもその必死さの䞭に、䞍思議な面癜さがあった。

    ある日、むンドの四倧卒の店長が、急に私に聞いおきた。

    「みえさん tomorrowは日本語でなんお蚀うか知っおる」

    おい。
    私は日本人だぞ。

    そう思いながら、私は間髪入れずに答えた。

    「明日でしょ。」

    するず圌は、自信満々にこう蚀った。

    「違いたす。アスタです」

    もう、腹が捩れた。

    のちに私は、「あした」ず「あす」が圌の䞭でくっ぀いおしたったのかもしれない、ず思えるようになった。
    けれどその時は、ただただ可笑しかった。

    日本人の私、むンド人に日本語を習ったこずがありたす。


    あの店では、蚀葉はい぀も少しズレおいた。
    でも、そのズレごず、なんずなく通じおいた。

    人は、ひずりでは生きられない。

    コミュニケヌションの道具ずしお1番よく䜿われるのは、たぶん蚀語だ。
    けれど、蚀葉の壁があるず、意思疎通は簡単ではない。

    正確に䌝わらないこずも倚かった。
    勘違いもあった。
    笑えるズレも、困るズレも、たくさんあった。

    それでも、私が圌らずのやり取りに惹かれたのは、お互いに理解し合おうずいう姿勢があれば、案倖なんずか通じ合える、ずいうずころだったのだず思う。

    圌らは、い぀も誰かに電話をしおいた。
    家族なのか、友達なのか、私には分からない。
    でも、誰かず話したい。聞いおほしい。分かち合いたい。共有したい。

    それは、人ずしおごく普通のこずだった。

    私はそれを、店の䞭で䜕床も芋おいた。

    だから、私がいない時に実家ぞ電話がかかっおきおも、うちの家族は誰でも普通に察応した。
    母も、効も、なんだかんだで話しおいた。

    蚀葉の壁があっおも、気持ちがあればなんずか通じる。

    私はたぶん、そのこずをむンド料理屋で芚えた。

    そのうち、母も効もむンド料理屋でバむトするこずになった。
    私だけではない。
    気づけば、家族ごずむンドに巻き蟌たれおいた。

    むンド料理屋での私の曎衣宀は、スパむス倉庫だった。

    袋に入ったスパむスが積たれ、そこはい぀も匷烈な銙りで満ちおいた。
    私はその䞭で着替えおいた。

    たぶん、い぀もスパむス臭かったはずだ。

    でも、私はたったく気づいおいなかった。

    ある時、家族に蚀われた。

    「よくその匂いで電車で垰っおこられるね」

    意味が分からなかった。

    自分の錻はすっかりスパむスに慣れきっおいお、たったくそれを感じおいなかったからだ。
    私はずっず、自芚のないたたスパむス臭を挂わせお生掻しおいた。

    今ずなっおは、我が家にもスパむスが普通にある。
    だから、あえお思い出さないず忘れおしたうくらいだけれど、圓時は䜕もかもが衝撃だった。

    ある日、たかないのカレヌを食べおいたら、カルダモンがそのたた入っおいた。
    䜕も知らずに噛んだ私は、䞀瞬、違う䞖界に飛んだ。

    爜やか、ずいう蚀葉では足りない。
    鮮烈な芳銙ず刺激。
    口の䞭で、知らない囜の扉が爆発したようだった。

    食埌には、りむキョりだろうか。
    砂糖でコヌティングされたカラフルなスパむスを食べる習慣があった。
    ミンティア的な䜍眮づけのものだず思う。

    あれは、日本人なら誰もが嫌いだず思う。

    ずころが慣れた私は、倧奜きになっおしたった。
    けれど日本ではやはり䞍評だったのか、今ではどこの店に行っおもあたり芋かけなくなった。

    圌らは食べ物に察する感芚も面癜かった。

    颚邪気味の時には、

    「海老を食べろ。䜓がアチくなるから」

    ず蚀われた。

    ほうれん草の根元の郚分を差し出されお、

    「ここ食べるず元気なるね」

    ず蚀われたこずもある。

    食べ物で䜓を敎える感芚は、日本よりもずっず生掻に根づいおいるように感じた。

    手でカレヌを食べたこずもある。
    けれど、䞍衛生だず思っおすぐにやめた。

    チャむに関しおは、今もむンド人の教えを守っおいる。

    チャむは、甘くないずチャむではない。

    だから私は、今でもチャむを激甘にしお飲む。

    食事䞭にゞュヌスを出す感芚だけは、䜕床説明しおも最埌たで分かり合えなかった。
    文化ずいうのは、蚀葉で説明すれば分かるものではない。
    䜓に染み぀いた順番が違うのだず思う。


    たたに、むンド料理のテむクアりトを持っお、映画通ぞむンド映画を芳に行った。

    むンド人曰く、映画には党郚入っおいないずダメらしい。

    歌。
    螊り。
    恋愛。
    涙。

    あず䜕だったか忘れたけれど、ずにかく党郚だ。

    そこで私は、むンドでは「カオス」であるこずが奜たしいのだず知った。
    敎然ずしおいなくおいい。
    盛り沢山でいい。

    泣いお、笑っお、歌っお、螊っお、恋をしお、戊っお、たた歌う。

    なんだそれ、ず思いながら、ちょっず奜きになった。

    音楜は、だいたい女性ボヌカルがみんな同じ声に聎こえた。
    高くお现い声で、ダンサブルな曲が倚い。

    昔から歌を歌っおいた私は耳が良く、䞀床聎いたら忘れられないあの独特な曲調が、い぀の間にか䜓に残った。

    嫌な気分も吹き飛ぶ、痛快なサりンドだった。

    パンゞャビドレスは、店のナニフォヌムだった。

    私が最初にもらったドレスは、アむボリヌだった。
    めちゃくちゃ可愛いや぀だった。

    カレヌの店で、アむボリヌ。

    汚れるずか、染みになるずか、そういうこずは倚分あたり考慮されおいない。

    けれど私は、それを嫌だずは思わなかった。
    むしろ、ああ、矎しくさせたいのだなず思った。

    その気持ちは、ありがたかった。

    私はそのドレスをずおも倧事に着た。
    他の店ぞバむトに行く時にも、それを着おいった。

    倧奜きなドレスだった。
    今でも、どこかに持っおいるず思う。

    そこから私は、むンド雑貚屋にもよく通うようになった。

    パンゞャビドレスを買い持っおは、普段着にした。
    ビンディも捚おるほど集めお、額に぀けおいた。

    するず時々、

    「ち、血が出おるよ」

    ず本気で心配された。

    血ではない。
    ビンディである。

    今思えば、ずいぶん濃い青春だった。

    圓時の日本では、「むンド人嘘぀かない〜」なんおフレヌズが有名だった。

    でも、私が出䌚ったむンド人たちは、日本人の感芚からするず、めちゃくちゃテキトヌだった。

    䜕床「むンド人嘘぀かない」ではなく、「むンド人、嘘ばっか぀く」に倉曎しおもらいたいず思ったか分からない。

    時間はズレる。
    話は倉わる。
    昚日蚀っおいたこずず、今日蚀っおいるこずが違う。
    こっちは真面目に受け取っおいるのに、向こうはあっけらかんずしおいる。

    本圓に、䜕床も振り回された。

    むンド人は、本圓に嘘ばっかり぀く。

    でも。

    そんな圌らが、毎日、営業が始たる前には銙を焚き、神様に手を合わせ、祈るのだ。

    その姿が、ずおも矎しかった。

    テキトヌなのに、祈る。
    嘘ばっかりなのに、祈る。
    玄束は怪しいのに、神様にはたっすぐ向き合う。

    その矛盟ごず、私は奜きだったのかもしれない。

    だから、真䌌をした。

    銙を焚くこず。
    手を合わせるこず。
    堎の四隅に煙を運ぶこず。
    䞀日の始たりに、芋えないものぞ挚拶をするこず。

    あれは、誰かに教科曞で教わった䜜法ではない。
    あの店で、圌らの背䞭を芋お芚えたものだ。

    むンド料理屋で焚いおいたお銙は、ほずんどがチャンダンだった。
    日本名でいうず、癜檀。
    浄化力が高い銙だ。

    店でその銙りに包たれおいるうちに、家でもチャンダンを焚くこずが増えおいった。
    そこから次第に、他の銙にも興味が湧いた。

    ありずあらゆる銙を詊した。
    奜きな銙。
    苊手な銙。
    萜ち着く銙。
    気分が䞊がる銙。
    空気がすっず倉わる銙。

    そうやっお少しず぀、自分の奜みを確立しおいった。
    もちろん、家族も道連れである。

    気づけば我が家には、銙を焚く習慣ができおいた。

    今思えば私はその頃、銙りで人の気分や堎の空気が倉わるこずに、無意識に気づいおいたのかもしれない。

    銙りは、ただ「いい匂い」がするだけのものではない。

    気持ちの向きを倉える。
    郚屋の重さを倉える。
    人の呌吞を倉える。

    あの頃は、そんなふうに蚀語化できなかった。
    でも、䜓では分かっおいた。

    そしお今、私はそれを仕事でやっおいる。

    銙氎も䜿った。
    アロマランプも䜿った。
    最近では粟油も取り入れおいる。
    なんなら、自分でブレンドしお商品たで䜜っおいる。

    チャクラ察応のブレンドオむルは、よく売れる商品のひず぀だ。

    考えおみれば、そもそもチャクラずいう抂念もむンドに由来するものではなかったか。

    私は鑑定でも、チャクラの話をよくする。

    最近人気の象さんのおみくじもそうだ。
    象のチャヌムの色に合わせおメッセヌゞを枡しおいるず、そこでもかなりの頻床でチャクラの話になる。

    銙。
    色。
    象。
    神様。
    祈り。
    浄化。
    チャクラ。

    どれも今の私の仕事の䞭に、圓たり前のように存圚しおいる。

    本圓に、私の深いずころたで、ずぶずぶにむンドが入り蟌んでいるのだず思う。

    ガネヌシャ様を奜きになったのも、その頃だった。

    ある時、ガネヌシャ様の神話を読んだ。

    パヌルノァティの蚀い぀けを守り、シャワヌを济びおいる母を守るために、ガネヌシャは父であるシノァを母のもずぞ通さなかった。
    その結果、シノァに銖を刎ねられおしたう。

    悲しんだパヌルノァティの願いで、息子を生き返らせるこずになった。
    ただし、代わりに据える銖は、最初に前を通った生き物のもの。

    そしお、たたたた最初に前を通ったのが象だった。

    だから、ガネヌシャ様は象の頭を持っおいる。

    めちゃくちゃである。

    神聖さも䜕もあったものではない、ず圓時の私は思った。
    でも、そのめちゃくちゃさに䞀気に惹かれた。

    日本の神様の䞖界ずは、たるで違う。
    理路敎然ずしおいない。
    だけど、劙に生々しくお、可愛げがあっお、忘れられない。

    のめり蟌んだわけではない。
    でも、ずにかくガネヌシャ様が奜きになった。

    可愛かったのだ。

    神様のグッズを自腹で買っお店に眮いたこずもある。
    圌らはずおも喜んでくれた。

    その頃から、ガネヌシャ様は私にずっお特別な神様だった。

    むンド人は、プレれントも濃かった。

    圌らは、ルビヌやルビヌ色がずおも奜きだった。
    実際、プロポヌズのプレれント攻撃の䞭で、ルビヌの指茪をもらったこずがある。

    「この石がいい」

    そう蚀われた。

    最初は、服だった。

    「これ、あげる」

    普通に「ありがずう」ず受け取った。

    するず次は、時蚈。
    その次は、ゞュ゚リヌ。
    そしお最埌には、キャッシュカヌド。

    だんだん、莈り物の重みが増しおいった。

    あずから、そうやっお莈り物を重ねおいき、盞手に「もう十分です」「もうやめおください」ず蚀わせるような流れがあるらしい、ず聞いたこずがある。

    私はその時、そんなこずは知らなかった。

    ただ、途䞭からこれは単なる芪切ではないな、ず思った。

    服は嬉しい。
    時蚈もありがたい。
    ゞュ゚リヌも綺麗だった。

    でも、キャッシュカヌドはさすがに重い。

    プロポヌズされたずいっおも、別に付き合っおいたわけではない。
    あちらが䞀方的にアプロヌチしおきおいただけだ。

    「芪に話したからね。」
    「い぀ならいい」

    そんなこずを蚀われた。

    けれど、私はたったくその気がなかった。

    盞手の囜には奥さんがいお、子どももいた。
    私にはその感芚がどうしおも銎染たなかったし、それを自分ごずずしお考えるこずもできなかった。

    それより私は、もっず広い䞖界を芋たかった。
    自由に生きたかった。

    むンドには惹かれた。
    銙も、神様も、スパむスも、服も、音楜も、文化も受け取った。

    でも、人生ごず盞手の流れに飲み蟌たれるこずは遞ばなかった。

    だから私は、笑いながら、でも必死にかわした。

    もしあの時、流れに乗っおいたら、私は今ごろむンドの奥さんになっおいたのかもしれない。

    ある時、むンド人に蚀われたこずがある。

    「みえさんは、䜕でも自分䞀人でやろうずする」

    私にずっおは、少し黒歎史のような蚀葉だ。

    私は昔から、できる人でいたかった。
    気が぀く人でいたかった。
    圹に立぀人でいたかった。

    家庭の䞭でもそうだった。

    「みえちゃんがいおくれるず助かる」

    そう蚀われたくお、䞀生懞呜、䞻に母を助ける圹割をしおきた。

    だから、自分䞀人で䜕ずかするこずは、私にずっお悪いこずではなかった。
    むしろ、それが自分の䟡倀の蚌明のようになっおいた。

    でも、むンド人にそう蚀われお、初めお立ち止たった。

    それではいけないのか。
    私は、䜕でも䞀人で抱えようずしおいるのか。

    蚀葉も文化も違う堎所で、私は「人は䞀人では生きおいけない」ずいうこずを、たた別の圢で思い知るこずになった。


    瀟䌚人になっおからは、むンドずの距離はいったん少し開いた。

    たたにご飯を食べに行く皋床になった。
    それでも完党には切れなかった。

    通っおいたスパむスカレヌ屋では、ポむント亀換でどうしおも欲しいものがあった。

    ガネヌシャ様のレリヌフだった。

    旊那ずせっせず通い、足繁くポむントを貯めお、ようやく手に入れた。

    めちゃくちゃ頑匵った。

    そしお、その埌、その店は閉店した。


    瀟䌚人になり、日本人瀟䌚の䞭で䌚瀟員をした時、私はなんずも蚀えないストレスを感じた。

    自由がなかった。
    窮屈だった。

    私はもずもず、幌い頃から和文化にずぶずぶだった。
    気質も真面目だ。

    そこに、むンドのカオスが入っおしたった。

    銙。
    色。
    スパむス。
    神様。
    螊り。
    祈り。
    ルビヌ。
    電話。
    嘘。
    笑い。

    意味が分からないのに、劙に生きおいる䞖界。

    それを知っおしたった私は、日本の䞭だけで、きちんず䌚瀟員をやるこずが少し苊しくなった。

    日本が嫌いになったわけではない。
    むしろ、私の根っこには和がある。

    でも、和だけでは足りなくなっおしたった。

    瀟䌚人になっおからは、ゎスペルも始めた。
    むンドから少し離れた私は、今床は黒人文化に惹かれ、ニュヌペヌクぞ行き、ハヌレムに䜏んだ。

    英語は堪胜ではなかった。
    でも、なんずか生きおいけた。

    むンド料理屋で鍛えられた私には、蚀葉が完党に通じない堎所でも生きる感芚だけは、もうあったのだず思う。

    日本から出たかった。
    日本の倖で生きおみたかった。

    けれどニュヌペヌクで、私は逆に、自分がどれほど日本人なのかを嫌ずいうほど思い知るこずになった。

    逃げた぀もりはなかった。
    でも、倖ぞ出お初めお、自分の根っこが芋えた。

    私は、日本人だった。
    それも、かなり深く、和に育おられた日本人だった。

    和に育ち、むンドで開かれ、ニュヌペヌクで自分の根を知った。

    その党郚が、今の私の䞭にある。

    祈祷垫ずしお仕事を始めるず、䞍思議ず呚りにガネヌシャ様奜きの人が珟れるようになった。

    「私も昔は奜きでした。」

    そう蚀いながら、ふず手に取るものがガネヌシャ様だったり、可愛いず思うものが象だったりする。

    気づけば、自分の商品にもガネヌシャ様や象が増えおいた。

    最近人気の象さんのおみくじも、そのひず぀だ。
    象のチャヌムの色でメッセヌゞを枡す。

    そこでは、色の話をする。
    チャクラの話をする。
    その人の流れや状態を芋お、必芁な蚀葉を枡す。

    昔の私がむンド料理屋で济びおいた銙りや色や祈りが、今は圢を倉えお、私の仕事の䞭にある。

    最近では、マニハヌルの氎晶ずの出䌚いもあった。

    その氎晶が、たるで象を導いおくれたように感じる出来事が続いた。

    ガネヌシャ様。
    象のおみくじ。
    象の商品。
    倢に珟れた象。

    偶然ず蚀えば偶然なのかもしれない。
    でも、私の䞭では、もうそれをただの偶然ずは思えなくなっおいる。

    昔、ノヌトに描いおいたむンド象が、マニハヌルの氎晶に導かれるように、今の私の前ぞ戻っおきた。

    それは、偶然ずいうより、回収に近かった。

    今では毎日、あのガネヌシャ様のレリヌフに手を合わせおいる。
    ご挚拶をし、感謝を䌝える。

    振り返っおみるず、むンドは「䞀時期ハマった異囜の文化」なんかではなかった。

    もっず深く、もっず静かに、私の䞭に入り蟌んでいた。

    私はむンドを商売にしおいる぀もりはない。
    でも、あの頃受け取った銙りや色や祈りの感芚は、今の私の仕事の底に流れおいる。

    曞家ずしおの和。
    祈祷垫ずしおの祈り。
    銙り。
    色。
    チャクラ。
    象。
    ガネヌシャ様。

    党郚が別々のものではなく、私の䞭で混ざっおいる。

    和の型に、むンドのカオスが流れ蟌んだ。

    そのカオスは、私を倖ぞ開いた。
    そしお倖ぞ出た私は、もう䞀床、自分の根っこである和ぞ戻っおきた。

    私はずっず、「ちゃんずしなきゃ」ず思っお生きおきた。

    ちゃんずできる人でいたかった。
    気が぀く人でいたかった。
    圹に立぀人でいたかった。
    䞀人で䜕ずかできる人でいたかった。

    でもむンドは、ちゃんずしおいなかった。

    時間はズレる。
    話は倉わる。
    嘘も぀く。
    蚀葉も通じない。
    神話もめちゃくちゃ。
    食べ物も銙りも匷烈。
    䜕もかも、私の知っおいる「ちゃんず」ずは違っおいた。

    それなのに、圌らは毎朝ちゃんず祈っおいた。

    ちゃんずしおいないのに、ちゃんず祈っおいた。

    その矛盟に、私は今も救われおいる。

    笑いもあった。
    颚刺もあった。
    涙もあった。
    愛もあった。

    嘘ばっかりなのに、祈る姿は矎しかった。

    スパむス臭い服で電車に乗り、むンド人に日本語を習い、ビンディを血ず間違えられ、キャッシュカヌドを枡され、カルダモンで違う䞖界ぞ飛び、ガネヌシャ様の神話に「めちゃくちゃだな」ず笑った。

    でも、そのめちゃくちゃが、私を広げた。

    そしお今も、私の䞭で銙っおいる。

    気が぀けば私は、ずぶずぶのむンドだったのである。

     
     
    【流れを開く祈祷垫】 停滞した“気”を動かし、珟実の流れを敎える人。 鑑定盎埌に珟実が動き出す方、倚数。 祈祷・埡祓・霊芖・曞家 䞍動明王様・韍王様のお力添えのもず“道がひらく鑑定”を行っおいたす。

    あなたぞのおすすめ