50代からのセカンドキャリア、論文ゼロの会社員が大学教授になれた理由|経験が評価に変わる瞬間【大学教員公募】
論文は、1本もありません。
企業で企画・マーケティング部門に長く勤めた会社員が、大学教授として採用された話です。
私は複数の大学で教授を務め、学科長として9年、副学長として4年、通算13年にわたって教員の選考に関わりました。のべ500通を超える応募書類に目を通し、合否を決める会議の席に座ってきました。
その席で見た一部始終をお話しします。
50代になり、これからの働き方を考え始めると、「自分の経験は、会社の外で何になるのか」と立ち止まる方は多いと思います。再雇用でも、転職でも、独立でも、その問いは付いてきます。
その答えの一つが、大学です。いま大学は、企業で仕事を積み重ねてきた方を、学生に教える側として探しています。
ただし、評価の決め手は、経験の長さとは別のところにありました。
経験を、人に教えられる形にできているかどうかです。
「大学教授」という道を、もう一歩具体的に見てみます
大学が会社員の経験を探している理由は、こちらの記事に書きました。
▼50代からのセカンドキャリアに、「大学教員」という選択肢はありますか|大学が実務経験者を探している理由
https://note.com/ando_shingo/n/n9cbf4de246e4
この記事では、「そんな道があるのか」と知った方に向けて、「では、自分は選ばれる側に入れるのか」という、もう一歩先の問いに答えます。
前の記事を読んでいなくても、この記事だけで読み進められます。
この候補者に、委員の意見が真っ向から割れました
その選考会議のなかに、忘れられない回があります。
候補者は、先ほどの会社員です。応募書類には、キャンペーンで売上を大きく伸ばした、といった華やかな実績が並んでいました。
論文は、1本もありません。
こういう書類を前にすると、委員会はまず同じ懸念を抱きます。
「それは個人のセンスであって、学生に再現できる知識として教えられるのか」。
研究者出身の教授が、まず口を開きました。
「この候補者、企画部門で華々しい実績ですが、教育の実績も論文もゼロです。自分の感覚で仕事をしてきただけで、体系的な講義ができるのかは、疑問が残りますね」
空気が、見送りに傾きかけました。そこで、企業出身の教授が、書類を指しました。
「先生、こちらの授業の計画案と、地域や企業と組むプロジェクトの指導計画を見てください。単なる武勇伝ではありません。市場分析の基本の型を、衰退した地域の特産品のプロモーションにどう当てはめ、学生にどこで失敗と成功を経験させるかが、週単位で具体的に組まれています。現場の課題を、学生が実践する授業に翻訳する力は、論文の数以上の価値があります」
この一言で、空気が変わりました。私は、書類の見え方が変わるのを、席から見ていました。
「単なるビジネスの成功者」としてではなく、「学生を動かす企画者」として読み直され、面接に進みました。
同じ回には、マーケティングの理論に詳しい研究者の候補者もいました。理論の整理は見事でした。ただ、いまの生活者の買い方の変化には、現場の肌感覚が欠けていました。企業出身の委員は、こう言いました。
「理論を綺麗に教えるだけなら、いまの学生は動画や生成AIでいくらでも学べます。この候補者が持っている、市場での失敗談と、そこから仮説を直していった判断の過程こそ、うちの学生がいちばん身につけてほしい、現場の知見です」
私はこのとき、書類の厚みよりも、失敗から仮説を直した過程のほうが、教室で効くと判断しました。
※この記事で触れる選考のエピソードは、特定の大学・選考・応募者が特定されないよう、複数の経験から一般化して構成しています。
面接で問われたのは、経験の裏付けでした
最後の関門は、模擬授業と面接です。
候補者は、こう語りました。
「マーケティングの本質は、『かっこいいアイデアを出すこと』ではなく、『顧客の不満や構造的な課題を見つけ、組織を動かして形にする、検証の連続』です。私の授業では、きれいな企画書を作らせるのではなく、市場の厳しいフィードバックを受けて、『自分の企画のどこが甘かったのか』を身につける経験を設けます」
経営系の教授から、鋭い質問が飛びました。
「あなたの授業は実践的で面白いかもしれない。しかし、マーケティングの古典的な理論や、学問の枠組みとのつながりが弱いように見えますが」
候補者は、こう切り返しました。
「ご指摘の通り、最初は現場の勘と経験則だけで回していました。しかし、それを学生に教えるにあたって、マーケティングの古典的な理論や、消費者行動の研究の枠組みを使い、なぜあの施策が成功したのか、あるいは失敗したのかを、後付けではなく構造的に言葉にし直しています。実践で得た知見を理論に引き上げて教えるのが、私の役割です」
「単なるビジネスマンの講演」ではなく、「大学の教育に耐える、学問と実践をつなぐ授業」であることが伝わり、大学側の委員も納得しました。
採用です。
あの回で私が印象に残っているのは、最初は経験則だった、と認めたうえで、理論による言い直しを迷わず語った一言でした。
着任後、この方はこう振り返っています。
「最初は『企業で企画を通してきたのだから、学生を指導するくらい朝飯前だ』と高をくくっていました。しかし、学生はまだ『目的の立て方』や『論理の組み立て方』の基礎ができていません。いきなり実践をやらせるのではなく、ビジネスの共通言語や思考の型を先に身につけてもらってから現場に出す。企業時代よりもはるかに緻密な、逆算の教育設計が必要だと痛感しました」
ここまで読んで、自分にそこまでの覚悟があるだろうかと、立ち止まった方もいるかもしれません。
会社の経験が、「教える仕事」で評価される三つの形
この選考で評価が動いたポイントは、三つにまとめられます。
▶ 学びの進め方を、具体的な計画にする … 「企業の課題を解かせます」で終わらず、チームの組み方、中間発表、企業からのフィードバックまでを、進行の計画として描いている
▶ 「センス」を、採点できる基準にする … 企画書や提案を、論理性・市場性・実現可能性のような軸で評価し、返し方まで決めている
▶ 現場とつなげて、伴走する … 実際の自治体や地元企業を授業に巻き込み、利害の調整や折衝の壁を学生とともに越えた経験がある
論文の有無は、この三つのどれにも入っていません。
これは企画の仕事に限りません。
営業でも、技術でも、管理部門でも、仕事を人に渡せる形にした経験があれば、同じ土俵に乗ります。
「自分には畑違いだ」と感じる方へ
誰でもなれる、という話ではありません。ただ、土俵に乗れるかどうかを決めるのは、論文の数ではありません。
それでも「自分には関係ない」と感じた方もいると思います。その感じ方には、理由があります。
▶ 研究者じゃないから、無理だと思う … 評価されているのは、研究の量ではありません。この方も、論文はゼロでした
▶ 理論や専門知識が足りないから、教える資格がないと思う … この方も、最初は経験則だけでした。理論は、後から学び直したものです。あとから十分に間に合います
▶ 会社や現場の仕事は、人に教えるものではなかったと思う … 研修、後輩の育成、クライアントへの説明、手順書づくり。教える場面は、気づいていないだけで、仕事のなかに数多くあります
研究の実績がないから、教えることが本業ではなかったから、場違いだと感じる必要はありません。見られている土俵そのものが、違います。
思い込みのまま降りると、経験が評価される場を、一度も試さないまま閉じることになります。
自分の経験は、人に伝わる形で語れるか
いまの自分に、頭の中で、はい・いいえを当ててみてください。
✅ 自分の成功体験を、個人のセンスではなく、後輩やクライアントにも使える手順や基準として話せますか
✅ その工夫が、なぜうまくいったのか、理屈として説明できますか
✅ うまくいかなかった経験から、同じ失敗を防ぐ仕組みをつくった経験はありますか
三つとも「はい」なら、すでに選考の土俵に乗る準備ができています。
「いいえ」があっても、問題ではありません。経験が足りないのではなく、まだ言葉にしていないだけです。
まとめ
▶ 選考で見られているのは、経験を人に教えられる形にできているかどうか
▶ 評価が動くのは、授業の計画・評価の基準・現場とのつながりという、形にして渡せる実績
▶ 理論の裏付けは、後から学び直して構わない。実践から理論へのフィードバックとして語れればいい
▶ 研究の実績がない、教えることが本業ではなかったという理由だけで、選考の土俵から降りる必要はない
経験が通用しないのではありません。まだ、仕組みとして渡す形になっていなかっただけです。
「50代からでは遅いのでは」と気になる方は、年齢がどう見られているかを、こちらに書いています。
▼大学教員公募、年齢はどう見られているか? 元副学長が明かす3つの基準
「自分の経験も、この土俵に乗るのか」と思ったら、まず全体像から見てください。大学教員を目指す方に向けて書いてきた記事を、読む順番に並べています。
▼【大学教員公募】実務家教員への道|元副学長が書いた全記事を、この順番で読んでください
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