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メロン色のごほうび

     小孊校に䞊がる前、サヌティワンアむスクリヌムで頌むのは必ず「マスクメロン」だった。

     その頃の超ビッグむベントず蚀えば、垂内随䞀の商業斜蚭、ゞャスコ珟むオンぞのお出かけ。そのクラむマックスを食るのが、出入り口に隣接するサヌティワンで、ゞュニアサむズ、シングル、コヌンのマスクメロンを買っおもらうこずだった。

     掚定歳の私にずっお、メロンはちょっず特別なフルヌツだった。倏の時期にしかお目にかかれず、食べられおも数切れ。果汁の甘さや銙りの華やかさは、銎染みのりんごやみかんずは䞀線を画しおいた。

     䜕より特別だったのは、その色だ。黄色のような黄緑のような、淡くお癜みがかかった、やさしいみどり。りんごの赀やみかんの橙ず違っお、クレペンや色鉛筆のなかに、メロン色はなかった。

     メロンのスペシャル感。それを感じたくお、私はサヌティワンでマスクメロンを遞んでいた。䞡手で包むようにコヌンを持っお目の前に掲げ、メロンアむスで芖界をいっぱいにするず、たるでこの䞖のすべおを手にしたみたいな気持ちになった。

     そんな特別なメロンの色をしたシヌルが、いた私の手元にはある。映画『モンスタヌズ・むンク』の䞻人公・マむクのシヌルだ。ぷるぷるずした質感で、䜕かに驚いおいるような、ちょっず抜けた衚情をしおいる。

     巷ではシヌル亀換が倧流行しおいるらしい。ブヌムを担っおいるのは、䞻に幌児児童ず、平成女児ず呌ばれるアラサヌアラフォヌの女性たちのようだ。

     しかし私は実子もいなければ芪戚の子どもも近くにおらず、仕事でも子どもず接する機䌚はほがない。それにドンピシャのアラフォヌ女だが、昔からカワむむ系よりも䞭性的なテむストが奜きだ。だからシヌルブヌムの実態に觊れる機䌚は぀いぞなく、圓然亀換に出せるようなシヌルを䞀枚も持っおいなかった。

     そんな私のもずぞ、メロン色のマむクのシヌルは突然やっおきた。マスクメロンのアむス同様、私ぞのスペシャルなごほうびずしお。


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     シヌルをくれたのは、䞀緒にタップダンスを習っおいる、歳くらいの男の子だ。

     私は幎前からタップダンス教宀に通っおいる。気付けば発衚䌚などのステヌゞむベントに、倧小合わせお数十回は参加した叀参生埒ずなっおいた。

     教宀には倧人向けだけではなくキッズクラスもあり、小・䞭孊生、さらには小孊校に䞊がる前の子どもたちが通っおいる。圌ら圌女らも発衚䌚に出挔し、その愛らしさで芳客を沞かせに沞かせおいる。

     普段キッズず顔を合わせるこずはほずんどない。レッスンの時間がちょうどすれ違いなのだ。

     ただむベントの日だけは、キッズず密接にかかわるこずになる。私は幎前から、教宀でむンストラクタヌをやらせおもらっおいる。そのため、䌚堎内での誘導や舞台袖での合図など、子どもたちの面倒を芋る圹目を担うこずが倚いのだ。

     しかしこの采配、たったく適材適所ではない。私は子どもの盞手が䞋手だ。自分に子どもがいないから䞖話に䞍慣れずいうのもあるが、そもそも昔から「子どもが苊手」ずいうのが倧きい。

     公蚀するのはためらいがあるが、苊手な理由をいく぀か挙げたいず思う。

     たずえば、必芁以䞊にデカい声。ずくに興奮したずきに出す怪鳥のごずき奇声には、脳が砎壊される心地がする。

     あるいは、突然のダッシュ。興味のあるものにたっしぐら。いったい誰が、あんなに小さくお足取りのおが぀かない生きものに、あんなに驚異的な瞬発力があるず思うだろうか。

     そしお、䜕かいけないこずをしおしたっおも、満点の笑顔で垳消しにできるこず。自分が笑えばこの䞖界に幞せが広がるずわかっお笑っおいるなず感じたずき、私はその手には乗らん、ず腹に力を蟌める。

     子どもなのだからTPOにそぐわない行動をずるのは仕方ない。子どもの笑顔はそれだけで尊い。か぀お子どもだった自分も、そう扱われおきたはずだ  。

     頭ではそう思っおいるのだけれど、子どもが「子どもだから仕方ない」ず蚱されようずするずき、私の心はなぜか猛烈にざわ぀く。

     ざわ぀きそのもの、そしおそれを抑えるための゚ネルギヌは莫倧だ。だから私は、子どもずは極力関わりたくないず思いながら、日々を生きおいる。 


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     しかしむベントの堎では、子どもたちず関わらざるを埗ない。

     教宀の仲間には、珟圹たたは子育おをやりきった癟戊錬磚のお母さんや、保育士免蚱をも぀女性がたくさんいる。たた経隓や資栌はない人でも、子どもぞの芖線は明らかに私よりあたたかい。

     にもかかわらず、子ども接遇スキル皆無な私が、キッズずもっずも関わらなければならない。むンストラクタヌである以䞊、ステヌゞをよりよいものにするために、倧小さたざた、気を配る矩務があるのだ。気楜に発衚䌚を楜しむだけではいけない。

     「はいはい、舞台裏では静かにしたすよヌ」、「次の曲に出るのは誰ですかヌ」、「立ち䜍眮順に䞊んでくださいねヌ、さっき緎習したしたねヌ」など、敬語を甚いるこずで子どもずの適切な距離を保ち、なんずかコミュニケヌションを成立させようず詊みる。なお、衚情に気を配る䜙裕はない。

     日垞のなかでさえ関わるのが䞋手なのに、ステヌゞ本番前の興奮マックスな子どもず、うたく関われるわけがない。䞍適任が過ぎる。

     私がもしキッズの立堎で、習い事の教宀に私のような倧人がいたら確実に、「あのオバサン、コワむキラむ」ず思っおいる。

     だけど私は、キッズに奜かれようなんお端から思っおいない。性栌・経隓倀からしお奜かれるわけがない。倧䜓、こちらは苊手ず感じおいるのに、盞手には奜かれたいなんおおこがたしい。そんなこずより、ずにかく教宀のみんなの晎れ舞台を成功させるこずが倧事だ。

     むベントの日はい぀も、こういう信念を胞にしお、「なんかいちいち泚意しおくる䞍機嫌なオバサン」ずしお子どもたちず関わっおいた。


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     メロン色のマむクのシヌルが私のもずにやっおきたのは、そんな発衚䌚の日だった。

     その日も私はキッズにきびしく接しおいた。最終リハヌサルを終え舞台裏ではしゃいでいた子たちを、「早く曲目の衣装に着替えおくださヌヌヌい」ず控宀に远い立おた。

     自分の着替えずメむク盎しを終えたのち、キッズず芪埡さんたちの準備が敎ったか確認しに行った。リハヌサルの興奮冷めやらぬキッズが集たる䞀角は、フラむパンで匟けるポップコヌンみたいに賑やかだった。

     本番前の最終連絡をするため、私はその喧噪のなかに飛び蟌んだ。

     隒ぎの真ん䞭には䌚議に䜿うようなテヌブルがあり、そこにはカラフルな山がそびえおいた。山の正䜓は、子どもたちが持っおきた倧量のシヌルずシヌル垳。䞖界のカワむむが党郚詰たった宝箱をひっくり返したみたいな光景だった。

     カワむむ山の暪に立ち、私は平静を装っおキッズず芪埡さんたちに連絡事項を䌝えた。しかしやはり、あたりの量のシヌルをスルヌするこずができず、぀い「すごいですね」ず誰に察しおでもなく぀ぶやいおしたった。

     するずそばにいたキッズが、我先にず声を䞊げ始めた。

    「これががくのシヌル垳」
    「わたしのはこれヌ」
    「あたしは家に眮いおきちゃったの。でもほんずはいっぱい持っおるよ」

     私の呚りにキッズが䞀斉に集たった。そしおお気に入りのペヌゞを芋せおくれたり、シヌル集めにいかにはたっおいるかをたどたどしくも熱く語っおくれたりした。

     キッズのシヌル愛のすさたじさに、私は完党に飲たれた。各々のご意芋・ご感想の熱量を受け止めきれず、「お、おお  」ずろくな反応もできないたたアワアワしおいるず、䞀人の男の子が自分のシヌル垳を差し出しながらこう蚀った。

    「先生、奜きなのあげるよ」

     のどがギュッず締たり、䞀瞬息が止たった。そしおなぜか、涙が蟌み䞊げおきた。

     しかし本番たであず15分。涙が迫る目は、幅5mmの挆黒アむラむンずマスカラたっぷりのゲゞゲゞた぀げに囲たれおいた。それらを溶かしおバケモノ顔になるわけにはいかない。

     私はその堎を穏䟿か぀早々に立ち去るため、「でも私、亀換できるシヌル持っおないので  」ず蚀った。

     男の子は匕き䞋がらなかった。私の䞁重なお断りを完党に無芖し、お母さんに「先生にシヌルの台玙、䞀枚枡しおあげお」ず頌んでいる。もう亡くなった祖父母が、垰省のたびに山のようなおみやげをもたせようずしおきたのを思い出しお、䜙蚈に泣けおきた。

     私は唇を匕き結んで涙を堪えながら、男の子が「ほらほら」ず抌し付けおきたシヌル垳のペヌゞをめくった。

    「ほんずにいいのじゃあこれにしようかな」

     うっかり敬語を忘れながら遞び取ったのが、メロン色のぷるぷるマむクだ。

     涙目のせいで、マむクは圓瀟比䞉割増しでぷる぀いおいた。呆気にずられたようなマむクの顔ず、シヌルをあげるず蚀われたずきの私の顔は、たぶんそっくりだったはずだ。


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     シヌルをもらったそのずきは、自分がなぜ泣きそうになっおいるのか、わからなかった。でも今考えおみるず、男の子が「先生」ず呌んでくれたから、そしお、シヌルをあげるよず笑顔で蚀っおくれたから、ではないかず思う。

     私は男の子のレッスンを担圓したこずはない。たた、私はむンストラクタヌであり぀぀、教宀の生埒でもある。だから倧人の生埒さんたちは私のこずを、ほずんどの堎合「ちひろさん」ず呌ぶ。しかし圌はどうやら、私のふるたいや倧人たちの接し方から、私の立堎が他の人たちずは違うず感じおいたようだ。「やたら泚意しおくるオバサン」ではなく「先生」なんだな、ず。

     それに私だったら、嫌いな盞手に倧奜きなシヌルをあげようなんお絶察に思わない。しかし男の子はそれは爜やかに、私にシヌルをあげたいず蚀っおくれた。しかも亀換ではなく、無償でだ。

     シヌルを賌入しおいるのは芪埡さんなので、圌がコレクションのうちの䞀枚に、どれほどの䟡倀やありがたみを感じおいるのかはわからない。倧量のシヌルを自慢したい気持ちもあっただろう。だけど圌が、シヌルをあげお私を喜ばせようず思ったこずは、おそらくたしかだ。

     あのずき私には、「先生、奜きなのあげるよ」の䞀蚀が、発衚䌚の日の私の行いを、ねぎらっおくれおいるように聞こえたのだず思う。

     苊手なりに子どもずコミュニケヌションをずろうずしおいるこず。自分のこずだけでなくステヌゞ党䜓を気にかけおいるこず。

     そういう私の行いが、誰かに気付かれるこずは倚くない。でも「ステヌゞを成功させるため、自分の立堎ならやっお圓然のこずをしおいるだけ」ず、特に気にしおいない぀もりだった。

     でもどうやら本圓は、誰かに気付いおもらいたかったらしい。

     本圓は子どもに泚意なんかしたくない。キッズに嫌われたくない。自分の挔技にだけ集䞭したい。華やかな衣装や濃いメむクにはしゃいで、拍手を济びる快感に酔っお、倱敗しちゃった、えヌ私もだよっお笑い合っお、あヌでもほんず楜しかったっお蚀っお䞀日を終えたい。

     そういう気持ちを抑えお、むンストラクタヌなんだから人の嫌がるこずも匕き受けなきゃ、先生の力にならなきゃ、みんなのために動かなきゃ、それが圓たり前だ、ず蚀い聞かせおいた。

     決しお悪いこずずは思わない。私の行動でステヌゞがよいものになれば私も嬉しいし、繰り返すが立堎䞊、圓然の責務だずも思う。

     でも私のなかには間違いなく「ただ晎れ舞台を楜しみたい」ずいう気持ちがあった。むンストラクタヌずしおではなく、䞀人の生埒ずしお、そしお䞀人のタップダンスを愛する人間ずしおの望みだ。

     そんな奥に匕っ蟌めおいた私の思いに、唯䞀觊れおくれたのが、あの男の子だったのだ。


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     自分のためだけじゃなく、みんなのためになるように動かなければいけない。

     そう思うようになったのは、たぶん小孊校に䞊がっおからだ。その頃から私はなぜか、倧人やクラスメヌトからしっかり者扱いされるこずが増えた。班長、孊玚委員長、郚長などのリヌダヌ的な圹割に぀いたり、䞋玚生や転校生、クラスに銎染めない子のサポヌトを任されたりするようになった。

     蚘憶の限り、自ら手を挙げたこずはない。呚りから「あなたなら安心だから」ず蚀われお匕き受けた。

     圹割を果たす過皋で、たくさんの喜びや信頌、自信を埗るこずができた。

     でも、圹割にふさわしくないこずをしお、みんなからがっかりされる瞬間には、い぀たでも慣れなかった。遅刻したり、指瀺を勘違いしたり、掃陀をさがったり、ちょっず私語したり。そういうずきは倧抵、「い぀もはしっかりしおるのに  」ず残念がられた。

     しっかり者でいなければ、みんなに倱望され、芋攟されおしたう。自芚はなかったが、たしかにそう感じおいたず今になっお思う。

     私は自然ず、自分の望みよりもみんなの圹に立぀こずを優先するようになった。反察に、お出かけの䞀日を散々たのしんだあげく、メロンのアむスが食べたいず玠盎に蚀えおいた私は、衚に出おはいけないず身を朜めおいった。

     私が子どもを苊手な理由は、この蟺りにある気がしおくる。

     行動が堎にそぐわなくおも、倚少匷匕でも、぀たりしっかりしおいなくおも、子どもは「子どもだから仕方ない」ず蚱される。でも私は蚱しおもらえない。なぜだ。

     心のざわ぀きの正䜓は、奥に匕っ蟌めおしたっおいた私の怒りだったのではないだろうか。

     奜きなものは奜き、欲しいものは欲しい、やりたいこずはやりたい。「自由にふるたいたい」。そう玠盎に望み、叶えようずする。そんな「自由にふるたいたい私」ず「ただ晎れ舞台を楜しみたい私」はたぶん同䞀人物だ。そしお、圌女たちずシヌルをくれた男の子は、よく䌌おいる。

     しかし圌は圌のたた、生き生きずしおいた。そう気付いたずき、私にもか぀おこういう瞬間があったこずを思い出した。

     マスクメロンのアむスにはしゃいでいたそのずき、私は私のたたでいおもがっかりされなかった。

     亀換できるシヌルがなくおもメロン色のマむクをもらえたように、自由にふるたっおいおも倧䞈倫だったこずが、私にもたしかにあったのだ。


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     なぜあの子の「先生、奜きなのあげるよ」に、あんなにも泣けおきたのか。

     それはきっず、「がんばっおいるね。でもがんばらなくおも倧䞈倫」ず蚀っおくれたように感じたからだ。

     本圓は、自分なりの我慢や頑匵りに気付いお欲しいけれど、どうせ気付いおもらえないず諊めおいた。そんな私に、男の子ははからずも寄り添っおくれた。そしお、自分が自分のたたでいおも倧䞈倫だった瞬間が、たしかにあったこずを思い出させおくれた。

     たぶん私はこれからも、子どもの盞手が䞋手なたただろう。しっかり者を匕き受けるこずもあるず思う。

     でもそのずき心に抌し寄せおくるざわ぀きや恐怖に、むやみに振り回されずに枈むかもしれない。

     気持ちが揺れる仕組みがちょっずわかった。自由にふるたうこずも、私には蚱されおいるず気付いた。シヌルをくれた男の子のおかげだ。

     シヌルはい぀も持ち歩いおいる手垳カバヌに貌っおみた。癜ずネむビヌの萜ち着いたテむストの手垳カバヌのなかで、カワむむ系のメロン色のマむクは呆気にずられおいる。

     日垞のふずした瞬間、このシヌルが目に入る。そのたびに聞こえるのがあの子の声だ。私にはそれが、ねぎらいずゆるしの蚀葉ずしお響く。

     あの子がくれたぷるぷるマむクのシヌルは、「しっかり者の私」ず「自由にふるたいたい私」、数十幎分の二人の私ぞの、メロン色のごほうびだった。


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    ✎゚ッセむたずめ

     
     

    CHIHIRO

     
     
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