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【男はつらいよ×Z世代】義理と人情に共感する「寅さん派」


    【男はつらいよ✖〇〇〇〇〇】の記事では、市井の人が語る『男はつらいよ』の感想を記事にします。様々な人物と『男はつらいよ』を掛け合わせると、どのような化学反応が生まれるのでしょうか。描かれる時代背景が古く、とっつきにくい映画となってしまった『男はつらいよ』と現代人の接点になれば、と考えています。

    まえがき(偶然の望郷篇)

    今回は、都会に住むZ世代のアルさんと第5作『男はつらいよ 望郷篇』を鑑賞し、その感想を伺いました。「望郷篇」を選んだ理由は、一緒に鑑賞していた他のメンバーが、最近見て良作だったから。(選んだ方は、現在『男はつらいよ』を第1作目から順に鑑賞していている最中。)
    偶然選ばれた「望郷篇」ですが、実はZ世代や現役世代に、価値観のギャップを多数提示している作品です。「実の父親の死に目に会わないことを選択した青年」や、「額に汗して働くことの尊さに感化され就職した主人公・寅次郎」、「家業の継ぎ手だからと結婚を反対される女性」など、現代の常識の共通点と相違点がエピソードに付随しており、時代の変わり目の複雑な価値観を露呈しています。つまり、今作はZ世代がプラスとマイナス両面の感想を持つ可能性が高い作品といえます。公開された昭和40年代の常識に、Z世代はどのような反応を見せるのでしょうか。

    2作ぶりに山田洋次監督復活

    今作は、1970年に公開された、48作あるシリーズの第5作目です。初期ならではの俳優陣の若々しさに重ね、ドタバタ喜劇要素が強め、というシリーズ前半に共通する特徴を例外なく発揮した、元気な作品になっています。第1,2作は山田洋次監督、第3,4作はそれぞれ別の監督作品ですが、今作から山田監督が再び指揮をとり、その後全ての作品も監督しています。別の監督が描いた車寅次郎像を、もう一度山田監督が捉え、描き直した作品と言えます。また、第一作目公開からたった1年で、5作目までが公開されており、驚異的な撮影スケジュールとシリーズの人気具合がうかがわれます。マドンナ一家の配役は、長山藍子氏、杉山とく子氏、井川比佐志氏と、映画化前に制作されていたテレビドラマ版『男はつらいよ』のさくら、おばちゃん、博役の三人がキャスティング。やはりどこかさくらっぽいマドンナの節子。この三人がとらやに居たら・・・と想像して楽しめます。新旧さくらが会話する場面も見どころです。

    では、簡単に作品の作品のあらすじを紹介します。
    以前世話になったテキヤの親分(木田三千雄)が危篤だと知った寅次郎(渥美清)は一目会おうと旅に出ます。親分は1度も会ったことがない実の息子(松山省二)に最期に「会いたい」と懇願。寅次郎は親分の希望を叶えようと、息子に働きかけるも「会わない」と断られますが、息子にも事情があるようで・・・。その息子に出会ったことで、額に汗して働くことに感化された寅次郎は、就職先を探します。テキヤ以外の仕事が続いたことがない寅次郎は、いったい何の職業にありつくのでしょうか。そして就職先の娘、マドンナ・節子(長山藍子)から言われた「ずっとうちの店にいてもらえないかしら」の意味とは・・・。

    価値観を変えた「汽車の窯焚き」

    さて、この作品の一つ目のテーマは、「孤独なテキヤの末路」。北海道のテキヤの政吉親分が入院中、息子に会いたいと寅次郎に訴えます。その子は、若い頃、旅館の女中に産ませた子どもで、一度も会ったことがないと明らかに。「父親として何もできなかったから、それを最期に詫びたい」という、今にも果てそうな恩人の願いを、寅次郎は責任をもって引き受けます。しかし、汽車の窯焚き(鉄道機関士)をしている息子を訪ね、事情を話すも、父に会うのを頑なに拒みます。情に訴えかけ、食い下がる寅次郎ですが、彼には彼の事情があるようです。息子は少し寂しそうに、幼い頃父親に会いに行ったことを打ち明けます。父のいない家庭で育った息子は、父の存在を聞き、母に黙って遠方の父を訪ねます。「あとで考えればそこは赤線だったんですね。その家まで行ったら女の人が大勢いて、父親だと指差された男が真ん中にいて、女の人を殴っていましたよ」「僕はその男が鬼のように見えましてね」。そこまで話を聞いた寅次郎は息子に同情し、それ以上父に会わせようとはしませんでした。結局親分は息子に会わないまま、この世を去ります。
    テキヤの寂しい末路を目の当たりにした寅次郎には、親分に会いに行く前に、妹のさくら(倍賞千恵子)から叱られた言葉が胸を打ちます。それは、実家の団子屋・とらやの裏にある印刷工場の労働者を馬鹿にした寅次郎に、本気でぶつかって諭した台詞でした。「額に汗して、油まみれになって働く人と、いい格好してぶらぶらしている人と、どっちが偉いと思うの」「地道に働くってことは、尊いことなのよ」「あと5年か10年たって、きっと後悔するわよ。そのときになってからでは、取り返しがつかないのよ」。その有難くも耳が痛い説教を、旅の相方であった舎弟の登(津坂匡章)にも言い聞かせて、けんか別れし、また故郷の柴又に帰るのでした。

    ここから今作の2つ目のテーマ、「額に汗して働くことの尊さ」が描かれていきます。別人のように、礼儀正しく実家のとらやに帰ってきた寅次郎は、労働の素晴らしさに目覚めたと見え、文字通り「汗と油にまみれて」地道に働くことを目指し、近所の印刷工場、寿司屋、天ぷら屋、風呂屋、などに雇ってくれと出向きます。しかし寅次郎の人となりを知っている地元の商売人たちは立ち所にそれを断り、町内を巻き込んだ騒動に。ふてくされた寅次郎が、矢切の渡しで行きついた先は、浦安の母娘で営む豆腐屋。そこの娘に好意を抱き、住み込みでしばらく働きます。「額に汗して油まみれになって」爽やかで気持ちよさそうに働く寅次郎はシリーズの中でも唯一のシーンと言えるでしょう。しかしその娘が嫁ぐと知り、失恋した寅次郎は、急に豆腐屋から姿を消します。地道に働くことが美しいというメッセージと共に、それを理解していながらも、その生活に染まることのできない寅次郎の性も浮き彫りになります。「労働」という言葉が醸す泥臭さや貧しさを尊ぶ風潮は、現代とやや相違があります。もちろん「一生懸命に働くことは素晴らしい」という考えに異論を唱える人は少ないでしょうが、汚れ仕事の美しさを訴えるメッセージや、貧しさの中にこそ存在する人間の精神の輝きを見つめる視点は、今の社会から減っているように感じます。生活のウエイトを仕事よりも私生活に置くZ世代の目には、この映画はどのように映るのでしょうか。

    映画を観られたことがない方も、この2つのキーワードを軸に、以下のインタビューを読んでいただければと思います。

    寅さんにはテキヤしか合わない

    アルさん 都会に住むZ世代 男性

    労働する寅さんに違和感

    ―――今作、印象的だったシーンはどこですか

    あの寅さんが働く気になったのが、一番印象的でした。48作品全てを鑑賞していますが、その中でも寅さんが働くことが珍しいので、元々印象に残っている作品でした。働いてる寅さんには「違和感」を覚えます。他の作品を観ている分、働く気になって行動を起こし、豆腐屋の仕事がわりと続いてたのがすごいですね。だからハラハラします、いつまでこの状態が続くのか。結局仕事は辞めてしまいますが、また登と再会し、音楽が鳴って映画が終わるので、すっきりして気持ちいいです。やっぱり寅さんはテキヤなので。テキヤが続くのは、寅さんの考え方に合ってるからでしょうね。全国どこでも商売できるし。ある意味、今回は再確認できる作品でしたね。テキヤが合っているというのの。豆腐屋で続いてたのはお嬢さんがいたからでしょう。寅さんらしさが出てますね。最初はその気だったのに途中から恋愛にフォーカスしてます。多分、お風呂屋で窯焚きをしてたら、続いてないと思います。どの仕事に就いても一緒なんでしょうね。

    寅さんらしさとらしくなさ

    今回は恋愛がメインというより、やくざと窯焚きの息子のエピソードがメインな感じがしました。伝えたいのはそっちなんじゃないでしょうか。いつものパターンで恋愛も持ってきてますが、5作目なのでまだ定まってなかったんでしょうね。監督が何を伝えたかったのか考えると、そっちの方が大きい気はします。
    寅さんが窯焚きの息子を見て影響されて、「汗水たらして働きたい」っていうのも寅さんらしいし、結局恋愛で失恋して離れるのも寅さんらしい。その二面が見れるのは寅さんらしさが出てておすすめですね。

    ―――逆に「寅さんらしくない」って何なんでしょう

    今回の作品で言ったら、何でしょう、続けることじゃないですか。お嬢さんが出て行っても豆腐屋を続けるとか。豆腐屋どうなるんでしょうね。源公が働くんですかね。

    ―――気になる登場人物は

    登が好きです。寅さんを慕ってるって珍しいんですかね、わからないですけど。三郎青年(第30作『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』の寅次郎を慕う青年)にも近いものを感じます。けんかして結局帰ってきて、くっついたり離れたり。何で登がかっこいいんかなと考えると、「この人なら」と寅さんに付いていくその姿勢ですかね。まっすぐな所が好きです。普通付いて行かないですよね。けど多分、登なりにかっこよさを見出して疑わずに付いていって、「出ていけ」って言われても居させてくれって言いますよね。ああいうシーン好きですね。

    恋愛より印象に残る「テキヤと窯焚き息子」

    この作品の印象の割合は、窯焚き息子のエピソードと豆腐屋のエピソード、7対3ぐらいじゃないですか。今回、マドンナに左右されてる寅さんはあんまり映ってなかったですよね。どっちかと言ったら、一個大切なことを学んで帰ってきた寅さんが、頑張ったけど無理やったという話。結構異質じゃないですか。

    ―――なぜ窯焚き息子のエピソードの印象が7割もあるんでしょう

    7割を占めている意味としては、人の死も入ってるし、普通に考えたら息子は「会いたい」ってなるはずじゃないですか。でも、実は恨んでて会えない。ある意味、裏切られたっていう感じですけど、あの時代からしたら普通なんでしょうね。時代のギャップがあるから、そこはすごい衝撃的なんですけど。「会わんねや」っいう。僕はどっちかっていうと、お父さん側に同情します。せめて葬式でも行って欲しい。でも僕は寅さん派なのでそう思うだけで、一般的に言ったら、あれだけの身勝手なことをしたんだったら仕方ないなと。最後に寅さんは、息子に同情しますが、それが寅さんの良い所なんでしょうね。人の気持ちを尊重できる。向こうが本気でぶつけてきた時に身を引いてる。でも内心は、絶対会わせたかったでしょうね。

    働くことがテーマなのになぜか「望郷篇」

    なんでタイトルが「望郷篇」なんでしょうね。一個は、多分、死に目に会えなかったことで登に説教するじゃないですか、「帰れ」って。「故郷は大事なんやで」っていう感じなんですかね。てことは、今回伝えたかったことって、真面目に働くってことより、そこなんですかね。帰る所は大事にしろっていう。なんでそのタイトルになったんでしょうね。「奮闘篇」ってありましたよね。(※第7作『男はつらいよ 奮闘篇』)そっちの方が、働くっていう意味じゃないですか。働くではなく、故郷がタイトルになるということは、それを伝えたかったんでしょうね。そこに、真面目に働くっていうのが足されてるんですかね。豆腐屋のエピソードには「望郷」要素がないように見えます。でも最後に、娘は豆腐屋を離れますよね。それはある意味、望郷とかかってるんじゃないですかね。離れるっていう意味では。今回再確認できましたね。堅気の仕事は寅さんには向いてないということが。

    インタビュー後記(Z世代と『男はつらいよ」の意外な共鳴)

    今作は、恋愛のエピソードより、一人のテキヤの死から始まる、一連の労働についての寅次郎が巻き起こす騒動と就職が印象に残る珍しい作品です。他の作品は、恋愛が大きなウエイトを占めているからです。孤独な親分の死は重く暗い印象で、喜劇作品ではありますが、作品が軽くなりすぎないような良い重しとなっています。それをZ世代のアルさんは、印象の割合が7対3(テキヤの親子7:恋愛3)であると指摘されています。『男はつらいよ』を全作鑑賞されているので、他と比較した説得力のある分析です。自身も寅さんを慕う若者に似ていて、登も好きなキャラクターとのこと。登は頼りなさも目立つ人物ですが、登が内に秘めた覚悟にも思いを馳せられていて、そこはアルさんならではの視点だと思いました。「労働」がテーマらしく見えるのに、タイトルが「望郷」というのも鋭い指摘ですね。監督が本当に伝えたかったのは、「労働」よりも、「土着での営み」の尊さなのでしょうか。
    劇中、豆腐屋の娘・節子が嫁ぎたいけれど、家業の継手がいなくなるために母に反対されている描写があります。今でこそ、子どもが親の家業を継ぐことは当たり前ではありませんが、昭和45年当時、家業のために結婚できずに悶々とする気持ちや、寅次郎という継手が現れた嬉しさがどんなものだったか計り知れません。当時より選択肢が増えた令和の今、自分で選択する能力が大きく問われていると感じます。
    また、父の死に目に会わないと選択した息子に「葬式くらい行って欲しい」と感じたアルさんの意見は少し意外でした。義理と人情の世界なら行くのは当然ですが、Z世代とはあまり縁のない感覚だと思っていました。〇〇世代で括るべきではない部分でしょうか。自由に選択して生きているZ世代だからこそ、他のエピソードに対する意見も異なるかもしれません。「Z世代と寅さん」、合わない組み合わせのようですが、意外な共鳴をするのではないか、と私は思っています。そういった意味でも、貴重な意見を聴くことができました。アルさん、ありがとうございました。



    ◉アルさんに寅さんシネマコンシェルジュさせてもらった時の記事はこちら⬇️


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