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愛、希薄な人

     私はInstagramをあまり活用していない。花が好きでフラワーアレンジメントを習い続けており、作った作品の記録、作る途中の葉や枝の処理の仕方、そんな花のための忘備録として使っている。時々しか開かない。フォローもフォロワーも三十人程度。

     ある朝、そんな私の地味なInstagramに、浩介から沢山「いいね」がされている事に気づいた。それで、1年ほど前、旅の記録を投稿し続けている浩介のアカウントに、突然本人の大きな顔写真がアップロードされた事、その更に一年ほど前に自分が浩介のアカウントをフォローした時の事を思い出した。
     浩介は30年以上前、研修医時代の同僚である。同じ年だから、私と同じ50代半ばになっているはずだ。そして二人共離婚経験者であり、私同様、彼も再婚しないまま独身でいるはずだった。

     浩介は子供の頃、モデルにスカウトされた事があるという。彼の父は霞ヶ関の官僚、専業主婦の母はエリート女子大卒という、お堅い家庭。息子の芸能活動の可能性など一顧だにされなかったが、密かな自慢だったに違いない。そしてそれも納得がいく美貌であった。背も高かった。20代の頃、私は一時、彼に夢中になったものだ。

     一方、身なりは野暮ったかった。何故かいつもおじさんぽい服装をしている。スーパーの衣類コーナーに置いていそうな、少しだけ流行を取り入れているがために、よけい安っぽく見える、と言う服。しかし、20代も後半となり、垢抜けた男達が、女の数を自慢しあっているのを何度も見てきたので、私は浩介の野暮ったさを好ましく思った。誠実さの証のような気がしたのだ。
     そして確かに、それだけの容姿を持っていながら、女っ気が薄い。故に、私は自分でも何とか振り向かせられるのでは、と思ったのだ。私は当時、自分に全く自信がなかった。

     「若い女は黙っていても男が寄ってくる」というような文章を目にすると、今でも少し心が痛む。そういう思い出がないから。美人ではなかったが、酷く不器量だった訳でもないと思う。少なくとも太りすぎても痩せすぎてもおらず、健康だったのだが。
     時々、男の人が私の前で立ち止まりかける事もあったが、どうしたらそのまま引き留められるかわからない。そこに現れた、非常に魅力的な外見でありながら、女慣れていない浩介は運命の人のように思えた。非力な私でも、自分のものにできるかもしれないと思ったのだ。

     その上、話が合った。女性雑誌にある、「とにかく男性を褒めて、立ててあげなさい」などという恋愛ノウハウを、思いだす必要はなく、気まずい沈黙を恐れる事もなく、楽しくおしゃべりできた。私にとっては特別な事だった。
     だが、告白はできなかった。本当に、自分に自信がなかったのだ。自信というのは、「私はどんな男の心でもつかんで見せる」という自信ではなくて、振られたとしても自分は損なわれない、という自信の事だ。告白して振られたら、それが同じ研修医仲間に知れ渡ったら、恥ずかしくて生きていけない。当時の私にとって見栄は何より大事だった。

     研修医期間終了後、私も浩介も大学病院を出て、一般の歯科医院に勤め始めた。今までは毎日浩介に会えたのに、これからはそうでなくなる。浩介のいない人生など寂しすぎるではないか。と、そこまで思いつつ、尚、告白する事はできなかったが、一緒に飲みに行きましょう、とまでは言えるようになった。
     勤務先が別々になった事が、却って勇気をくれたのだ。二人の間がどれほどみっともない結末になろうとも、恥ずかしくて仕事に行けない、という事態には陥らずに済む。
     20代最後の数年間、何回も二人で飲みに行った。それから長電話。1990年代、離れた場所にいる相手と親密なコミュニケーションをとる方法は、専ら電話だった。今となっては、気の効かない、前時代のシロモノ扱いの電話だが、深夜の長電話は楽しいものだった。相手の笑い声が直接聞ける。

     私の気持ちは、浩介に完全に悟られていただろう。本当に楽しそうに浩介の周りをウロウロしていたのだ。あの時、思い切って告白すべきだった。上手く行ったとしたら幸せだし、振られたとしても、それで浩介の物語は完全終了となっただろう。引きずらずに済んだはずだ。だが、私はそうしなかった。振られるのがどうしても怖かった。
     それだけではない。もし良い返事をもらえたとしても、自分のゴリ押しだけで付き合う事になったら、「本当は私の事なんて好きじゃないのでは」と不安に苛まれ続ける気がしたのだ。
     私は愛を惜しむ人間だった。損得勘定のように、相手が愛を与えてくれないなら、自分も与えまい、と思う。そして、そんな自分がケチなのだとも気づかないでいた。

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     しかし浩介の方も、女が安心して飛び込めないようなところがあった。大学病院時代、一時、浩介は後輩の女の子と付き合っていた。その女の子は浩介に熱をあげて、告白してきたのだ、と研修医仲間が教えてくれた。美貌というものは絶大な力を持つものである。私はあまり気に病まなかった。なぜなら、浩介はその付き合いをそれほど大切にしているように見えなかったから。

     毎日、仕事が終わるのはかなり遅く、休日に呼び出される事もある。浩介が彼女と過ごせる時間は少ないはずだったし、またその時間をできるだけ作ろうとしている様子も見受けられない。霞ヶ関勤務の彼の父親はかなりのエリートだったらしいが、それだけに仕事第一優先の人間だったと言う。浩介にとって、仕事のために恋人との時間をないがしろにするのは、当たり前の事だったのかもしれない。しかし、それ故か、数ヶ月で彼女と別れた。「あまりにも浩介が、彼女を放っておくので、彼女の方から別れを告げたのだ」と、二人の付き合い始めを教えてくれた研修医仲間が、教えてくれた。

     勿論、私は別れてくれて嬉しかった。しかし浩介は、彼女に尽くしたりしない、別れたいと言えばさっさと手を放す人間なのだ、という事が心に刺さった。どんなに野暮ったい出立ちをしていても、女達は浩介の美貌を見逃さない。にも関わらず「女をとっかえ、ひっかえする」という類の噂が立たないのは、自分からは一歩も動こうとしないからだろう。自分から愛情を示す事がない。浩介もまた、愛を出し惜しむたちのように見えた。浩介と私が付き合ったとして、愛を出し惜しむ二人、長くは続かなかっただろう。50歳過ぎた今はわかる。

     しかし、それを確かめるために、やはり告白してみるべきだった。何故なら、その後、私は別の男性と結婚したのだが、その結婚生活がうまくいかなくなるにつれて、浩介と結婚していたら幸せになれていたのではないか、と妄想するようになったからだ。
     浩介に粉砕されて幻滅していたら、そんな妄想を抱く事はなかっただろう。しかし私は飛び込む勇気がなかった。臆病だから出し惜しんでケチになり、ケチだから全てを与える勇気が持てず臆病になる。

     浩介との仲は少しも進展しない。する見込みもない。それなのに気づけば20代が終わろうとしている。私は慌てて別の男性を探し始め、そして結婚した。言い訳になるが結婚生活では、できるだけ良い妻であろうと努めたつもりである。だが数年で離婚に至った。離婚理由はたくさんある。しかしやはり、他の男性に未練を残したまま、幸せな結婚生活を築き上げられるほど、私は大人ではなかったからだと思う。ケチで臆病で、そして未熟だった。

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     浩介の方も私の結婚後しばらくして、結婚した。故にとにかく何もかも終わったはずだった。が、なんと浩介も少しして離婚してしまったのである。こうなると私には二人の間には運命の絆があるのでは、という気がしてくる。

     2000年代、SNSの曙が到来。すでに30代だった私達が始めたのはFacebookだった。まだ、実名や顔を出す事の危険に気づかず、初めての自分アピール方法に夢中になる。一生懸命知り合いを探し、片っ端から繋がっていった。同じ大学病院で研修医をしていた私と浩介も自然な流れでフォローし合うようになる。
     浩介は頻繁に投稿していた。その多くの写真には彼自身の姿が写り込んでいる。やはり自分の容貌に自信があったのかもしれない。

     縁が切れたと思っていた知り合いと苦労せず繋がれて、相手の写真にコメントし合って会話し、多分そんな中で再び浩介とやりとりするようになったのだろう。15年ほども昔の事で定かでない。しかし「久しぶりにご飯でも食べに行こう」と最初に誘ったのは私だったに違いない。浩介はいつも自分からは動かないのだ。

     10年以上ぶりくらいに会って感じたのは、浩介の私に対する熱意が昔より上がった、という事である。結婚、離婚と、それなりに苦労した後、私の値打ちを感じたらしい。昔は、こちらから一生懸命押さないと付き合うには至らないという感じだったが、今度は仄めかし続けていればそのうち何とかなりそうな気配だった。浩介の美貌は相変わらずで、そしてやはり喋っていて楽しい。私は有頂天になった。不幸に終わった結婚、苦労、それはみな、浩介と結ばれるためだった、こんなドラマみたいなストーリーがあるだろうか。

     しかし、神様のいたずら、というか、自分を知るためのステップだったのか。この時もう一人の男性が登場する。大学の後輩の塚本君、やはりFacebookで繋がって「久しぶり!」と会話するようになった。塚本君は、浩介とは全く違い、どんどん押してくる。「飲み行こう」「次はいつ?」そして私への好意を全く隠さず前面に押し出してくる。私の心は、ずずっと塚本君に傾いた。しかし彼と付き合うには覚悟がいった。もうすぐ海外へ転勤し、多分そっちに長くいる事になるというのだ。それでもなんとなく付き合い始めてしまったが、ついていく決心がつかない。

     結局、塚本君とは数ヶ月で別れたのだが、ひどく悲しみ苦しんだ。そして浩介を恨んだ。この間、浩介はずっと「待ち」の姿勢のままだった。といって私と縁が切れたとは思い付かないようで、度々メールをしてくる。しかし「またご飯食べに行こう」と自分から誘う事はなく、いかにも私から誘って欲しそうな文言を並べるのみである。

     会えばとても楽しそうにする、高い食事も奢ってくれる。しかし私に会いたい、一緒に過ごしたい、それを自分の口から言うのは嫌なのだ。自分は安全地帯にいたい。告白されればOKするよ、そんな気配を濃厚に示し、しかし最後の引き金は私に引かせようと言うのだ。何というケチ。それが美貌の下の浩介の素顔なのだ。
     浩介と再会した直後、私は再び夢中になった。私の様子からその気持ちは彼に伝わっただろう。彼にもその気があったなら、なぜ、「次はいつ会える?」と聞いてこなかったのか。塚本君と会う前に、そう言ってくれていたら、私はそのまま浩介から気持ちが離れる事なく、塚本君と会ってみようなどと思わなかったはずだ。そうしたら、塚本君と別れて苦しむ事もなかった。なぜ、しっかり掴んでいてくれなかったのか。

     それは勿論、ただの逆恨みである。だがこの時、私は浩介の臆病とケチに、はっきり気づいた。そして過去の自分も同じように、臆病でケチだった事を。
     愛し合うパートナーを見つけ、幸せな結婚をしている人は皆、それなりの努力をしているはずなのだ。振られるのが怖いなどと努力をしなかったものが、幸せな結婚を手に入れられなかったのは当然の事だ。

     だが、浩介はまだそれに気づいていないらしい。男性の30〜40代は、まだまだ女性の恋愛対象内にいる。浩介の美貌があれば、引き寄せられる女性はいるだろう。だが自分は絶対、泥を被らないという姿勢では、手に入れた愛情もそのうち損なわれてしまう。昔、浩介が付き合っていた彼女、元妻、彼女達は、浩介のケチと臆病、つまり未熟さに絶望して離れていったのではなかったか。

     憑き物が落ちたように20代から続いた、浩介への憧憬が消え失せて、私はまるで断ち切るように連絡を絶った。

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     それからまた10年以上もの長い時間が過ぎた。Instagramで浩介を発見したのは偶然だった。フォローのお勧めに出てきたのだ。多分Facebookで相互フォローだったからだろう。見るとフォローもフォロワーも数千人で、かなり積極的に活用している。そして内容は旅行。あちこちに旅して歩いている。私は浩介のアカウントをフォローした。
     初めに言った通り、私はほとんどInstagramを活用していない。浩介は私が唯一、自分からフォローした個人のアカウントだった。まだどこかに心残りがあったのかもしれない。そして時間が経って、あの時、浩介に感じた失望も大分薄れていた。

     もはや恋愛にはあまり関心がない。仕事をして家事をして、花を生けて、平穏な生活に満足している。しかし友人達が、山歩きだの、ガーデニングだの、夫と共に趣味を楽しんでいる姿を見かけると、自分が途方もない一人ぼっちに思えてくる。毎日の出来事をLINEで送り合い、休日を一緒に過ごす相手がいたら孤独を感じずに済むのではないだろうか。

     しかしフォローした後の、フォローバックはなかった。そして、それで落胆はしなかった。だてに年をとった訳ではない。終わったものは終わったのであり、それを引き戻そうとするなら莫大な労力を費やす覚悟をしなくてはならない。そんな覚悟はない。何ものも、覚悟のない者には、手にいれる事など出来はしないのだ。

     遠い昔、若かった時、ひょっとしたきっかけで、浩介と私が付き合うようになっていた可能性はあるかもしれない。そしてそのまま結婚していたかもしれない。しかし幸せにはなれなかっただろう。結婚生活を長く続ければ、必ず愛情の深さが試される時がやってくる。年をとったからこそわかる。人生、山あり谷あり。谷のない人生は存在しない。

     フォローバックがない、という事は、浩介はもう私と関わりたくないという事かもしれない。フォローを外そうかとも思ったが、フォローしてすぐフォローを外すという行為の方がずっと気色悪いだろうと思ってそのままにしておいた。浩介のアカウントにはフォロワーが2000人以上もいる。何も反応しないでいれば、すぐに埋もれてしまうだろう。

     そうやって1年以上過ぎ、ある日、浩介の旅の写真をスライドさせようとした時、指先に力が入って「いいね」がついてしまった。目立たなく大人しくしているつもりだったので慌てて、「いいね」を取り消したが、SNSというものは「いいね」を一度つけると記録として残ってしまう。取り消しても、私が「いいね」をした事は浩介にわかってしまうのだ。だがどうしようもない。きっと何人ものフォロワーが同じ写真に「いいね」をするだろう。その中に埋もれてそのうち目立たなくなってしまうだろう。たった一回だけなのだ。

     しかし、その直後の投稿で、浩介は驚いた事にいきなり自分の顔写真をあげてきた。証明写真に使うような、顔だけの大きな写真。今までは旅の景色ばかりだったのに。これは私の「いいね」への反応なのだろうか。まだ端麗な容姿を保っている、と示したかったのだろうか。浩介もまだ私の事を考える事があるのだろうか。

     確かに浩介の美貌は損なわれ尽くしてはいなかった。頭も薄くなっていないし、肥満してもいない。しかし自分の容姿だけで恋愛は成就するとまだ思っているのだろうか、と思うと、虚しい気がした。この顔を見たら、私がまた連絡してくるかもしれないと考えたのだろうか。相変わらず「待ち」なのだ。愛情を気前よく与えてくれるつもりはないらしい。そう思ったら今度こそ本当に浩介への関心が薄れた。

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     そしてまた1年ほど経って、今日、突然また浩介が私の投稿にいくつも「いいね」をしてきた。こういう時いつもするように、お返しとして浩介の最近の投稿に「いいね」をした。すると次の朝、浩介が私のアカウントをフォローしていた。

     あの顔写真はやはり私に見せるためのものだったのだろうか。あれを見て私が連絡をとってくるのをずっと待っていたのだろうか。1年待って何にもないので、私がちゃんと気づくようにと、「いいね」を連発してきたのか。
     浩介はあまり幸せではないのかもしれない。気持ちが弱っていて、かつて自分に熱をあげてくれた女に会いたいのかもしれない。しかしもしそうなら、一番良い方法は、駆け引きなく率直に「会いたい」と言ってくれる事なのだ。その気概に人は心を動かされる。

     1年前の浩介の顔写真を思い出した。確かに顔立ちの端正さは失われていない。しかし明らかに老いは忍び寄っていた。容姿だけで女を引き寄せられる時期は終わったのだ。愛を得るには勇気が必要なのに浩介はまだそれに気づいていない。

     しかし、もしかしたら、浩介にとって、愛は勇気を振り絞ってまで手に入れる必要などないものなのかもしれない。そして私も、また。
     50歳を過ぎて、興味を示してくれる男性がいるなんて、それもかつて好きだった人だなんて、飛びついて然るべきなのに、冷たく見定めている。浩介の「いいね」にお返ししたのは、それでも、話があって楽しくおしゃべりをした昔を思い出し、会ってみたいような気もしたからだ。しかし、もうこっちから動くのはごめんだ、と思う。また浩介の「待ち」の姿勢にいらいらさせられるくらいなら、独りのままで良い。

     愛の豊かな、愛に満ち溢れた人間がいるなら、反対に愛の貧弱な、愛の希薄な人間もいるだろう。私も浩介も後者なのだ。頭脳も運動神経の良さも、持って生まれたものによるところが多いと言うなら、愛を感じ反応する能力もまた、持って生まれたものによるのではないか。  

     もしかしたら、この物語を、浩介の方から眺めたら全く違うものなのかもしれない。それを確かめるためには会って、親密に話せるようになるしかないが、愛の希薄なもの同士、多分それは実現しないだろう。

     行き違って、生涯稔る事のなかった悲恋話に人は惹きつけられる。しかしそれは恋より別のものを優先した、と言う事にほかならないのかもしれない。恋は結局、生殖本能に従った反応にすぎない。だから生き残るために、他にもっと重要な事があれば、手放してしまう。
     それでも、浩介との、このうだうだと長い物語がなかったら、私の人生はもっと殺風景だっただろう。実に粗末に、不注意に扱いながら、人は太古の昔から、恋を星やオーロラの輝きのように思っているのである。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    1970年生まれ、戦後昭和とバブル崩壊平成を生きてきました💎歴史&政治について考える事が好き、を綴ったnoteです💎アイコンは2013年の写真をAIで漫画化したもの💎歯科医師シングルマザー&子供成人済み💎毎週火曜日投稿

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