インターネットはタイムマシーン。 ―わたしたちはもうタイムマシーンに乗っちゃってる
中二で父と死別した。
高校野球の決勝戦も終わりもうじき二学期が始まるという夏の宵、父は逝った。
同級生が受験に向けて勉強を本格化し始めた頃。
わたしは登下校で歩きながら行き交う車を眺めて思ったものだ。
「どれかにお父さん乗ってないかな」
「実はあれはタイムマシンで若い時のお父さんが乗ってるとか」
「タイムマシン出来たとしても未来だからお父さん、死んでるから無理か」
「過去のお父さんが宇宙人にのせられて・・・・」
中二娘はなかなかのリアル中二病になっていた。
「お父さんはタカミネから感謝状もらったことがあるんやよ」
と母から聞いたことがある。塗装の指導?をしたとかで。
思春期を経て、ギターを弾くのが好きな人にわたしはこの話をしてみた。
「えっ!?すごいね!タカミネってギターに色を付けたことで世界のタカミネになったんだよ!」その人は言った。
それが事実かわからないけれど、わたしはのちに、その人と結婚した。
2016年、父が建てた実家を取り壊すことになった。
弟が新築に建て替えると決めたからだ。
しばらく近くのアパートに仮住まいするため、わたしたちも手伝って多くのものを処分した。その際、話でしか知らなかったその感謝状が出てきたのだ。まごうことなき、タカミネから父への感謝状だった。
「あった!ホントに出てきた!」
「だから言ったてぇ、もらった、って」と母。
うん、そうやけど。ホントに貰ったかも、なぜ貰ったかもわからんかったもん。
「タカミネは色で世界のタカミネになったんだよ」ほんとかな?
「白いギターをみると、にいさんを思い出す」って従姉も言っていたらしいし。
・・そうだ!今はネットがあるじゃないか!調べてみればわかるかも!
わたしは早速、検索を開始した。
”タカミネ 色”
“なぜタカミネは世界のタカミネになったか?”
などいろいろ打ち込んでみる。
でも、でてここない。
父につながる何かはでてこない。
そうか。タカミネは1970年代にエレアコで世界のタカミネになったのか。色じゃなかったか。そうかそうか。
でも、昭和40年の、1960年代の感謝状はここにある。
検索熱も少し冷めた数日後。
あ、ここ、みてなかった。
とわたしはウィキペディアを開いて、なんとなく眺めた。
貼ってあるURLを開くとホームページに跳ぶ。
うん、ここは何度か見たわ。
あれ?このもうひとつのURLはなに?
開くとそれは海外向けの英語で書かれたホームページだった。
さっすが世界のタカミネ!・・よ、読めん。
ここで父につながりそうなものを拾うなんてできんわ、日本語でも無理なのに。かろうじてすぐ意味わかるの、この単語だけや。
わたしはその文字にそっと触れた
HISTORY
Takamine Guitars | History
1枚の写真が、そこにあった。
建物の前のひな壇に男性が数十名、記念写真のようだ。みんな胸元に花をつけている。
・・これって、感謝状をもらった時の、記念写真じゃない?もしかして!?
私はその写真を凝視した。
あっ!この上から2段目、左から2番目の!!
すぐ実家に電話する。
「ねえこの人、おとうさんじゃない?っておかあさんにきいて!!」
まもなく
「これは間違いなくおとうさんだって、母ちゃんが言ってる」
と返事があった。
まだわたしが生まれる前の。
わたしのおとうさんになる前の。
今のわたしより若い父が、そこにいた。
「えぇ?・・いつからそこで待ってたのぉ?
ってか海外向けサイトにいるって・・・
とうちゃん、かっけぇよ!!!」
と声がでた。
ホントに見つけてしまった。
数いるきょうだいのなかでわたしが。
あの、中二病の夢が何十年も経って現実になるなんて・・。
うれしさと、こみ上げる誇らしさ
ここ泣いてもいいとこなのに!と思いながら
めっちゃくちゃうれしい顔に、わたしはなっていた。
ねえおとうさん、インターネットってタイムマシンみたいだね。
おとうさんはインターネットなんて知らないでしょ。
でも知らなくても乗っちゃってたよ。
しかもめちゃくちゃかっこいいとこで世界デビューしてたんだよ。
世界中で愛されているタカミネ。その歴史の片隅に、父の生きた証を確かに残してくださっていた高峰楽器さん、ありがとうございます。
心から感謝します。
これまで生きてきて何度も。
今相談したいのに。
聞いたらなんて言うだろう?
ほんとうはどんな人だったんだろう。
もう会えなくなってしまった人に思いを馳せた。
会って話せば言葉が過ぎたり足らな過ぎたり。
生きていたってわかりあえるわけでもない。
だからかもしれない。
わたしも今インターネットにのったよ。
いつか子供たちのタイムマシンになったらいいな。