
あれも食いたい?これも食いたい?それも食いたい?あんた、いったい何が食いたいんだ?
はじめに
食べるという事は実に楽しいものですな。身分を問わず我々に平等に与えられた喜びという感じがする。どんなものでもお腹が空いていたら美味しい。いくら裕福になっても普通は一日三回以上は食べられない。いくらお金があっても健康じゃなければ楽しめない。
そして、一緒に食事をすると人と仲良くなれたりもする。こうしてみると、食べる事は人間の生活の最も大事なアクティビティという感じがしますな。そういえば、衣食住というが、なんで衣が先なんですかね。着てないとつかまっちゃうからですかね。
それはさておき、そんな食事に関するエッセイの大家である東海林さだお氏が2026年4月5日に88歳で逝去されてしまった。私はかねてから「まるかじりシリーズ」や「あれも食べたい これも食べたい」などかたっぱしから愛読して尊敬していた。氏のエッセイにはいつも「決して高くないが美味しいもの」が描かれていた。ご冥福をお祈りしつつ、今回の作品は東海林氏に捧げたい。そんなものいらないと言われそうだが捧げたい。
そんなわけで、これまで書いたエッセイで食事に関連するものを集めてちょっと長めのエッセイ集に再編してみたのだ。そして創作大賞2026のフード部門に応募させて頂くのである。
目次を見て、面白そうなのを読んで頂くもよし、最初から全部読んでいただくもよし、ひとつひとつはそれほど長くないので電車の中やトイレの中など気軽に読んでいただきたい。
そして、この辺りからさらに「である調」であまり愛想がない文になっていくのだがこれもお許しいただきたい。
【春の話】悲しみの恵方巻

コンビニに 「恵方巻き」 が並ぶようになったのはいつ頃からだろうか。元々の発祥は関西と聞くが、そもそも美味しいということに加えて、往年の志村けんのチョンマゲを思わせるその愛らしいフォルムでファンの心をわしづかみにしているようである。(←かなり勝手な分析)
こういうプチ・イベントは、商売になりそうだと誰かが直ぐ仕掛けるものである。古くはバレンタイン・デー、最近ではハロウィーンなどもそれにあたるだろう。でもこういう美味しい行事は大歓迎である。皆で何か同じものを食べて祝う行事というのはいつも楽しいものだ。
今年の節分でも、通りがかりのコンビニを覗くと恵方巻きが売られていたが、感じたのは、さらに高級志向と大型化が進んでいるなということである。デパートには一万円超の恵方巻きがあると聞いたことがあるが、そこに並んでいた恵方巻の中には海産物がぎゅうぎゅうに入って一本千円弱の値段がついているものもあった。そしてサイズがやたらデカイ! これを本当に一息で食べろと言うのか! 俺はその迫力に圧倒されながら数年前の節分を思い出していた。
***
その年の節分は、国内のとある出張先で迎えたのだった。出先で恵方巻きを食べたので良く記憶に残っている。その日は数名のプロジェクト・チーム(と言えばかっこいいが実は単に脛に傷を持つ男の集団)で出張していたのだが、取引先での打ち合わせが意外に早く終わったのでビジネスホテルに戻り一旦解散した。
チームでの出張の場合、仕事が終わると大概一回ホテルに帰って、各自メールややり残した仕事を片付けてから適当に誘い合わせて飯を食いに行くパターンが多かった。
たいしたメールもなく簡単に返信を済ませると、俺は少し腹が空いていることに気がついた。しかし食事に出るにはまだ早い。俺はホテルの横にコンビニがあったことを思い出し食料を物色しに行った。するとそこには大量の恵方巻きが並んでいた。
(そうか、節分か……)
丁度良かった。俺は手頃な恵方巻きと缶ビールを一本買って部屋に帰った。
さて、いざ食べようとすると、説明が書かれている。恵方巻きを食べる時の掟という訳である。要約すると次のようなことらしい。
【第一の掟】その年の幸運の方角(恵方)を向いて食べること
【第二の掟】食べ始めたら、一気に最後まで食べ、食べ終わるまで恵方巻きから口を離さないこと
【第三の掟】食べている途中で絶対に人と話さないこと
確かこんな内容だった。お安い御用である。よっぽどのおっちょこちょいか、おしゃべりでなければクリアできる条件ではないだろうか。その年の恵方は確か南南東だった。
俺は愛用の iPhone を取り出すと「コンパス」のアイコンを押した。画面には瞬時に方位磁石が表示された。おかげで正確な南南東を向いて恵方巻きを食べることができるわけである。ありがとうジョブズ。
俺はベッドの上に正座をすると、正確に南南東の方角を向き、おもむろに「恵方巻き」と書かれたビニールの包みを破ったのだった。中からは漆黒のノリをまとった恵方巻きが現れた。やはりバカ殿を連想させる。
俺は掟通りに恵方を向いて、厳かに恵方巻きを両手で捧げ持った。
そして食べようとした瞬間、俺の携帯が鳴った。
(ふー、あぶない、あぶない)
俺は、恵方巻きを置くと電話に出た。一緒に出張に来ている後輩からだった。
「すいません、今日急いで海外に返事しなけりゃならないメールがありまして... 」
俺はそいつの英文メールをよく添削してあげていた。
「おー、じゃ、送ってくれれば直して送り返すよ」 と言うと、
「いや、ちょっと微妙なニュアンスのところがありまして、状況を説明した方がいいかと思いまして… PC持って部屋行っていいすか?」 と言う。
(ま、確かにそうだな)と思った俺は、 「そしたら10分くらいしたら来てよ」 と優しい先輩の声で言うと電話を切った。
さて儀式再開である。俺は目の前の恵方巻きを両手に持つとおもむろに口にくわえた。鏡に映る俺は、どこか雅楽の奏者のようでもあった。こんな黒い楽器、雅楽にはなかったかもしれないが。
俺は端から咀嚼しながら慎重に食べ進めた。全ては順調だった。
しかし、思ったよりデカイ。そして残念なことに息が苦しいからかあまり味がしない。俺は背筋を伸ばしたまま三分の一ほど食べ進めた。
その時だった。
「コンコン.….. 」
ノックの音がした。
「コンコンコン.….. 」
(あいつ、もう来たのか。まだ2~3分しか経ってないだろ!)
しかしここで口を離す訳には行かない。俺はノックを無視して、恵方巻吸引作業を続けた。もう折り返し地点を過ぎゴールは見えている。あと一息である。
「コンコンコン.…… 」
俺は無視した。
「コンコンコンコン.….. 」
ノックの音は大きくなるが、急かされているせいか、俺の恵方巻吸引能力は急速に低下していった。焦るばかりで喉を通らないのである。
しばらくすると、「あれー?」と言う声がドアの外から聞こえてきた。
あれー?じゃない。シャット・アップ! もうゴールは目の前である。目の前にテープが見えている。俺は先を急いだ。
その瞬間、携帯が鳴り出した。俺が目を白黒させながら携帯の画面を見るとそこには後輩の名前が表示されている。返事がないのを妙に思い今度は電話をかけてきたということだろう。
俺はとっさにどうしたら良いか判らなかった。
電話は鳴り続けている! しかし恵方巻きから口を離す訳にはいかない! んもー! そこで俺は恵方巻きに口をつけたままドアの外に向かって「ちょっと待ってー!」と叫んだのである。
ドアの外から 「あ!はーい」 という声がして、電話の呼び出し音は止まったのだった。
皆さん、もうお気づきであろう。俺は第三の掟を破ってしまったのである。そう、口は離さなかったがしゃべっちゃったのである。
それに気が着いた瞬間俺は、思わず大きな声で 「アーッ!」 っと叫んでいた。
集中して何かに取り組み、そしてそれを仕損じた時、事の大小に関わらず、人は叫ぶのである。
後悔しても遅かった。俺は掟を破ったのである。俺は急速にがっかりして、肩を落としたまま残りの恵方巻きを無造作に食べたのだった。
恵方巻きくらいでそんなに落胆せんでも、と思うかもしれないが、やはり計画したことはどんなに小さなことでも完遂したい、それが男と言うものであろう。そして皮肉なものであるが、恵方巻きはこうして無造作に食べた方が美味かった。
俺は全て食べ終わると、ドアを開けた。
「すんません、電話中だったっすか? ダイジョブでしたか?」と後輩は遠慮がちに言った。
俺の表情から何か落胆的なものを読み取ったのだろうか。
俺が、「どして」 と聞くと、
「いや、なんか大きな声が聞こえたんで」 と言った。
そうか、俺の声が聞こえたか。俺は恵方巻きの話をする訳にもいかず、「まあ、色々あってな」 と言って大人の顔で苦笑いして見せた。
するとそいつは勝手に大人の揉め事を想像したのか、「大変すね」 と判ったような顔をした。
まさか俺の「揉め事」の相手が恵方巻きとは夢にも思っていないだろう。
俺は後輩を部屋に入れメールを直してやった。そいつは俺が直した英文を読んで 「なるほど、こう書く訳っすね」 と納得した顔をして送信ボタンを押した。
メールを送信し終えた後輩は俺の方を見て 「すんませんでした!」 と言った。
俺が「すんませんと思ったら、責任取ってちょっと付き合えよ」 と笑って言うと、そいつはメールのことを指していると思ったのだろう、すぐに 「もちろんすよ!」 と言うと 「にかっ」 っと歯を出して笑った。
外に出ると2月の冷たい風が吹いていた。
【夏の話】香港のモヒカン男と青島ビール

しばらく海外に行けないでいるが、その間にどんどん様子が変わっちゃった国がたくさんある。海外からの観光者が減り経済が苦しくなってしまった国もあれば、政治的な問題で市民の自由が脅かされるようになってしまった国もある。香港もそのひとつである。
***
随分昔の話になるが、生まれて初めて訪れた外国が香港だった。初めての海外渡航の格安航空券の乗り継ぎ地だったので、思い切って香港にも何泊かすることにしたのだった。いわゆる返還前の香港なので20年以上前と言うことになる。
もちろん北京語も広東語も話せない俺は不安だった。手持ちの武器はNHKラジオで覚えたばかりの片言英語と素敵な笑顔だけである。しかし、さすが香港、行って見ると観光地や空港だけでなく道端の新聞売りのおじいちゃんにまで英語が通じたのである。
飯を食ったり、バスに乗ったり、フェリーに乗ったり、調子に乗ったりして夜の街にも出てみたが、とにかく俺の片言英語でなんとか不自由なく過ごせたのである。ま、多分知らないうちにぼったくられたりもしていたのであろうが、そこはまあ、アレである。
その後、働くようになってから、私用でも仕事でも何度か香港を訪問したが、ある時ふと気がつくと最後の香港訪問から10年ほど経っており、その間に「香港は意外に英語が通じない」という話を色んなところで耳にするようになった。そして、今回の10年ぶりの訪問ではそれをとても強く実感してしまったのである。
***
久しぶりの香港だった。亜熱帯に位置する香港では、「冷房が一番のサービス」と考えられており建物の中や地下街はこれでもかというくらい冷やされている。空港や地下鉄も例外ではない。しかしその快適さも九龍駅に着くまでだった。駅から外に出たとたんムッとした熱気に包まれ、その湿気で一瞬にして眼鏡が白く曇った。そしてしばらくすると全身から汗が噴き出してきた。久しぶりの香港だったが街並みはそれほど変わっていない。俺は以前香港に来ていた頃と同じ調子で何日か過ごした。
そして、週末がやってきた。週末は特に人に会わず一人で過ごす予定でいた。
俺は早起きして、近くの食堂に朝粥を食いに行って見た。地元の皆が行く店と言うだけあって、ザ・ローカルという感じの飾りっ気のない石で出来た様な佇まいである。俺は出された水を飲みながら、何かお勧めがあるか聞いて見たが、そこの店番の若い女の子は全く英語が通じないようだった。しかし、英語はまだ公用語のはずである。
(俺のしゃべり方が悪いんだろうな)
俺はそう思いゆーっくりと、
「ホワット・ドゥー・ユー・リコメンド?」(何かおすすめありますか?)
と言って見た。もちろん顔は素敵な笑顔である。
しかし女の子は漢字がびっしり書かれたメニューを俺に渡し何か言うだけである。俺は素敵な笑顔の保持で精一杯である。結局俺は「粥」という字だけを手がかりに、適当なヤツを指差し注文して朝飯にありついたのだった。
しかし評判の店だけあって、鶏の出汁の効いた薄味のお粥は美味しかった。俺は金を払いながらまたちょっと英語で話しかけて見たが、返ってきたのは広東語(たぶん)だった。
(そうか、こういうとこ英語あんまり通じないわけか ……)
その後は、日本で良く休日にしているようにカフェでちょっと勉強でもして見ようと思いマックに行って見た。香港マックは日本よりずっと IT化していた。
店に入ると大きなタッチスクリーンを設置したATMみたいなブースがずらっと並んでいる。そこで画面をタッチして欲しいものを注文し、電子決済したら、あとはカウンターに呼ばれるのを待つというシステムなのである。実に近代的と言えよう。最近、日本のファミレスや居酒屋にもあるタッチパネル注文方式。あれの親玉みたいなヤツである。
今は日本でも普及してきたが、俺は初めて香港でそれを見て、「香港の街は、さっきのお粥屋さんからこんな電子バーガーまでが違和感なく共存していて、東京なんかよりよっぽどブレードランナー的だよなあ」などと一人しみじみと感じたのである。
マックの中も一言で言うと寒かった。冷房効きすぎである。そして店の中を飛び交う広東語は実にうるさい。普通に話をしているのだろうが喧嘩をしているようである。
俺は、どうせ誰もわかんないだろうから、「おめーら、うっせーなあ」と言って見た。でも万が一の事を考えて、顔は素敵な笑顔である。しかし俺の小さな声など直ぐに広東怒号の中にかき消されていた。
日本から持ってきた耳栓をしても、音はゼロにはならなかったが、意味のわからない雑音の中での勉強は意外にはかどった。俺は体が冷え切る前にマックを後にした。
その後、我が心の師である李小龍(ブルース・リー)の銅像を見に行ったり、友人の土産にタイガーバームを買ったりすると、休日らしい良い気分転換になった。
しかし、ドラッグストアの女の店員さん達にタイガーバームがあるかと聞いても、これまた全く通じなかったのである。
「タイガーバーム、ユーノー? オイントメント、オイントメント!」
と俺が言うと、なんか「いやだー、変なこと言って」みたいな顔で二人で顔を見合わせて笑うのである。オイントメントは軟膏と言う意味のはずだが、どんなエッチな言葉に聞こえているのだろうか。
結局、最終的に俺が、缶をパカッと開ける真似をして、人差し指をつっこみそれを顔に塗るジェスチャーをして「ガオー」と言ったら、やっと一人の店員さんが頭上に電球が現れたような表情をして、俺を売り場に引っ張って行ってくれたのだった。売り場に並んだ箱にはちゃんと英語で TIGER BALM と書いてあったが、みな中国語の製品名で呼んでいるようだった。
(うーん、街のど真ん中の店でもこんなもんか。こりゃ結構不便だな)
しかし、俺がビジターなので文句は言えない。次回はもう少し準備して基本的な用が足せるくらいの現地の言葉はちゃんと調べてから来ようと思ったのである。
***
さて、買い物を済ませた頃には、いつの間にか日が暮れて対岸の香港島のネオンが光り始めていた。俺は閉園前の九龍公園を少し散歩した後、尖沙咀 (チムサーチョイ)の繁華街で飯を食うことにした。
手ごろな広東料理のレストランがあったので入ると店員さんが席に案内してくれた。みやぞんをモヒカンにしたような兄さんである。しかしモヒカンの高さがハンパない。少なくとも20センチはありそうである。
なぜ広東料理店にモヒカンなのか。俺はあたりを見回したが、他の店員さんは結構常識的中国系おじちゃんなのである。もしかして名物男的キャラなのであろうか。しかしこのアメリカンな髪型からして、英語は期待できるのではないだろうか。
みやぞん(仮名)は俺を地元客と思ったようだった。何故なら俺がメニューを指差し英語で話しはじめたら、一瞬「ん?」という顔をしたのである。みやぞんもあまり英語は得意ではなさそうだった。しかし、みやぞんは広東語に英語を交えながら一生懸命答えてくれた。
すると奥の方からそのやり取りを見ていた一人のおじちゃんウェイターが、「はいはい、ボクの出番のようですね…」という感じでゆっくりとテーブルに近づいてきたのだが、それを感じた男みやぞんは右手をピシャリと下げて「おまえ、こなくていいかんね」というサインを送ったのだった。
多分、地元客担当と外人客担当のような感じで役割担当が決まっているのだろうが、みやぞんは「ここは俺が頑張る」と思ってくれたのだろう。
みやぞんは根気良く、一生懸命身振り手振りで説明してくれた。
(おお、こういう人もいるのか)
俺は心を打たれた。
俺は彼が話し終わったようなので、注意深く彼の眼を見ながら、海老油炒め的料理と野菜的料理を指差し、最後に 青島ビール(チンタオビール=青島啤酒)を頼んだ。この青島ビールという単語が俺とみやぞんの間で初めて通じた言葉だった。
「アンド、チンタオビア!」と俺が最後に言うと
「オーケー、チンタオビア!」とみやぞんが答えたのである。
俺とみやぞんの心が触れ合った瞬間である。そしてみやぞんはホスピタリティあふれる男のようで、俺の選んだ海老料理の写真を指差し少し険しい顔をして何か言いながら首を横に振った後に、別の海老料理を指差して満面の笑みを浮かべて何かを言ったのである。
わかりやすい。これはわかりやすい。いかに鈍い俺でもこれはわかる。どう考えても「こっちの方が美味しい」ということだろう。
俺は後者を指差し、「オーケー、オーケー」と言ったのだった。
みやぞんの返事も「オーケー、オーケー」である。
髪型の違う男達の心に国境を越えたラポール(心の架け橋)がさらに築かれた瞬間である。
そして最後にみやぞんは、メニューの「白飯」という文字を指しながら俺の目を見て、少し心配そうで悲しそうな表情を浮かべた。
もう、皆まで言うな。
俺の頭の中にはみやぞんの「ご飯を頼み忘れてない?」という声が響いていた。俺はその気遣いが嬉しく、それならばと「白飯」ではなく「炒飯」の文字をビシッと指差した。
みやぞんは「オーケ、オーケ、オーケーーー!」と言いながらメニューを小脇に抱えて奥に消えていった。頼もしい後ろ姿だった。そして、出てきた料理は全て最高に美味かった!
俺は通りがかったみやぞんに、親指を立てて見せた。みやぞんも、俺に親指を立てて見せた。もはや俺達は、トップガンで見た、戦闘機のパイロットと機体誘導員くらい心が通いあっていた。
俺は出された料理を平らげるとみやぞんに礼を言い店を後にした。みやぞんは笑顔で俺を見送ってくれた。
***
夏の香港の街はまだまだ賑やかだったが少し涼しくなっていた。人ごみの中を歩きながら「しかし、食ったなあ」と呟いたところで俺はチップを渡し忘れたことにハタと気がついた。
(ああ、失敗したなあ …… )
俺は、帰る前にもう一度その店に行き次は二回分のチップを渡そうと心に誓いながら、尖沙咀 の地下鉄駅に続くエスカレータに乗った。
【秋の話】アキレス腱と天丼と私

天丼ってなんであんなに美味しいの? 秋空に光る星を見ながらつぶやいて見る。どなたかご存知なら、そっと答えを教えて欲しい。そんな和食界のドン、天丼。
ダイエット中でカロリーの高いものを控えている俺が、そんな天丼への熱い思いを友人に伝えたら、彼女は俺のダイエット自体にはあまり興味がないようだったが、その代わりに、「そういえば、腱(けん)を英語で tendon というが、印象が強くてすぐに単語は覚えたものの、文章の中では出会ったことがない」と言った。腱とはご存知の通り「筋肉を骨に結合する繊維性組織の束」、要するに筋肉と骨をつなぐスジである。
そうなのだ。天丼はこれほど有名なのに、腱を英語で tendon と呼ぶことは一般にはそれほど知られていない。腱をテンプラにして御飯の上に載せてタレをかけて、「これがホントのテンドン、なんつって」なんて言っても、そこに秘められた笑いに気づく人は稀だろう。だがそもそも「腱」なんて、「肉のハナマサ」でも見かけたことがない。
そんな腱。その中でも唯一知られている腱のエースと言えばアキレス腱だろう。英語で言うと the Achilles tendon だ。皆さんもアキレスの名前は聞いたことがあるのではないだろうか。私も「なんかギリシャ神話か何かに出てきた足が速い人だっけ」というくらいの認識ならある。靴のメーカーの名前になっているくらいなので、とにかく何か足関係の人なんだろうなとも思う。
しかし、だからって足のここ(指さしてる)をなぜ「アキレス腱」と呼ぶのだろう。なんとなく「アキレスの急所だったから」みたいな話を子供の頃に聞いたような記憶もあるが、薄ぼんやりとしか覚えていないので今回ちょっとググってみたのである。するとそこにはこう書いてあった。
【アキレス腱の語源・由来】
アキレス腱の「アキレス」は、ギリシャ神話の英雄『アキレウス』のラテン語名。 アキレスのギリシャ神話によると、アキレスが生まれて間もなく、母のテティスが冥界のステュクス河に頭から彼の全身を浸し、アキレスは不死身となったが、 その時、母がかかとをつかんでいたため浸すことが出来ず、そこがアキレスの急所となってしまった。
ギリシャ神話とはなんとドラマティックなのだろうか。踵(かかと)が不死の水につからなかったため急所になっただなんて。しかも「母のテティスのステュクス河」なんてアナウンサーだって三回続けて言えない。
そしてものの本によると、「その後アキレウスは人中最大の英雄となりトロイア戦争で活躍したが、ついにはパリス王子に弱点のかかとを弓で射抜かれ命を落とした」というのである。

そんなに凄い英雄だったのか、アキレス。辛かっただろう、そして無念だっただろう、アキレス。そんなことがあったとは知らず、小麦粉にまぶして揚げようとした俺を許して欲しい。
しかし、そうだよなアキレス。人間明日のことなど判らないよな。
俺は窓からもう一度、空を見上げると、今日はもうダイエットのことは忘れて天丼食べちゃおうと決めたのである。
【冬の話】寿司は天下の回りもの

冬、温かい寿司屋でゆっくり食べる寿司は実に美味しい。しかし、忙しい時にふらっと店に入り食べる寿司もまた美味しい。寿司は日本の伝統ファストフードと言えるだろう。
ふと考えてみると物心ついた頃から既に寿司は回転していた。回転寿司。日本発祥のエンタテーメント型和食店である。普通の寿司屋も楽しいが、店の中を寿司が縦横無尽に動き回る姿を見るのも楽しい。皿を取ったり重ねたり、食べる以外の作業があると言う所も楽しい。
昔、展望台のレストランなんかで、景色を楽しむためなのか床がゆっくり動いて食事中の客が回るシステムの物があったような気がするが、さすがに回転寿司で人側が回転するものはまだないようである。
この回転寿司、英語では色々な呼び方がある。まずは Conveyor belt sushi(コンベア・ベルト・スシ)。これはシステムの仕組みからつけた名前で少し味気ない。なんとなくセメントかなんかが流れてきそうな響きでもある。
そして次に、Sushi-go-round(スシ・ゴー・ラウンド)。ご推察通り、メリー・ゴー・ラウンドの発想から付けられた呼び名であるがこれはちょっと夢がある。子供から大人にまでウケそうな感じがする。エンタテーメント性も感じられる。
その他には、Carousel sushi(カルーセル・スシ)なんて呼び方もある。なんか新宿二丁目のママの名前のようだが、空港の入国ゲート前で荷物が出てくるところでグルグル回っているあれをカルーセルと呼ぶので何となく感じはわかる。この呼び方は前の二者に比べてあまり人気がない気がする。
そんな人々に愛される回転寿司。しばらく前の不祥事やスキャンダル続きで、なんとなく客としては足が遠のいていたが冬のある日に久しぶりに入って見たのである。
***
その日入った回転寿司屋も大型チェーンのひとつだった。窓から中をのぞくとまるで居酒屋のように広い店内だったが、テーブルもカウンターも客で一杯のようだった。しかし店に入ると入り口には誰もおらず、デカい液晶ディスプレイのATMみたいな機械があるだけだった。人が出て来る気配はなかった。
(なるほど、ここからもう無人なのか ... )
そのスクリーンを見ると「テーブル席が希望なのか、カウンター席でよいのか、何人なのか」などを入力するシステムになっているようである。俺は「カウンター席」と「一人」という文字にタッチした。すると機械からスルスルと、銀行や郵便局のような番号が書かれた紙がでてきた。しかるべき時が来るとこの番号で呼ばれるようである。俺は誰もいない入り口で、シャクレ顔の動物のフィギュアが出てくるガチャガチャの機械などを眺めながらその時を待った。
するとすぐに番号が呼ばれ、俺は入口のレジでカウンター席の番号が書かれた札のようなものを渡された。アルバイトらしきお姉ちゃんは「当店に来られたことはありますか?」と俺に聞いた。俺が初めてであることを告げると、お姉ちゃんはおもむろに「このお店では... 」と説明を始めた。
(お、何か複雑なルールがあるのか?!)
俺は身構えた。しかしお姉ちゃんの説明は、「この店では回っている寿司を自分でとって食べるシステムになっている」というような、辞書で「回転寿司」とひくと、そこに書いてあるような内容だった。
外国人の客が多くなったのでこんなことをいちいち説明するようになったのだろうか。その説明が終わるとお姉ちゃんは、あとはカウンターに行けば判るようになっているのでその番号のカウンターに行ってくれ、と言うのである。そんなに遠くでもないんだから、席まで連れてってくれればいいのに実につれない。
店を見渡すと従業員はほとんど見当たらない。俺の記憶の中の回転寿司の店では、お盆を持ったお姉さんなどが背後で忙しそうに働いていたように思う。
しかし店の中はほぼ客だけである。カウンターの向こうにいるのも客ばかりで、寿司職人の方々の姿は一切ない。寿司は壁に小さく開いた窓からベルト・コンベアに乗って出てきては、静かに店の中を循環しているのである。寿司製造現場はどこにあるのだろうか。壁の向こうで、客が見たら夢が壊れるような方式で寿司ロボットが作っているのかもしれない。
とにかく徹底的に自動化・省力化されているのである。下手するとこの店、あのお姉ちゃんが一人でオペレーションしてるんじゃないかと思うくらい人が見当たらない。このところの外食制限への対策でもあろうと思うが、回転寿司界にも DX の波は押し寄せてきていたのであった。
もはや寿司を食べる過程で人とのコミュニケーションは皆無となり、ベルトコンベアにより際限なく回ってくる寿司を勝手に取って食べるか、何か食べたいものがあればタッチパネルで注文するだけ。そして注文した寿司は、一段上の階層にある優先個別配達コンベアみたいなものに載せられ自分めがけて勢いよく滑るように運ばれてくると目の前でピタリと止まるのだ。なんだか気味が悪い。
そして食べおわった皿は目の前にあるスリットのような隙間に入れろと言う。皿を放り込むと「カッコーン」とエアホッケーの機械のような音がし、入れた皿は自動的にデジタル的にカウントされて行く。
まるで電子機器工場の生産ラインのようである。俺は黙って繰り返し同じ動作で寿司を食べているうちに、自分が「皿を取り、寿司を食べ、空になったスリットに皿を入れるという工程」を担当する工場作業員になったような気がしてきた。
***
この無人寿司工場方式も、しばらく前の感染症騒ぎの時期には、人と接触するリスクを避けられるというメリットがあったのだろうが、まあなんとも味気ないものである。俺は自分の食作業のノルマを終えると、後は特にやることもないのでそそくさと店を出た。
アメリカでは完全無人コンビニなども普及してきているが、日本でも自分で商品のバーコードをスキャンしてお金を払うセルフレジの店が増えた。テクノロジーがもたらす当然の合理化といえるが人間はどんどん対面コミュニケーションが苦手になって行きそうな気がする。
オーストラリアに住んでいた時にはレジのおばちゃんだけでなくレジの列に並ぶ知らないおばあちゃんなども話しかけてくるので最初は面食らったが、慣れれば楽しく、良い慣習だなあと思った。知らない人と話すと言う行為を通じて文化的なことを学ぶことも多かったし何より異国の生活で疲れた寂しい心が癒された。
昨今の東京の様な大都市では特に人々がことさら無言を保って生活しているように思う。ちょっとでも声を発するのが損だとでも言わんばかりに、電車のドア付近では無言でグイグイと体を押すことが「降りる」という意思表示のスタンダードになっているように感じることもある。SNSの普及もあり、人々はこうしてどんどん言葉を発することを忘れ、生活はどんどん読み書きによるやり取りが中心になって行くのかもしれない。
しかし結局そんな世を憂いたようなことを言いながら俺も、その感想を人に話す訳でもなくこうしてここに書いているのである。
【調理の話】ガタガタ言っていると三枚におろしちゃうぞ

無許可で魚を路上販売していた男が逮捕されたとニュースで聞いた。違法販売だけでなく、さばいた魚の残り屑をいつも路上の排水溝などに放置しており近所の住人から度々通報されていたというので、お縄になったのもいたしかたあるまい。まあ生臭い事件である。
しかしである。魚をさばくという行為には何とも言えない魅力がある。私も一時期、魚を下ろすのに大変凝った時期があった。ある日私は何かのはずみで魚のおろし方を知り、興味半分に自分で試して見たところ想像以上に仕上がりが良く、いつもの悪い癖でどんどんのめり込んでいったのである。
基本的に何事も一旦始めたらとことんまで突き詰めたいというのが私の信条である。そしてどうせやるなら何をするにも思い切り全力をつくしたい。そんな訳で、ウォシュレットの水流も常に「強」である。
魚の調理は奥が深い。経験を重ねれば重ねるほど、どんどん迅速におろせるようになるので、そこが面白い。また、繰り返し魚をさばくうちに色々新しい効率的な手順も思いつき試して見たくなる。どこかスポーツや芸術に通じるものがある。
青魚などはあまり時間をかけてさばくと手の温度で油が溶けてしまい味が落ちるので特に手早くさばかなければならない。また切れ味の悪い包丁を使うと細胞をつぶしてしまい舌触りが悪くなったりもする。
私の中学時代の同級生のひとりが寿司屋をやっているのだが、そいつの包丁は研ぎながら長年使い続けているものが多く、もともと刃渡り30センチくらいあったものが、5~6センチほどになっているものもたくさんあった。まるで忍者が投げるアレのようだった。(名前がわからない)

私はそいつに築地の老舗包丁店を聞いてマイ包丁を買いに行ったこともある。考えて見れば入れ込んでいたものである。その時期は毎週ひまがあれば魚をさばいており、友人の家に遊びに行く途中で魚を買って行き台所を借りてさばくこともあり、時に喜ばれ、時に迷惑がられた。
魚は自分でさばいて直ぐに食うと実に美味い。そして好きな方法で好きなだけ食える。さすがに職人が下ろしたような完璧な仕上がりにはならないので、タタキやズケにしてしまったり、生姜や山葵、時にはニンニクなんかでごまかしたりすることも多いが、それでも美味い。そしてそこに数枚の青じそ、君がいればもうあとは何もいらない。どっかで聞いた唄のセリフのようだがホントにそうなのだ。
しかし、活け造りだけは苦手で、これまで一度もチャレンジしたことがない。わざわざ半殺しにして動いている状態で食べるという行為に何の価値をも見出せないのである。グリーンピースの回し者でもなんでもないのだが、不必要にそんな残酷な行為をする必要はあるまい。目なんか合ったら絶対食えない。

ところで、どこかで見たアニメの登場人物が相手を脅す文句として「おろすぞ!」と言っていたが、「ころすぞ!」よりある意味怖いセリフではないだろうか。生きたまま三枚にすると言っているのである。
と色々書いたが、無許可販売ニュースのおかげで、しばらく忘れていた魚を下ろすという趣味を思い出した。せっかくの鯵が旬の季節、時間を見つけて三枚下ろし三昧をして見ようと密かに考えているのである。
【名前の話】君いったいなんでそんな名前なんだい

この夏、色々なところで色んなものを食べましたが、あらためてよく考えてみると変な名前の料理ってあるなあ……と思いまして。じゃあ、そんな話を書いてみよう……と思いまして。
変な名前の料理や食べ物
日本の食べ物や料理の名前には面白いものがありますよね。たまに「な、なんでそんな名前に…」と思うようなヤツもありますね。
また、昔からおなじみの食べ物の名前だと、よく考えると変なのに、もう慣れちゃって不思議に思わないものも多いですよね。そんな昔からちょっと気になっていたものも含めて、ちょっと個人的な感想を述べてみたい。
まず一発目はこれ。
はんごろし
旅先で入った店に「はんごろし」と書いた張り紙がしてあったのだが、いきなりこの一言だけ書かれても、一体どういうことだかわからない。誰に対するメッセージなのだろうか。そして誰が誰を殺るのだろう。あのレジの前にいるにこやかなおかみさんが、厨房のおじさんを袋叩きにするのだろうか。
しかし、よく聞いてみるとその「はんごろし」、そんなアウトレイジみたいなおっかない名前のくせにスイーツなのだそうだ。早く言えば、ぼたもちのようなものである。名前が怖いが中身がスイートという意味ではデビュー当時の剛力彩芽を彷彿とさせる。

まあ、その辺は異論のある方もいるかもしれないが、この「はんごろし」、もち米を中途半端につぶしたものなので「はんごろし」というらしい。この名前の食べ物は意外にいろんな地方にあるようだ。じゃあ、もち米を完全つぶしたもの、いわばお餅のことは何というのかと聞いたら、「みなごろし」というそうだ。おおこわ。
むかしむかし、腹を空かせた旅人が「はんごろしでいいですか」と聞かれて「やめてください」といったら、「じゃあ、みなごろしにしましょう」と言うのであわてて逃げた、というような民話もあるそうだ。
よだれ鶏(よだれどり)
この名前、美味そうだと思うだろうか。私は初めて聞いた時、なんで食べ物に体液の名前なんかをつけるんだろうかと思ったのを覚えている。なんかよだれを流しながら首を振って歩いている鳥を想像してしまったのである。
なんでそんな名前なのか!と尋ねると「よだれが出るほどおいしいから」と説明を受けたのだが、それは料理の名前の一部にすべきものではないだろう、と思った記憶がある。この料理発祥の地である中国四川省では「口水鶏」と呼ばれており、それが日本語に直訳されてこうなったようだ。
しかし、もうちょっと調べてみたら、この名前は、中国の文筆家である郭沫若が、少年時代の故郷で食べた鶏肉料理と辛い辣油を思い出し「よだれが出る」と著書に記したことがきっかけとされているようだった。まあ、そういうエモいエピソードがあるのであればケチをつけるべきではなかろうと反省し、私も文句を言わずに美味しく頂くこととする。

甘エビ(あまえび)
これも食べた時の感想からつけられた名前だ。小さい頃から故郷の市場や魚屋でこの名前を見るたびに、なんか底知れぬ哀愁を感じていたのである。海老には、さくらエビ、ぼたんエビ、車エビ、大正エビ、伊勢エビなど美しく情緒的な名前が多く、またブラックタイガーなんていうスーパーヒーローみたいな名前のものまで色々ある。しかし、この甘エビだけ、生きている時から「味」ありきの名前で呼ばれているのである。最初から食べられること前提の人生。なんだか非常に気の毒な感じがする。
そして調べてみるとこの海老、ちゃんと「ホッコクアカエビ」という立派な名前をもっているのである。漢字で書くときっと「北国赤海老」だろう。全然こっちの方が素敵じゃないだろうか。
「甘エビ」って、なんか「芋虫」くらい適当につけた感じがするではないか。しかるべき時期が来たらいつか本名で呼んであげてはどうだろうか。

冷奴(ひややっこ)
冷たいヤツと書いて冷奴。略して「奴」なんて言ったりもする。この名前はもう生活に浸透しているので変な感じもしないのだが、名前に何か秘密の由来がありそうな感じがする。しかも刑事ドラマでは被疑者を「やっこさん」なんて呼んだりする。
そこで調べてみると、冷奴の「奴」は、大名行列の先頭で槍や挟み箱を持つ役「槍持奴」からとられたようだ。この槍持奴の着る半纏には「釘抜紋」と呼ばれる大きな四角形が染められていることが多かった。確かに冷奴っぽい。


それほど珍名でもないかもしれないが、こういう江戸的名前の食べ物の名前は素敵なのでちょっと取り上げてみた。
ビャンビャン麺(びゃんびゃんめん)
いきなり、どういうことやねんという名前ですね。麺を打つ音から来ている、平たいという意味の中国語「扁扁(ピェンピェン)」が訛った、などいろいろ言われているが、結局名前の由来は不明とのことである。
唇を三回閉じないと言えないので、注文するときに意外に言いにくい。

しかも、名前の由来が不明な割にはとんでもない漢字が使われていたりする。漢字で書くと𰻞𰻞麺である。もう真っ黒でほぼ読めない。PCでこの活字があるのにもびっくりしたが、これ書ける人いるのだろうか。

でも、美味しいので今週もまた食べに行ってしまいそうな気がするのである。
食パン(しょくぱん)
この名前どうでしょうか。皆さん違和感なかったでしょうか。私は小さい頃少し不思議に思った事があります。
(なんでこのパンだけあらためて食用と宣言するのだろうか。食べないパンがあるのだろうか……)
今でも若干不思議である。同じような疑問を生みそうな名前に「食塩」があるが、こちらは工業用の塩などもあるかもしれないので、まあ、塩に関してはなんとなく区別したい気持ちはわかるよなあ、などとどうでもいいことを考えているうちに夏が終わろうとしている。

チキン南蛮(ちきんなんばん)
南蛮チキンの方が料理名っぽいのになんでそんなインチキハーフみたいな語順にするのだろうか。ルー大柴やジョニー大倉を意識しているのだろうか。
味には全く文句はない。しいて言えば若干カロリーが高いのであまり食べすぎないようにしている。これからもよろしくお願いします。

鉄砲汁(てっぽうじる)
もう、単に危ない。そんなものを煮てはいけない。しかし実際には鉄砲を煮るわけではなく花咲ガニを煮た料理とのことである。
古くから根室地方の漁師料理として食べられてきた「てっぽう汁」。 箸でカニの足をつついて食べる様子が鉄砲に弾を詰める仕草に似ていることから「てっぽう汁」と名付けられたといわれているとのことである。なるほど、この名前の由来も歴史を感じさせエモい。
使われる食材の根室名物花咲ガニは、カニという名が付いているが、正確にはヤドカリの仲間とのことだ。

ヒラメのエンガワ(ひらめのえんがわ)
なんで魚にそんな家屋の構造物の名前を?と思ったらやはり単に形が似ているからということである。尻びれの付け根にあたるらしい。
一般に寿司屋で「えんがわ」と言えば自動的にヒラメのものを指すが、カレイやマグロのえんがわもあるそうである。マグロのエンガワとなるとかなりデカくて30センチを超えるものもあるらしい。いつかお目にかかってみたい。

ホルモン(ほるもん)
昔、子供の頃、親父の車で国道を走っていると「ホルモン」と書かれた看板がたくさん並んでいる地域があり、何か変な注射でもする場所なのかと思い非常に、こわ気持ち悪かったのを覚えている。
ホルモンの語源は「ほうるもん(捨てるもの)」というような話は皆さん聞かれたことがあるのではないかと思うが、最近は「実は日本でもかなり昔から内臓は食べていたので、ほうるもん、というのはデマ」という説が出てきたりして本当のところは分からなくなっている。
いずれにせよベストの名前ではないなあと、未だに思う。なんかもう少しいい名前ないものだろうか。あ、モツともいいますね。

助六寿司(すけろくずし)
さて最後は助六寿司。そうそう、巻物といなりずしがセットになったお弁当セットだ。簡単に食べられてしかも美味いので昼飯時に私もよく食べている。これも江戸風味でとても粋な名前の食べ物といえよう。

なんで助六寿司という名前がついているか、ご存じの方も多いと思う。そう、歌舞伎の演目から来ているのである。
しかし歌舞伎と言えば「国宝」凄かったですね。私は二回映画館に行って見てしまったが、「曽根崎心中」のシーンと屋上のシーンは二回とも泣いてしまった。
で、なんだっけ。あ、そうそう「助六」の話だったね。この「助六寿司」の名前の元となったのは、歌舞伎十八番の演目『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』である。
この話の主人公が「助六」、そしてその恋人が「揚巻」。このヒロインの名前の揚巻の「揚」をいなり寿司の油揚げ、「巻」を海苔巻きに例えて、この二つを組み合わせた寿司を「助六寿司」と呼ぶようになったというのだが、実に江戸っ子らしい洒落た話である。


いやあ、歌舞伎の世界、粋ですね。そういや「国宝」は、2026年6月6日(土)から Amazon Prime Video で見れるらしい。上映期間に見逃した方は、ご自宅で「助六寿司」でも食べながら御覧ください。
【飲料の話】もうコルク抜きはいらない

今回のこのお得な情報、きっといつか役にたつので、ぜひ読んでおいて欲しい。今回は読み物と言うよりもライフハックに近いかもしれない。
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初夏が訪れ、キャンプシーズンの到来である。私もそろそろ焚き火の禁断症状が出てきており、早くキャンプに行って焚き火がしたい! そんな想いを胸に秘めながら過ごす今日この頃である。
日が暮れたキャンプ場で焚き火に木をくべながら時間を忘れてゆっくりと飲む。夜空には満天の星。そして飲みつかれたらテントの中でランタンの光を頼りに文庫本など読む。うーん。
そんな時に飲むのはやはりワインかウィスキーでしょうな。こういう贅沢な時間に「ストロング!」なんて大きく缶に書かれた俗っぽい飲み物はできれば避けたい。いや、なんの恨みもないのだが、なんとなく大自然の中で飲むならば、自然醸造のものを飲みたいという単純な男心である。
***
コルク抜きがない!
そんな訳でクーラーボックスから良く冷えたワインを取り出す訳だが、最近のワインはスクリューキャップになっているものも多いので、うっかりワインオープナー(コルク抜き)を忘れることがある。
例えば、無事に焚き火の火も安定して、いそいそとグラスとワインを取り出したは良いが良く見るとなんとコルク栓タイプ! 肝心のオープナーがなくて呆然! そんな時、皆さんだったらどうされるだろうか?
1.しょうがないので下山してオープナーを買いに行く
2.コルクを細い棒などで押し込んでビンの中に落とす
3.ハサミで抜く
4.ライターで抜く
5.靴で抜く
6.ふて寝する
時間と気力がある時には1も良いが、戻った頃には確実に火が消えており、火起こしからやり直しとなるだろう。
2はちょっと気が利いているようだが、実際のところ実行に移そうとするとかなり難しい。そもそもコルクよりも少し細くて丈夫な棒というものを探すのが大変だ。そして、見つかったらそれをコルクに当てて石のような大きなもので、少しずつ、少しずつ、ひたすら叩くのだが、これもかなりデリケートな作業である。そしてなんとかコルクを瓶の中に押し込めても、注ぐ度に口を塞ぐのでなんだかすっきりしない。
そんな訳で、3 から 5 の方法を紹介したい。意外にびっくりするものもあるのではないだろうか。
ハサミで抜く
まずこの方法、手元にハサミがあるのが前提である。しかも刃が鋭く薄めのヤツに限る。そんな時には選択肢の一つになるだろう。要はコルク抜きの代わりにハサミを使うのである。百聞は一見にしかず、ちょっと動画を見て欲しい。
これはお手元のハサミの刃が厚かったり先端があまりとがっていなかったりすると難しいかもしれない。またコルクを抜くために回転させるときにはハサミの交差した部分をしっかり持ってゆっくり回さないとハサミが曲がってしまうこともあるので注意しよう。お持ちのハサミが条件に合わなそうだったら、無理をせず次の方法を試して欲しい。
ライターで抜く
次はライターを使う方法である。これは物理的な力でなく、科学的な力を利用した方法である。そう、瓶の中の空気を熱で膨張させてコルクを押し出すという、でんじろう先生的方法である。これはちょっと勇気がいるが、手順は動画を見て欲しい。まずは瓶の先端のフィルムを全部取ってから、空気の部分を狙ってライターの火であぶる訳だ。ガラスは熱伝導率が低い(熱を伝える速さが遅い)ので瓶の中の空気に熱が伝わるまで気長に待つ必要がある。その間に指をヤケドしないように気を付けよう。コルクが動き始めたら脈ありだ。もうちょっとの辛抱だ。
え、なんか怖い? そう、その気持ちも分かる。ライターを使い慣れていない人だとこの状態でライターをキープするのもなかなか難しいかもしれない。また、おっかなびっくりやるとかえって危ないかもしれない。そんな場合は次の方法を試そう。実は、次の方法が誰にでもできる一番お勧めの方法である。
靴で抜く
靴で抜く、などと言うとなんだか汚そうだが心配はない。これが一番誰にでもできる方法なのだが、意外に知られていない。方法としては、ワインを靴の中に入れて壁や木に叩きつけるだけである。これは、お勧めである。もしワイン・オープナーがあっても、やって見せると結構受けるだろう。動画を見てもらえばわかるがかなり簡単である。
この動画のお姉さんはスニーカーのような靴でやっているが、靴底がゴムのスニーカーは衝撃を吸収しすぎてコルクが抜けるまで結構時間がかかる。どちらかというと底がやや硬めの革靴や通常の靴を使うことをお勧めする。
但し、貴方一人の時なら良いが、グループでいる時には靴の選択には十分に気をつけて頂きたい。万が一、人選を誤り、オジサンエキスの染み込んだような靴でやると、「栓は抜けたのだが、不思議と誰も飲まない」という現象が起こることも十分に考えられる。
実施にあたっては、女性の靴か、比較的小綺麗なオジサン(そんなのいるのか)の靴を借りてやるのが無難であろう。
***
これからの長い人生、貴方もきっと「目の前にワインがあるのに、コルクを抜く道具がない!」という場面に遭遇するだろう。もしかしたら、旅行中や冬山登山でもそんな場面があるかもしれない。そんな時、ぜひこの方法を思い出して欲しい。
三つの方法を紹介したが、あくまで非常時の手段である。不器用な人がやると瓶を割ったり怪我をする可能性があるかもしれない。もし実施する際には十分に注意した上で自己責任で行って欲しい。
Good luck!
【軽食の話】伝説のブラックカレー

カレーが嫌いな人ってなかなかいないのではないだろうか。そんなカレー界に伝説のカレーがある。
さて、この題名でピンときた貴方は料理漫画通と言えるだろう。そう、ブラックカレーとは昭和の名作「包丁人味平」にでてきた塩見味平の宿敵である鼻田香作が渾身の腕を振るって完成させた幻のカレーである。

モヒカンに鼻マスクというマッドマックスを先取りしたようなサイケなビジュアルでカレー屋の厨房に立つという斬新な男。その鼻マスクを取ると世界の6000種にもおよぶカレーのスパイスを嗅ぎ分けられるという触れ込みで登場する。
しかし、この鼻田、物語の終盤ではこうつぶやく。
「三千種類のスパイスをかぎわけることのできる俺の鼻でも味平のカレーのスパイスはわからなかった…」
そう、シレっと大幅な数値修正をしているのである。途中で誰かに「いくら何でも盛りすぎですよ」と言われたのかもしれない。
※ ちなみに、そもそも世界のスパイスの数は300~350種しかない。
それはともかく、この鼻田、自らを「カレーの神様」と称するぶっ飛びカリスマ・シェフなのである。

包丁人味平のカレー戦争編では、ひばりヶ丘駅の南北に同時にオープンしたデパートの集客をかけて、それぞれのデパートにテナントとして入った味平と鼻田香作が伝説の死闘を繰り広げるのだ。
そして最終的に長い闘いの末にその鼻田のブラックカレーの正体が暴かれることとなるのだが、その戦いの場所に最後に残されていたのは秋風に吹かれ揺れる鼻田の黒い鼻マスクという、なんともホロ悲しい結末なのだった。

この話、ヒマな方には是非お近くの漫喫で読んでみて欲しいので詳しくは述べないのだが(題名でもろネタバレしているような気もするが)、この死闘は「ブラックカレー」の名を様々な人々の脳裏に深く刻むものとなった。
そう、我々、昭和の民にとっては「食べたこともないのに懐かしい料理」のひとつになったのである。
そして、そんなノスタルジーが生んだのであろう、調べて見るとこのブラックカレー、既に商品化されて市販されたりもしているのである。

(銚子電鉄プロデュース)
あの、デパートに並ばなければ食べられなかったブラックカレーが、令和のこの時代、ご家庭で手軽に楽しめるのである。ご興味のある方は是非試して欲しい。
そして、老舗のハウス食品でさえ、ブラックカレーを全国の食卓に送りだしている。そう、なんなら自作も可能なのである。
黒い鼻マスクをしてこのカレーを作っている貴女の姿を見れば、普段学校から帰って親をうるさがっている娘さんもきっと心配になり、「お、お母さん一体どうしたの?」と心を開いてくれるかもしれない。
そして、レトルトやカレールー界だけではないのだ。実際のレストランでも今日、ブラックカレーは供されているのである。
お近くにお住まいの方はぜひこの黒い世界に足を踏み入れてみてはいかがだろうか。いや、そこで眉をひそめている貴女。どうか心配しないで欲しい。どれも麻薬は入っていない。
***
花田よ。君は今どこでどんな気持ちでこの光景を目にしているのだろうか。そして最終回で海外に修行に行ってしまった味平は今どこで何をしているのだろうか。
かつては「カレー界の黒歴史」と揶揄されることもあったブラックカレー(黒だけに)。
しかし今では、れっきとしたカレーの1ジャンルとして市民権を得て、鼻田香作や味平が姿を消した今でも、多くの人々に愛され続けているのである。
追伸:この記事を書く過程で「世界では黒い食べ物はどんな扱いをされているのだろう」と思い少し調べてみたところ、数年前からブームになりどんどん普及しているようなのだ。機会があればこの、他国黒色食品事情についても書いてみたい🌿
⇩世界はこんな感じ
【英雄の話】君の名はスケソウダラ

まず、この題名を見て「え、スケトウダラじゃないの?」などと言う声が聞こえてきそうである。そう、私も「ん?どちらの名前も聞いた事があるけど違う魚なのかな」などと思いググって見たのである。するとこんな感じの回答がたくさん出てきた。
Q. スケトウダラとスケソウダラ。どっちが正しいのでしょうか。
A. どちらで呼んでも大丈夫です。学術的な標準和名はスケトウダラですが、スケソウダラという名前も広く使われているので間違いではありません。漢字では「介宗鱈」あるいは「助惣鱈」と書きます。食品市場ではスケソウダラと呼ばれる事が多いようです。また、地域によって色々な呼び名があり、ナットオダラ、シラミダラなどと呼ばれている地域もあります。
どうやら正式名称は、「スケトウダラ」らしい。しかし日常的には「スケソウダラ」と言う呼び名の方をよく聞くような気がする。食品の包装の裏側の原材料などの欄には「スケソウダラ」と書いてある事が多いのではないか。
ま、それはともかく、「どちらで呼んでも大丈夫」ってだいぶ失礼ではないだろうか。本人が自分でそう言っているのならいざ知らず、「あいつ何て名前?」と聞かれた同じクラスの奴が「ああ、あいつはマサオでもマサシでも良いよ」と言っているのを聞いてしまったような気分になる。クラスで非常に雑な扱いを受けている人を見ている様で同情を禁じ得ない。
最初から、そんな寂しい話で始まってしまったが、今日はこのスケソウダラについてちょっとお話したい。文句を言いたいのではない。むしろ褒め称えたい。それが本日の趣旨である。
***
スケソウダラ、偉大な魚である。この「偉大さ」と「気の毒さ」が同居する不思議な魚に焦点を当てて見たい。
そもそも、この魚がいないと日本の食は成り立たないのではないか。私も子供の頃から今までどれだけ食べて来ただろう。何なら私の体の50%くらいはスケソウダラでできているかもしれない。
しかしその活躍の割には表舞台に個人名が登場する事が少ないのである。そして、前述の様に「どちらの名前で呼んでも良い」らしいが、どっちの名前も今ひとつ野暮ったくて華がない。
そのせいか、フランス料理店のメニューに「スケソウダラのムニエル」などまずないし、和食の定食でも「焼きスケソウダラ定食」なんて聞いた事がない。寿司屋の壁に貼られたお品書きに名を連ねている姿も見たことがない。
唯一この魚の名前を目にするのは「原材料欄」である。そう、加工食品のパックの裏に小さく書いてあるアレである。しかしそこに「スケソウダラ」と書かれていればよいが、「魚類」などと書かれていることも多い。魚類って。
子供の名札に「2年1組 子供」などと書いてあるような、もしくは中年の男性にもらった名刺に「㈱○○商事 中年」などと書かれているような、そんな投げやり感がある。
そんな不名誉な扱いを受け、日の当たることの少ないスケソウダラだが、古来より加工食品業界専門に活躍してきた名プレーヤーである。古くは蒲鉾、ちくわ、さつま揚げ、はんぺんなど、いわゆる「練り物」に形を変えて人々に愛されてきた。この広い品目を一手に担ってきたのである。
きっと名前を聞かれても、「いやいや、私はそんなアレじゃないので、いやいや、たははは」などと謙虚に生きてきたのだろう。

しかしそんなスケソウダラ、その後その変身技術を磨き、今日では、カニカマ(カニもどき)、魚肉ソーセージ(ソーセージもどき)、うな次郎(ウナギもどき)、と言ったいわゆる「日本もどき界」を席巻し、実はマックのフィレオフィッシュなどの姿でも人々に愛されているのである。
もっと威張っても良いのではないのか。
もっと表舞台に出ても良いのではないのか。
どんな形になっても美味しい貴方にはその資格がある。


しかし前述の通り、こんなに活躍しているのに、本人名で登場する事はほとんどなく、商品前面に書かれた顔は人気者のカニだったりウナギだったりするところが実に切ない。
そして、たまに運よく製品名にタラの名前が使われている時も「タラタラしてんじゃね~よ」などと言うダジャレでお茶を濁されていたりする。

これだけ魔法の様に姿を変えながら色んなところに出没しているのに、名前にも触れられずスポットライトが当たらない魚も珍しい。
***
しかも本人は自慢しないが、実は海外でも大人気なのである。カニカマは世界で60万トンが消費されており、消費量1位がフランス、2位がスペインと続き、本家の日本は3位なのである。アメリカではスーパーボウル(アメフト優勝決定戦)を見ながらカニカマを食べるのが定番になっている。
そして栄養価も高い。SDGsが叫ばれ、代替肉(肉以外の原料から作った疑似肉製品)などが注目を浴びている昨今、江戸時代から練り物をやってるこのスケソウダラが今まさに世界の脚光を浴びようとしている(たぶん)。
しかも最近では、このカニカマを使ったスナックが TikTok界を揺るがしているのだ。その名も Air Fryer Crab Bites(直訳:エアフライヤ―のひとくちカニ) だ。要はバターを塗ってスパイスをかけたカニカマをエアフライヤ―でカリカリに揚げたものだ。それをガーリック・バターにつけて食べる。

簡単に作れて美味しいので TikTok で紹介されて以来、凄い人気である。しかし英語でもまた Crab Bites(ひとくちカニ)などと呼ばれている。
やはり欧米でもスケソウダラはその名を隠して潔く影の男に徹している。ちなみにスケソウダラの英名は walleye pollack、確かに覚えにくいしちょっと長い。そんなところも匿名生活の理由なのかもしれない。
***
ついでなので、スケソウダラの子供についても少し触れておきたい。子供も父のようにひっそりと控えめに生活しているのだろうか。実は全くそんなことはないのである。
スケソウダラの子供はなんと、泣く子も黙る日本の食卓のスター、明太子なのだ。この「明太子」と言う名前には華がある。字面もどこか「皇太子」に通じるものがある。
知らなかった。身内にそんな有名人がいるならもっと早く言えばいいじゃないか。あんた、なんて奥ゆかしいんだ。
そしてなんとその素敵な名前「明太子」の「明太」というのはスケソウダラの別名なのだそうだ。良く考えてみれば当たり前の話だが、明太の子供だから明太子なのだ。
「明太」なんてイカす名前を持っているなら最初からそれを前面に押し出して行けばもっと売れたのではないのか。でもきっと何か考えがあっての事なのだろう。
そんな、目立たないが妙に思い出に残る親戚のおじさんのようなスケソウダラ。私はこれからも貴方を支持して行きたい。
おわりに
さて、皆さまとこうして様々な食べものを見てきましたが、色んな食べものがあるもんですね。年を取るとともに好みが変わっていくのも面白いところです。
さて、なんか腹へりましたね。私もちょっと何か食べてきます。
(了)
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