
七夕というのは究極の遠距離恋愛だが、今年の織姫と彦星は無事に会えたのだろうか
七夕の星空を見ながら、高校の頃に多くの時間を一緒に過ごした女の子のことを思い出した。
お互いに、あまり相手を束縛するようなことはしない関係だった。はたからみるとちょっと、情熱あふれる時期の若者らしくない付き合い方に見えたかもしれない。しかし私たちにとってはそれがちょうど良い距離感だと感じていた。
カーペンターズの歌に、No promises, let's keep it simple.(約束なんてしないで、ややこしいことはやめよう)という一節がある。当時の私たちは、そんな関係だった。
そして高校卒業がやってきた。私は大学に進学することになり、卒業と同時に都会に出たのだが、彼女は地元での就職を選んだのだった。
「就職先の企業では来客を案内する受付に配属されたが、一日同じ姿勢で座っているのでつらい」とその頃の彼女は言っていた。それを聞いてちょっと気の毒にも思ったが、彼女はとても綺麗な子だったので、まあそれも、かわいこちゃんの運命だろうなあと思ったのを覚えている。
二人の間の非束縛方針は、卒業する時にもあまり変わらず、改めて何か言葉でヘビーな確認や約束をする事もなかった。私は「また向こうで落ち着いたら連絡するよ」という軽い調子で出てきたのだった。人によっては「なんと不誠実な!」と思われるかもしれないが、そこはわざわざ言葉にしなくてもわかりあっていると思っていた。
大学に入ると、男ばかりの男子寮での生活が始まった。寮の仲間とつるんで過ごす新しい生活は楽しかった。そんな女っ気がない生活にも何の不満もなく、週末に彼女に電話をし、自分の新しい生活のことを話し、彼女の生活の事を聞いたりするような事だけで十分に満たされていた。
***
冬も近づいてきたある日、久しぶりに電話で話している時に、ふいに彼女は「お正月は地元に帰ってくる?」と言った。
「12月の最後の週に帰るよ」
俺は彼女にそう答えた。
そして暮れが近づいた12月のある日、俺は新幹線に乗って久しぶりの故郷に向かったのだった。冬になれば雪がつもる海沿いの町だが、その年はもう12月に初雪が降っていた。
久しぶりの実家に戻ったその夜に、早速彼女に連絡し、帰ってきたことを報告した。明日会えるかと聞くと、年末はギリギリまでずっと仕事なのだと言った。
「じゃあ、仕事が終わるくらいの時間に迎えに行こうか?」
彼女はバスで通勤していたが、雪の降る時期は結構通勤も大変である。時間が余っていた俺は、しばらく彼女の送り迎え(迎えだけだが)をすれば車の中でも話ができるしちょうどいいな、と思ったのである。
***
翌日の夕方、空いていた実家の車で、仕事の終わる時間に合わせて彼女を迎えに行った。

もう日が暮れかけていたが、雪が降り始めた空はなんだか明るく光っていた。
彼女の勤め先の道の向かいに車をとめて待っていると、ビルの一階の出口から冬物のオーバーを着て出てくる彼女が見えた。ハザードをつけたまま止まっている俺の車を見つけてちょっと微笑むと、胸の前で小さく手を振りながら道を渡ってきた。
(かわいいよなあ)
助手席に乗り込んだ彼女は、「つかれたー」と言うと暖房の効いた車の中でマフラーをとった。
(かわいいよなあ)
俺は車を走らせながら、最近あった驚いた事などを彼女に話し始めたが、話は尽きることがなかった。そのまま彼女を家に送ってしまうのはもったいない気がして、途中でファミレスに寄って話しこんだ。なんだか俺が一人で話しているような気もしたが、彼女も嬉しそうに聞いてくれ、彼女も最近の仕事の様子などを俺に話してくれたのだった。
テーブルを挟んで改めて見ると、彼女は最後に会った時からはずいぶん大人びて見えた。
ファミレスからでて、また雪の中、車を走らせると、車内が温かいせいか彼女はウトウトしているようだった。
黙って運転していると、あっという間に彼女の家についてしまった。俺は家の近くの信号で車を止めた。
「じゃ、また明日、同じ頃に迎えにいくよ」
「うん」
彼女は笑ってうなずくと車から降りて、もう雪の降りやんだ道を歩いていくと、途中で振り向いて手を振った。
***
そんな、送り迎えの日々が何日か続いたある日の事だった。その日も雪が降っていた。助手席に座った彼女が急にこう言った。
「クリストファーくん(←ここ私の実の名前)は向こうで彼女とかできたんじゃないの?」
「え、なんで? んなわけないじゃん」
俺はハンドルを握ったまま笑いながら答えたが、内心は急になぜそんなことを彼女が言い出したのか頭の中を高速回転させていた。
(いやいやいや、俺の彼女は君じゃないんか?)
(ああ、そうか、浮気するなってことかな?)
(なんかそんな心配をさせるような話、したっけな?)
(そもそもそんな浮いた話もないし ……)
(どういうことかな?)
俺がそんな事を考えながらしばらく黙っていると、彼女はこう言った。
「… わたしはできたよ」
俺はしばらくどういうことかわからなかった。頭の中はさらに高速空回りを始めた。
(冗談って感じではないよな?)
(まてよ、もしかして俺たちそもそも付き合っていたわけではなかったということか?)
(いやいや、そんなことないよな)
「え、それどういうこと?」と素直に言えばよいのに、頭の中で「?」がクルクル回るだけで、なぜかその一言が口からでてこなかった。
しかし、頭は空回りしているものの、どう考え直してみてもやはり俺たちは付き合っていたはずなので、正直なところ受け入れられなかった。感想を言葉にすれば「ええっ? そりゃないぜ」だった。
ショックというよりは、不意打ちという感じで、なんだか裏切られたような感じもした。
しかし、そこですぐに感情を出さないのが、俺の良いところでもあり悪いところともいえる。よく言えば思慮深いというやつだが、悪くいえば考えすぎなのだ。その時も俺はまた考えた。
――俺は勝手に「いい形」の関係だと思っていたが、もしかしたら「俺にとってだけ都合のいい形」だったのではないのか
――俺はそんなつもりではなかったが、結局は彼女の気持ちを考えたこともなく放置していたということではなかったのか
――結局、俺の方こそズルかったのではないのか
――彼女は俺を傷つけないような言い方を何日もかけて考えてくれたのではないのか
一旦そんな事を考え始めると、驚いた様子を素直に見せられなくなり、気が付くと俺は「こちらもそのつもりだった」という様な体で、取り繕ったように「その場にふさわしそうなセリフ」を絞りだしているのだった。
「へえ、どんな人」
俺は平静を装いながらそう言うのがやっとだった。熱き血の通っているはずの若者としては捻じ曲がった美しくない態度なのだが、他の素直な言葉が出てこなかった。彼女はそんな俺に気づいているのか、気づいていないのか、さらりと答えた。
「会社のひと。クリストファーくんも、きっと近くにいいひといるよ」
「いやいや、それはないよ」
俺はそういいながら、それでもまだ彼女が「冗談、冗談、本気にした?」などと言いだし、話が好転するのを待っていたのだと思う。
しかし、結局それは冗談ではなく、しばらくすると「もうこの話は終わり」という流れになり、別の話題に流れていってしまったのだった。踏み込まない俺も俺である。
俺はその後の話に相槌を打ちながら気もそぞろで色々な事を考えていた。
――近くのいい人か。やっぱ距離って大事なんだな
――まあ、これはもう無理なんだろうな
――自分で蒔いた種のようなものなのかもしれないな
――とすると、迎えに行くのも今日を最後にしておいた方がいいな
今思えば俺は、何を物分かりのいい感じで体裁よく事を納めようとしていたのだろうか。本当はもっと率直にぶつかりあった方がよかったのだと今になれば感じるが、まだ色んな事に迷いながら生きていたその頃の俺はそんな事を繰り返し考える事しかできなかった。
その後、当たり障りのない話をしているうちに、いつの間にか彼女の家の近くの信号に着いていた。雪はまだ少し降っていた。
車を止めると、彼女は「ありがとう」と言ったが、何かを待つようにしばらくそのまま助手席に座っていた。
俺は、彼女の方を向いてなんと言おうか迷ったあげく「元気でね」と言った。
それを聞いた彼女は俺の方に顔を向けちょっと笑うと、「うん、クリストファーくんもね」と答え、車を降りると歩きだしたのだった。
車を走らせルームミラーを見ると、まだチラチラと降る雪の中、彼女の姿が小さく見えた。
こうして俺の遠距離恋愛は、ふがいない形で自然消滅したのだった。彼女に会ったのはそれが最後だった。
"I used to say 'No promises, let's keep it simple"
(約束なんてしないで、ややこしいことはやめよう)
カーペンターズの歌のこの歌詞の後は、
"But freedom only helps you say Goodbye"
(でも、その自由はあなたにサヨナラを言わせる助けになっただけ)
と続くのだが、その歌の通りになってしまったのだ。
***
その後、ずいぶんあとになってから、共通の知り合いから彼女が幸せに暮らしている事を聞いた。俺は彼女の事を懐かしく思い出し、いつかまた年をとって再会した時には、あの頃彼女がどんな思いでいたのか、笑い話で聞けるような事もあるだろうと思っていた。
しかし、それからまたずっと彼女に会う機会がないままに、時は流れていった。
そして次に彼女の話を聞いたときに知ったのは、彼女がまだまだ若いのに大きな病気にかかり、天に召されてしまい、もう会えなくなってしまったということだった。それを聞いた時、しばらく何も言葉が出なかった。
今も雪の中を運転しているときに、あのビルから出てきてこちらに手を振っていた彼女の姿をふと思い出すことがある。
***
夜空をみながら、七夕と言う究極の遠距離恋愛の事を考えていた時に、また遠い昔の思い出と一緒にふと彼女のことを懐かしく思い出した。
その日は天気が良く、たくさんの星が見えたが、彼女がどの星になって光っているのかはわからなかった。
(了)
以前に書いた七夕記事からエッセイ部分のみ抜粋し書き直しました。気に入ったら 💗 を押してもらえると励みになります。