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Quo Vadis? ――非クリスチャンの私が聖書沼に落ちるまで

    はじめに


    「何事にも時があり
    天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(『コヘレトの言葉』3章1節、『聖書 新共同訳』©︎1987,1988共同訳聖書実行委員会 日本聖書協会より)とはよく言ったもので、私が聖書のことばに親しむようになったのも、必然だったのかもしれません。

     といいましても、私は特定の信仰を持ちません。聖書は神のみことばというよりも、文学作品のひとつとして愛読しています。

     今回はこの場を借りて、人間ドラマとしての聖書の魅力を語るつもりですが、それは断じて特定の信仰を押しつけるものではございません。ただ、ひとりの人間が聖書の魅力にとりつかれる過程をご覧になっていただければ幸いでございます。

    『旧約聖書物語』で沼に落ちる

     実をいうと、聖書に出会ったのはほんの数ヶ月前なのです。

     きっかけは一冊の児童書でした。ウォルター・デ・ラ・メアというイギリスの詩人が、子どもたちのために旧約聖書の物語を美しいことばでまとめたのですが、それが阿部知二の訳で、『旧約聖書物語』(岩波少年文庫、1989年初版(2012年改版))という上下巻の本として出版されていました。天地創造から楽園追放、ノアの箱舟など非クリスチャンの私でも聞いたことのある有名な話が載っていました。

     しかし、私はヨセフの話がいたく気に入りました。

     この話は、兄たちの嫉妬を買ったヨセフが隊商に売られてエジプトで奴隷になり、さらには投獄されてしまうものの、夢を解く力でのし上がり、最終的にエジプトのファラオ(王)に仕える宰相となって飢饉から国を救って大活躍する、という内容です。奴隷から成り上がるサクセスストーリーともいえるでしょう。

     なのですが、私はそれ以上に、成長したヨセフが、自分たちを売った兄たちをゆるすところに心奪われました。

     飢饉がエジプトのみならず周辺地域を襲うと、ヨセフの兄たちが穀物を買いに来ます。その過程でエジプトの宰相と対面するものの、当の兄たちは宰相がヨセフであるとは気づきません。そこでヨセフは言いがかりをつけて詰問するなど兄たちをさんざん試すのですが、かたや良心の呵責をおぼえて人知れず涙を流してしまう。そこもまた人間臭くて好きなのですが、この物語のハイライトはやはり、彼が自分の正体を明かすところでしょう。

     ヨセフが兄たちを自宅に招いて食事会を催した翌日、ヨセフの家から銀の杯がなくなってしまいます。実は、ヨセフが家令に命じてこっそり兄たちの中でも末っ子の荷物の中に紛れこませていたのですが、ともかく兄たちは容疑をかけられます。しかし兄たちの中でもひとりが、杯を盗んだ(正確にはその罪を着せられたのですが)末の息子の代わりに自分が奴隷となります、父の苦悶の顔は見たくない、と申し出たところでヨセフはたえきれなくなってとうとう自ら名乗るのです。

     この物語の妙は、ヨセフがどういった目的で兄たちを試したのかが曖昧なところだと考えています。ヨセフは自分を売った兄たちに復讐したかったのか、あるいは兄たちは本当に変わったのかを試したかったのか。聖書本文でもデ・ラ・メアによる再話でも、動機はほとんど語られていないのです。

     復讐を試みたのであれば、兄たちの良心に心打たれたことになる。兄たちが変わったのかを試したのだとすれば、彼らが確かに変わっていたところを間近で目撃したことになる。はたまたその他の動機も考えられるのかもしれません。ですが、いずれにせよ、自分で完全には自覚できない動機によって動く点がいかにも人間らしいと思うのです。

    ネットで本文に触れる

     再話で聖書の面白さに触れていくと、次第に聖書本文を読みたくなってきました。そこで、日本聖書協会のサイトで聖書の本文を検索して読むようになりました。「主は羊飼い」(『詩編』23章1節、同上)ということばの美しさに惚れ惚れしたり、ヨセフの兄たちがシケムという町で起こした一件を読んで衝撃を受けたり(気になる方は調べてみてください)、ますます聖書の面白さのとりことなっていきました。

    非クリスチャン、新共同訳の聖書を買う

     とうとう紙で聖書を読みたくなった私は、某日、キリスト教系の書籍を扱う書店へ足を運びました。購入し、ページをめくってみると、子ども向けの再話で削られていた箇所がいかに多かったか。むしろ、そうした箇所にこそ私は惹かれるらしいとわかったのです。


     すでに90歳近くになっていたとはいえ、「1年後に息子を授かるだろう」と告げられても信じられずに笑ってしまう(そしてそのことを神に問いただされて、あわてて否定する)サラ。箱船に乗って大洪水を生き延びたあと、ある日、酔っぱらって全裸になって寝てしまうノア。まだ旧約聖書のほんの一部しか読めていないものの、それでも登場人物たちがいかに人間臭いか。


     聖書はもちろん、信仰のよりどころとなるテクストです。私としても、信徒の方や聖書そのものを馬鹿にする意図は一切ございません。


     なのですが、聖書がこうも人間ドラマとして面白い本だったとは、思ってもみませんでした。今では、就寝前に毎日少しずつ、『創世記』から読み進めています。加えて、『詩編』や『箴言』、『コヘレトの言葉』、福音書など、その日の気分に合わせて読みたいところを別途つまみ食いしています。

    おわりに

     以上、聖書とあまり縁のなかった人間が、物語としての聖書の面白さに触れて沼に沈むまででした。どこまで沼に沈むのかはわかりません。しかし、旧約新約ともに、私が人生において出会えたことを感謝したい本に間違いなく含まれるでしょう。

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    コーヒーと万年筆と原稿用紙と児童文学が好きな寓話作家、エッセイスト。こちらにはイベント参加のお知らせや短めの作品、日々思ったこと・感じたことを投稿していきます。アイコンとヘッダー画像はCanvaで作成。 ウェブサイト:https://www.roastery173.com/

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