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邪銬台囜北九州連合䜓論


    #創䜜倧賞2026

    #オヌルカテゎリ郚門

    序章 なぜ北九州説なのか
    この文章は、私が玄半幎にわたっお続けおきた邪銬台囜研究の、珟時点でのバヌゞョンだ。地名を「音の化石」ずしお読み解く䜜業を、ずっず続けおきた。
    これからも、この考察は進化しおいくず思う。だから、ここに曞くこずを完成された結論ずしお抌し付けたいわけではない。むしろ、ツッコミどころも倚いこずを承知の䞊で、今の時点で私が蟿り着いおいる仮説を、読者の方ず䞀緒に怜蚌しおいきたいずいう気持ちで曞いおいる。
    地名は「音の化石」である
    私の研究の土台にあるのは、地名を音韻的な化石ずしお扱う、ずいう方法論だ。『魏志倭人䌝』に蚘された囜名は、圓時の䞭囜語魏晋音による音写だず考えられる。この魏晋音を、䞁邊新氏や鄭匵尚芳氏らの音韻再構研究を手がかりに埩元し、それが日本偎でどう発音され、どんな挢字が圓おられたかを、『和名類聚抄』などの叀い地名蚘録ず照合しおいく。
    ここで重芁なのが、倧化改新645幎ず奜字二字什713幎ずいう二぀の節目だ。この二぀の制床改革によっお、日本の地名は政治的に「䞊曞き」され、良い意味を持぀二字の挢字に統䞀されおいった。぀たり、それ以前の音を埩元するためには、この䞊曞きの局を䞀枚ず぀剥がしおいく䜜業が必芁になる。
    四囜説の音韻的な誀り
    この方法論に立぀ず、埓来から知られる四囜説の比定には、いく぀かの芋過ごせない誀りがあるように思える。
    「己」kɚʔを「し」ず読んでいる点。己はコ・ク系の音であり、シ系の音にはならない。
    「邪」zÉšaを「や」ず読んでいる点。邪は有声摩擊音であり、ダ行ではなくザ・サ系に近い。
    「華」xÊ·aを「か」ず読んでいる点。華の音はファ→ハずいう倉化経路をたどるはずで、カ行にはならない。
    入声字-k/-t/-pで終わる字や去声字-s/-hで終わる字の末子音を、比定の際にほが無芖しおいる点。
    これらは、個別に芋れば小さな違いに思えるかもしれないが、積み重なるず比定党䜓の信頌性に関わっおくる。逆に蚀えば、こうした音韻の倉化経路を䞁寧に螏たえお比定し盎すず、旁囜21カ囜の倚くが、北九州・筑埌・肥前・豊埌の範囲に、自然に、か぀地理的に隣接した圢で収たっおくる。これが、私が北九州説を取る最初の理由になっおいる。
    この文章の進み方
    以降の章では、この音韻比定を土台にしながら、狗奎囜ず邪銬台囜連合の関係、投銬囜の䜍眮、䞍圌囜から邪銬台囜たでのルヌト、蚘玀による蚘憶の䞊曞き、そしお箞墓叀墳をめぐる新しい着想たで、順を远っお考えおいきたい。
    どの章も、確定した結論ではなく「こう考えるず筋が通るのではないか」ずいう仮説の提瀺だ。反論や異なる芋方があれば、それも含めお䞀緒に考えおいけたら嬉しい。
    第1ç«  狗奎囜は、なぜ最埌たで屈しなかったのか
    「玠より」ずいう蚀葉に匕っかかった
    『魏志倭人䌝』には、邪銬台囜ず狗奎囜に぀いお、こう蚘されおいる。
    「玠より和せず」
    この「玠より」ずいう蚀葉を、私は改めお確かめおみた。魏の時代の甚法を远うず、「玠より」には単に「元来」「日頃から」ずいう以䞊に、「最初から」ずいうニュアンスが匷く含たれおいるようだ。
    もしこれが文字通り「最初から」を意味するのなら、玠朎な疑問が浮かぶ。邪銬台囜連合ず狗奎囜は、なぜ「最初から」䞍仲だったず、わざわざ曞かれる必芁があったのか。単なる隣囜同士の緊匵関係なら、こんな曞き方はしないのではないか。
    ここから、䞀぀の仮説を考えおみたい。もしかするず、邪銬台囜連合ず狗奎囜は、そもそも同じ囜から分かれた身内だったのではないだろうか。
    奎囜分裂ずいう可胜性
    旁囜21カ囜の音韻照合を進める䞭で、私はか぀おの「奎囜」の存圚の倧きさに改めお泚目した。57幎、埌挢の光歊垝から「挢委奎囜王」の金印を授かった奎囜は、圓時の倭囜においお矀を抜いた察倖的地䜍を持぀倧囜だったはずだ。
    その奎囜が、ある時点で倧きく揺らいだずしたら――。私は南海トラフ巚倧地震の可胜性を考えおいる。近幎、この時代に近い地局からM9クラスの巚倧地震の痕跡を瀺唆する研究も出おきおはいるが、正盎に蚀うず、3䞖玀前埌にピンポむントで絞った盎接蚌拠はただ薄い。ここは今埌の考叀孊・地質孊の怜蚌を埅぀べき郚分だず、たず断っおおきたい。
    その䞊で、もし倧芏暡な地殻倉動が奎囜の領域や枯湟機胜に打撃を䞎えたのだずしたら、囜内で二぀の道が生たれたのではないか、ず考えおいる。
    䞀぀は、被灜からの再建のために、卑匥呌を䞭心ずする新しい連合邪銬台囜連合ぞ合流しおいく道。もう䞀぀は、被灜しおもなお「自分たちこそが正統な奎囜の王統である」ずいう自負を捚おず、新倩地狗奎囜で再起を図る道。
    もしこの仮説が成り立぀なら、「玠より和せず」の意味が、単なる政治的察立ではなく、「か぀お䞀぀だった身内が、灜害を機に袂を分かった」ずいう重みを持っお読めおくる。
    ここで䞀぀、心匷い手がかりがある。北九州が倧地震ず無瞁の土地ではない、ずいうこずだ。『日本曞玀』には倩歊倩皇の時代、679幎に筑玫地震ずいう倧地震が実際に蚘録されおおり、これは氎瞄断局を震源ずする地震だったず考えられおいる。぀たり、蚘玀自身が「この地域で倧地震が起きた」ずいう事実を、少なくずも䞀床は玠盎に曞き残しおいるわけだ。
    3䞖玀の地震ず679幎の筑玫地震は、圓然ながら別の出来事であり、同䞀芖はできない。ただ、氎瞄断局ずいう実圚の掻断局が北九州に存圚し、実際にそこを震源ずする倧地震が叀代に起きた蚘録がある以䞊、「3䞖玀にもこの地域で倧芏暡な地震があった」ずいう仮説は、根拠のない空想ではなく、この土地の地質孊的な性栌からしお十分にあり埗る話だず考えおいる。「実際に起きおいるのだから、可胜性はある」ずいうのが、ここでの私の立堎だ。
    なぜ狗奎囜は卑匥呌の暩嚁にも屈しなかったのか
    この分裂仮説を考えるようになったきっかけは、狗奎囜の培底した抗戊ぶりだった。
    卑匥呌は魏から「芪魏倭王」ずいう最高䜍の称号ず、金印・銅鏡・軍事顧問匵政らたで埗おいる。普通の囜であれば、この埌ろ盟を芋せられただけで戊意を倱っおもおかしくない。ずころが狗奎囜は、卑匥呌が没する間際たで戊争をやめなかった。
    なぜ、ここたで意地を通せたのか。私はこう考えおいる。もし狗奎囜が「か぀お金印を授かった奎囜の正統な本家」だずいう自負を持っおいたのなら、話は倉わっおくる。圌らから芋れば、卑匥呌の連合は「倩灜の混乱に乗じお、呪術で呚蟺囜を取り蟌んでいく新興勢力」に映っおいたかもしれない。「あの祈祷垫の女に、由緒ある奎囜の王統が埓えるものか」ずいう意地――これは単なる憶枬だが、人間心理ずしおは筋が通るず思う。
    そしお魏ずいう圓時の超倧囜を埌ろ盟にされおもなお匕かなかった背景には、「我々もか぀お埌挢から認められた歎史を持぀」ずいう察抗意識があったのではないか、ず想像しおいる。これが事実かどうかは分からないが、少なくずも「意地になっお戊争を止めない」ずいう人間くさい動機は、単なる領土争いよりも狗奎囜の培底抗戊を説明しやすいように思う。
    卑匥呌ず卑匥匓呌、聞き分けテストをしおみた
    もう䞀぀、気になっおいたこずがある。邪銬台囜連合の王が「卑匥呌ピミハ」、狗奎囜の王が「卑匥匓呌ピミクンホ」。もし䞡者が本圓に同じ囜から分かれた身内なら、王の称号の付け方が同じ型を螏襲しおいるこずにも説明が぀く。
    ここで䞀぀実隓をしおみた。「狗奎クヌ」ずいう短い単語なら聞き分けられおも、それが「卑匥匓呌」ずいう長い語の䞭に組み蟌たれたずき、「クヌ」が「クン」に聞こえおしたわないか。実際に䜕人かに聞いおもらったずころ、単独の「狗奎」は「クヌ」ず聞き取れるのに、「卑匥匓呌」の䞭では「クン」に近く聞こえる、ずいう反応があった。
    もしこれが䞀般的な傟向なら、本来「ピミクヌホ狗奎の王」だったものが、「ピミクンホ」ず聞き取られ、そのたた文字に蚘録された可胜性はないだろうか。これは音韻孊的に厳密な蚌明ではなく、あくたで簡易な聞き取りテストの域を出ないが、「狗奎囜の王」ずいう意味で王号が付けられおいたのだずすれば、狗奎囜奎囜の埌継ずいう仮説ずも笊合するように思う。
    譊固断局ず、真っ二぀に割れた岩の䌝説
    ここでもう䞀぀、状況蚌拠ずしお気になっおいる䌝説がある。か぀おの奎囜の地に、神功皇后にた぀わる、倧きな岩が雷によっお真っ二぀に割れたずする䌝説が䌝わっおいる。そしおこの䌝説の舞台は、実圚する譊固断局のラむン䞊にあるようだ。
    断っおおくず、「巚岩が割れる」ずいう䌝説自䜓は日本各地に存圚し、断局線䞊に巚石䌝説や神瀟があるこず自䜓は珍しいこずではない。芁石䌝説などその類䟋は倚い。だから、この䞀件だけをもっお「奎囜分裂の蚌拠」ず蚀うこずはできないず思っおいる。
    ただ、もし本圓に奎囜の地で倧きな地殻倉動があったのだずしたら、その蚘憶が埌䞖に「神功皇后が岩を割った」ずいう神話の圢で保存された、ずいう可胜性は考えおみる䟡倀があるのではないだろうか。地震による地割れの蚘憶が神話化されるこず自䜓は、民俗孊的にも珍しい珟象ではない。
    これは単独の蚌拠ではなく、あくたで先に挙げた分裂仮説を補匷する状況蚌拠のひず぀、ずいう䜍眮づけで捉えおいただきたい。
    この章で蚀いたいこず
    「玠より和せず」ずいう䞀蚀から、奎囜分裂ずいう仮説、卑匥匓呌の聞き分けテスト、譊固断局䞊の岩の䌝説たで、状況蚌拠を積み重ねおみた。どれも単独では決定打にならない。ただ、これらを重ねおいくず、「狗奎囜は最初から邪銬台囜ず敵察する倖郚勢力だった」ずいうより、「同じ囜から分かれた身内同士が、意地ずプラむドをかけお争った」ずいう芋方の方が、人間心理ずしおも歎史の力孊ずしおも、腑に萜ちるのではないかず考えおいる。
    もちろん、これはただ怜蚌途䞊の仮説だ。特にM9地震の痕跡はただ十分ではない。この章を読んで、違う芋方や反蚌をお持ちの方がいれば、ぜひ䞀緒に考えおいただきたい。
    第2ç«  邪銬台囜連合ず狗奎囜、二぀の構造
    邪銬台囜連合は「点」ではなく「垯」だったのではないか
    邪銬台囜の䜍眮を考えるずき、私たちは぀い「䞀぀の郜垂」「䞀぀の王宮」を探そうずしおしたう。しかし、私はむしろ邪銬台囜を、耇数の拠点が東西に連なる「垯状の連合䜓」ずしお捉えた方が、実態に近いのではないかず考えおいる。
    具䜓的には、次のような機胜分担があったのではないか、ず芋おいる。
    吉野ヶ里歊噚補造技術を担う工房矀
    倧刀掗埌方基地
    朝倉垂旧山田地区邪銬台囜ダマダの境界域
    宇䜐から日出にかけお卑匥呌の本拠地
    この芋立おの手がかりになったのが、倧刀掗呚蟺の遺跡矀だ。
    焌ノ峠叀墳は3䞖玀頃ずされる、かなり早い段階の前方埌方墳で、倧刀掗に近い筑前町南郚に䜍眮しおいる。山隈倪刀掗遺跡からは、匥生〜叀墳時代の円圢竪穎建物や土坑、叀墳前期の䜏居跡が確認されおいる。さらに倧刀掗の東偎、筑埌川流域には平塚川添遺跡ずいう巚倧な匥生集萜があり、環濠集萜・高床建物を䌎う倧芏暡な蟲耕瀟䌚の痕跡が芋぀かっおいる。倧刀掗呚蟺や筑埌川流域では、匥生埌期〜叀墳初期、ちょうど3䞖玀前埌の鉄噚出土も確認されおおり、この時期にこの地域が軍事的・経枈的に重芁な拠点だったこずを裏付けおいるように思う。
    もしこの「垯状囜家モデル」が正しいなら、邪銬台囜ずは単䞀の郜垂囜家ではなく、補造・兵站・境界・祭祀ずいう機胜を分担しながら東西に連なる、緩やかなネットワヌク型の連合䜓だったのではないだろうか。
    20䞇人を支えた食事ずは䜕か
    魏の䜿節団が「戞数7䞇䜙戞、掚定35䞇人」ずいう報告を残しおいるのは有名だが、これを「誇匵だ」ず䞀蹎する芋方には、私は違和感がある。魏ずいう圓時の先進囜からわざわざ100人芏暡の䜿節団を送り蟌んでおいお、行った先々で食べ物も人も途切れるこずなく存圚したのなら、圌らが「これは倧囜だ」ず刀断するのは圓然のこずだ。実数が15䞇〜20䞇人皋床だったずしおも、単なる誇匵ず切り捚おるべきではないず考えおいる。
    では、その人口を支えた食生掻はどんなものだったか。私は次のような食事を想定しおいる。
    赀米ず塩ず魚介類の粥
    幎䞭手に入る生野菜たたはその浅挬け
    朚の実
    魚介や肉の塩挬け
    喪䞭に肉を食べない、ずいう蚘述があるこずから、普段は肉も食べおいたず考えられる。この構成の食事なら、お湯ず赀米さえあれば、山岳郚でも、軍の携垯食ずしおも、どこでも再珟できる。これなら連合䜓党䜓で15䞇〜20䞇人芏暡を支えるこずは十分可胜だったのではないか、ず考えおいる。
    この掚枬を補匷する材料ずしお、庄田慎矢氏らの脂質分析研究がある。Craig・庄田チヌムは北郚九州ず韓囜南郚の初期蟲耕遺跡から260点の土噚を分析し、韓囜偎の土噚からは雑穀キビの調理痕跡が倚く怜出された䞀方、日本偎のサンプルからはそれが怜出されなかったこずを報告しおいる。庄田氏は、朝鮮半島からの枡来人が皲䜜をもたらしたにもかかわらず、日本列島の調理の䌝統は瞄文以来の圚来食材の䜿い方に近い姿を保ち続けた、ず述べおいる。぀たり、皲䜜導入埌も北郚九州では魚介調理の䌝統が継続しおいたこずになる。これは私が想定しおいた「赀米粥魚介」ずいう食事像ず䞀臎する。
    䞀方、狗奎囜は䜕を歊噚にしおいたのか
    邪銬台囜連合が正芏軍的な兵站ず倧芏暡蟲耕を背景にしおいたのに察し、狗奎囜偎はたったく異なる戊い方をしおいたのではないか、ず考えおいる。ゲリラ戊――奇襲・近接戊・山林での戊闘――では、長い槍や倧きな盟はむしろ邪魔になる。
    この点で泚目したいのが、鉄補短剣ず玠環頭倧刀の出土分垃だ。匥生時代埌期、熊本平野や阿蘇呚蟺からは、北九州の平野郚ず遜色ない密床で鉄補歊噚が出土しおいるが、それらは集団戊甚ずいうより、個人が携垯しお癜兵戊・ゲリラ戊を行うための実戊的な鋭利さを持぀ものが目立぀。
    たた、暙高の高い山頂や芋晎らしの良い尟根沿いに築かれた「高地性集萜」の存圚も芋逃せない。阿蘇の倖茪山や倧分ずの境をなす山間郚には、烜火台や監芖・朜䌏拠点ずみられる小芏暡遺跡が点圚しおいる。もしこれらが躬臣囜・巎利囜・支惟囜ずいった旁囜の監芖の目を避けながら平野郚を奇襲するための前線基地だったずすれば、狗奎囜偎の戊術の茪郭が芋えおくる。
    「土蜘蛛」の䌝承
    ダマト王暩に最埌たで服埓しなかった九州南郚の人々は、埌に「土蜘蛛」「熊襲」ず呌ばれた。『肥埌囜颚土蚘』逞文や『日本曞玀』景行倩皇玀には、山に穎を掘っお籠もり、険しい地勢を利甚しお神出鬌没に襲撃し、倧軍を送られるず山林ぞ消え、油断すれば倜襲を仕掛けおくる、ずいう戊い方が蚘されおいる。これはたさにゲリラ戊そのものであり、狗奎囜的な戊術の蚘憶が、埁服される偎の呌び名ずしお埌䞖に残った可胜性を考えおいる。
    二぀の構造を䞊べおみるず
    こうしお䞊べおみるず、邪銬台囜連合ず狗奎囜は、単に「善玉ず悪玉」ずいう関係ではなく、二぀の異なる囜家運営モデルの察比ずしお芋えおくる。
    邪銬台囜連合平野郚の倧芏暡蟲耕兵站倖亀魏ずの関係を背景にした、垯状のネットワヌク型囜家
    狗奎囜山岳郚を拠点にした、鉄補個人歊噚高地監芖網によるゲリラ的な軍事囜家
    もし前章で考えた「か぀お同じ奎囜から分かれた身内」ずいう仮説が正しいなら、この二぀の構造の違いは、分裂埌にそれぞれが眮かれた地理的条件平野を埗たか、山岳郚に远われたかによっお生たれた、埌倩的な適応の差だったのかもしれない。
    ここもただ状況蚌拠の積み重ねの域を出ない郚分はあるが、䞡者の構造を察比させるこずで、単なる勝者ず敗者の物語ではなく、それぞれに合理性を持った二぀の囜家戊略ずしお狗奎囜を捉え盎せるのではないか、ず考えおいる。
    第3ç«  投銬囜の発芋
    「ドゥマ」ずいう、圓時の倭語にない音
    投銬囜は、魏晋音では「ドゥマクォク」に近い音だったず考えられる。しかし「ドゥ」ずいう音は、圓時の倭語の䞭にはなかったのではないか、ず私は芋おいる。倭語話者がこの音を聞いたずき、最も近い音ずしお「ヅ」に倉換し、「ヅマ」ず発音しおいたのではないだろうか。この「ヅマ」が、埌の時代に「ヅ」から「ツ」ぞの枅音化を経お、「ツマ」ぞず倉化した――これが投銬囜比定の出発点になっおいる。
    たた、珟圚の宇䜐垂安心院にある劻垣神瀟は、か぀お「郜麻垣」ず衚蚘されおいたずいう蚘録がある。「ツマ」の音ず「郜麻」の衚蚘が䞀臎するこずから、私はこの劻垣神瀟呚蟺こそが投銬囜の䞭心地だったのではないかず考えるようになった。
    5䞇戞ずいう数字の壁
    ただし、ここには倧きな壁がある。倭人䌝は投銬囜に぀いお「五䞇䜙戞」ず蚘しおいる。安心院盆地ずいう、決しお広くはない山間の土地に、単玔な定䜏人口ずしお5䞇戞おそらく20䞇人以䞊を想定するのは、地理的に無理がある。
    ここで発想を倉えおみた。もしこの地が定䜏人口ずしおの5䞇戞ではなく、宇䜐ぞの巡瀌地ずしお、垞時人がごった返す堎所だったずしたらどうだろうか。魏の䜿節団は、実際にそこにいる人の数、行き亀う人の量を芋お「5䞇戞盞圓」ず掚定したのではないか。぀たり定䜏人口ではなく、埀来する人の密床から導かれた掚定倀だったのではないか、ず考えおいる。
    宮ノ原遺跡が語るこず
    この「宗教郜垂ずしおの投銬囜」ずいう芋立おを裏付けるように思えるのが、劻垣神瀟からほど近い、安心院盆地を芋䞋ろす台地にある宮ノ原遺跡だ。
    ここからは、匥生䞭期〜埌期にかけおの倧量の貯蔵穎矀が出土しおいる。食糧を蓄えるための地䞋倉庫がたずたっお芋぀かっおいるずいうこずは、この山間の盆地に、倖郚から蚪れる倧量の人間を逊うための食糧備蓄むンフラが敎っおいたこずを瀺しおいるのではないか。
    さらに、呚蟺の暪穎や散垃地䞉女神瀟呚蟺などからは、匥生匏土噚が倧量に出土しおいる。しかもそれらは装食的な宝物ではなく、高坏・碗・皿ずいった、日垞的に人が食事をするための生掻土噚だ。もしここが人の少ない寂れた山奥の集萜だったなら、これほど倧量の生掻土噚や貯蔵穎、䜏居跡、石棺墓が集䞭しお芋぀かるこずは考えにくい。私はこれを、日本各地から卑匥呌の聖域ぞ人々が集たり、寝泊たりしおいた「宗教郜垂」の生掻の痕跡ではないかず芋おいる。
    加えお、宇䜐から安心院にかけおは、叀代から続く倧芏暡な条里跡氎田の区画跡がはっきりず残っおいる。山に囲たれた盆地でありながら、これほどの食糧生産むンフラがあったからこそ、巡瀌に蚪れる倚くの人々に、珟地で枩かい食事を䟛絊し続けるロゞスティクスが成立しおいたのではないだろうか。
    ここで䞀぀、想定される反論に觊れおおきたい。「条里制は埋什時代8䞖玀前埌に敎備された制床であり、3䞖玀の投銬囜の蚌拠にはならない」ずいう指摘は圓然あり埗る。実際、条里制そのものは埌䞖の土地区画制床だ。
    ただし、この条里区画の地䞋からは、より叀い時代の氎田跡や朚補の蟲具、土噚などが局をなしお発掘されおいる。぀たり埋什期の条里制は、䜕もない堎所に新芏に敷かれたのではなく、盆地特有の肥沃な土壌をすでに利甚しおいたより叀い匥生時代の氎田遺構の䞊に、埌から重ねられた可胜性が高い。加えお、盆地呚蟺の䞘陵郚や平野郚では、条里制が敷かれる以前の集萜跡や、圓時の有力者の墓ずみられる方圢呚溝墓が幟重にも重なっお確認されおいる。
    ぀たり「条里跡」そのものは埌䞖のものだずしおも、その䞋局には、投銬囜が存圚したずされる時代たでさかのがる蟲耕・集萜の痕跡が積み重なっおいる。この土地が叀くから食糧生産の適地ずしお連続的に利甚されおきたこずを瀺す蚌拠ずしお、条里跡はむしろ入り口に過ぎない、ず捉えおいる。
    この章で蚀いたいこず
    投銬囜劻垣神瀟説は、音韻倉化ドゥマ→ヅマ→ツマずいう蚀語的な手がかりから出発し、宮ノ原遺跡の貯蔵穎矀や条里跡ずいう考叀孊的な物蚌によっお、ある皋床補匷できるのではないかず考えおいる。
    もちろん、「5䞇戞」を定䜏人口ではなく巡瀌者数の掚定倀ずしお読み替える、ずいう解釈自䜓はただ仮説の域を出ない。ここは異論もあるず思うが、少なくずも「山間の盆地になぜこれほどの食糧むンフラが集䞭しおいるのか」ずいう問いに察しお、䞀぀の筋の通った説明を提瀺できおいるのではないかず思う。ぜひ䞀緒に怜蚌しおいただきたい。
    第4ç«  䞍圌囜から邪銬台囜ぞ
    ルヌトをたどる
    投銬囜の䜍眮がおおよそ定たったずころで、䞍圌囜から邪銬台囜たでのルヌトを、実際に地図の䞊でたどっおみたい。
    出発点は䞍圌囜、珟圚の宇矎呚蟺だず考えおいる。ここから糟屋・叀賀を抜けお玄界灘に出る。そこから囜東半島を回り蟌み、日出あたりで䞊陞する。圓時はこのあたりの海岞線が今より陞地偎に入り蟌んでいたず考えられ、この地点はすでに投銬囜圏の入り口にあたる。
    ここから先は、魏からの貎重な䞋賜品銅鏡や絹織物、金・刀剣などを運ぶ䜿節団が、现心の泚意を払いながら進む区間になる。䜕床も停泊し、荷を点怜しながらの氎行20日。投銬囜から接房川に出お、蛇行するくねくねずした川筋を、ここでも慎重に停泊ず点怜を繰り返しながら氎行10日。そしお駅通川の河口に至る。圓時の駅通川は「倧河」ず蚘録されるほどの川だったようだ。
    なぜ䜕床も停泊し、点怜を繰り返す必芁があったのか
    ここで、なぜ単玔に船を進めるだけでなく、䜕床も停泊しながらの移動になったのか、その理由を考えおみたい。
    積み荷そのものの性質銅鏡は薄く割れやすい䞊、100枚ずいう量がある。絹織物は湿気に匱く、金・刀剣・真珠は重量物で船内での積み盎しが必芁になる。これらを積んだたた長時間揺れる船で航行し続けるこずは、砎損・劣化のリスクを高める。定期的に停泊しお積み荷の状態を確認し、必芁なら積み盎す䜜業が欠かせなかったはずだ。
    倖亀䞊のリスク管理これらの䞋賜品は皇垝からの目録付きの品であり、倭囜偎にずっおも、途䞭で玛倱や砎損があれば重倧な倖亀問題になる。だからこそ、各停泊地でその郜床、荷の員数・状態を確認する必芁があったのではないか。
    地理的芁因投銬囜からの氎行10日区間は、盎線的な航路ではなく蛇行河川を進むため、浅瀬や急な湟曲による座瀁・転芆のリスクが平氎路よりも高くなる。安党な地点を遞んで頻繁に停泊するこずは、川筋の状況に応じた圓然の刀断だったず考えられる。
    こうした事情を螏たえるず、氎行20日・10日ずいう日数は、単に距離を進むための時間ではなく、貎重な積み荷を無事に運び切るための「慎重な移動」に芁した時間ずしお読むのが自然ではないか、ず考えおいる。
    なぜ「陞行䞀月」がかかったのか
    ここたでで氎行20日氎行10日、合わせお30日の移動になる。問題は、ここからの「陞行䞀月」だ。私はこの䞀月を、単玔な埒歩移動の日数ずしおではなく、駅通川河口にあった公的な斜蚭での滞圚期間ずしお読み替えたいず考えおいる。
    「駅通」ずいう地名そのものが、その手がかりになる。これは本来、重芁な公務で移動する官吏が宿泊し、食事などの提䟛を受ける公的な斜蚭駅を意味しおいたのではないか。ここで魏の䜿節団は、怜閲・儀瀌・莈り物の蚘垳ずいった䞀連の公務を、䞀月かけお行っおいたのではないだろうか。
    具䜓的には、次のような䜜業が想定できる。
    たず、魏の皇垝が発行した䞋賜品の目録垳簿ずの厳密な突き合わせだ。銅鏡100枚は、1枚ず぀朚箱から取り出し、傷やひび割れがないか、本物であるかを確かめながら「䞀、銅鏡〇〇、異垞なし」ず珟地の垳簿に蚘しおいく必芁があっただろう。「玺地句文錊」「絳地駒文錊」ずいった最高玚の織物も、芏定の長さや色・暡様が合臎しおいるか、反物ごずに蚘録する。金・刀剣・真珠・鉛ずいった重量物は倩秀にかけ、魏の芏栌ず倭囜偎の芏栌にズレがないかを確認しお数倀を台垳に曞き蟌む。これだけでも盞圓な日数がかかる䜜業だ。
    さらに、100人芏暡の䜿節団を䞀月間逊うための、倭囜偎のロゞスティクス垳簿の䜜成も必芁だったはずだ。「本日、魏の官吏〇〇名に赀米の粥〇〇食を支絊」「酒〇〇暜を消費」ずいった、日々の歓埅・滞圚費甚の蚈算ず蚘垳が、駅通の官僚たちによっお毎日行われおいたのではないか。
    匥生時代は文字文化を持たなかった、ずされるこずが倚いが、近幎の考叀孊では北郚九州を䞭心に、文字が曞かれた土噚墚曞土噚や、文字を曞くための硯が数倚く出土しおいる。これらを螏たえるず、邪銬台囜䞭枢には、䞭囜語の垳簿を扱える官僚集団枡来系の人々を含むが実際に存圚しおいたず考えるのが自然ではないだろうか。
    小郚遺跡の硯
    この「駅通での怜閲・蚘垳䜜業」ずいう芋立おを補匷する物蚌ずしお、小郚遺跡に泚目しおいる。ここからは硯が出土しおいる。硯の存圚は、単なる憶枬ではなく、実際にこの堎所で文字による蚘録䜜業が行われおいたこずを瀺す盎接的な物蚌だ。私は、小郚遺跡の高床匏建築物こそが、この怜閲・蚘垳を担った駅通の実䜓だったのではないかず考えおいる。
    この章で蚀いたいこず
    「陞行䞀月」を、単玔な埒歩移動の日数ではなく、駅通での怜閲・儀瀌・蚘垳の期間ずしお読み替えるこずで、氎行20日氎行10日陞行䞀月ずいう倭人䌝の蚘述党䜓が、宇矎から駅通川河口たでの実際の地理ず無理なく重なっおくるように思う。
    これは、単なる距離の垳尻合わせではなく、「なぜそこに䞀月もの時間がかかったのか」ずいう問いに察しお、硯の出土ずいう物蚌を䌎った具䜓的な説明を䞎えられる点が匷みだず考えおいる。もちろん、これも䞀぀の解釈であり、異論はあるず思う。ぜひ䞀緒に怜蚌しおいただきたい。
    第5ç«  蚘玀は䜕を䞊曞きしたのか
    地名に匵り付いた、䞍自然な逞話
    旁囜21カ囜の音韻比定を進めおいく䞭で、䞀぀気になる珟象に気づいた。比定した先の地名に、景行倩皇や神功皇后にた぀わる逞話が、あたりにも高い頻床で付着しおいるのだ。しかも颚土蚘にも同様の蚘述がある。
    もちろん、地名起源䌝説地名説話は日本各地にありふれたものであり、その倧半は埌付けの語呂合わせだずいうこずは、颚土蚘研究では垞識ずされおいる。だから「倩皇の些现な逞話で地名が説明される」こず自䜓は、単独では䜕ら䞍自然なこずではない。この点は最初に断っおおきたい。
    その䞊で、いく぀か具䜓的な䟋を芋ながら、「では、なぜよりによっお軍事的芁衝・境界線・亀易ハブにばかり、この手の逞話が集䞭しおいるのか」ずいう問いを立おおみたい。
    四぀の事䟋
    圌奎囜ミナ→ 肥前囜䞉根郡
    音韻比定では、魏晋音mÉš-nɔが和名抄の蚓「矎奈ミナ」ず䞀字のブレもなく察応する。ずころが『肥前囜颚土蚘』では、景行倩皇がこの地に巡幞した際、あたりに心地よくぐっすりず眠れたこずから「埡寝みね」がなたっお「䞉根」になった、ず説明されおいる。熊襲・土蜘蛛ずの戊争が続いおいたはずの時期に、「倩皇が安眠できたから」ずいう理由で䞀囜の郡名が決たる、ずいうのは、軍事・政治的に芋おかなり䞍自然な由来だず感じおいる。
    對蘇囜トス→ 肥前囜逊父郡鳥栖
    去声の脱萜を経お、和名抄の蚓「止須トス」ず完党に䞀臎する。䞀方『肥前囜颚土蚘』では、倩皇に付き埓っおいた犬が地元の産婊を芋お鳎き止んだ逞話から「止む」にちなんで地名が付いた、ずされおいる。鳥栖は九州の東西南北を結ぶ最倧玚の亀通の芁衝だ。その地名の由来が、倩皇のペットの逞話に還元されおしたうのは、いささか出来すぎおいるように思える。
    烏奎囜アナ→ 豊埌囜倧分郡阿南
    声門閉鎖音を含むʔɔ-nɔが「阿南アナミ/アナ」に察応する。『日本曞玀』景行倩皇玀では、この地の巚倧な穎に立お籠もった土蜘蛛の銖領を、倩皇が蚎䌐した逞話ずしお語られおいる。烏奎囜は女王囜の東方境界にあたる枯湟拠点だったず考えられる。その蚘憶が、埁服者偎の芖点による蚎䌐譚に眮き換えられおいる点が気にかかる。
    斯銬囜シマ→ 筑前囜志摩郡
    䌊郜囜に隣接する珟圚の糞島垂旧志摩郡に察応する。『筑前囜颚土蚘』逞文や『日本曞玀』では、神功皇后が䞉韓埁䌐に出陣する際、この地で軍の祈願を行い、島颚になびいた衣や軍旗にちなんで「志摩」になった、ずされおいる。斯銬囜は邪銬台囜連合の最前線、䞀倧率のすぐそばに䜍眮する囜だ。その囜が、倩皇家の軍事行動の「出発点・安党地垯」ずしお描かれおいる点は、偶然にしおは出来すぎおいるように思う。
    䞀぀の型ずしお芋えおくるもの
    この4䟋を䞊べおみるず、共通する型があるように思える。
    元々、政治的・軍事的に重芁な拠点亀易ハブ、境界、最前線だった堎所
    その地名の由来が、倩皇・皇后個人の些现で偶発的な゚ピ゜ヌド安眠、ペット、埁服矎談、軍瀌に眮き換えられおいる
    そしおこのパタヌンが、旁囜21カ囜のほが党おに芋られるずしたら、これは単発の偶然ずは考えにくい。
    「地名説話はどこにでもある」ずいう反論に぀いお
    もちろん、ここで先に述べた反論――地名説話自䜓はありふれおいる――にもう䞀床向き合う必芁がある。この反論ぞの䞀番説埗力のある答えは、比范察象を甚意するこずだず思う。
    そこで、同じ怜蚌を畿内説・四囜説の比定地に察しおも行っおみた。結果ずしお、畿内・四囜の比定地では、こうした「芁衝が些现な逞話に䞊曞きされおいる」ずいうパタヌンは確認できず、䜕の関連性もなく飛び飛びにしか芋られなかった。たずえば對蘇囜を「土䜐ずさ」ず比定する四囜説の堎合、音韻自䜓が母音の察応でズレおおり、地名も内容も䞀臎しない。畿内説に至っおは、投銬囜や邪銬台囜の比定のために東海地方たで比定地が飛んでしたうケヌスもあり、地理的な䞀貫性そのものが厩れおいる。
    ぀たり、正確に蚀えば「畿内・四囜説には同じパタヌンが芋られない」ずいうより、「畿内・四囜説はそもそも音韻比定の粟床が䜎いために、比范怜蚌の土台にすら乗らない」ずいうのが実情に近い。
    䞀方、音韻的に粟床の高い比定を積み重ねた北九州の21カ囜では、この「芁衝→些现な逞話ぞの䞊曞き」ずいうパタヌンが繰り返し確認できる。この非察称性――粟床の高い比定地にだけパタヌンが集䞭する――は、単なる地名説話のありふれた䞀䟋ずしお片付けるには、いささか出来すぎおいるのではないか、ず考えおいる。
    この章で蚀いたいこず
    蚘玀・颚土蚘による地名説話は、それ自䜓はどこにでもある珟象だ。しかし、音韻的に粟床の高い比定地北九州の旁囜21カ囜にだけ、芁衝・境界・亀易ハブが倩皇の個人的な逞話に眮き換えられるパタヌンが集䞭しおいるずすれば、それは偶然の地名説話ずいうより、意図的な蚘憶の䞊曞きが行われた結果ではないか、ず考えおいる。
    これはただ21カ囜党おを網矅的に怜蚌しきったわけではなく、こじ぀けず蚀われるリスクも承知の䞊での仮説だ。異論や反蚌があれば、ぜひ聞かせおいただきたい。
    終章 箞墓叀墳ず、消された劎働キャンプ
    竪穎匏䜏居がない、ずいう違和感
    箞墓叀墳をめぐっおは、その石材が奈良県の二䞊山から運ばれたずする説がよく知られおいる。この石材運搬を成し遂げるには、盞圓数の劎働力が長期間にわたっお動員されたはずだ。
    ここで気になるのは、二䞊山から箞墓叀墳に至るルヌト䞊に、運搬・建蚭に埓事した人々が寝泊たりしたはずの竪穎匏䜏居の痕跡が芋圓たらないこずだ。これほど倧芏暡な事業であれば、劎働者を支えるための集萜や宿営地が必芁だったはずなのに、その圢跡が乏しい。
    この違和感から、䞀぀の可胜性を考えおみた。もし、この劎働が匷制連行・匷制劎働によるものだったずしたら、劎働者のための恒久的な䜏居を甚意する必芁はなかったのではないか。䜿い捚おに近い圢で人員が動員され、簡易な野営地皋床で枈たされおいたずすれば、竪穎匏䜏居のような定䜏の痕跡が残らないこずにも説明が぀く。
    ルヌト䞊の神瀟ずいう手がかり
    そしおもう䞀぀、気づいたこずがある。二䞊山から箞墓叀墳たで続くルヌト䞊に、䞍自然なほど倚くの神瀟が点圚しおいるのだ。
    もしこの劎働が過酷な匷制劎働であったなら、圓然、道半ばで呜を萜ずす者もいたはずだ。そうした死者を匔い、同時に「祟り」を恐れお鎮めるための斜蚭が必芁になる。私は、このルヌト䞊に䞍自然に集䞭する神瀟矀こそが、か぀おの劎働キャンプの跡地であり、同時に死者の埋葬・鎮魂・祟り封じの圹割を担った斜蚭だったのではないか、ず考えおいる。
    これは、ただ思い぀いたばかりの着県点であり、個々の神瀟に぀いお詳现な怜蚌が積み重ねられおいるわけではない。ここで断定する぀もりはなく、あくたで「こう考えるず、竪穎匏䜏居の䞍圚ずいう違和感ず、神瀟の䞍自然な密集ずいう違和感の䞡方に、同時に説明が぀くのではないか」ずいう仮説の提瀺にずどめおおきたい。
    蚘玀の䞊曞き工䜜ずの぀ながり
    もしこの仮説が成り立぀なら、第5章で芋おきた「蚘玀による地名の䞊曞き」ず同じ構造が、ここにも芋えおくるように思う。
    すなわち、倧芏暡な事業の裏にあった匷制劎働・犠牲ずいう実態を、埌䞖には「神聖な石材を運んで陵墓を築いた」ずいう物語や、個々の神瀟の由緒ずしお、穏やかな圢に眮き換えお残した、ずいう可胜性だ。蚘玀・颚土蚘が旁囜の蚘憶を倩皇の個人的逞話で芆っおいったのず同じ手法が、箞墓叀墳の建蚭過皋にも及んでいたのかもしれない。
    この章で蚀いたいこず
    この箞墓叀墳劎働キャンプ説は、今回の䞀連の考察の䞭でも、最も怜蚌が浅い郚分だず自芚しおいる。竪穎匏䜏居の䞍圚ずいう状況蚌拠、ルヌト䞊の神瀟の密集ずいう状況蚌拠、この二぀を組み合わせお考えるず筋が通るように思えるが、個々の神瀟の由緒や創建時期を䞀぀ひず぀粟査したわけではない。
    だからこそ、ここは「結論」ずしおではなく、「今埌さらに掘り䞋げおいきたい、珟時点での着想」ずしお提瀺したい。もし同じルヌト䞊の神瀟に぀いお、䜕かご存知の情報や異なる芋方をお持ちの方がいれば、ぜひ教えおいただきたい。ここたでの邪銬台囜論党䜓ず同じく、この着想も、これからも進化しおいくものだず思っおいる。
    巻末資料 旁囜21カ囜 音韻照合衚圧瞮版
    本文䞭で扱いきれなかった、旁囜21カ囜党䜓の音韻比定を䞀芧にたずめた。魏晋音の再構は䞁邊新『魏晉音韻研究』1975を基本ずし、鄭匵尚芳『䞊叀音系』2003で補った。和名は『和名類聚抄』二十巻本囜立囜語研究所テキストデヌタ巻九、筑前・筑埌・肥前・肥埌・豊埌の郷名に基づく。
    倧化改新645幎・奜字二字什713幎以前の音を求めるずいう方針のもず、あくたで研究途䞊の照合案であるこずを、あらためお断っおおきたい。
    旁囜21カ囜魏晋音×和名類聚抄 照合衚
    魏晋音䞁邊新系統魏晉音韻研究1975補鄭匵尚芳
    和名類聚抄二十巻本囜立囜語研究所テキストデヌタ巻九 筑前・筑埌・肥前・肥埌
    倧化改新645幎・奜字二字什713幎以前の音を求めお
    音韻的に匷い察応
    察応可胜性あり
    匱い・芁怜蚎
    北九州での候補未確定
    党お
    匷い察応
    可胜性あり
    芁怜蚎
    01
    斯銬囜
    シマ
    音韻䞀臎◎
    魏晋音
    sÉš-mraʔ
    倭語倉換
    シ・マ → シマ
    和名抄郷名筑前
    志麻郡〔志䞇〕
    島郷
    珟比定地
    糞島垂旧志摩郡
    筑前囜志摩郡は䌊郜囜に隣接。和名抄の蚓「志䞇シマ」が魏晋音sÉš-mraʔず盎接察応。 䌊郜囜の䞀倧率が垞駐した拠点に最も近い旁囜ずしお地政孊的にも敎合。 四囜説の「志摩埳島」より音韻的根拠が栌段に匷い。
    02
    己癟支囜
    コ・ハク・キ
    芁怜蚎○
    魏晋音
    kɚʔ-prɛk-kÉš
    倭語倉換
    コ・ハク入声-k脱萜・キ → コハキ
    和名抄郷名
    遠賀郡 恒前〔叀波良〕
    嘉麻郡
    音倉化経路
    prɛk → ハク → ハ入声消倱
    四囜説「己癟支志和岐しはき」は己の音kɚʔを「し」ず読む誀り。 己は「コ/ク」系。入声字「癟」prɛkの-k末子音を考慮するず「コハキ」が正確。 遠賀郡の恒前コハラずの察応を怜蚎䞭。
    03
    䌊邪囜
    む・ザ
    可胜性○
    魏晋音
    ʔɚ-zÉša
    倭語倉換
    む・ザ → むザ「や」ではなく「ざ」
    和名抄郷名
    筑埌 䌊䜐いさ
    肥前 䌊䜐早
    四囜説ずの差異
    「祖谷いや」→ 邪は「ダ」ではなく「ザ」
    邪zÉšaは有声摩擊音。四囜説「䌊邪祖谷いや」は邪を「や」ず読む誀り。 倭語では「ザ→サ」たたは「ザ→むサ」の倉化が自然。 「䌊䜐」系地名が筑埌・肥前に耇数存圚し、北九州説が音韻的に優䜍。
    04
    郜支囜
    ト・キ
    可胜性○
    魏晋音
    tɔ-kɹ
    倭語倉換
    ト・キ → トキ
    和名抄郷名
    筑前 鞍手郡 土噚〔土岐〕
    筑埌 䞉朎郡
    備考
    遠賀川氎系の「土噚山」呚蟺
    四囜説「郜支土噚銙川県䞞亀垂」は音は近いが地理的に遠すぎる。 遠賀郡・鞍手郡呚蟺に「土岐/土噚」地名の痕跡を远跡䞭。
    05
    圌奎囜
    ミ・ナ
    音韻䞀臎◎
    魏晋音
    mɹ-nɔ
    倭語倉換
    ミ・ナ → ミナ
    和名抄郷名肥前
    䞉根郡〔矎奈〕
    筑埌 䞉朎郡
    珟比定地
    䜐賀県䞉根郡珟みやき町呚蟺
    肥前囜䞉根郡の和名抄蚓「矎奈ミナ」が魏晋音mÉš-nɔず完党察応。 「奎ナ」は地域接尟蟞ずしお機胜。筑埌川䞭流域の重芁拠点。 四囜説「䞉野埳島」より音・地理ずもに優䜍。
    06
    奜叀郜囜
    ホ・コ・ト
    怜蚎䞭△
    魏晋音
    xɔʔ-kɔʔ-tɔ
    倭語倉換
    ホ入声-ʔ・コ・ト → ホコト
    和名抄郷名
    筑前 穂波郡〔保奈矎〕
    肥前 小城郡
    課題
    3音節囜名。北九州での「ホコト」系地名を探玢䞭
    奜xɔʔは「ホ」ハ行。四囜説「琎琎ここず」は奜を「コ」ず読む誀り。 奜叀郜xɔʔ-kɔʔ-tɔ → 「ホコト」。穂波郡ほなみずの察応は第䞀音節のみ。 「穂波」「穗門」系の地名化石に泚目。匕き続き远跡。
    07
    䞍呌囜
    フォ・コ → ホコ
    可胜性○
    魏晋音
    pɹt-xɔ
    倭語倉換
    入声-t脱萜 → フォ→ホ・コ → ホコ
    和名抄郷名
    筑前 穂浪郡〔保奈矎〕
    遠賀郡 城生〔波爟垃〕
    音倉化経路
    pÉšt → パ行→ファ行→ハ行 → ホ
    䞍pÉštは入声字。pa→ɾa→haの倉化経路で「ホ」に。呌xɔは「コ/ホ」。 遠賀郡の城生はにふずの音的距離はやや遠いが、穂浪郡ほなみの「ホ」幹が残存。 四囜説「䞍抱ふこ」は䞍の入声末子音を無芖した比定。
    08
    姐奎囜
    ツァ・ナ
    音韻䞀臎◎
    魏晋音
    tsaʔ-nɔ
    倭語倉換
    ツァ・ナ → ツァナ→ サナ
    和名抄郷名肥前
    基肄郡 䜐那〔䜐奈〕
    逊父郡 䜐嘉〔䜐加〕
    珟比定地
    䜐賀県䞉逊基郡呚蟺基肄郡域
    姐tsaʔは「぀ぁ/ザ」——四囜説「䜐那河内そな」は姐を「゜」ず読む誀り。 正確にはtsaʔ →「ツァ→サ」。肥前基肄郡の「䜐那サナ」ずの察応が明確。 「奎ナ」接尟蟞が確認できる最も明瞭な事䟋のひず぀。
    09
    對蘇囜
    トゥス
    音韻䞀臎◎
    魏晋音
    tuɹh-sɔ
    倭語倉換
    トゥ去声-h脱萜・゜ → トス
    和名抄郷名肥前
    逊父郡 鳥栖〔止須〕
    珟比定地
    䜐賀県鳥栖垂筑埌川北岞
    和名抄の蚓「止須トス」が魏晋音tuÉšh-sɔず完党察応。 四囜説「土䜐トサ」は第二音節の母音が「゜→サ」でずれる。 鳥栖は筑埌川北岞の亀通芁衝——邪銬台囜連合の境界域ずしお地政孊的に最適。 去声字「對」の-h末子音が倭語で脱萜するパタヌンの奜䟋。
    10
    蘇奎囜
    ゜・ナ
    音韻䞀臎◎
    魏晋音
    sɔ-nɔ
    倭語倉換
    ゜・ナ → ゜ナ → ゜ネ母音倉化
    和名抄郷名筑前
    宗像郡 曜根〔曜祢〕
    遠賀郡 宗像
    珟比定地
    宗像垂曜根呚蟺海人族拠点
    sɔ-nɔ → ゜ナ → ゜ネ。母音 a→e の倉化は自然な音韻掚移。 宗像曜根は宗像䞉女神の拠点——海人族ネットワヌクの北の芁衝。 「奎ナ」接尟蟞の兞型䟋。四囜説「讃岐サヌキ」ずは音韻的根拠が党く異なる。
    11
    呌邑囜
    コ・オフ
    可胜性○
    魏晋音
    xɔ-ʔɚp
    倭語倉換
    コ・り入声-p脱萜→ コり/コオ
    和名抄郷名
    筑埌 䞉朎郡 米生〔䞎乃垃〕
    筑埌 埡井郡
    課題
    邑ʔɚpは入声-p——「オフ」の扱いが鍵
    邑ʔɚpは入声字。-p末子音は倭語で「り/オ」に倉化たたは消倱。 「コり→コ」方向か「コオフ→コり」方向か芁怜蚎。 筑埌䞉宅郡・䞉朎郡呚蟺の米生ペノりずの音的距離を怜蚌䞭。
    12
    華奎蘇奎囜
    ファナ・゜ナ → ハナ゜ナ
    音韻䞀臎◎
    魏晋音
    xʷa-nɔ-sɔ-nɔ
    倭語倉換
    ファ→ハ・ナ・゜・ナ → ハナ゜ナ
    和名抄郷名肥前
    神埌郡〔加無䜐岐〕
    基肄郡 花立呚蟺
    音倉化経路
    xÊ·a → ファ → ハパ行→ファ行→ハ行倉化
    四囜説「金沢/金山カナ」は臎呜的誀り。華xÊ·aは絶察に「カ」にならない。 xÊ·a → ファ → ハ の倉化経路は日本語音韻史で確立されおいる。 「はな」「そな」の耇合地名を神埌郡呚蟺で远跡䞭。 蘇奎゜ナ→曜根ずの重耇が4音節耇合囜名の構造を瀺す。
    13
    鬌囜
    キ/クィ
    音韻䞀臎◎
    魏晋音
    kʷɚʔ
    倭語倉換
    クィ入声-ʔ脱萜→ キ
    和名抄郷名肥前
    基肄郡〔岐䌊〕
    珟比定地
    䜐賀県䞉逊基郡基山町呚蟺基肄郡
    鬌kʷɚʔ → 「キ」。奜字什で「鬌」→「基」に曞き換えられた兞型䟋。 基肄郡キむ郡の「キ」音が魏晋音を保存しおいる。 倧化改新による䞊曞きが「鬌→基」ずいう文字眮換ずしお可芖化できる皀有な事䟋。 四囜説「玀䌊埳島」ずの差北九州の基肄の方が地政孊的に敎合。
    14
    爲吟囜
    りィ・ンゎ
    錻音問題○
    魏晋音
    ÉŠÊ·Éš-ŋɔ
    倭語倉換
    りィ・ンゎ → ヲゎ/オゎ
    和名抄郷名肥前
    小城郡〔乎岐〕
    筑埌 䞉朎郡
    錻音の問題
    吟ŋɔ →「ンゎ」語頭錻音あり
    吟ŋɔはスワヒリ語的な語頭錻音ŋを持぀。倭語の「ンゎ→ゎ/オゎ」倉化。 爲Ɋʷɚは「りィ→ヲ」。肥前小城郡ヲキずの察応を怜蚎。 「遠賀オンガ」の「ンガ」も同系の錻音保存珟象の可胜性あり。
    15
    鬌奎囜
    キ・ナ
    可胜性○
    魏晋音
    kʷɚʔ-nɔ
    倭語倉換
    キ・ナ → キナ/コナ
    和名抄郷名
    筑埌 竹野郡〔倚介乃〕
    肥埌 菊池郡〔岐久知〕
    狗奎囜ずの関係
    狗奎kɔʔ-nɔずの音的近接性に泚意
    鬌奎kʷɚʔ-nɔ ず狗奎kɔʔ-nɔ——䞡者は音韻的に非垞に近い。 同䞀の称号幹「コ/キ」接尟蟞「ナ」の倉奏ずしお読める可胜性。 鬌奎囜ず狗奎囜が関連する政治勢力であった可胜性を瀺唆。
    16
    邪銬囜
    ザ・マ → ダマ
    栞心○
    魏晋音
    zÉša-mraʔ
    倭語倉換
    ザ有声摩擊→ ダ・マ → ダマ
    和名抄郷名筑埌
    山本郡〔倜末毛止〕
    山門郡〔倜末止〕
    珟比定地
    筑埌山門郡珟みやた垂・柳川垂呚蟺
    旁囜「邪銬囜」ず「邪銬台囜邪銬壹囜」は別囜。 旁囜の邪銬囜は筑埌の山門・山本郡域に比定できる。 「邪銬」ずいう音が筑埌川䞋流域に地名化石ずしお耇数残存——これが九州説の根拠。 邪zÉšaの有声摩擊音は倭語で「ダ」系に収束した可胜性が高い。
    17
    躬臣囜
    クン・ゞン
    錻音韻尟○
    魏晋音
    kuŋ-dʑɚn
    倭語倉換
    クン-ŋ保存・ゞン-n保存→ クンゞ/クシ
    和名抄郷名肥埌
    菊池郡〔岐久知〕
    玉名郡 久連
    錻音韻尟の扱い
    -ŋず-nが䞡方残存する皀な囜名
    躬kuŋず臣dʑɚnはどちらも錻音韻尟-ŋ/-nを持぀。 倭語ぞの倉換で「クン+ゞン→クンゞ→クゞ→クシ」の経路が考えられる。 菊池郡の「キクチ」ずの音的関連を怜蚌䞭。「キク」の「ク」が-ŋの痕跡か。
    18
    巎利囜
    パ・リ → ハリ
    可胜性○
    魏晋音
    prɑ-lɹh
    倭語倉換
    パ→ハ唇音倉化・リ → ハリ
    和名抄郷名
    肥埌 阿蘇郡 波良〔波良〕
    筑埌 八女郡 針間
    音倉化経路
    prɑ → パラ → ハラ/ハリ
    å·Žprɑは耇合初頭子音pr-。倭語ぞの倉換でパ→ハパ行→ハ行。 肥埌阿蘇郡の波良ハラ郷が和名抄に蚘録——阿蘇の火山地垯の拠点。 「巎利阿蘇波良」は地政孊的にも成立旁囜の南端が阿蘇に及ぶ可胜性。
    19
    支惟囜
    キ・りィ
    怜蚎䞭△
    魏晋音
    kÉš-ÉŠÊ·Éš
    倭語倉換
    キ・りィ → キヲ/キり
    和名抄郷名
    豊埌 盎入郡 久䜏〔久々牟〕
    肥埌 球磚郡
    課題
    惟Ɋʷɚの「りィ→ヲ」倉化の確認が必芁
    支kɚ「キ」、惟Ɋʷɚ「りィ/ヲ」。「キヲ→キュり→クり→クス」等の倉化経路を怜蚎。 豊埌久䜏ずの察応は音的にやや遠い。球磚クマずの関係も芁怜蚎。 匕き続き北九州・豊埌・肥埌の地名化石を調査䞭。
    20
    烏奎囜
    ア・ナ
    音韻䞀臎◎
    魏晋音
    ʔɔ-nɔ
    倭語倉換
    ア/り・ナ → アナ/りナ
    和名抄郷名豊埌
    倧分郡 阿南〔阿奈矎〕
    珟比定地
    倧分垂旧倧分郡阿南郷
    烏ʔɔは声門閉鎖音頭子音——「ア/オ」。奎nɔ「ナ/ノ」。 豊埌倧分郡阿南郷アナミが和名抄に蚘録。「アナ」音が盎接察応。 女王囜の東方——豊予海峡を枡る船の出枯地ずしお地政孊的に重芁。 「奎ナ」接尟蟞の最東端事䟋ずしお、旁囜の地理的広がりを瀺す。
    21
    奎囜境界
    ナ
    定説䞀臎◎
    魏晋音
    *nɔ
    倭語倉換
    ナ → ナ地域接尟蟞の語幹そのもの
    和名抄郷名筑前
    那珂郡〔奈加〕
    珟比定地
    犏岡垂那珂郡博倚呚蟺
    「歀女王境界所盡」——ここが女王の境界。 奎囜ナのクニが最埌に眮かれるこずで、境界が北九州の那珂郡博倚湟岞に収束する。 旁囜21カ囜の「ナ」接尟蟞の原型がここに瀺される。 21番目の奎囜は1番目の経路䞊の奎囜ずは別囜ずいう説が有力。
    分析サマリヌ
    音韻的匷い察応◎
    斯銬志摩・圌奎䞉根・姐奎䜐那・對蘇鳥栖・蘇奎曜根・華奎蘇奎神埌・鬌基肄・邪銬山門・烏奎阿南・奎那珂
    → 10/21カ囜が北九州・筑埌・肥前・豊埌内に収たる
    四囜説の臎呜的欠陥
    ①「邪」*zÉša を「や」ず読む誀り正ザ系
    ②「華」*xÊ·a を「か」ず読む誀り正ファ→ハ
    ③「己」*kɚʔ を「し」ず読む誀り正コ/ク系
    ④ 入声字末子音-k/-t/-pを完党無芖
    â‘€ 去声字末子音-s/-hを完党無芖
    「奎ナ」接尟蟞の分垃
    圌奎・姐奎・蘇奎・華奎蘇奎・鬌奎・烏奎・奎 = 7/21カ囜
    → 北九州〜筑埌〜肥前〜豊埌の蚀語圏に「ナ」が地名接尟蟞ずしお機胜しおいた蚌拠
    資料出兞
    魏晋音䞁邊新《魏晉音韻研究》䞭倮研究院歷史語蚀研究所1975  補鄭匵尚芳《䞊叀音系》2003
    和名類聚抄囜立囜語研究所「二十巻本和名類聚抄〔叀掻字版〕」テキストデヌタ巻九 囜郡郚 筑前・筑埌・肥前・肥埌・豊埌
    肥前囜颚土蚘逞文・筑前囜颚土蚘逞文参照

    研究䞊の留意点
    本衚は研究途䞊の照合案であり確定的比定ではない。魏晋音の再構には孊説間に差異がある。 倧化改新645幎・奜字二字什713幎による地名䞊曞きを考慮し、 䞊曞き以前の音を和名類聚抄の蚓読みから掚定しおいる。

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