フリー
鳥になりたい。
そんな風に考え出したのは、年賀状の宛名を周りが漢字で書けるようになった頃だった。友人たちは、宛名に書いた私の苗字の“島“を“鳥“と書き間違える。私はそれが好きだった。
鳥も人間も、利便性の下敷きになるか、痩せ細って(人間は病などに、鳥は生き物に)啄まれて死ぬ。鳥は、ひっそり死ぬ。皆が気づかないくらい自然に死体は転がっている。人間の死体がこんなに転がっていたら大事件になるだろう。遺体を火葬することに疑問を持っていたが、鳥たちが身をもって幼い私に教えてくれた。腐敗は避けられない。帰り道に冷たくなった鳥を、よく埋めて帰った。鳥の死は、人間の死と比べ至極どうでもいいものとして扱われているように見えた。
学校帰り改札を出ると、目の前に花びらのような美しい白い羽根が舞っていた。天使が舞い降りたような演出だが、羽根にところどころ赤が混じり始める。羽の出所は車に潰されてアスファルトに内臓が赤く張り付いた鳩だった。
私達は死と隣り合わせの状態で日々を過ごしているが、常に忘れようとしている。かと思えば、大切な人が旅立つと途端に宗教にハマりだす。自分勝手な生き物だと思った。鳥と比べて、こんなにも自由なはずなのに不自由だ。
人間にしかわかってもらえないことばかりなのに、人間が大嫌いだと思ったし、女にも男にも同じだけ、殺したいほど憎い気持ちと、切ないほど愛おしい気持ちがあった。
鳥になりたかった。せめて自分の羽根と風だけで空を飛んで何者も傷つけず、自然の摂理に則って、そこらに転がり骨までなくなりたかった。